2020年8月23日日曜日

「日本の品種はすごい」その1ナシとリンゴ

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 ブリーダー(育種家)たちの素晴らしい活動を知っていただきます。
 ナシとリンゴの品種の整理をさせていただきます。
ねらい:
 ナシとリンゴの品種を再認識していただきます。
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竹下大学氏著「日本の品種はすごい」のご紹介です。
「この本はすごい」です。
著者は、千葉大学園芸学部卒後、
キリンビールで育種プログラムを立ち上げなどをされました。

2004年に米国で初代「ブリーダーズ(育種家)カップ」
を受賞されているプロフェッショナルですが、
著書は、対象植物の感覚的紹介から始まり、
生物学的記述、その植物の開発経緯の紹介まで、
美学、自然科学、人文科学の領域をカバーしている
「すごい」ものなのです。

本書では、
ジャガイモ、ナシ、リンゴ、ダイズ、カブ、ダイコン、ワサビ
の育種が紹介されています。

「すごい」を実感していただくために、
リンゴの章の一部をご紹介します。
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青森のリンゴを世界へ
青森県に内務省から配られた3本の苗木が植えられたのは、
北海道よりも6年遅い1875年(明治8年)であった。
ここから始まるリンゴ栽培のおかげで、
青森の人々は飢えと無縁の生活をてにいれることになる。

今や、青森県は日本産リンゴの半分以上を生産している。
そしてそのうち3割近くを占めるのが弘前市だ。
実に弘前市の生産量は、県別生産量第2位の長野県よりも多い。

津軽富士とも呼ばれ、空に浮かぶ稜線に見惚れてしまう岩木山。
美空ひばりの「リンゴ追分」でも歌われたこの山の裾野一面に広がるリンゴ畑は、一度見れば忘れられない光景である。

秋に1本のリンゴの老木がしなった枝に折れんばかりに抱える果実の重さは、300キログラムを超える。

明治維新直後といまとを比べたときにもっとも目立つ変化は、
津軽地方においてはリンゴの木の多さである。
140年間かけて大都市にビルが立ち並んだように、
津軽のリンゴの木も人の手によって大きく育った。

この岩木山麓に、リンゴの生産、販売、加工、輸出を手掛ける
片山りんご株式会社がある。
片山寿伸が経営する片山りんごは、21ヘクタールものリンゴ畑を所有し、日本屈指の生産量を誇る。
青森県ですらリンゴ生産者の平均耕作面積は1ヘクタール程度であるから、規模的にも図抜けた存在だ。

しかし、片山りんごももともとこれほど大規模な生産者だったわけではない。
農産物全般にいえることだが、生産者は消費者の嗜好の多様化、
輸入品との競争、生産者の高齢化といった問題を抱えている。

青森県のリンゴの耕作面積もまた減少の一途をたどっており、
実に毎年100ヘクタールを超えるリンゴ畑が耕作放棄地に変わっている。
そんな逆風に立ち向かうかのように、
リンゴ生産を続けられなくなった生産者の畑をそのまま買い取る形で、
一気に耕作面積を増やしたのである。

片山は先祖代々続くリンゴ農家ではない。
津軽では新参者といってよい。
だが片山の父信光は、弘前で最初に無袋栽培に取り組んだ人物でもある。

果実に紙袋をかける有袋栽培は、
シンタイムシを防ぐ目的で明治半ばから広まった日本独自の栽培方法である。
害虫だけでなく果皮の傷も防ぎ、さらに貯蔵機関を延ばすことができたために、リンゴで流行って当たり前の技術となっていた。

一方の無袋栽培とは、果実に袋かけをしないで生産する方法である。
メリットは糖度が高まり味がよくなることと、手間が格段に省けること。
ただその一方で、果皮の発色が悪くなるため、
見た目は袋かけしたものと比べてかなり劣ってしまうという問題があった。

見た目の悪さは出荷価格に跳ね返ってくる。
そのため弘前の生産者は誰も無袋栽培に切り替えようとはしなかったという。

片山の父は、生産者の生活を楽にする前例を作ろうと、
信念を持って無袋栽培を続け、販路を自ら切り拓くことに成功する。
今ではスーパーで普通に見かけるようになった
「サンふじ」「サンつがる」「サン陸奥」と呼ばれる商品がそうだ。

頭についている「サン」は、あくまでも
降り注ぐ陽の光を十分に浴びた無袋栽培のリンゴという意味であって、
品種自体は「ふじ」「つがる」「陸奥」とまったく同じである。

片山は、自分の役目は青森のリンゴの風景を残し、
しっかりと次の世代に引き継ぐことだという。
「リンゴの木はだいたい20年で一人前の量が採れる大人の木になり、
60年は楽に生きるんです。
大事に育てれば100年を超えても元気に育ちます。
これって人間に似ていますよね。
さらに収穫は1年に1度きり。
ですからリンゴの木は
昔から人と同じペースで一緒に歴史を刻んできたんです。
そんな木を人間の都合で簡単に棄ててしまってよいのでしょうか」

こう語った後に、
中国で1個2000円で売れた「大紅栄」という
紅色の大きなリンゴを取り出してくれた。
地元の工藤清一さんが育種した品種で、期待の戦略商品だという。

はたして「大紅栄」は、
わたしがこれまで食べたことのあるリンゴとは明らかに違う風味だった。
様々な品種の特徴が次々に現れてくるような複雑な味。
ヒットしてほしい品種だ。
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本項では、本書の中から、ちょうど時期となる
ナシとリンゴの解説の整理をさせていただきます。
他の作物のご紹介は別の機会にさせていただきます。
ナシ 日本発祥の珍しき果樹
銘柄
姿味など
来歴等
長十郎
赤ナシ(茶色)、固く甘い。
日持ちが悪い。
大正時代は全国生産量の6割を占めた。
黒斑病に強く伸びた。
川崎市大師河原1889年梨園経営当間辰次郎氏が発見。
二十世紀
青ナシ(薄緑)、甘くザラザラ感なし。
千葉県松戸市で松戸少年が発見。
黒斑病を克服しでて長十郎を抜き、昭和の後半20年間首位だった。鳥取県は改良品種含め生産量が多い。
幸水
赤ナシ。早生、果汁豊富、キレのよい甘み、シャリシャリ感
平成元年から生産量トップ。
黒星病に弱かったが、埼玉県(農業試験場)が力を入れて育てた。昭和26年に試作を始め、命名は昭和34年で、栽培方法の確立は昭和42年である。
日持ちが悪い。
豊水
赤ナシ。中生。酸味のきいた味。大きさ・形・色で幸水の上を行く。
生産量第2位。幸水の交配改良種。日持ちの悪さを改善している。
果肉が透明になる「みつ症」の克服が課題。
新高
奥手の赤ナシ
大正4年母長十郎の交配で誕生。台湾の最高峰新高山に因んだ命名。現在生産量第3位。
韓国では、キムチの漬けダレとしてとして大量に使用されている。韓国の梨の消費量は日本より多い。
あきづき
赤ナシ中晩生種。味・食感は幸水に近い。豊水より大きい。
生産量第5位。新高・豊水、幸水の交配種。昭和60年誕生。
欠点は、日持ちが10日程度であまり長くない程度で、今後が期待できる。

リンゴ サムライの誇りで結実した外来植物
銘柄
姿味など
来歴等
国光
記述なし
1800年頃、米国で誕生。1871年に日本に導入され主力品種になった。
今や絶滅危惧種。
紅玉
小玉で真っ赤、酸味アリ
19世紀前半に米国で発見。英名はジョナサン。
日本には明治5年の導入された。
酸味が嫌われ生産縮小していたが、アップルパイなどの洋菓子に使用され復活。
デリシャス
ハート形のユニークな形。香りと味がよい。
1875年、米国のリンゴ園で幼木が発見され、1881年に初めて実をつけた。リンゴの2大病害(黒星病と火傷症)に強く栽培家の人気となる。日本への導入は1911年である。
スターキング
デリシャスが赤くなった変種。
1911年に米国で発見された。日本には1929年に千疋屋が導入した。
デリシャス系は日持ちが悪い。
ゴールデンデリシャス
黄色(金色)


1890年頃、米国の農場で発見された。
生産量世界一を占めていたことがある。
日本でも1950年から1977年頃まで主力品種のひとつであった。
つがる
記述なし
青森県農事試験場の1930年交配作品(ゴールデンデリシャスと紅玉)。
現在日本で生産量第2位。長野県が衆力産地。
ジョナゴールド
甘みとともにさわやかな酸味。
米国コーネル大学が1943年に交配(ゴールデンデリシャスと紅玉)、1968年に命名・商品化。日本には1970年秋田県園芸試験場が導入。
王林と生産量第3位を争っている。
陸奥
青りんご。大きく、甘く、みずみずしい。
1930年に青森県農事試験場でゴールデンデリシャスと「印度」の交配で誕生。
貯蔵性も優れている。
ふじ
味は高評価。
1939年、青森県藤崎町の園芸試験場で国光とデリシャスの交配により誕生。しかし戦争により育成は中断した。
1955年普及に力を入れだした。味は絶賛されるが色づきがよくなく形もいびつであることと栽培が難しかったことが普及の壁。栽培法を確立したのは青森の1生産者であった。この解決で一挙に全国普及した。
現在、リンゴ生産量世界一である。
1962年に品種登録されたが、海外に対して何らの知的財産権の主張(手続き)をしていない。
中国は世界最大のリンゴ生産国で、その半数以上が「ふじ」であるが、何らの権利主張もできない。
現在、国会提出中の種苗法の改正案でその点の補強が意図されている。
王林
青りんご
独特の甘い香りと味。
1952年に福島県のリンゴ生産者が開発。
現在日本で生産量第3位。
見た目が悪く農林省の品種登録で拒絶されている。
米国でも売れている。
レッドパール、いなほのか、いろどり
(赤い果肉のリンゴ)
多くの育種家が品種改良で育成中。




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