目的:
「失敗の本質」について考えてみました。
「失敗から学ぶ」の実態を分析してみました。
ねらい:
やはり、個人としては失敗から学ぶべきでしょうね。
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野中郁次郎先生他の著書「失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇」
(2012年刊)をあらためて読んでみました。
この著書は、1991年に刊行された
「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」の続編です。
野中理論からしますと、
日本軍の失敗の分析をする意図はこういうことです。
暗黙知を形式知にすることによって人間社会は進化発展する、
「人間は成功よりも失敗から多くを学ぶ」ことからすると、
失敗の経験を形式知にすればよい。
しかし、失敗の状況は多くの場合明らかにされないので形式知化できない。
そこで、事実の記述がある戦争の失敗を分析して形式知にしよう。
この続編では、以下のような日本軍の失敗が記述されています。
硫黄島の戦い 2万人の日本軍の生存者は千人のみ
沖縄戦 6万人の兵士と10万人近い民間人が死亡
インパール作戦 10万人の兵士が参加下が3万人が死亡、3万人が戦傷・線病
レイテ沖海戦 空母4艘、戦艦3艘、重巡6艘などを失う惨敗
モンゴル撤退、キスカ島撤退作戦は成功例として紹介されている。
私は、これをざっと読んであまりいい気持がしませんでした。
状況がどうあれ、誰も自分の国が負けるのは嬉しくないものです。
したがって、その失敗から学ぼうという気にはなれませんでした。
前篇は、日本軍の失敗の分析は珍しかったので
大ベストセラーになったようですが、
そこから学んだ人はどれだけいたのでしょうか?
疑問に思います。
「人間は成功よりも失敗からより多くを学ぶ」と言われるのは
本当だろうか、と考えてその状況を2部に分けて整理してみました。
第1部 一般論
第2部 新型コロナウィルス対応
第1部 一般論
表をクリックすると全体が表示されます。
他山の石」という言葉があります。
この場合は、他人の失敗を教訓にしなさい、ということです。歴史はその題材をたくさん提供してくれます。
しかし、単なる興味本位で、他人事としてみていれば、
何も学ばないでしょうね。
また、自分としてうまくいくと思っているときには、
多くの人は、他人の失敗例は参考にしないでしょう。
では、自分の過去の失敗は、活かすのでしょうか?
小さな行動レベルのことであれば、反省して変えることをします。
「思いを伝えられずに失恋した」という場合は、
今度は思い切って言ってみようとして行動することはありそうです。
しかし、大きな失敗、たとえば、職業の選択や伴侶の選択は
簡単に取り返しがつきません。
でも、転職や離婚をする人も増えています。
そういう人は次のチャンスでは、
失敗を活かして成功しているのでしょうか。
数少ない成功者は、失敗から学んでいるのです。
結局、自分の失敗、他人の失敗から学ぶかどうかは、
個人の資質によるようです。
学ぶ人は成長し、学ばない人は脱落していくのです。
組織(チーム、会社、国)の失敗の場合は、
失敗を活かすかどうかは組織員一人一人の問題というより
その組織のリーダの問題なのです。
青学の原監督、日本電産の永守社長など創業経営者の多くが、
組織を発展に導いています。
国の場合は、
ナチスに負けなかったチャーチル、
筋を貫いた「鉄の女」サッチャー首相、
「ドイツのお母さん」と慕われるメルケル首相のリーダシップが
国を発展させています。
因みに、トランプ大統領が名大統領になるか、
最低の大統領になるかはこれからが勝負ですね。
私は中国封じ込めに成功すれば名大統領だと思います。
チームや国の場合、必ずしも失敗から学んでいるのではなく、
成功の道筋を掴んだ上でのリーダシップが成功要因です。
そうしてみると、
組織の場合は「失敗から学ぶ」のが重要ではなく
優れたリーダが出てくるかどうかがカギのようです。
本書の帯にこう書かれているのは正解です。
日本の企業・政府が
「失敗の拡大再生産」のスパイラルに陥ってしまったのは、
傑出したリーダが出現しないからだ。
本書で取り上げている敗戦の原因は、
すべてリーダの資質によるとされています。
組織の失敗=リーダの失敗なのです。
結論として
「失敗から学ぶ」のは個人としては成功の王道であるが、
組織としては、それよりもリーダの資質が大事である、
ということになるようです。
第2部 新型コロナウィルス対応
今回の新型コロナウィルス対応は、
失敗から学ぶという点ではどうなっているのか
を整理してみました。
1.世界の状況 さまざま
韓国と台湾は、
SARS(2003年流行)/MERS(2015年流行)の失敗経験から
法整備を行い、国として一元化した強力な権限を持った組織を作って
対応をしています。
早くに大流行の制御に成功しています。
中国も、強権で都市封鎖などを行い大流行を抑えています。
ヨーロッパでは、ドイツが、
メルケル首相のリーダシップで初期の封じ込めに成功していますが、
どの程度失敗に学んだのかは不明です。
失敗に学んでいないのは米国です。
ワクチン開発という点では、大流行病蔓延のあとに
ワクチン開発は各国・各製薬会社の重要課題になりましたが、
いつの間にか、力が抜け中断になっていました。
それが、今回の人類の失敗につながっています。
「喉元過ぎれば」は世界中の実績であり、世界中の責任です。
実績として、失敗から学んでいないのです。
2.日本の状況 大勢は失敗から学ばない
日本は、2009年の新型インフルエンザ大流行後に
以下の対策実施が提言されています。
対策の選択肢を複数用意
危機管理の専門体制強化
PCR含む検査体制強化
国民広報扱う組織の新設
臨時休校のあり方の検討
ワクチン生産体制の強化
これから見ますと、
太字部分が特に不十分で今回の対策後手を生んでしまいました。
失敗に学んでいないのです。
その原因の多くは、既得権益にこだわる官庁組織の壁でしょう。
国全体のことよりも、
自分たちの縄張り維持を優先しているのです。
阿部首相がいくらPCR検査能力の早期拡充を指示しても
「目詰まり」で実現しませんでした。
挙国体制の実現という点では、
韓国・台湾に完全に負けているのです。
過去の実績・権益にこだわるのは国民性
(連続・継続・実績重視主義)だと思いますが、
失敗から学ばないのも国民性なのでしょうか?
米国は、失敗しても再起のチャンスのある加点主義の国柄です。
日本は、失敗の許されない国柄です。
失敗したら、✖の評価がついて人生終わりになります。
したがって、失敗はうやむやにして
誰も責任を取らなくていいようにしているのです。
「なあなあ」「まあまあ」の世界です。
それが今までの日本の評価システムでした。
40年も前に、某電力会社で問題解決手法の研修をした際に
「過去の当社には、『問題』という言葉はなかった。
『問題』があれば誰かが責任を取らなくてはならないのだ」
と聞いてびっくりしたことがありました。
そんな体質では、
原発事故の責任など明らかになるわけないですね。
日本でも現在はそれが許されなくなってきてはいますが、
根っこにはその精神が残っています。
多くの人や組織は、
「失敗を認めない、したがって失敗からも学ばない」のです。
日本でも、失敗を認める人はいます。
そういう人は成功しているのです。
4月21日の日経新聞に、永守日本電産会長の以下のコメントが
掲載されていました。
50年、自分の手法がすべて正しいと思って経営してきた。
だが今回、それは間違っていた。
テレワークも信用していなかった。
収益が一時的に落ちても、
社員が幸せを感じる働きやすい会社にする。
そのために50くらい変えるべき項目を考えた。
反省する時間をもらっていると思い、
日本の経営者も自身の手法をかんがえてほしい。
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