2018年1月26日金曜日

「不死身の特攻兵」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 特攻隊の内情を知っていただきます。
 死ななかった素晴らしい勇士がいたことを
             知っていただきます。
 究極の目的意識を知っていただきます。

ねらい:
 これからも目的意識を重視しましょう。
 
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この本は、珍しく新聞広告によって購入しました。
「9回も帰ってきた特攻兵」というコピーに
そんなことできるのだろうか?
どうやって生きて戻ってきたのだろう?
と興味をひかれました。

結論からすると、
出撃して、敵艦を爆撃して戻った場合が2回 
出撃直後に、僚機の事故で引き返した場合が1回 
出撃離陸直後に、自機の事故で飛行できなかった場合が1回
出撃命令直後に、敵機の空襲で機体爆破された場合が1回 
出撃飛行中に自機の機器故障で引き返した場合が1回 
攻撃目標に近づいたが、敵機の襲来を受けて退散した場合が1回 
攻撃目標に近づいたが、敵船団の多さに無力感を感じ
                   引き返した場合が1回
出撃したけれど、目標を見失って戻った場合が1回 
出撃命令が出たけれどもマラリアで出撃できなかった場合が1回
(この最後のケースは9回にカウントされていない)
でした。

作家である著者鴻上尚史氏が取材に基づき描いた
不死身の特攻兵佐々木友次さんにはたいへん感心しました。
佐々木さんは飛行機の操縦が大好きで非常に長けていました。

佐々木さんは、
国・軍部・上官の指示する特攻についてこう考えたのです。

目的は敵艦を破壊することだろう。
それなら自分は敵艦に体当たりするのではなく、
敵艦に爆弾を落として敵艦を破壊し自分は生還する。

そうすれば腕のある自分のような飛行士は、
何回も繰り返し攻撃を行うことができる。
みすみす優秀な飛行士を捨ててしまうことはない。

それを実践して成功したのが2回です。

軍部はどう考えていたかというと、
戦闘機の能力等で劣勢の日本はまともに戦っては勝ち目がない。
特攻による自爆攻撃で敵の戦意を喪失させようと思ったのです。
追い詰められた目的設定です。

特攻方式を続けて、
いずれは劣勢が挽回できると思ったのでしょうか?
そうは思えません。

佐々木さんは、
「敵艦を撃沈してこい」ではなく「死んで来い」という
上官の命令に対して従わないで敵艦を撃沈して帰還したのです。

褒められてしかるべきところ、
「お前は死んだのだ、なんで帰ってきた」と言われるのです。
軍で上官の命に反することは厳しい処罰、
場合によって死を覚悟しなければできないことです。

4度目の出撃命令が出た時の
上官(参謀長)とのやり取りが記述されています。

「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。
その代わり、死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させます」

「佐々木の考えは分かるが、軍の責任ということがある。
今度は必ず死んでもらう。
いいな。大きなやつを沈めてくれ」

この他にも、
上官や仲間との軋轢・やり取りが詳しく紹介されています。

最初の特攻に参加して爆撃に成功した際、
死亡公告も出て、郷里では「名誉の戦死」に対して
壮大な追悼会も行われてしまいました。

ですがなぜ9回も特攻のチャンスが与えられたのでしょうか。
それは佐々木さんの信念・技量・強運だけでは説明できません。

上官たちにもこの特攻作戦については、
部下を犠牲にするという点から
必ずしも納得していない人たちもいたのでしょう。

ですから帰還した佐々木さんを
一方的に厳しく処分するということはなかったのです。

佐々木さんは、生きる信念も強かったのですが、
生きる命の強さもありました。
死にかけながら無事帰還して郷里の北海道で
92歳の命を全うされました。

実は佐々木さん以外にも特攻に反対した人がいました。
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特攻を拒否した美濃部少佐

1945年(昭和20年)2月下旬、木更津の海軍航空基地で、
連合艦隊司令部により作戦会議が行われました。

そこで、赤トンボと呼ばれた「九三式中間練習機」を
特攻に投入することが発表されました。

「全軍特攻化」ですから、
練習機といえども特攻すると決めたのです。

赤トンボは、翼はもちろん羽布張りの複葉機で、
最大速度が200キロほどです。
迎え撃つグラマンはおよそ600キロ。

零戦による爆装特攻でさえ、成功が難しくなっているのに、
動きが遅く、防御装置もほとんどない練習機の特攻は、
どう考えても、いえ、航空のプロであればあるなど、
無意味であるとしか思えませんでした。

が、集められた航空部指揮官達は、
参謀長の言葉をただ黙って聞くだけでした。

すると、末席にいた
29歳の美濃部正少佐が立ち上がりました。

階級として、この会議では一番下位の飛行隊長でした。

「劣速の練習機まで狩り出しても、十重二十重のグラマンの
防御陣を突破することは不可能です。
特攻のかけ声ばかりでは勝てるとも思えません」

制空用戦闘機と少数の偵察機を除いて、全軍特攻化の
説明をした参謀は、意外な反論に色をなして怒鳴りつけました。

「必死尽忠の士が空をおおって進撃するとき、
何者がこれをさえぎるか!」

本によっては、参謀は「断じて行えば鬼神も之を避く!」
と怒鳴りつけたという表現もあります。

東條首相が大好きな精神力をあらわす言葉で、
多くの司令官が使いました。

問題は「精神」であって、技術や装備のジアリズムではない、
ということです。

それに対して、美濃部正少佐はなんと答えたか。

「私は箱根の上空で(零戦) 一機で待っています。
ここにおられる方のうち、50人が赤トンボに乗って来てください。
私が一人で全部たたき落として見せましょう」

同席した生出寿少尉が

「誰も何も言わなかった。美濃部の言う通りだったから」
と報告しています(『特攻長官大西瀧治郎』生出寿 徳間文庫)。

美濃部正少佐は、
芙蓉部隊という夜間攻撃部門の部隊の隊長でした。

厳しい訓練で知られ、
「これができなければ、特攻に出すぞ」と部下を叱咤しました。

大西中将の部下でしたが、徹底して特攻を拒否、
部下を誰も特攻に出しませんでした。

その代わり、夜間襲撃の激しい訓練を積み、
芙蓉部隊は確実な戦果を挙げました。

『彗星夜襲隊 特攻拒否の異色集団』
(渡辺洋二 光人社NF文庫)は、美濃部少佐の詳しい物語です。

赤トンボを特攻に出そうと言う参謀に、
こう言ったと紹介されています。

「いまの若い搭乗員のなかに、死を恐れる者は誰もおりません。
ただ、一命を賭して国に殉ずるためには、
それだけの目的と意義がいります。

しかも、死にがいのある戦功をたてたいのは当然です。
精神力一点ばかりの空念仏では、
心から勇んで発つことはできません。

同じ死ぬなら、確算のある手段を講じていただきたい」

こう言うと参謀は
「それなら、君に具体的な策があるというのか!?」
と興奮しました。

美濃部少佐は唖然とします。

参謀とは、作戦・用兵を立案するのが仕事です。
いわば、作戦専門家の参謀が特攻攻撃しか思いつかず、
一飛行長に代案を問うのです。

その愚かさに気づいていないのです。
美濃部少佐はさらに言いました。

「ここに居あわす方々は指揮官、幕僚であって、
みずから突入する人がいません。
必死尽忠と言葉は勇ましいことをおっしゃるが、
敵の弾幕をどれだけくぐつたというのです? 失礼ながら
私は、回数だけでも皆さんの誰よりも多く突入してきました。
今の戦局に、あなた方指揮官みずからが死を賭しておいでなのか!?」

誰も何も言いません。

美濃部少佐は、話を続けます。

燃料不足で練習ができず、搭乗員の練度が不足している、
だから特攻しかないとおっしゃるが、
私の部隊では飛行時間200時間の零戦搭乗員も、
みな夜間洋上進撃が可能だと。

通常、600時間から700時間でようやく夜間洋上飛行は可能でした。
200時間は驚異的な数字なのです。

それでも、指揮官達は動じない振りをして悠然と
タバコをくゆらすだけでした。

ここで、それなら赤トンボで出撃して下さい。
私が零戦一機で撃ち落としてみせます、という発言が出るのです。

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こういう記述もありました。
ここに登場する「呑竜」は、
7回目の出撃命令で佐々木さんが同行した
菊水隊の爆撃機の通称です。
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呑竜が所属する第五飛行団の小川小二郎団長は、
特攻に反対だった。

呑竜は、特攻ではなく呑竜本来の使い方で、
つまりは爆撃で活躍させたいと願っていた。

だが、第四航空軍の冨永司令官は、
「全力をもって特別攻撃隊を編成すべし」と命令した。

小川団長は、
何度も抵抗したが特攻隊としての出撃を拒否できなかった。

菊水隊の隊員に対して、小川団長は、
攻撃には万朶隊の佐々木伍長が一緒に行くと告げ、
佐々木のやり方が正しいと思うと話した。

「特攻をやる覚悟で行って、船を沈めて帰ってきたら、
立派なものだ。もしまた、状況が悪ければ引き返して
何度でもやりなおすのがいい。
佐々木のやっていることは、
これこそ特攻隊の最良の模範であると信じている」
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日本の伝統的思考法である組織の維持を最優先するのではなく、
国や個人の命がかかっている危急の場でも
目的を考えるという思考をする人たちがいたということを知り
日本人の良識に感心・安心しました。

昨今、頻繁に露呈している
企業の利益・存続のために不正をするという目的意識は
どう評価すべきなのでしょうか?


当書には、マニラの特攻隊現地総司令官が、
特攻兵を送りだすときに「自分も最後に行くからな」
と言っておきながら戦況が悪くなると
部下たちを置いて真っ先に台湾に逃げ出した
という厭な話も載っています。


実は、著者の渕上さんも思いのある方です。
あとがきにこういう記述があります。
私が「価値目標思考のすすめ」で記述した「前例・みんな主義」です。
この変革の時代、この思考法を改める必要性がありますね。
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現代の「所与性」の形

「命令した側」からすれば、「世間」の「所与性」とは、
「現状維持が目的」ということになります。

ずっと続いていることを、無理に止めることはない。

自分はそれを止める立場にはない。

そもそも、続いていることは、止めることより、
続けることの方が価値があるのだ、
という思いこみが「所与性」の現れです。

美濃部少佐が、
どんなに「全機特攻化」の愚かさを主張しても、
誰も率先して中止と言い出さなかったのは、その例です。

「世間」の中に生きている自分は、
「世間」の掟を変える立場にはないと、みんな思うのです。

ここでこの例を出すと、
反発する人もいるだろうと分かっていますが、書きます。

僕は毎年、夏になると、
「いったいいつまで、真夏の炎天下で甲子園の高校野球は
続くんだろう」と思います。

地方予選の時から、熱中症で何人も倒れ、
脱水症状で救急搬送されても、真夏の試合は続きます。

10代の後半の若者に、真夏の炎天下、組織として強制的に
運動を命令しているのは、世界中で見ても、
日本の高校野球だけだと思います。

好きでやっている人は別です。
組織として公式に命令しているケースです。

重篤な熱中症によって、何人が死ねば、
この真夏の大会は変わるのだろうかと僕は思います。

こう書くと、「純真な高校球児の努力をバカにするのか!」
とか「大切な甲子園大会を冒漬するのか!」と叫ぶ人がいます。

僕は「命令された側」の高校球児を尊敬し、感動します。

もちろん、大変だなあと同情しますが、
けなしたり悪口を言うつもりはまったくありません。

問題にしたいのは「命令した側」です。

ですが、怒る人は、
「命令した側」と「命令された側」を混同するのです。

「命令した側」への批判を、
「命令された側」への攻撃だと思うのです。

その構図は、「特攻隊」の時とまったく同じです。

僕が問題にしているのは、徹底して「命令した側」です。

毎年、日本の夏が厳しさを増していることは
みんな気づいています。亜熱帯と呼んでもいい気候に
なっていることをみんな知っています。

大人達の記憶の中の夏は、
こんなに暴力的に暑くはなかったのです。

けれど、いつものように、炎天下の試合は続きます。
甲子園大会は所与のものだからです。

昼の12時から3時までは試合を体上しようとか、
ナイターをスケジュールに入れようとか、
そもそも真夏を外して秋にしようとか、
そういう提案を主催者側がしておるという話を
僕は聞いたことがありません。

大人達は、誰も言い出さないまま、
若者達に命令するのです。

それもまた、とても、特攻隊の構図と似ていると感じます。

そして、高校野球だけが問題なのではなく、
みんななんとなく問題だと思っているのに、
誰も言い出さないから

「ただ続けることが目的」となっていることが、
この国ではとても多いのじゃないかと僕は思っているのです。

美濃部少佐のように、論理的に分析して、
何が必要かを堂々と言えるようになりたいと思います。

少なくとも、「夏を乗り切るのは根性だ!」とか
「死ぬ気でやれ!」とか精神論だけを語る人間には
なりたくないと思うのです。
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良い主張ですねーーーー。

2 件のコメント:

三重野 さんのコメント...

恥ずかしながら『所与性』と言う言葉のをこのブログで知りました。
勉強になります。
私に与えられたミッションでも、この『所与性』は大きな問題だと思いました。
真夏の甲子園、わたくしも同意見です。
地元で25年間、ミニバスケの指導者をしている立場から見ると、
高校野球の指導者が、何故「真夏の大会」を避けよう言い出さないのか、不思議でたまりません。
恐らく、喜んで見る人が居るから、炎天下でのプレーを礼讃する人が居るから止められない、異論をはさめない。
だから気付かない、もしくは気付かないふりをしているのかもしれません。
そう思いはじめてから、他の野球大会は見ても、甲子園だけは見ないようにしています。

上野 則男 さんのコメント...

三重野さん
深いコメントありがとうございます。
「所与性」について思いを馳せていただくことができてよかったですね。
高校野球について言えば、そのうちいつか意識不明者とかが続発して問題になるのではないでしょうか。すると「実はわたくしも問題だと思っていた」というようなことを言う人が続出する、という状況が目に見えるようですね。