目的:
脳の働きは、右脳・左脳の機能で見るのではなく、
上脳・下脳の機能で見ることが主流となっていることを知っていただきます。
ねらい:
右脳・左脳の見方は俗説だったというのです。参りますね。
しかし全面否定はしないで、両案で見ていきましょう。
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この書籍は、スティーヴン・コスリンというハーヴァード大学や
スタンフォード大学で教授を務められた
認知神経科学者が書かれた権威あるものです。
この書の中で、右脳・左脳論についてこう述べられています。
右脳・左脳の機能分担論は、
手術をして右脳・左脳を分離した人間の場合の結論である。
健常者の脳はそのように単純に機能が分かれているのではなく、
言語の処理でも、創造的機能でも両脳は連携して
システムとして機能している。
しかし、私はこう理解しました。
現実に、論理に強い人間と芸術や直感に強い人間がいる
ことは事実です。
その人たちは、左脳の働きが比較的強い人であったり
右脳の働きが比較的強い人であったりだということです。
ですから、「左脳型人間」「右脳型人間」という言い方は、
実際的にも、科学的にも誤りではないのです。
それでは肝心の
「上脳(うえのう)・下脳(したのう)とはどういうことか」です。
上脳・下脳とは、
大ざっぱに言うと脳の上半分・下半分と理解してください。
詳細は複雑なので、ご関心ある方は本書をご参照ください。
上脳・下脳の主な働きはこうです。
上脳と下脳の主な働き
上脳
|
「どこ」(位置関係)を認識する
|
計画を実行する
|
下脳
|
「何」を認識する
|
状況を把握して
計画にフィードバックする
|
本書では、上脳の働きが強いかそうでないか、
下脳の働きが強いかそうでないか、で4通りに分けて
それを認知モードと称して以下のように解説しています。
丁寧な解説ですので、全文ご紹介いたします。
なお、本書には個人がどのモードであるかの判定チェックリストが
収録されています。
私はその判定結果で、
上脳の処理を「任意に」使う傾向がややある、
下脳の処理をを使わない傾向がある、でした。
ほぼ当っていますね。
ご関心ある方は、本書をご参照ください。
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四つの認知モードの概要はこうです。
フィニアス・ゲイジの話はたいてい、前頭葉の各部がどんな機能を果たし、それが性格にどう影響しているかを説明するために、今では脳についての教科書にはよく載っている。
上野注:フィニアス・ゲイジは、事故で鉄の棒が左目から頭がい骨上部に突き抜けましたが、奇跡的に一命をとりとめた青年です。
ところが、彼の損傷の結果は、上脳システムと下脳システムがもはや適切に相互作用しなくなったために生じたという事実を記している教科書はめったにない。
一方、私たちは、その事実に的を絞ってきた。
だが、それにとどまらず、フィニアス・ゲイジの負傷の結果を、「認知モード理論」のレンズを通して、新たな形で説明しよう。タンピング・アイアンに脳の一部を切り裂かれたために、ゲイジの優位な認知モードが変わり、まわりの世界や他人との接し方にも変化が現れた。
上脳システムと下脳システムがどれはどうまく相互作用するかは、脳の損傷の後にだけ変わるわけではない。
誰もが脳の(上脳と下脳の)両方のシステムを使う(そうしなければ、日常生活で機能できない)とはいえ、正常範囲内で、それぞれのシステムに頼る度合いは、人によって異なる。二つのシステムに対する依存度は人によりけりで、両システムの相互作用の仕方も、それによって変わってくる。
そして、上脳システムと下脳システムの相互作用の違いから、認知モードの違いが生まれる。
私たちの理論は、上脳と下脳の大きさが人ごとに違うと仮定しているわけではない。
さらに、ある人が一方のシステムに頼ることが多いからといって、その人がそのシステムを効果的に使っていることにもならない。
たとえば、誰かがしばしば上脳に頼り、多くの計画を立てても、その計画は、あまり優れたものではないかもしれない。
上脳システムをどれだけ効果的に使うかは、おそらく知能と関係しており、知能は認知モードとは別個のものだ。
上脳と下脳の大きさは、現に人によって違いうるし、上脳システムや下脳システムをどれほど効果的に使うかも、実際、人によって違いうるが、「認知モード理論」は、そうした違いについてのものではない。
認知モードは、その人が上脳システムと下脳システムに頼る度合いに由来する。
すでに述べたように、私たちはみな、上脳システムと下脳システムの両方にたえず頼っているが、状況に応じるのに必要最低限の処理しか行なわないことが多い。
それ以外のときには、両システムを任意に活用する。
上野注:「任意」は「意識的に」というような意味で使われています。
たとえて言えば、私たちはどこかへ歩いていかなければならないこともあるだろう(脳は状況に最低限の処理で対応する)が、どうしても踊らなければならないことはない(踊るというのは、脳を任意に使っている)。
ここで注目するのは、任意の使用、すなわち、人が状況のせいでしかたなく脳システムを使う度合いではなく、一方あるいは両方の脳システムに頼るような、世の中や他人との接し方を身につけたために、脳システムを使う度合いだ。
これからは、上脳システムあるいは下脳システムを活用するとか、それに頼るとか言うときには、後者の意味合いであり、ほかの人ならそのシステムをそういうふうには使わないかもしれないときに、任意に使うということだ。
この、二番目の意味でシステムが活用される度合いは、高度の活用から最低限の活用まで、一種の連続体を成すが、実際上は、その連続体を「よく使う」と「あまり使わない」という二つのカテゴリーに分割できる。
次の章で論じるように、おそらくこの違いは(ほかの認知的特性や情動的特性、行動的特性のほとんどと同じで)、遺伝的特性と個人経験の相互作用から生じる。
二つの脳システムにそれぞれ二つの可能性があるので、四つの異なる認知モード(人と接したり、まわりの世界で起こる状況に反応したりする四つのやり方)を、以下のように識別することができる。
「主体者モード」とは、上脳システムと下脳システムをともにたっぷり活用している状態のことをいう。
私たちの理論では、人はこのモードで考えるとき、(上脳システムを使って)計画を実行すると同時に、(下脳システムを使って)その結果を認識し、その後、フィードバックに基づいて計画を調整する。
証拠を見ると、 フィニアス・ゲイジは負傷する前、仕事中はしばしばこのモードに頼っていた。
そうでなければ、あれほど短期間にあれほど出世することはできなかっただろう。だが、事故の後は、もうこのモードで機能することはできなくなった。
習慣的に主体者モードで機能する人は、リーダーにとても向いている。
会社の社長になったり、学校の校長を務めたり、教会の放課後プログラムの改訂を引き受けたり、という具合だ。
私たちの理論では、習慣的にこのモードで機能する人は、自ら計画し、行動し、自分の行為の結果を目にできる立場にあるときが最も快適だ。
あなたも、習慣的に主体者モードで機能する人を知っているだろう。
それは、地元の自治会組織の長かもしれない。
その人はたえず先を見通し、計画を立て、それを実行している。
たとえば、うまい手を考えてさまざまな会社や商店に毎年の資金集めのオークションに商品を寄付させたりする。
だが、やみくもに突き進むわけではない。
たとえば、この資金集めの計画が頓挫したら、どこが悪かったかを誰よりも先に反省し、次回はどうすればうまくいくかを考える。
「知覚者モード」とは、下脳システムはたっぷり活用しているが、上脳システムはあまり活用していない状態のことをいう。
下脳システムをたっぷり活用する人は、自分が知覚しているものを深く理解しようとする。
自分が経験していることを解釈し、それをそのときの状況に当てはめ、その意味合いをつかもうとする。
上脳を使い、下脳が認識するものを理解するための筋の通った物語を生み出そうとするかもしれないが、上脳システムを使って詳細な計画や複雑な計画に着手することはない。
上脳システムは、おもに下脳システムの役に立てるために使われる。
事故後のゲイジは、下脳システムからの入力を上脳システムがもっとうまく分類できていれば、あれほど苦労せずに済んだだろう。
多くの司書や博物学者、牧師らが習慣的に知覚者モードに頼っているようだ。「認知モード理論」が正しければ、このモードに頼る人は、集団の中できわめて重要な役割を果たすことが多い。さまざまな出来事の意味を理解し、大局的な見方を提示する。
ビジネスの世界では、そういう人はチームに不可欠なメンバーである場合が多く、俯酸的な見方や知恵を提供するが、いつもその功績を認められるとはかぎらない。
先ほどの自治会の例を使えば、このモードで機能している人は、会合の間、じっと黙っているかもしれないが、熱心に耳を傾けており、経過をしっかり追っている。
十分な根拠が得られるまで、意見は述べないが、引っ込み思案なわけではないので、ここぞというところでは遠慮はしない。
そして、耳にしていることを深く理解しているので、その言棄はしばしば傾聴に値する。
たとえば、資金集めの計画についてその人が話すと、誰もが耳を傾ける。その人が欠点を見つけたと思う(たとえば、マーケティングのメッセージのせいで離反する家族も出てきかねないと思う)のならば、おそらくそれなりの根拠があってのことだろう。
「刺激者モード」とは、上脳システムはたっぷり活用しているが、下脳はあまり活用していない状態のことをいう。
刺激者モードで世の中と接している人は、(上脳システムを使って)計画を立て、実行することが多いが、そうした計画に沿って行動することの結果を、(下脳システムを使って)たえず正確に認識することができない。
刺激者モードで世の中と接している人は、(上脳システムを使って)計画を立て、実行することが多いが、そうした計画に沿って行動することの結果を、(下脳システムを使って)たえず正確に認識することができない。
彼らは創造的。独創的になり、周囲の人が全員、問題や状況に決まりきった取
り組み方をしているときにさえ、型にはまらない考え方ができる。
だが、物事の限度がわからなくなることもあり、他人に迷惑をかけたり、自分の行動を適切に調整できなかったりする。
ゲイジの問題は、自分の行為の結果を認識できないことというよりはむしろ、その場で展開している状況に自分の計画が流されるのを許しすぎてしまうことだった。
怪我のせいで、彼の上脳システムと下脳システムの、通常の相互作用が損なわれてしまったからだ。
一般に、人は刺激者モードで考えているときには、チームのメンバーとしてきわめて重要な役割を果たせるはずだ。
だが、最大の成功を収めるには、単独でリーダーになるのではなく、物事が展開していくなかで、計画を調整するのを助けてもらえる人と協働するほうがいい。
習慣的にこのモードで機能する人を、あなたも知っているだろう。
そういう人は、自治会の委員会にいるかもしれない。
アイデアが豊富にあって、次から次へとそれを口に出す。
端(はな)から相手にするのをやめたくなるかもしれないが、なかには良いアイデアもある。ただ、本人はいちいち整理したりしない。
そういう人がプロジエクトを任されると、失敗する可能性も成功する可能性も同じぐらいある。
必ずしも計画の基本的アイデアが悪いからではなく、物事が展開していくなかで、刻々と調整を繰り返すことができないからだ。
「順応者モード」とは、上脳システムも下脳システムもあまり活用していない状態のことをいう。
このモードで考えている人は、夢中になって計画の実行に取りかかることもなければ、自分の経験するものの分類や解釈に専心することもない。
そのかわり、身の回りの事象や差し迫った要件に熱中できる。
「認知モード理論」が正しければ、「行動志向」で、反応性が高いことが多い。
さらに、習慣的にこのモードで機能する人は、しばしば「流れに身を任せ」、自由気ままで、いっしょにいて楽しい人と見なされる(ゲイジは、このモードを採用できて、他人に予定を決めてもらえていればよかったのだが)。
このモードで考えている人は、チームにとって貴重なメンバーとなる。
なぜなら、簡単に計画に順応できるからだ。
ビジネスでは、普段から順応者モードで機能する人は、組織を支え、必須の業務を遂行する。
習慣的に順応者モードで考える人は、自治会の会合で戦略の立案を牛耳ったりはせず、計画段階ではあまり貢献できないかもしれない。
だが、いったん計画がまとまると、割り当てられた課題をしっかり受け止め、 一生懸命実行する。
資金集めのオークションヘの協力を求めて、会社や商店を一軒一軒訪問するように頼まれれば、たいてい喜んでやる。
だが、計画があまりうまくいかなければ(協力してくれる会社や商店がなかなか見つからなければ)、どうやって問題を解決するべきか、あまり熱心に考えたりしない。
すでに自分の役割は果たしたからだ。
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最後までお読みになられた方は、是非本書でご研究ください。
付言:
実は私が本書から得られた知見は
本題とは少し離れたこういう点でした。
それは、「耳が遠くなっている」「よく聞こえない」というのは、
耳の機能劣化ではないのではないか、という点です。
側頭葉が、耳からの聴覚的入力の第1次処理をする。
ノイズを取り除き、側頭葉の別の部分に送る。
そこでは、音声の長期記憶が収まっている。
そこで関連した記憶に到達する。
かたや耳からの入力は前頭葉の下部にも送られる。
ここでは関連のある情動的な記憶の処理で重要な役割を果たす。
相手の声が聞こえる、あるいはテレビの音が聞こえるには
脳の複数の機能が連携しているのです。
相手が何を言っているか「聞こえる」のは、
耳の入力機能だけではなく、脳の処理機能が重要だ、
ということなのです。
なるほど、そう言われてみると納得できる点があります。
相手の声は音としては聞こえているのです。
しかし何を言っているか「識別できない」のです。
だから補聴器ではダメなのでしょう。
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