2015年2月14日土曜日

「反日韓国」の自壊が始まった」もう韓国をあまり責めたくないのですが


【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 呉善花さんの力作をご紹介します。 
 韓国の歴史を正しく認識しましょう。
 
ねらい:
 国とも個人とも韓国人の特性をよく理解して
  お付き合いしましょう。

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前置き
ナッツ姫が2月12日執行猶予なし懲役1年の実刑判決を受けました。
裁判官は、被告の提出した反省文を、
「本人が書いたものか疑わしい」と反省を認めずに
実刑判決となったもののようです。
そういう判断をするというのはなかなかのものです。

その背景には、国民の財閥に対する大きな不満があるようで、
裁判官はその点も考慮したようです。
この際、韓国民の精神構造をもう少し理解してみましょう。
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「『反日韓国』の自壊が始まった」は、
拓殖大学国際学部教授呉善花さんの著書です。















この書名は例によって出版社のでっちあげで、
当書の内容は、韓国人の思考・行動特性を
日本人と対比させながら客観的に分析している正当なものです。

呉さんは韓国出身なのですが、日本の歴史・文化・風習を
日本人以上に勉強しています。
ほんとうに感心します。

以下はかなりいい加減な要約になっています。
詳細は是非原典をお読みになってください。

第1章が「韓国の自壊が始まった」ですが、
ここに書かれている自壊は2点です。

一つは、セウォル号事件のような
無責任・手抜き工事や作業が頻発していること、
もう一つは、朝鮮戦争・ベトナム戦争での韓国軍の
非道極まりない蛮行が明らかにされつつあることです。

大虐殺や大暴行・大強姦です。
これはイスラム国やナチスに次ぐほどの
本当にすごいことだったようです。

こんな国家はもつわけがないという呉さんの主張です。

それは「反日」韓国ではなく、単に韓国の自壊なのです。

第2章以降になぜこんな無責任な行動が頻発するのだろう?
という分析が行われます。

基本線はこういうことです。

韓国人は、公(社会・国家等)よりも私(身内)を大事にする。
「ナッツ姫」事件も
公私の区別がつかない私優先での思考結果です。

他人と知り合うと早く身内にしたいと思うので、
馴れ馴れしくべたべたと接触したがる。

身内の関係はお互いに負担をかけあう・貸し借りを作るのが本来で
日本の習慣である「ワリカン」は他人行儀で冷たい、
とみるのだそうです。

以下のように正義の基準が日本や多くの国とは違っています。

血縁親族についてはその罪を隠すことすら正義と考えられている。
孔子の教えがそうなっている。
韓国の犯罪で偽証罪が世界的に群を抜いて多い、
韓国の誣告罪(人に刑事処分または懲戒処分を受けさせる目的で、
虚偽の訴えを起こす罪)の件数は日本の数千倍にも及ぶ。

呉さんの丁寧な実証的分析を、表として整理すると以下のようになります。

 呉さんの韓日比較分析

比較項目
韓国
日本
1.キリスト教信者
クリスチャン大国
現生のご利益を期待する
クリスチャン小国
2.近世の国の支配層

文人統治(李朝)
武人統治
3.国家の理念
事大主義
(大国に従う)
自立自尊
4.処世原則
理念主義
(観念的理想を求める)
実際主義
5.「悪」に対する寛容性
勧善懲悪
悪人正機
(善人なおもて往生す、ましてや悪人おや)
6.行動原理

孝(私)重視
忠(公)重視




500年以上続いた李王朝時代は
徹底した文人統治だったということは意外でした。
中国本土からしょっちゅう侵略され続けた国が
なぜ武を重視しなかったのでしょうか。

これは私の仮説ですが、こうだったのでしょう。
中国国家の強大さは、小国の朝鮮が多少頑張ってみても
どうにもなるものではなかったのです。

つまり武力は何の足しにもならず、
むしろ、中国にうまく取り入って滅ぼされないようにすることが
国を維持する戦略でした。
それをうまくさばく文人が優位だったのです。

文人統治と事大主義(大国に従う)は根は同じです。

理念主義と勧善懲悪とも根は同じで、観念的なのです。

これは、弱者の逃げの論理です。
現実的な目標の実現に努力するのではなく
キレイごとで誤魔化そうとするのです。

それも自立自尊ができなかったコンプレックスの裏返し
なのではないでしょうか。

忠(公)よりも孝(私)を重視するのは、
中国におもねる公など信頼できない、
自分の身は自分で守るしかない、ということなのでしょう。

神頼みをするキリスト教(福音派が多い)信者が多いのも
そのお国柄のせいでしょう。

こうして見ると、韓国のお国柄は、
自立できなかった事実をキレイごとでよく見せたい、
よく思いたいということからきていると解釈すれば、
すべて繋がってくるのではないでしょうか。

神様が見ているから悪いことはしていけない、
という意識がないので
冒頭に記述した残虐非道もできるのでしょう。

日本人は例外を除いて
そんな非道はしていないでしょうね。

上から目線で申し訳ないのですが、
以上のような韓国のよって来たるところを考えれば、
韓国の「言いがかり」には、寛大に対応してあげましょう。
韓国が非を通せばそれこそ自壊するでしょうから。

1 件のコメント:

古岡  孝 さんのコメント...

“なぜ武を重視しなかったのでしょうか。”



上野さん、これについてはこう考えます。

朝鮮が文人統制となった理由は、中国の真似をして科挙制度を導入したからです。その結果、学問が立身出世の手段に成り下がり政争の具にされた。中国が文官統制となった背景ですが、国を起こす時には武力で建国する。建国者は下剋上を恐れ、力のある功臣を殺し権力の確立を図る。漢を建国した、劉邦は、大功臣の韓信を誅殺し更に、人材の発掘を目指して科挙の制度を作ります。それを真似て明を建国した明の朱元璋 は、建国の忠臣をことごとく誅殺 します。漢に習い科挙の制度も取り入れ政権の安定を図りました。
「狡兎、死して、走狗煮らる」
徳川家康も有力大名の力を殺ぐ為に参勤交代の制度や武士に忠誠心を植え付けるために昌平黌をひらき朱子学を学ばせます。武士に失業対策の意味も含め本来ならば武力のスペシャリストである武士に政も担当させます。江戸時代以前の武士道は禅宗の影響を強く受けたのですが、儒教の影響を受けて武士道はいっそうの変化をとげました。
文武両道が実践され、西洋の騎士道と日本の武士道は、ノブレスオブリゲージ(リーダーは有事の際は、リスクを恐れず先頭に立ち、困難に立ち向かう精神が明治維新の頃の日本にはみなぎっていました。
日本は中国から多くのことを学びましたが2つの悪弊は取り入れなかったと言われてます。科挙の制度と宦官制度です。文官は平和の名の元に争いを避けようとします。中国と朝鮮では、常に外敵の侵入に際しては手引きする輩がいて、其の為に国が滅びて来た為に味方を信用しません。今でも、この習性は変わっていませんね。
防衛庁のシビリアンコントロールが、今、問題になっていますが、単に上級公務員試験に受かっただけの平和ボケした文官が国難に対応しきれるのか、問題のあるところですね。亡国の種の1つかもしれません!!

古岡  孝