私は、2010年12月12日の
「尖閣諸島についてもっと知りましょう」というタイトルで
明治20年代に古賀辰四郎氏が尖閣諸島を
国から正式に貸与を受けて
資源を活用した、旨をご紹介しました。
今回、「中国はなぜ尖閣を取りに来るのか」(自由社)
を読みました。
尖閣問題を研究したい方には
格好の情報源となります。
本書には、(太平洋戦争の)戦前、
尖閣諸島で最も大きな魚釣島には248人が居住していた、
ことも記載されています。
この中で、私の友人である茂木弘道氏
(「史実を世界に発信する会」事務局長)が
以下のような「史実」を紹介していました。
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尖閣諸島は中国の福州からは420キロ
台湾の基隆(キールン)から190キロ
石垣島から170キロに散在する小島群である。
昔は人跡未踏であった。
しかし、琉球から中国あるいは安南・ルソン・ジャバ
などの南の国々への航路の標識島として大事な島であり
古地図に登場する。
安政6年(1859年)美里間切(みさとまぎり)の役人である
大城永保が、赤尾嶼、久場島、魚釣島の3島に接岸して
地勢、植物、鳥類などを実地調査をした。
その結果を、
沖縄県役人石沢兵吾が県令に報告をしている。
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この後が、前回の古賀氏の活動につながっていくのです。
前回の事実は1880年代ですが、
今回の件はそこから20年ほど遡ったということです。
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