2018年8月19日日曜日

[世界の教養365]ですって?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 教養とは何かについて改めて考えてみましょう。
 こういう本を出す人がいるのだ、こういう本を買う人がいるのだ、
  ということを知っていただきます。
ねらい:
 教養に磨きをかけるために読んで見られますか?
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昔から「教養」という言葉をうさんくさいと思っていた
「教養のない」私としては、教養って何なのだろうと関心を持ちました。


原題は「The Intelllectual Devotional」 (知的な短い祈祷)です。
アメリカのニュース会社経営者などが多くの専門家の協力を得て
発行した著作です。


「はじめに」に以下の記述があります。


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信心深い人は、
信仰心を高めるために日課として聖書を毎日読んでいる。
この『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』は、
それと同じような方法で知識を増やし、教養を高めるための本だ。



ベッドのわきに置いて、
朝に目覚めたときや夜に体む前に読むことを

毎日の習慣としてほしい。


この本には、毎日1ページずつ知性を鍛え、頭脳を刺激し、
教養を高めるための読み物が、1年分収められている。



取り上げているのは七つの異なる専門分野
一歴史・文学・視覚芸術・科学・音楽・哲学・宗教だ。
毎日1ページずつ読んでいけば、
各分野について毎週少しずつ理解を深めることができる。



本書は、脳を活性化する知性の体操みたいなものだ。
これは年齢を重ねてくると、とりわけ切実になる。



毎日のつらい仕事を一時忘れて、
人類の英知という深遠な世界をのぞいてほしい。
視野が広がり、新たな好奇心の発見につながるはずだ。


本書の内容を簡単に説明しよう。
◆月曜日一ー歴史
 西洋文明の発展に貢献した人々や出来事を探る。
◆火曜日一ー文学
 偉大な作家の生涯と、その代表作
 ――現在も多くの読者をとりこにしている詩や小説一一

 のあらすじを見る。
◆水曜日―― 視覚芸術
 世界で最も影響力の大きい絵画・彫刻・建築作品を生み出した

 芸術家や芸術運動を紹介する。
◆木曜日一ー科学
 ブラックホールの起源から電池の仕組みまで、
 科学の不思議を簡単に解説する。
◆金曜日一ー音楽
 偉大な作曲家たちにインスピレーションを与えたもの、
 楽譜の読み方、モーツァルトがこれほど人気がある理由など、
 音楽の遺産を概観する。
◆土曜日―― 哲学
 古代ギリシアから20世紀まで、人類最高の思想家たちが、
 人生と宇宙の意味を解明しようとしてきた努力を取り上げる。
◆日曜日一ー宗教
 世界のおもな宗教とその教義を概説する。



あなたが本書を読み進めることで、知的好奇心が刺激され、
人生がより豊かなものになれば、幸いである。



       ―― デイヴィッド・S・キダー&ノア・D。オッペンハイム




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「教養」とは何かについての説明はありません。調べてみました。


平凡社の世界大百科事典ではこうなっています。


教養とは,一般に人格的な生活を向上させるための知・情・意の修練,
つまり,たんなる学殖多識,専門家的職業生活のほかに
一定の文化理想に応じた精神的能力の全面的開発,洗練を意味する。


英語のculture(耕作養育の意),
ドイツ語のBildung(形成・教化の意)の訳語である。
前者はふつう〈文化〉と訳される語であるが,
たとえばキケロが〈cultura animi(魂の耕作・養育)が哲学である〉
と言った場合,
またこれを受けて中世で広くcultura mentis(心の耕作・養育)の語が
用いられた場合の〈精神的教化・教育〉の意義は,
この訳語〈教養〉によってよく示されている



少し分かりにくいです。
次はWikipediaです。


一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの
様々な分野にわたる知識常識と、
古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、
品位や人格および物事に対する理解力や創造力に
結びついている状態を指す。


「教養」に相当するギリシア語は“パイデイア”であり、
意味は「子供が教育係に指導されて身についたもの」のことである。
英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」、
ドイツ語ではBildungであって「つくられたもの」のこと。
それぞれに教養の捉え方に対する文化的な温度差がある。


この説明は、教養の必要条件を以下の3点で述べています。
よくできていると思います。
 1)様々な分野(単独なら「絵画に造詣が深い」とか言います)
 2)幅広い造詣(深みを要求しています。浅いと知識です)
 3)物事に対する理解力や想像力に結びついている
              (活きていないとダメということです)


しかし、何を教養と言うかは、人さまざまということのようです。
「世界の教養365」という書名は日本の出版社が付けたものです。
曜日毎に同じ領域を学べるようになっていますので
上掲の7領域あります。


まずは、それぞれの領域から52テーマを選んだことに対して
敬意を表します。
いろいろな意見がありそうですから、割り切らないとできません。


歴史、文学、視覚芸術、音楽は、
一般的に教養という範疇に入るのでしょう。


しかし、科学とは何だろうと思って、テーマを整理してみました。
そのような目次は無いのです。


科学の項目
クローン技術

電磁スペクトル
エラトステネス

概日リズム
太陽系

睡眠
温室効果

血液

ブラックホール

電池

超新星

摩擦力

侵害受容:痛みを知覚すること

太陽と核融合

プラシーボ効果


メンデルの遺伝学説

音波

表面張力と水素結合

X線

地震

原子

太陽の黒点とフレア

元素金属、非金属、半金属

ミルグラムの服従実験

化学結合

ガリレオ・ガリレイ

物質の状態

静電気

光化学

オゾン層

アイザックニュートン

放射性炭素年代測定法

実数

アルバート・アインシュタイン

素数

チャールズ・ダーウィンと自然選択

円周率

重力

ピタゴラスの定理

ワクチン

黄金比

マリー・キュリー

フェルマーの最終定理

催眠状態

囚人のジレンマ

認知的不協和

階乗!

生殖

正規曲線

幹細胞

核分裂

太字は私が読んでみた項目です。
 これでお分かりのように、科学と言いますが、
すべて自然科学なのです。


その分類からすれば、
人文科学や社会科学だってあるではないですか。
それらは教養領域に入らないのでしょうか。


宗教通を教養と言うのは、欧米での価値基準で、
日本では、
宗教のことを知っていることを教養があるとは言われないでしょう。


哲学は教養なのでしょうか。
実利はなさそうなので、ビジネスではなそうですが、
これを知っていると教養があるとなるかについては疑問です。


哲学の項目も列挙してみました。



哲学の項目

現象と実在

ジョージ・バークリー

ソクラテス

観念論

プラトン

デイヴィッド・ヒューム

イデア

帰納法

プラトンの洞窟の比喩

因果関係*

アリストテレス

悪の問題

形而上学

意思の自由*

質量と形相*

カント

論理学

定言命法

ストア派

功利主義

エピクロス派

ヘーゲル

中世哲学

マルクス

神の存在証明

ニーチェ

懐疑論*

モダリティ*

ルネ・デカルト

プラグマティズム

コギト・エルゴ・スム

現象学*

心身問題

ハイデッガー

バールーフ・スピノザ

美学

アプリオリな知識

実存主義

ライプニッツ

分析哲学*

時間

真*

認識論*

正義*

ジョン・ロック

言語哲学

人格の同一性*

ラッセル

自由主義

ヴィトゲンシュタイン

社会契約*

道徳的相対主義




太字*は、私が「何だろう?」または「どう書いてあるのだろう?」と思って読んでみたものです。


その中から、
私の終身研究テーマである因果関係についての記述をご紹介します。
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第31週第6日(土) #216哲学 因果関係

ある男が、窓ガラスに向かってレンガを投げると、窓ガラスが割れる。
レンガが原因で窓ガラスが割れたのである。
私たちは世界を、
何かが原因となって別の何かを引き起こすというふうに考えている。

しかしそもそも、
何かが原因で別の何かを引き起こすとは、いったいどういうことなのだろうか?
                         ◆
ひとつの答えは、
「Xが原因でYが起こるとは、Xのような事象が起こると、
通常それに続いてYのような事象が起こるということである」というものだ。
こうした考え方を、因果規則性説という。



しかし、この説には欠陥がある。
例えばパン屋さんは、パンを焼くため、毎朝、日が昇る前に起きる。
しかし、パン屋が起きることが原因で日が昇るわけではない。
ある事象が別の事象のあとに遍こることが多いからといって、
因果関係があるとは限らないのだ。



ほかにも
「Xが原因でYが起こるとは、

Xが起こらなければYが起こらないということである」
という説がある。

これを因果反事実説というが、これにも欠陥がある。


例えば、ある男が窓ガラスに向かってレンガを投げ、
その一秒後にあなたも同じ窓ガラスにレンガを投げたとしよう。

もし男のレンガが先に窓ガラスに当たれば、
その男のレンガが原因となって窓ガラスは割れる。
しかし、彼がレンガを投げなくても、
どのみち窓ガラスはあなたの投げたレンガが原因で割れるのである。



このように、因果関係とは何かを説明するのは、非常に難しい。
このため哲学者の中には、
そもそもこの世に原因というものは存在しないと主張する人もいる。



豆知識
1.「予定調和」とは、神が世界を創造したとき、
まるで因果律に従つて相互作用し合つているかのように見える姿で、
事物が自身の状態を変化させるように作つたという考え方だ。



この予定調和説を主張した最も有名な哲学者が、
ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646~ 1716)だ。



2.「機会原因論者」は、ライプニッツに反論し、
この世で神のみが唯―の原因であり、
神によって創造された事物には、

自身に影響を及ぼす能力すらないと主張した。
彼らによれば、
自然法則は、

この世界を変えるのに神が自らの意志で選んだ法則にすぎない。


機会原因論者の中で最も有名なのは、
ニコラ・ド・マルブランシュ(1638~ 1715)である。



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わけが分かりません。幼稚な記述としか思えません。


現時点の科学的思考では、因果関係とはこういう関係である
ということになっています(上野はそう思っています)。
 Aが起きるとBが起きる。
 Aが起きないとBも起きない。
 こういう場合にAとBは因果関係があると言う。


こうしてみて思いました。
「そもそも哲学は何を目的にした学なのだろう?」
「何の役に立つのだろう?」


ネットで調べていたら、こういう記述がありました。


永井均は、
哲学は学問として「よい思考」をもたらす方法を考える
ものである、と言っている。


これなら、学としての有効性があります。
しかし、多くの哲学者は、へ理屈を並べているだけの感じがします。


有名な「人間は考える葦である」「我思う、ゆえに我あり」などは、
だからどうなの?と言いたくなります。
良い思考をもたらすのでしょうか?


「これが教養だ」などと言われるから、
こういう反論をしたくなるのです。
こういう議論自体もあまり役に立ちませんね。


「まあこういう本もあっていいか」ということにしましょうか。



2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

究極は念いですね❗️

上野 則男 さんのコメント...

賛成です!!