2021年2月22日月曜日

生贄とは?「野の古典」のご紹介2

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 因幡の白兎の話を思い出しましょう。
 生贄とは何であったのかを考えてみましょう。
ねらい:
 人類すべてが生贄にならないよう、
  地球環境を維持しなければなりませんね。
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安田登氏作「野の古典」のご紹介第2弾です。
生贄とは何であったのか、興味深い紹介です。

裸体のウサギの正体
さて、
オロチ退治をしたスサノオに続いて現れるのが大国主命。
「因幡の白兎」で有名ですが、
大国主命に助けられたこのウサギもまたかなり怪しい。

この物語にはウサギのほかにワニが現れますが、
日本にはワニはいないし、
山陰地方では鮫のことを「ワニ」と呼ぶので、
これは鮫だとも言われています。

が、わたしはこれは「輪ぬ(丸くなる)」の連用形で
ウミヘビのことではないかなどとも思っています。
とりあえずここではワニで進めておきますね。

さて、多くの方は、
ウサギはワニに「皮」を剥がされたと思っているかもしれません。
まずはそこからして違うのです。

裸(あかはだ)の兎伏せり。

大国主命がウサギに会ったとき、
ウサギはなんと裸(あかはだ)だったのです。
裸体のウサギって、なんか萌えキャラっぽいですが、
おそらくこのウサギは人間の少女ですね。
「古事記」にはワニをだましたがために
最後にワニに「衣服」をすべて剥がされたと書かれています。
ウサギが剥がされたのは皮ではなく衣服だったのです。

最端(いやはて)に伏せるわに、
我を捕らえ、悉く我が衣服(きもの)を剥ぐ。

そこに通りかかった大国主命の兄たち。
彼らは因幡の八上比売(ひめ)に求婚するために
出雲から因幡に向かう途中でした。

兄たちはウサギに「海塩を浴み、風に当たり伏せれ」と教え、
そのとおりにしたウサギの身は
「ことごとく傷はえぬ」という状態になってしまうのです。

全裸で海水に浸かって海風に当たれば、
肌がカピカピの火傷状態になるのは当たり前。
そんな姿のウサギを見た大国主命が、
水門(みなと、河口)の水による沐浴と蒲を使う秘法によって
ウサギの肌を再生させることはご存じのとおり。

するとあら不思議。
このウサギは快癒するだけでなく、
なんと「八上比売をゲットするのは兄たちではなく、あなたでしょう」
と未来を的確に予知する「兎神」に変容してしまうのです。
神へと変身するウサギ、かなり怪しいでしょ。

この大国主命のみわざは
水による洗礼を施す治療神としてのイエスをも彷彿させます。
大国主命の物語には、このあとにも治癒のエピソードが続きます。

今度は傷つくのが大国主命本人です。
兄たちの謀略によって全身火傷を負い、一度は死んでしまいます。
それを治療するのが、
キサ貝ヒメとウム貝ヒメによって授けられる
貝殻と貝汁による母乳の秘法。

この秘法によって甦った大国主命は、真の英雄神へと変容します。
ウサギも大国主命も火傷を負って一度は瀕死状態になり、
そこで施される治癒の秘儀によって復活して「神」になる。
このふたつのエピソードはとても似ています。
死と復活、そして超越者への変容の儀礼の神話化、芸能化が
因幡の白兎の物語のようです。

生贄と神話
因幡の白兎のウサギが「裸」であったこと、
そして大国主命の力によって新たな衣服を与えられたことは、
これはやはり生贄の物語であったことを暗示します。

「いけにえ」という言葉は「生きた贄(供物)」ではなく
「活かせておく牲(にえ)である」と言ったのは
民族学者の柳田國男です。
神の生贄のために指定され、1年あるいは特殊の必要が生じるまで
「世の常の使途から隔離しておく」それが「生牲」だというのです。
その間、生贄は大事に育てられます。
(上野:そうなのですか!!)

「美」という漢字が
生贄のために養育されて太った大きい羊(羊+大)を意味する
のも同じです。
(そうだったのですか!)

そして大切に養育された彼の人は、
供犠の儀礼において一度衣服を剥がされ、
沐浴のあと、再び清らかな衣が着せられる。
このような儀礼は世界共通のようで、
ホメーロスの「オデュッセイヤ」などにも描かれていますし、
インカ帝国の遺跡からも
生贄にされた少女たちの栄養状態が良好だったことが
わかっています。

処女を生贄として異類に捧げる物語は、
農耕民族の神話の典型的なモチーフです。
農耕民よりも暴力的だと思われる狩猟社会の儀礼においては、
人の生贄はあまり使われません。
(そうなのですか!)

人の生贄を用いる儀礼だけでなく、
戦争のように人を人が組織的に殺害することも
農耕社会の誕生とともに起こり、
灌漑農業の発明以来、それがより加速したことが
近年の発掘調査などからわかっています。
(なぜなのでしょう?)

猛獣を殺害する力を得ることによって地上生活を得た
われわれ人類の中には殺害者としての血が流れています。
殺害欲求、暴力欲求は、
おそらくわたしたちの根源欲求の一つなのでしょう。

その欲求は農耕という殺害を必要としない社会の形成とともに
抑圧されたのですが、
しかし深奥に潜む殺害への欲求は根強く残り、
それが人の生贄を必要とし、
さらにはこのような神話を生み出したのでしょう。
(解明が必要ですね)
戦争も人間もこわいですね。
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農耕社会における生贄の解釈(上野)
私はこう考えました。

狩猟生活では獲物が得られないのは自分たちの責任です。
自分の力不足なのです。
ところが農耕生活では、豊作・不作は自己努力ではありません。
天候次第なのです。

天候は神様が仕切ります。
したがって農耕社会では神依存心が強くなります。
自分たちの生死・生活維持(生殺与奪)を
神様にお願いしなければならないのです。

その際、ただオネガイというわけにいきませんから、
自分たちの最も大事なものをお供えするようにしました。
それが「生贄」だったのです。
厳しいハナシですね。

農耕社会になって人同士が戦うようになったのは,
こういうことでしょう。

狩猟時代は、人は結託して動物と戦っています。
農耕時代になると動物と戦かわなくてもよくなりましたので、
自分の生活向上のために人と戦う余裕ができたのです。

と、こんな風に考えてみました。いかがでしょうか?

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