2017年1月30日月曜日

いつの時代にも無能な上司はいる!第1号特攻隊員選定の誤り

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「特攻隊」の秘話を知っていただきます。
 バカな人選をしたことについて考えていただきます。
 上に立つものはそれなりの器量と判断力が必要である
  ということについて再確認していただきます。

ねらい:
 ?????

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以下の文章は
ダイレクト出版株式会社が運営する
PRIDE and HISTORYというサイトに
掲載されたものです。


おそらく、
西 鋭夫スタンフォード大学教授が書かれたものと思われます。

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1945年1月19日。

日本の若者が苦悩を
抱えるような事態が起きました…

そして、今でもこの影響は日本に
根をおろしているかもしれません。

詳しくはこちらから
>特攻が当たり前になった日
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関大尉は取材に答えて言った…

「僕は天皇陛下のためとか、
日本帝国のためとかで行くんじゃない。
最愛のKAのために行くんだ。
命令とあらば止むを得まい。

日本が敗けたらKAがアメ公に
強姦されるかもしれない。
僕は彼女を護るために死ぬんだ。
最愛の者のために死ぬ。

どうだ、素晴らしいだろう!?」

関行男 海軍大尉 は
最初の特攻隊長になった男だ。

「KA」とは海軍の隠語で、
KAKA=妻を指した。

当時23歳だった関大尉は、
5月に結婚したばかりだったのだ。

彼は「海軍随一の優等生」
と呼ばれるほど
優秀な艦上攻撃機の搭乗員であり、
対艦攻撃の第一人者だった。

体当たり攻撃などしなくても、
爆弾を敵空母に命中させ、
何隻でも相手の空母を撃沈させることができた。

しかし、日本海軍は
彼を特攻隊長に選んだのだ…

つまり、命と引き換えに
アメリカ艦隊に突撃する
先陣を切れということだ。

当時の司令部副長、玉井中佐が
関大尉に告げた。

「頼む、最初はやはり海兵出身者が
指揮をとるべきだと思う。
貴様が一番最初に行ってくれると
大助かりだ。全軍の志気の問題だ。」

関大尉は
「承知しました」
と無造作に言っただけだった。

「まさか、自分が指名されるとは
思ってもみなかった・・・」

関大尉は取材で続けて語った。

「報道班員、日本もおしまいだよ。
僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。
僕なら体当たりせずとも、
敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を
命中させる自信がある!」

生きて帰れば何度でも戦えるのに…
まるでそう思っているかのような
関大尉の言葉からは
「命を捨てて体当たりしなければならない」
作戦への理不尽さがにじみ出ていた…

そして、関大尉は飛行服の内懐から
新妻の写真を取り出しキスをして見せた。

さらに、彼女との恋愛時代のノロケ話などを
記者に話して聞かせた。

これが新婚で最愛の妻を残し
特攻隊長として出撃する運命となった
関行男大尉の真実の素顔だった。

しかし、彼に特攻を命じた者たちによって、
勝手に彼が自分から志願したかのような
美談(特攻神話)として語られてきた。

それは、後に続いた特攻隊員を
奮い立たせる為だったのかもしれない。

最初の特攻作戦では、
護衛空母「セントロー」が大爆発の末に沈んでいき、
見事成功を収めた。

当時の新聞はその成果を大々的に報じた。

関大尉の命をかけた特攻は、
戦争のプロパガンダに用いられ
皮肉にもさらなる悲劇を生むことになっていった。

そして、
昭和20年1月19日。

「全軍特攻化」により
特攻が当たり前になった日を境に
青年たちが次々と特攻に駆り出された…

その青年一人一人にも
関大尉と同じように愛する家族がいた。

関大尉に続いて青年たちが特攻に向かった。

それは、青年たちがそれぞれに、
自らの運命に苦悩しながらも
守りたい何かの為に戦う覚悟を決めた
ということを意味するだろう。

劣勢でも日本は戦った。
凄まじい精神力で…
そして、その姿は勇敢だと讃えられた。

実は現代にも通じる
彼らをそれほどまで強くした存在とは…?
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お分かりでしょうか?
上司は
「爆弾を敵空母に命中させ、
何隻でも相手の空母を撃沈させることができる」
兵士をむざむざ殺してしまったのです。

どうしてそんな計算もできなかったのでしょうか。
先頭を切って「特攻る」のは
彼でなくてもよかったでしょうに。


関行男さんの無念を思い
心からお悔やみ申しあげます。


私の考えでは、
史上最悪の馬鹿で無責任な上司は
福島第2原発の建設責任者です。
あるいはその下のクラスの人間かもしれません。

その人間とは、
福島第1原発の予備電源用発電機が
完全密閉の原子炉建屋ではなく、
密閉度の低い発電機建屋に収納されている
ことを知った技術者が、

「第1原発の予備電源用発電機を
当第2原発のように原子炉建屋に移すべきではないか」

と進言したのに対して、
「ほかのことは放っておけ」と無責任な回答をした者です。
バカはどうしようもないですね。

その一言があの大惨事を生むことになったのです。

福島第1原発の予備電源用発電機が動かなかったことが、
第1原発の大惨事の原因であることは解明された事実です。

福島第2原発がほぼ同じ立地でありながら
事故を起こさなかったのも事実です。

気づいた技術者と上司のやり取りは
当然そういうことがあったであろうという上野の推測です。


豊洲新市場の土盛りをしなかった件は、
無責任な上司の判断を小池知事が糾弾して
責任を取らせました。

大変結構なことです。

管理者教育で最優先すべきは、
「管理者は責任範囲の案件については
明確に自分で責任を取る」
ということの徹底ではないでしょうか。
その方法を教えるのです。

経営目標に対して「責任を取る」とコミットして
目標達成した名社長は、
松下電器(当時)の中村邦夫社長、富士通の黒川社長、
日産のゴーン社長などがおられます。

日本にも伝統的おみこし型経営方式ではなく、
優れた行動をされる「上司」がおられるのです。

そういう上司・経営者が日本の主流になれば、
日本はもっともっと強くなるでしょう。


2 件のコメント:

  1. 中村邦夫社長が名経営者だというのは同意できないです。そう考える人もいらっしゃるんですね。

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  2. ご意見ありがとうございます。
    中村社長は、2003年に
    「今期の連結営業利益1000億円を公約し、
    それが達成できなければ社長を辞める覚悟である」
    とコミットし見事達成されました。
    いろいろドラスティックな手を打たれたのでしょう。
    日経新聞が平成15年に選定した「平成の名経営者」ランキングでは、12位でした。私の評価ではもっと上と思いました。
    拙書「目的達成の教科書」では以下のコメントをしています。
    「あまりにも日本的でない合理的思考のために人気がない面があったのかもしれません」

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