【このテーマの目的・ねらい】
目的:
似鳥社長はどんな運に恵まれていたのかを確認いただく。
運だけの成功ではなかったことを確認いただく。
(私の疑問にお付き合いいただく)
ねらい:
運を呼び込む粘りをしましょう!!
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2015年4月の日経新聞「私の履歴書」は
ニトリホールディングス社長の似鳥昭雄さんでした。
「このかたは何と運に恵まれた人だろう」と感じました。
「私の履歴書」に登場するかたの成功要因は、
ほとんどが努力なのです。
ところが、飛び飛びに読んでいた時の似鳥さんの印象は、
少し状況が良くなると、遊びまくったり、楽をしたり、
脇が甘くなって付け込まれたり、とか
(2度も信用して採用した幹部に裏切られています。
危うく会社を潰されるところまで行っています)
決して感心できるものではありませんでした。
それでも大成功できたのは、
運としか言いようがないと思いました。
現に最終回で似鳥さんはこう言っておられます。
「目標達成は社員など周囲の助けのおかげで、
運が8割だ」
あらためて、通して読みなおしてみて、
どんな運だったのかを確認してみました。
1、今の奥様と結婚できたこと。
1968年創業間もない時に
奥様が店の前面に立ち売上を上げました。
似鳥さんは裏方に徹することができたのです。
これが突出した最大の運です。
2.1973年米国の家具店の視察ツアーに参加したこと
たまたま誘われて参加したのですが、
これが、その後のニトリビジネスの大きなヒントとなりました。
3.渥美俊一先生の門下生になれたこと
八方破れの似鳥さんに成功の大原則を厳しく指導されました。
たまたまのご縁で門下生になれたのです。
4.飛躍の重要なステップとなった函館店の土地買収の際、
幹部のお兄さんが拓銀の支店長になり口座を開くことができ、
借地が成功した。
5.その後製造部門の責任者をされた専務に
飛行機で隣に乗り合わせた。
あらためて読みなおしてみますと、運ではなく
粘り強さや機転で大きなビジネスチャンスをたくさん掴んでおられます。
これは普通の成功物語です。
幼少の頃は、貧しい生活をされました。
激しいいじめにもずい分あいました。
両親の指導は極貧の生活環境でありながら、
非常に厳しいものでした。
似鳥さんが家出をしてしまうほどなのですから。
小学校で
自分の名前を漢字で書けないのは似鳥さんだけだった、
というくらい勉強もできませんでした。
この逆境が
ピンチに動じない、
ピンチをチャンスに変える原動力となったのでしょう。
「運も実力のうち」と言います。
努力をしていると運を呼び込むことができるのです。
誰しも一生のうちに何度か運が巡ってくるらしいです。
その運をものにできるかどうかがその人の才覚なのでしょう。、
ということで、
似鳥さんの成功は運だけだったのではないと
確認いたしました。
1 件のコメント:
幸運の女神は「前髪をつかむ」を思い出します。
運と言い切るところに、三福の一つの分福を感じます!
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