2017年11月27日月曜日

「大学病院の奈落」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 まったく気が重くなる群馬大学の医療事故問題の総括究明書の
 ご紹介です。
 ことの本質を一緒に考えましょう。


ねらい:
 大病院のガバナンスの改善に期待しましょうか。

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「大学病院の奈落」は読売新聞社の記者である
高梨ゆき子さんの大力作です。
文章もたいへん読みやすくできています。
「こんな気が重くなる事件をよく追いかけ切ったな」と
感服・脱帽です。



本書は読売新聞の以下のスクープ記事からスタートします。
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スクープ記事

〈腹腔鏡手術後8人死亡 高難度の肝切除
     同一医師が執刀 群馬大病院〉


群馬大学病院(前橋市)で2011~2014年、
腹腔鏡を使う高難度の肝臓手術を受けた患者約100人のうち、
少なくとも8人が死亡し、病院が院内調査委員会を
設置して調べていることがわかった。


8人を執刀したのはいずれも同じ医師。
同病院ではこれらの手術は事前に院内の倫理審査を
受ける必要があるとしているが、
担当の外科は申請していなかった。


病院関係者によると、
手術が行われたのは第二外科(消化器外科)。

死亡した8人は60代~80代の男女で、肝臓がんなどの
治療として腹腔鏡を使う肝臓切除手術を受けた。


手術と死亡の因果関係は現時点では不明だが、
8人は術後に容体が悪化し、
約3ヵ月以内に肝不全などで亡くなった。


事態を重く見た病院側は現在、同科肝胆膵(肝臓、胆道、膵臓)
グループの全手術を停止している。


腹腔鏡を使う肝臓切除手術は、
比較的実施しやすい「部分切除」などに限り、
2010年4月に保険適用された。


しかし、高度な技術が必要な「区域切除」などは
有効性や安全性が十分に確認されていないとみなされ保院適用外だ。


同外科ではこうした保険適用外の手術を多く手がけており、
8人が受けたのも同様の手術だったとみられている。


これらの手術は、
病院の倫理審査委員会に臨床研究として申請しなければならなかったが、
第二外科は行っていなかった。


今年4月には千葉県がんセンターで、
膵臓などの腹腔鏡手術を受けた患者が
相次ぎ死亡していたことが明らかになり、
10月時点で計11人の死亡患者について調べている。


群馬大病院の小出利一・総務課長は
「倫理審査を受けずに治療したことは問題で、
あってはならないことと重く受け止めている。

院内で様々な側面から調べており、まとまり次第、
ご遺族や社会にきちんと説明し、さらに本格的な調査をしたい」

とし、執刀医については

「医師個人への取材には応じられない」としている。


群馬大病院は、725の病床を持つ北関東の医療拠点。
重粒子線治療など最先端の医療も導入している。


消化器がんに詳しい
がん研有明病院の山口俊晴・消化器センター長の話


「一般的には腹腔鏡による肝切除を受けた悪者が
短期間で死亡することは非常にまれだ。

8人が亡くなるのはきわめて多いといえる。
調査委員会は原因を究明し、再発防止に努めるべきだ」
(2014年11月14日 読売新聞朝刊東京最終版一面)

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こんな大惨事が起きた原因は、本書によれば以下のとおりです。
番号は上野が付番。


1.医師の技能未熟

弁護団の独自調査において、協力医が手術の録画映像
(内視鏡手術の場合は手術の状況がすべて録画される)を見ての
コメントが紹介されています。

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 「(執刀医の)手技はななり稚拙である。
 鉗子のハンドリングもよくなく、
 剥離操作、止血操作にしても全部悪い。相当下手。
 術野も出血で汚染されており、血の海の中で手術をしているような状態。
 腹腔鏡の技量についてはかなり悪いといえる。
 無用に肝臓に火傷させるなど、愛護的操作がない。
 助手のカメラ操作も下手」
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2.インフォームドコンセント不足(医師の責任)
3.医師の手抜き(カルテ記載の粗雑さ)


4.医師の院内規則無視
5.患者の事前検査不足(医師の責任)
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 2014年11月14日、
 読売新聞の初報当日の午前、群馬大学病院の記者会見が
 病院長、医療安全管理部部長、事務部長が参加して行われた。


 そこで明らかになった事実は以下のとおり。
 手術と患者の死亡との因果関係は不明。 
 診療内容の詳細に問題があったかどうかは調査中だが、 
 手術の前に、肝臓の機能が切除後も持ち堪えられるかどうか
 を評価するための検査がほとんど行われておらず、
 カルテの記録が不十分で、
 インフォームド・コンセントが適切に行われたかどうかも
 把握できないほどだった。


 死亡した8人が受けた保険定期用外とみられる手術。
 基本的には安全性や有効性がまだ十分確立していない
 研究段階の治療法だった。
 
 本来は病院の倫理委員会に申請し、
 倫理的に問題ないかどうかの審査に通ってから実施し、
 結果を検証するというステップを踏むべきだったと
 病院側は判断しているが、その手続きはとられていなかった。


 保険適用外とみられる腹腔鏡下肝切除は、
 患者が死亡した8例を含め56例行われていた。
 この内、倫理審査の申請がされていたのは7例だけだった。
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6.術後のフォロ不備
こういう記述があります。
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 ところが、手術は、事前の説明から予想したものとは
 かなり違っていた。



 当日、朝一番で病室から運ばれていった栄子さんと
 次に対面したのは、夜になってからだった。

 栄子さんを送り出してから一〇時間以上たっていたはずだ。
 
 その間、途中の追加説明は何もなく、
 父をはじめ親族と不安な気持ちで待ち続けていた充博さんは、
 夜になってようやく姿を見せた早瀬から説明を受けたという。

 
 「がんが思った以上に広がっていて、
 全部はとりきれませんでしたといわれました。

 手術前、『いま、切れば大丈夫』と聞いていたから、
 話が違うと思いました。

 
 そのことを話したら、親父は『ええっ』と言って
 それ以上言葉を続けられない状態でした。
 ショックが大きかったんだと思います。

 
 しかし、そんな深刻な事態にもかかわらず、
 術後の栄子さんは、胆知るが漏れたり発熱したり、
 腹痛を訴えたりしても、
 これといった検査を受けることのないままに過ごしていた。

 
 その間血液検査やCTが十分に行われた様子はなく、
 手術から一週間後退院の話が出た。

 「お母さんはもう大丈夫ですよ。
 クリスマスには退院できるので、
 抗がん剤の投与について考えましょう」


 病院でそんな話を聞いた充博さんはその後、
 実家に寄って父を訪ね、そのことを報告した。

 父はニコニコしながら、「そうかい、そうかい」
 と頷いていたという。


 よほど嬉しかったのか、父は翌朝一番で病室を見舞った。
 その後まもなく、病室のトイレに入った栄子さんは突然倒れた。


 物音に気づいて扉を開けた父が見たのは、
 白目をむいた状態でその場に崩れた栄子さんの姿だった。

 (中略)

 
 後に日本外科学会が行った検証によると、
 栄子さんの事例は、トイレで意識を失って倒れ、
 蘇生を受けているときに行われた腹部超音波検査から、
 腹隆内で出血が起こっていた疑いがあった。

 
 術後の経過を注意深く診てタイミングよく
 必要な検査と処置を行うべきだったのに、
 行われていなかったことも指摘された。

 
 死因としては、
 縫合不全で腹陸内に漏れ出した胆汁により
 血管が損傷されて出血が起こったと推測されるものの、
 解剖が行われていないため確証が得られない
 と結論づけられている。
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こんな惨憺たる唖然とする状況だったのです。


7.医師の功名心

当該医師(資格は助教(助手))は、中堅技術者で超多忙だったようです。

その中で、なぜそんなリスクを冒して次々と難しい手術をしたのでしょうか。


その点に関しては、本人に対する調査(「尋問」)が実施されていないので
不明ですが、著者も医師の功名心であったのだろうと推定しています。
以下の記述があります。
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 肝臓に遅れること2年、2009年12月には、
 新たに結成された膵臓内視鏡外科研究会も、
 最初の学術集会を東京都内で開いている。

 
 肝胆膵外科の領域における腹腔鏡手術は、
 「外科のトレンド」として、注目を集めるテーマになっていた。

 特に若手外科医の目には、とても魅力的に映ったであろう
 ことは想像に難くない。


 外科系学会の学術集会では、
 肝胆膵外科の腹腔鏡手術に関するセッションはどこも盛況で、
 関心の高さを物語っていた。


 その流れに乗り、腹腔鏡下肝切除は2010年4月、
 比較的難易度が低いとされる「部分切除」と
 「外側区域切除」に限り保険適用された。


 2012年4月には、腹腔鏡下膵切除のうち
 「膵体尾部切除」も保険の利く手術として認められている。

 
 若手外科医たちがこの分野に注目し、
 新しい手法の導入に意欲を持った動機としては、
 もちろん、医療の進歩を目指し、社会に貢献するという、
 医師としての向上心や探究心、使命感があったに違いない。

 
 ただ、おそらくそれだけでもないだろう。

 従来の開腹手術では、数々の経験を積んでいる
 ベテランにはなかなかかなわないが、
 新しい手法であれば、
 外科医として他人より一歩抜きんでるための
 早道になるかもしれない。



 また、もともと患者の集まりやすい旧帝大など
 都市部の有力な大学病院などと違い、
 特色を出したい私大や地方の大学病院、
 市中病院にとっては、新たな手法を採り入れることが、
 病院としてのアドバンテージにもなりうる。
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8.教室間の対抗意識

当時、埼玉大学病院外科には、
明確な役割分担がない二つの外科教室がありました。


教室間の対応意識があり、
それぞれが実績を競うという状況にありました。
本書ではその問題に1章を割いていますが、
当ブログでのご紹介は割愛します。


9.上司(教授)の無責任(放置)
10.大学の無責任

前掲の記者会見後の記述の続きはこうなっています。
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 記者の多くが、このようなずさんで危険なやり方が
 なぜ何年もまかり通っていたのか疑問を抱いた。

 
 執刀医や教授は、このことをどう考えていたのか。

 記者会見で野島(病院長)らが明らかにしたところによると、
 患者が死亡していることは認識していたものの、

 問題だとは思っておらず、
 保険適用外で安全性や有効性が確立していない手術をする際、
 病院の倫理委員会に申請すべきであるということについては、
 「申請が必要であるという認識が甘かった」
 と当人たちは話していたという。

 
 倫理や安全を確保するための意識が、
 極めて低かったということになる。

 病院長はじめ
 病院の安全管理部門は把握できなかったのだろうか。



 野島は
 「把握が不十分なところがあった。
 診療行為を実施する側の問題もあり
 医師がきちんと申請してくれないと、病院は把握できない」
 と話し、
 判断は現場任せで野放し状態なのが実情だったことを認めた。



 そのうえで、
 (「必要な手続きをとるよう)各診療科、医師個人に
 しっかり周知させる、守らせるための取り組み方が
 少し甘かった側面はある」と、
 病院として管理体制に甘さがあったと述べた。



 執刀医がこうした手術を続けた動機については、
 「そこは何ともわからない」(野島)、
 「明確には……」(永井医療安全管理部部長)とあいまいな
 受け答えに終始するばかりで明らかにされなかった。

 
 保険適用されていない高難度の手術であることの
 インフォームド・コンセントは、執刀医の言い分では
 「患者に話している」ということだったが、
 記録としては残っていなかったという。
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私が見たあるブログでは、
「担当医師は悪くない、悪いのはそういう状況に追い込んだ
上司(教授)と大学である」と主張している医師がいました。

この無責任経営の一環で、「健康保険請求の不正」が行われています。

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 群馬大学病院による最初の記者会見の内容には、
 よく考えると一つおかしな点がある。


 記者会見した病院長の野島らは、病院の内部調査により、
 第二外科で、保険適用外とみられる腹腔鏡下肝切除手術が、
 2010年12月から2014年6月までの間に
 56例(注・後に58例と訂正)行われていたことが
 わかったと説明している。


 このうち、患者が死亡した8例も含め多くの例が
 倫理審査を通さずに実施された。


 保険が利かない手術だったとすれば、
 費用の支払いはどうしていたのか、
 何ら言及がなされていないのである。


  保険適用されるということは、原則として、
 全国の病院で幅広く行って差し支えないと考えられるほど、
 安全性や有効性が確立された標準的な治療法と
 見なされたということである。


 だからこそ公的な医療保険が利き、
 病院は保険から診療報酬を受け取れるので、
 患者は一部の自己負担(一般的には、かかった医療費の三割)
 だけで治療を受けられる。


 それでは、保険適用外の手術であればどういうことになるか。
 当然、その治療に保険は利かない。

 となると、費用負担の方法は三通りに限られる。


 一つは、美容整形と同じように、
 患者が医療費の全額を自己負担する自費診療として行う方法であり、
 もう一つは、臨床研究の一環として、
 病院側が全額を研究費などから支払い、
 患者に負担を求めない方法である。


 いずれの方法でも、倫理審査は通さなければならない。
 しかし、第二外科で実施した手術の多くで、
 倫理審査手続きは行われていなかった。


 遺族への取材によって、そのからくりは鮮明になった。


 取材に応じた遺族は誰一人、
 自分たちの家族が受けた手術が高難度の術式であり、
 いまだ保険適用もされていない手術だったということを
 知らなかったのである。


 遺族は診療に対する支払いの請求書や領収書を保管しており、
 それを確認すると、患者側に請求されていたのは、
 保険の自己負担分だけだった。



 それは、病院側が、保険適用外の手術を保険診療だった
 ことにして診療報酬を不正請求していた
 疑いがあることを意味する。


 群馬大学病院は後に、
 このことで厚生労働省の監査を受け、
 多額の診療報酬を返還させられることになる。

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以上について、2015年3月3日に行われた病院長による
「群馬大学医学部付属病院 
腹腔鏡下肝切除術事故調査報告書(院内調査)」
の結論はこうなっています。
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【結論】

1.新規医療技術の導入に際し、
 IRB (臨床試験審査委員会)への申請を怠る等、
 診療科として組織的取組が行われていなかった。


2.術前評価が不十分であり、
 過剰侵襲から予後を悪化させた可能性が考えられた。


3.手術に関する説明同意文書の記載が不十分であり、
 適切なインフォームドコンセントが取得できているか
 確認ができなかった。


4.主治医による診療録記載が乏しく、手術適応、
 術後の重篤な合併症等に対して主治医がどのように判断し
 対応したかという思考過程等を診療録から
 把握することが困難であった。



5.カンファレンスなどによる診療の振り返りが十分に
 行われておらず、手術成績不良に対する診療科としての
 対応が不十分であった。



6.院内の報告制度は設けられていたが、
 診療科からの報告がなされておらず、
 病院として問題事例の把握が遅れた。


7.保険診療制度に対する理解が浅く、
 不適切な保険請求がなされた。



8.1~6の問題点は、8例全てで共通に認められた。
 さらには、腹腔鏡手術の適応、術中の処置、
 術後管理等においてもそれぞれに問題が指摘された。
 
 以上のことから、全ての事例において、
 過失があったと判断された。
(上野注:自分たちの責任を素直に認めているようですが、
見方を変えると
すべてを医師の過失責任であることにしようという意図が
丸見えということになります)



9.病院全体の管理体制として、問題事例の早期把握、
 倫理審査の徹底、適正な保険請求、
 医療事故の届け出等に不備が認められた。

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この「事件」の状況は、経営のガバナンス問題としてみると
きわめて程度の低い問題です。



企業の営業担当にたとえるとこうなります。
多くのまともな企業では今や考えられない状況です。



1.どこに何の営業で行くかを事前に上司に連絡しない。


2.お客様に、商品の有効性を吹聴するが、
 会社で定められている商品の有効範囲や会社の責任範囲については
 まったく説明しない。


3.お客様に対する技術的プレゼン(説明会)に対して、
 技術部門が的確なフォロをしない。


4.営業状況の日報を具体的に記述していない。
5.いい加減な日報に対して上司は何も指導しない(放置)。


6.商品の使用法や効能の疑問点に対する
 お客様からの問い合わせに営業担当が答えない。
 (コールバックもしない)


7.営業担当および上司の指導のずさんな状況や、
 お客様からのクレーム状況を会社が把握していない。


8.実質的に激しい超過勤務状態なのに
 会社はその状況を把握していないし
 ましてや改善の対策をとっていない。


要するに、営業を完全に営業担当任せで、
実績が上がっていればよいという無責任体制です。


最近は、日本の伝統的産業である製造業における不正が
次々と発覚しています。


しかし不正や不備が
人間の命にかかわる世界で起きているのですから、
大問題なのです。


まさにこの「人の命にかかわる」という点が医療の特異性です。



11.医師の人間性(人間軽視)

最後はこれだと思います。


この事件の当事者である医師は、
自分の職業の対象がモノではなく生身の人間であるという点の認識が
まったくないか希薄なのです。


生身の人間には感情があるし生きたいという意志があり、
生きてほしいと思う家族がいるのですが、
そういう面を捨象して、単なる施術あるいは治療対象としての物体として
客観的に見ているのです。


医師が患者をそのように客観視してみるという経験を、
私は40年前に父親の死に際して経験しました。


父は今で言うC型肝炎(劇症)に罹り
2週間の闘病生活の末に亡くなりました。


父は当時69歳でしたが、発病と同時に意識不明になってしまいました。

当時は,C型肝炎は認知されていなく、治療法も不明で試行錯誤でした。


父は大学医学部の名誉教授でしたから、
身内を含む内科の先生たちが
医師団をくんで治療にあたってくださいました。


当時試作段階であった人工肝臓機能装置も使っていただきました。
その効果があっていったん意識回復しました。

そのおかげで米国出張から急きょ戻ってきた私は
父と会話をすることができました。



家族は交代で付きっきりでした。
家族たちは病気は適切な治療があれば治るものと思っていましたし、
何としても治ってほしいと思っていました。


ところが、闘病生活2週間めになったときに、
先生たちが「もうダメかもしれない」
というようなことを話しているのを聞いてしまいました。


そのとおりなのでしょうが、
何としても治ってほしいと思っている家族からすると、
「父を治療対象物としてしか見ていないのだ」
とショックを受けました。


そのような特別な関係の医師団でも、
そのような見方になるのですから、
普通の関係の「患者さん」ならなおのこと
「単なる1物件」としてしか認識しないのでしょうね。


患者ひとりひとりに患者や家族の立場になって診ていたら
体も精神も持たないでしょう。



しかし群馬大学のこの医師は
その限界のはるか手前で患者との交流を遮断しています。
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 裕美さんが亡くなった朝、
 急変の知らせで駆けつけた家族に、
 その場にいた早瀬(担当医の仮名)は
 全く言葉をかけなかったという。


 「 私、待ってたんです。先生、何か言ってくれるかなって。
 別に私を励ますような言葉じゃなくても、
 こういう経過でしたとか、
 何か話しかけてくれてもいいじゃないですか。
 でも、何もありませんでしたね。
 目を合わさないようにして、そこにいただけ」

  
 看護師たちは、泣き続ける裕美さんの娘の肩を
 抱えるようにして、慰めようとしているのが伝わったが、
 早瀬は何も言わず、何もせず、見送りの一群に付いてきた。

 
 娘は、裕美さんの遺体に寄り添って車に乗り込み、
 病院の出入り口に目をやった。

 
 早瀬は、車が走り出すとすぐ、くるりときびすを返して
 病院の中に消えていった。

 一瞬、白衣の裾がひらりと舞うのが目に入った。


 それが冷徹な割り切りのようにも感じられ、
 裕美さんの娘は一層悲しい気持ちにさせられた。

 「次の人がいるから、患者が一人亡くなったからといって、
  いちいち構っていられないのかな。
  
 これが大学病院なのかな。
 そう思って、なんだかすごく寂しくなったのを覚えています。
 お母さん、あんなに苦しんだんですよ。
 ほんとに、すごく苦しんだんですよ」
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これが遺族の気持ちです。
医師は、患者・家族の気持ちに寄り添っていただきたいですね。
そうでない医師は免許返上でしょう。

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