2019年11月22日金曜日

「焼き場の少年」どこに!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 原爆の悲劇をまた一つご確認いただきます。
 けなげでりりしい少年の顔に感激します。
ねらい:
 原爆は即時廃絶してほしいものです。
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この写真は、2019年11月22日の日経新聞に載ったものです。
こういう注が付いています。


【焼き場に立つ少年】
終戦直後に日本に入った
米軍従軍カメラマンの故ジョー・オダネル氏が撮影した。
原爆投下後の長崎の火葬場で、
亡くなった弟を背負い火葬を待つ場面とされる。


当時の悲惨な状況を思い出したくないと
40年以上、トランクの中に封印されていたが、
1990年に米国で初めて公開された。


少年を探しにオダネル氏は4度来日したほか、
美術史研究者の故・吉岡栄二郎氏らが調査したが、
特定には至っていない。


記事本文には、以下の情報も記載されています。
1.ローマ法王フランシスコが、
 この写真を関係者に配り、核廃絶を訴えてきた
 (来日を機にこの話題となっている)


2.村岡正則さん(85)が、今もこの少年を探している。
 爆心地から1.6キロの自宅で被爆した村岡さんは、
 手足にやけどを負い、家族と市中央部にある金比羅山に逃げた。
 大勢の人が血だらけになりながら
 家族の安否を尋ねて大声を張り上げる光景は「地獄そのもの」。


 村岡さんはそこで幼子を背負い、母親を探す少年と会った。
 (この前段で、村岡さんはこの少年と
 国民学校で同学年だったことが紹介されています)
 「どうしよっとね」
 「母ちゃんを探しよると。母ちゃんがおらんとさ」
 少年は切羽詰まった表情で語り、山を下った。
 村岡さんが少年を見たのはそれが最後だった


この写真の少年は85歳の村岡さんと同学年だったとすると、
当時10歳か11歳です。


村岡さんは、
2017年12月にローマ法王がこの写真を世界中に配るように
指示したことを知って以来2年間、
いろいろ調査されたが分からずじまいのようです。


おそらく、その少年は火葬場の前で自分で弟を背負っている
ということは、母親には会えなかったのでしょう。
その後どうなったのでしょうか!!!!


それにしても、
この写真の少年はけなげなりりしい顔をしていますね。
ローマ法王が強い関心を持たれた気持もよく分かります。


原爆は本当に悲惨な状況をたくさん残しました。


その中で、これまで私が最も感銘したのは、
上野則男のブログ2015.7.8「こんなむごい!!非人道の原爆投下!」
でもご紹介した故奥田貞子さん著「空が、赤く、焼けて」で
書かれた「ルミチャン」でした。
http://uenorio.blogspot.com/2015/07/blog-post.html


無差別殺人の原爆は絶対に許せません!!

1 件のコメント:

上野 則男 さんのコメント...

以下は,MKさんからのメールです。転載いたします。

上野則男さん
ごぶさたしています。いつも貴兄のブログを拝見して感心しています。特に読書を精力的に続けておられるのは尊敬に値すると思っています。今月のブログには焼き場の少年の紹介がありましたが、私自身も終戦時広島にいて中学1年の兄を失いました。焼き場の少年の写真を見て思い出すのは兄を火葬したときのことです。火葬場が満員のためにやむを得ず地元の小学校の校庭に穴を掘り焼きました。焼き終わって骨を拾ったとき骨に青いシミがついていたのを憶えています。原爆は2度と使用してはならないと強く思っています。