2011年1月23日日曜日

フェイスブックを知ってる?

 先日テレビで、26歳のフェイスブックの創業者が
 5千数百億円の資産家だと聞いてビックリ。
 フェイスブックはできたての会社じゃないの?
 それがなぜ?と思ったのは不勉強でしたね。

 フェイスブック社は、SNS(交流サイト)の最大手です。
 07年にはかのマイクロソフトがこの会社に
 264億円も出資して、それでも2%弱の株主でした。
 現在の推定時価総額は500億ドル(4兆円強)
 なのだそうです。たまげますね。

 日本でそれほど有名でないのは、
 米国を中心にして世界で5億人の利用者がいるのに
 日本ではわずか200万人弱の利用者しかいない
 せいでしょう。

 日本で利用者が少ないのは、
 このサイトは実名で登録しなければならないのですが、
 日本人は実名での他人との交流を嫌うからだと
 言われています。

 なぜそうなのか考えてみました。

 アメリカは個人主義の国です。
 自己主張しなければ、存在を認めてもらえません。
 生活の中でそういう訓練を受けています。
 自らを名乗るのは当然の文化です。

 日本は、
 「菊と刀」で著名なアメリカの文化人類学者
 ルース・ベネディクトのいう「恥の文化」です。
 「恥の文化」では個人の権利保障という正義より
 集団や組織の名誉が優先され、
 個人の道徳心は、他者により左右されてしまう、
 と指摘されています。

 私が著書「価値目標思考のすすめ」で説いた
 日本人の思考特性はこうなっています。
 ルースベネディクトの主張と基本は同じです。

 日本人の思考は、以下の特性がある。
 「目的自明主義」 
  目的は分かっているからわざわざその確認をしない。
 「前例・みんな主義」 
  行動するときに、
  前例や「みんな」がどうしているかに従う。 

 そうなる原因は、
 「日本古来の農耕文化」と「他国との孤立」によって
 連続社会・地域依存社会となっていて、
 「安定社会の継続」が第1義となり、
 「和を重んじる」ことになるからです。

 日本の伝統的「村社会」での交流は、
 自ら努力することはありません。
 できあがっているコミュニティに小さい時から
 自然に入っていって溶け込みます。
 「自己紹介」などという必要性がないのです。
 また、「和」が大事で
 自己主張などとんでもないことだったでしょう

 身内や仲間とは親しくしますが、
 他人には知らぬ顔です。
 村ではみな知り合いですから、
 誰とでも親しく挨拶するのに
 都会ではよそよそしく、
 何かあっても声をかけることがありません。 
 あるのは若者が「ナンパ」する時だけです。

 「恥をかかないようにする」「和を重んじる」
 という行動原理で考えると、
 日本人の行動特性はよく理解できます。
 
 研修で「何か質問ありませんか」と問いかけても
 ほとんど質問はありません。
 出しゃばってはいけない、と遠慮しているのです。
 そこで、指名すると、
 皆さん立派な質問があるのです。
 「だったら質問しなさいよ」と言いたくなります。

 「恥をかきたくない」マインドの例として、
 1月20日の日経新聞に
 こういう記事が載っていました。
 
 「断られたくない症候群」
 自分がお目当ての人がいるのに、
 その人宛に「今日会えるかしら」とメールするのではなく
 ツイッターに「今日はお酒飲みたいな」とか書き込む。
 これだと、相手にその気がない時に
 断る負担をかけないですむし、
 自分も傷つかないですむ。

 まあ、すごいテクニックですね。

 しかし、
 ルースベネディクトの主張は太平洋戦争時代です。
 今は、農耕生活ではないですし、
 ほとんどの人は都会住まいで村には住んでいません。
 
 日本の伝統的思考法の環境は終わったはずなのに、
 DNAのように思考特性が残っているのは不思議です。
 解明が必要なようです。
 
 日本で、
 個人情報保護が無目的に絶対視されているのも、
 この「恥」「和」「遠慮」文化との関係がありそうです。

 ところで、
 IT業界の寵児は、マイクロソフト社のビルゲーツ
 グーグル社のラリーペイジとセルゲイプリン
 そしてフェイスブックのザッカーバーグです。

 この3社の大成功に至るまでの時間は
 このように急激に短縮されています。
 ITの世界は変化が激しいですね!!

 マイクロソフト社
  1975年創業、1986年に株の公開。
  ここまで11年かかっています。
 グーグル社
  1998年創業、2000年にYAHOO社の
  サーチエンジンに採用され、
  2002年には世界で最も人気の高いサーチエンジンに。
  この間4年間。
 フェイスブック社
  2004年創業、2007年にマイクロソフト社が多額出資
  ここまで3年間。
  
  

3 件のコメント:

青野 馨 さんのコメント...

日本および日本人論、いつも面白い。
しかし、そもそも日本人という人種・民族はいるのだろうかと、最近疑問に思っている。
 というのは、卑弥呼の時代(3世紀)と、4、5世紀に朝鮮半島などから大量に移民?がやって来た時代の間に、断絶がある、つまり卑弥呼の時代の人間が原日本人だとすると、それ以後は別人種ないし混血だ、ということになる。
 もっとも混血日本人は、農耕中心の村社会をつくったから
それを日本人ということにすれば、それはそれでいいのかもしれない。思うに日本の国土に住んでいるのが日本人ということだろう。となるとそれは人種や民族とは違うのではないか。支離滅裂になり、ご免なさい。

山本武彦 さんのコメント...

JISTAでお世話になっています。山本です。http://www.facebook.com/takehiko.yamamoto
上野さんも是非フェイスブックをいじってみて更なる考察をお願いします。
ファンページとか作ってブログとリンクしていただくとファンとしては嬉しいです。

上野 則男 さんのコメント...

 青野さん
 コメントありがとうございます。
 青野さんの言われるように、今の日本人は混血です。縄文人は狩猟民族で日本が大陸に続いているときに東の果てに流れ着いた原住民です。その後弥生時代に、主として朝鮮半島経由で農耕民族が渡来してきました。現在の日本人はその混血民族です。それを日本人の単一民族と言っているのです。
 混血の名残りは、東日本の住民は、血液型Bが西日本の住民に対して比較的多く(統計検定では有意と出ています)、西日本は逆にA型が多いとことがあります。狩猟民族はB型主流で農耕民族はA型主流なのです。農耕民族が朝鮮半島から亘ってきたのは西日本が多かったから、そういう状況になったと考えられます。

山本さん
近々、フェイスブックに加盟して,SAとかBAの研究仲間を作ろうと思います。ご意見ありがとうございました。