2022年6月21日火曜日

「『私』という男の生涯」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 あらためて、石原慎太郎さんの偉業を偲びます。
ねらい:
 石原慎太郎さんを「忘れない」ようにしましょう。
 (この項の最後をご参照ください)
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石原慎太郎さんが出版社に
「自分と奥様が死んだ後に出版してほしい」
と言い残した340頁の大作です。
それを知ってか、
奥様は慎太郎さんの5週間後にあとを追ってしまいました。

私は、比較的年齢が近いので、
氏の死に関するこだわり方に関心を持って、
このブログでも何回か取りあげています。

今回は氏の回顧録の総集編です。
「波乱万丈」というのはまさにこういう人生を言うのでしょうね。
あらためて感じましたのは、氏の見識の確からしさです。
原発に対する認識、中国に対する認識、国民の生活感情の認識、
シッカリした歴史観に支えられていて、どれも的確で、
私としては異論のあるところが一つもありません。
やはり天才ですね。
あの優れた判断力の橋下徹さんが原発反対なのと大違いです。

1.弟裕次郎さんとの兄弟愛
「持ちつ持たれつ」の関係だったことが、
端的に示されています。

2.ヨットと海
氏が命も掛けたヨットレースや海の思い出が、
色濃く描かれています。
後掲の女性の一部も同伴しています。羨ましい!!

3.冒険家
死に目に会うようなヨットレースを何度も経験された以外に、
小さなスクーターで南米を横断しておられます。
最後の日は1日でほとんど未舗装の400キロを走り切ったそうです。

4.日生劇場を作った貢献
その後の日本の芸術振興に大きく役立った日生劇場が
石原氏の貢献によりできたことはあまり知られていないようです。
その記述は省略させていただきます。

5.国会議員としての25年間
ほとんど成果がなく虚しい。とのこと。
その中でも印象に残るのは、以下の二つのようです。
1)青嵐会
日本を真に憂う仲間が集まり血判をした。
田中角栄の日中国交回復の決め手である実務協定の中の
航空協定に対して「日本の実利は何もない」と反対した。

2)中川一郎事件
中川一郎氏は、誠実で信があると石原氏も積極的に推していましたが、
幾つか挙動不審なところがあったことが紹介されています。
死は自殺ではなく、ロシアとの開発案件がらみのもつれではないか
と推定されています。

6.東京都知事としての成果
「首長はその気になれば何でもできる」のです。
国会議員よりもよほどやりがいのあるポストです。
代表的成果
 1)東京都の財政に複式簿記を導入し黒字化を実現した。
   一橋大学卒らしい成果です。
 2)東京都のディーゼル車の排ガス規制を強行した。  
   それで東京の空はきれいになりました。
 3)羽田空港の国際空港化
   旅行者の希望を実現しました。
   その間に数多くの反対があり、それを乗り越えています。
   素晴らしい行動力です。
 4)芸術・芸人の振興
   本人も絵心のある氏は、
   都庁舎に若い無名の絵かきの登用をする展示場を作ったり、
   大道芸人の「公認」などを行いました。
 5)東京マラソンの開催
   多くの人に都内を走る夢を与えました。
   私は3回出場しましたがまだ完走できていません。

7.ダメな政治家
生々しいことなのでそのまま掲載します。
1)「海江田」
福島原発事故の際、
警視庁の放水車を貸し出してほしいという要請があった。
ぜひすぐに、ということで出動させたが、
約束の地点に現地の案内係が一向に現れないので数時間待った末に
引き返してきた。
次の日ようやく段取りが決まり出直したが、
現場が混乱していてすぐには放水できない。
すると、政府の高官から叱咤の連絡が入り、
あと1時間の内に放水しないと責任者を処分すると脅しがかかった。
出向いた隊員たちは、
放射能の危険を覚悟で家族とはまさに水盃をしてで向いている。
事情もよく知らね政府高官なるものが、
言うことを聞かぬと処分するなどとは聞き捨てならぬことと、
私は激怒して官邸に電話し、
総理の菅に抗議の面会を申し込んだが忙しくて会えぬと言う。
ならば好むことではないが私が鑑定に出向いて1人で記者会見をして
政府の不届きをぶちまけると脅したら、
会議の前に5分なら会うという。
そこで官邸に赴き、不当尊大な発言をした政府の責任者を明らかにして
謝罪させろと申し渡した。
結果は海江田なる閣僚の発言と分かって、
彼も不承不承陳謝せざるを得なかった。

2)蓮舫
その後も原発が停止してしまっての電力危機となり、
担当の蓮舫なる女の閣僚がやってきて
電力の最大消費地である首都圏の節電に協力してくれと言う。
首都圏というなら東京だけではなしに
隣接の神奈川、千葉、埼玉各県知事にも要請すべきであろうと言ったら
何やらもごもごして答えられない。
それが面倒なら政令を出したらどうかと問うても、
政令なるものが何か分かっていない。
たしか以前のオイルショックのときに節電の政令が出ていて、
それがまだあるはずで、
当時に比べて変わった今日の世の中だから
節電の対象に自動販売機なども加えて出すべきだと説いたが、
戻って閣議に諮りたいと言うので、
それは事の主務大臣である君から提案すべきだろう
と言ってもそれがよく分からない。
横に大勢ついてきていた記者たちも
政府全体の無能さを察知しているのか
脇でただにやにや笑っている始末だった。

8、原発に対する見解
氏はこう述べています。さすがです。
災害による福島原発の事故は、無能な民主党政府の不手際が重なって、
日本全体に放射能に関するヒステリー現象を到来させてしまったとしか
言いようがない。
さしたる根拠もなしに、
さながら広島、長崎の原爆被害に通う放射能被害が蔓延しかねぬような
被害感が広がり、
原発の存在そのものが一種の社会悪のようなイメージを造成してしまい
その後遺症は未だに止まない。

原発に関して混乱した世論の中で唯一まともだったのは
世間は意外にとったかもしれぬが、
どちらかと言えば反権力反体制の論客としてとらえられていた観のある
吉本隆明氏が
「原発反対を唱えて人間は又猿に戻ろうというのか」
と正当皮肉な論を述べていたのが印象的だった。
アインシュタインの相対性理論によれば
宇宙を動かしているエネルギーはすべて核エネルギーであって、
地球の生物の生命の発育のためには太陽が送ってくる放射線が不可欠
ということを思えば、
原発の事故を踏まえて核エネルギーをすべて忌避するというのは
文明の進展による人間自体の向上を忌避するということにもなる。
それは人間の進歩、文明の発展進歩に関する歴史的原理を
無視否定することに他ならない、
中略
そうした正当な文明史観を持たない政治家たちの無見識は、
今後も容易に歴史の進展を損ない、
下手をするとトラウマに近い精神病質的なヒステリーを蔓延させ、
人類を破滅にさえ追い込みかねない。

9.女性遍歴
4人の女性との交流が描かれています。
みな素晴らしい美女のようで羨ましい限りです。
このために、
奥様が死んでから出版してほしいということになったのでしょう。
1)N
出会ったときは新劇の女優の卵。大柄で豊満な美女。
バーで働いている時に知り合いスポンサーに。
劇団四季で頭角を表し大スターとなった。
長く懇ろだった。
ところが、後輩の俳優が運転していた車の事故に遭う。
車は大破で生きているのが不思議というくらいのものだったが
打撲で済んだ。
ところがその後遺症で失認症状となり、
それがどんどん進行して最後は
拒食症状を起こして衰弱の末53歳で逝ってしまった。

悲惨なことでした。

2)無名
銀座のクラブの女性を友人の誘いでダイビングに誘い縁ができた。
妊娠してしまったが、断乎として「未婚の母」になると
子供を産んでしまった。
その彼女にはずい分搾り上げられた。
これは大失敗の巻です。

3)S
最も長くつき合った女性だといいます。
自分より45歳も若い「背の高い容姿のいい」女性だった。
あるテレビ番組の縁で知り合った石原の大ファンである。
彼女から積極的に求めてきて深い関係になった。
石原が新銀行東京の件で、困惑していた際に
「こうなったら神仏に頼るしかない」と言うのをきいて
彼女は「願かけ」で2月間毎日40キロを走った。
満願に近い最後の日には70キロも走ったという。
その影響で脚の付け根の大腿骨部に損傷をきたし、
大手術を行う羽目となった。
そのこともあり、ますます深い精神的な関係になった。

彼女は「私と二人して沖縄に駆け落ちして私の子供を産むつもりだ」
とまで言い出し、母親と妹にそう宣言して家を飛び出し、
勝手に一人住まいを始めてしまったものだった。

すでにこの年になったこの私が今更それに合わせての人生など
ありようもなく、
私としては45も齢の離れた彼女からの情熱をまともに
受け止めようもなく、
願うことは彼女がいつか早くしかるべき若い佳き男性と出会い愛し合い、
彼女が私への妄想から外れて新しい人生を踏み出していくことを
先立つ者として彼女のために願い祈るしかありはしない。

とあるのですが、これでは尻切れトンボです。
男性は相手に攻められると逃げ腰になるようです。
石原氏がどういう責任ある行動をとったのかは記されていません。
残念なんことです。

4)Y
Nと二人で山中湖の別荘に行ったときに、
知り合い(男性2人)がいたので
一緒にバーベキューパーティをしようということになった。
Nが女性もいた方が楽しいのではないかと
近所で物色した2人の女性の1人だった。
香港籍の中国人で気性の激しい女性だった。
その後妊娠(流産)をするまでの関係となった。
しかし、彼女は
「あなたを好きだけれどあなたと一緒にいては幸せになれない」
と言って香港に帰ってしまった。

中国人らしい自己を大事にする思考です。
Sにもう少しこういう考えがあればよかったのにと思います。

9.死について
この頃になるとしきりに親しかった先人の死について思い出す。
中でも私淑した数少ない政治家の1人だった、
傑出した大蔵官僚でもあり、無類のリアリストであり、
財政家だった賀屋興宣さんと最後の面会の折の述懐の言葉だった。

亡くなる直前訪れた私に雑談の中で自分の人生の中でし残したことへの
他愛無い痛恨の会話の末に、今一番関心があるのは死ぬことだと語り、
「死ぬというのは詰まりませんなあ」と慨嘆して見せ、
その表情がいかにも深刻なので私がその訳を質したら、淡々と、

「死にますとね、
まず私の死を悼んでくれた者たちは直ぐに私のことを忘れてしまう。
そしてその後、
私は暗い暗い道を一人でどこまでもとぼとぼと歩いて行く。
寂しいものですよ」
「しかし先生、その道の先にあなたは、
かつて熱愛された奥様や幼い頃から互いの片思いで結ばれることのなかった
あの思い出深い女性とも、
あのオルフェのように出会うことになるのではありませんか」
私が質したら言下に、
「いやいや、そんなことはありませんな」
「何故ですか」
「それはね、そうやって自分一人で歩いている内に
自分で自分のことを忘れてしまうからです。
だから死ぬというのはつまらんこのなんですな。
だから私は死にたくありませんな」
薄い微笑で言われたものだった。

中略
無謀な結婚の後、妻に支えながらも繰り返した女たちとの不倫は、
間に入った弁護士に、
あれは面倒な相手だと同情されたほどの女にまでひっかかり
庶子までもうけ、妻だけではなしに、
その間長く関わり尽くしてくれた女までも傷つけたり、
晩年奇跡のような取り合わせの若い女を持ったり、
生まれつきの好色の報いは
いろいろな形で私の人生を彩ってもくれたが、
それらの思い出に関わる感慨も、
所詮死の後の虚無の中で虚無に帰していくのだろう。
それを悔いたり懐かしむ時間は今、
私にどれだけ残されているのだろうか。

中略 むすびの言葉
今思い返せば私の人生はなんの恩寵あってか、
愚行も含めてかなり恵まれたものだったと思われる。
だから、あの賀屋さんが言っていた通り死ぬのはやはりつまらない。

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