2016年7月1日金曜日

「なぜ人は走るのか」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「なぜ人は走るのか」の最大の理由を知っていただきます。
  
ねらい:
 その延長での話題は次回にご期待ください。


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このタイトルは、トル・ゴタスというオスロ生まれの作家で、
民俗学と文化史が専門の方です。

398ページの大著です。
私の苦手な「人文科学系」の著書で、
テーマが25の章立てになっていますが、
その中は事実の羅列です。


それでどうなったのか、どうなのかを知りたい私にとっては
読破は苦痛です。


私にとって非常に関心のあるテーマではありますので、
拾い読みをしました。


一番の成果はこれです。
第2章 人類の本質的な特徴での記述です。


私は、人類の歴史での疑問は、
人類がどうやって樹上生活からサバンナに降りて来た時に
猛獣の餌食とならずに生き延びたのか、特に女子供がどうしたのか、
です。


今回、この著書では逃げることではなく、
追いかけて獲物を得ることが記述されています。


人類は、多くの種と比べて走るスピードは遅いが、
発刊することで体温の上昇が抑えられるため、
狩猟時に足の速い動物の体力を消耗させることができる。


訓練すれば、極めて高い持久力を獲得できるから、
暑い日にレイヨウのような自分よりずっと足の速い動物を狩ることも
可能になる。


アフリカのブッシュマンは今でもレイヨウを過熱で倒れるまで追い詰め
やすやすと手に入れる。


へーそうだったのですか。


考古学者が180万年前~4万年前に生息していた人類の骨格と
250万年前の人類の骨格を比較し
走る能力が向上していることを証明している


ことが紹介されています。

人類が樹上生活から地上生活を送るようになったとき、
男は狩りに出かけています。


狩りで獲物が得られないと家族は飢えて死ぬしかありません。


そういう状態では、走る能力は他の能力にもまして
人類に必須の能力だったのです。


なるほど、逃げることも大事だけれど、
逃げられたら次は自分が生きることですものね。


以下はその延長でのことです。


時代ははるかに飛んでしまいます。

紀元前2094年~2047年の間、
シュメール南部の都市を支配していた王シュルギは
絶大な権力を誇っていた。


2088年、収穫感謝の祭典が
ニップールとウルの両都市で開催されることになった。
シュルギは、両方の祭典に出席するために、
往復320キロの距離を1日で走破した。


みずからが長距離を走りきることで、
権力者としての義務を果たし身体能力の高さを誇示し、
その名声を確かなものにした。


古代の人類の狩猟能力は走ることが最大の武器だったのです。
つまり、誰がリーダ(酋長等)になるかとなると
速くて獲物をたくさん得られる人でしょう。


速いのは見かけの効用ではなく実利です。


そのことは、何万年でも続いたでしょう。
シュメールが王なのはその延長での当然なことなのです。


私はそういう理解ができました!!!


その関連での紹介が、第1章、第3章等で
古代国家で情報を伝達する役の「伝令」が
高く評価されていたことが記述されています。


インドで「象との競争」をする話とか、
チベットの「走る修行僧」とか、走ることが重要だった事象が
多数紹介されています。


その後、は近代の話題となり、
大都市マラソンは
1970年のニューヨークシティマラソンが元祖である。

女子マラソンは、しばらく白い目で見られていたが、
女子マラソン大会の始まりは1982年の欧州選手権、
オリンピックでは1984年のロサンゼルス大会です。
男性と身体が違う女性のマラソンの難しさも数々紹介されています。


アベベなどのアフリカ選手は、
「身体が恵まれていて、とても他の民族が勝てるわけがない。
彼らは録に練習しないで参加し勝っている」
などということはまったくの風評だという紹介もあります。


「禅の心で走る」として、
瀬古利彦さんの訓練の状況も報告されています。


ジョギングの歴史も詳しく紹介があります。


最終章の「人類はどこまで速く走れるのか」も興味があるところです。


これらについては次回にご紹介したいと思います。


今回は、人類は走ることを高く評価していた
ことの確認をさせていただきました。

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