2016年4月26日火曜日

「ジャスト・ベイビー」


【このテーマの目的・ねらい】
 目的:
  • あらためて本能って何かを考えていただく。
  • 赤ん坊のときから「本能」が現れることを知っていただく。
 ねらい:
  • 関心のある方はこの本を読んでみてください。

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本書のテーマは「はじめに」にこう書かれています。
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本書では、いま挙げたこと
(人間に備わった道徳的本性をどう考えるかについては、
神によって植え付けられたものだという説、
哲学的視座から迫ろうとする説、進化生物学のアプローチ、
社会心理学や神経科学からのアプローチ、などがある、という点)
をひととおり見ていく予定だが、

私は発達心理学者なので、
何といっても赤ちゃんや幼い子供たちの道徳性の萌芽に目を向け、
そこから道徳の本質に迫りたいと思っている。

現代の発達心理学の研究は、
人間の道徳生活に関する驚くべき事実をあきらかにしてくれる。

たとえば、アメリカ第三代大統領トーマス・フェファーソンが、
友人のピーター・カーに宛てた手紙に書いたことは正しかったのだ。

すなわち、「道徳感、すなわち良心は、手や足と同じくらい、
人間にかけがえのないものである。そして、人がみな、
多かれ少なかれ仲間に支えられているように、人にはみな、
多かれ少なかれ道徳感が、備わっている」


ジェフアーソンと同時代の啓蒙主義哲学者たちの中にも、
道徳観は人間に生得的なものだという意見に与する者たちがいた。

その一人がアダム・スミスだ。


この本を書き上げる前年の夏、エジンバラ滞在中に、
私は『道徳感情論』に魅了されてしまった。

アダム・スミスは、もっと有名な『国富論』で知られるが、
本人は先に書いた『道徳感情論』のほうが
すぐれた作品だと考えていた。


『道徳感情論』は、細やかな筆で紡がれた、
思慮と思いやりあふれる名作で、想像力と共感の関係、
思いやりの限界、他者の悪事を罰しようとする人間の衝動などに
関する鋭い洞察が散りばめられている。

アダム・スミスの目を通して、現代の科学的知見を見るのは、
じつにエキサイティングだ。

だから私は、一冊の本を読み終えたばかりの大学生のように、
これから気恥ずかしくなるくらい何度も
アダム・スミスの言葉を引用していこうと思う。

本書の大部分は、進化生物学と文化人類学に支えられた
発達心理学が、道徳のいくつかの側面は人間の天性であるという
ジェファーソンとスミスの見解をどう支持するかの説明にあてられる。

私たちの天性の資質には以下のようなものがある。

・道徳感――――――親切な行為と残酷な行為を識別する能力
・共感と思いやり――周囲の人の苦しみに胸を痛め、
              その苦しみを消し去りたいと願う気持ち
・初歩の公平感―――資源の平等な分配を好む性向
・初歩の正義感―――よい行動が報われ、悪い行動が罰されるの
              を見たいという欲望

とはいえ、人間の生来の善性には限界がある。

ときには悲惨なまでに。1651年、トマス・ホッブズは、
「自然の状態の」人間は、よこしまで自己中心的だと主張した。


そこで、ホッブズがどういった点で正しかったかについても
掘り下げていこう。

人間は生まれつきよそ者に無関心だ。

敵対的でさえある。偏狭で不寛容になりがちである。

人間の本能的な情動反応のいくつか、とくに嫌悪は、
私たちを大量虐殺などの非道な行為へ駆り立てる。

本書の全体を通じて私は、赤ちゃんの道徳性の理解が、
大人の道徳心理へのあらたな展望の足掛かりになることを
あきらかにする。

世界を、家族 対 友人 対 他人に分断する、
人間生来の性向をいまこそ真剣に考えるべきだ。

そして、私たちがどうやって、生得的な道徳を乗り越えるか、
すなわち、想像力、思いやり、そしてわけても知性から、
道徳的洞察と道徳的進歩がどのように生まれ、
私たちがジャスト・ベイビー(ただの赤ちゃん)以上の
存在になれるのかを探求して本書を締めくくる。
(上野注:著者はここを強調したいのでしょうが、
 この点については本稿では紹介を省略しています)
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著者は、
人間は生まれながらにして
基本的な「道徳観」を持っている証拠として
以下のような事実を挙げています。

アニメーションでのはなし。
ある場面では、赤い丸が丘を登ろうとしている。
すると、黄色い四角が背後からやって来て、
やさしく丘の上へ押し上げる。
別の場面では緑の三角形が前方からやって来て
丸を下へ押し戻す。

その後、丸が四角か三角のどちらかに接近する映像を見せる。
そうすると、9カ月児も1歳児も、
丸が助けてくれた図形ではなく、
邪魔をした図形に接近したときの方が
見つめる時間は長かった。


(以下の上野の解説では、
赤ちゃんの行動を本能のなせるものとしていますが、
本能では味方の識別より敵の識別の方が重要です。
見つめる時間の長さはそれを表しています)


別の実験では、このアニメーションを見せた後で、
登場人形(丸、四角、三角)を赤ちゃんの前に並べた。
すると赤ちゃんは、生後半年でも10カ月でも
圧倒的に助けるものを好んだ。


いずれの実験でも、
赤ちゃんは親切かどうかを見分けている、ということです。


さもありなんと思いますが、
そういう実験をしていることには感心しました。


上野はこう考えます。

人間も動物ですから動物本能を持っています。
動物本能は生まれた時から持っているものです。


ですから、まだ知恵の十分でない幼児の行動は
「道徳観」からくるのではなく、
本能によるものだと考えるのが自然なのではないでしょうか。

では動物本能とは何でしょうか。
以下の記述は、上野がこれまで学んだ内容に基づき
今回整理しているものです。
(権威はありませんよ!!!)


動物本能は
 個体の生存本能と種の維持本能からなる。

一般に生物は個体の生存本能よりも、
種の維持本能の方が強いと言われています。
(蜜蜂や蟻は種の維持のために個体は進んで犠牲になる)

種の維持本能の最たるものは生殖本能です。
その次に集団で群れる本能があります。
生殖本能は今回のテーマでは範囲外です。


群れる本能は、敵から身を守るのに有効です。
シマウマがライオンの襲撃に
輪になって後ろ足で蹴ることで対抗する
姿を見たことがある方は多いでしょう。

それ以外の点でも
協力し合う、知恵を出し合うことで生きるということがあります。
蟻や蜜蜂がその典型です。

人間も男が狩りで出かけているとき、
残された家族は皆で協力して敵に備えたのです。

個体の生存本能は、以下から構成されます。 
  食欲
  相手が敵か味方かを見抜く能力
  獲物(餌)を見つける能力

食欲については説明を要しないでしょう。
食欲がなくなった人間は間もなく死んでしまいます。
食欲の中には、食べ物を保護者に要求する能力を含みます。
赤ん坊がオッパイを要求して泣くのはそれです。

相手が敵か味方かを見抜く能力
これが弱ければ相手の餌食になってしまいます。
自分に有利な行動をとるのは味方・仲間であると判断し、
不利な行動をとるのは敵と判断するということになります。

相手が自分を獲物として狙っているかどうかは、
今生存している動物は、みな絶対に分かるでしょう。

人間で言えば優しい表情かどうかが判断材料でしょう。
赤ん坊に赤の他人の優しい表情と怖い表情を見せれば、
優しい方を選ぶでしょう。


獲物を見つける能力
哺乳類の赤ん坊は母親の乳に群がります。
哺乳類でなければ、生まれてすぐから
食べられるものかどうかを見分ける能力が備わっているのです。
草食動物か肉食動物かで違います。


親が教えるわけではないでしょう。

とすると、著者の挙げた赤ん坊または幼児の示す以下の行為は
本能ではこう説明できることになります。
本能ですから、赤ん坊や幼児から備わっていて不思議はないわけです。

本能を超える倫理観は人間が成長と共に学んでいくもので、
これがダメな場合は欠陥人間ということになります。

今さらですが、人間の成長は、本能を良い方向に発展させ、
共同生活する上で好ましくない面を押さえていくということなのですものね。
「ジャスト・ベイビー」は
赤ん坊に各種の本能が現れるという実証実験の報告書でした。



著者の例示

本能での位置づけ

説明

「道徳観」助ける行為を肯定的に邪魔する行為を否定的に捉える

相手が敵か味方かを見抜く能力

本能ということは、善悪の判断・理性で判断しているのではないということ。

共感と思いやり

群れる本能

群れ成立の基本原理

初歩の公平感

群れる本能

これがないと群れが統率できない

初歩の正義感

群れる本能

これがないと群れのボスになれない

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