2021年11月11日木曜日

縄文時代はなぜ1万年も続いたのか?つづき

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「縄文時代がなぜ1万年も続いたのか」をご研究いただきます。
 縄文人の自然との共生状態を知っていただきます。
ねらい:
 日本の歴史の素晴らしさを見直す必要があります。
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「縄文時代はなぜ1万年も続いたのか」につきましては、
2021.7.23の以下のブログで私見を述べさせていただきました。
上野則男のブログ: 縄文時代はなぜ1万年も続いたのか? (uenorio.blogspot.com)

このテーマにつきまして、以下の寄稿を見つけましたのでご紹介します。
ダイレクト出版㈱発行Renaissance Vol7掲載 
伊勢雅臣氏寄稿「SDGsは縄文文明に学べ」の抜粋です。
氏は、公益社団法人「国民文化研究会」理事、筑波大学非常勤講師です。
この論考は、広範な見識を基にして、
非常に分かりやすく解説されています。素晴らしい文章です。
したがって、原文のままをご紹介します。

「縄文時代はなぜ1万年も続いたのか」の答えは、
「縄文人の自然と共生する知恵のおかげである」ということです。

前略
【「持続可能性」の世界最古のお手本】
(上野注:そういうことなのですね!!)
しかしSDGsに取り組んでいる多くの方々は
「持続可能性」の世界最古、かつ最も長期間、持続したお手本が、
実はわが国にあることをご存じないようです。
それは縄文文明です。

環境考古学専門の安田喜憲・立命館大学環太平洋文明研究センター長は、著書「森の日本文化」の中で次のように述べています。
ーーーーーー
縄文文化が自然との調和の中で、高度の土器文化を発展させ、
1万年以上にわたって一つの文化を維持しえたことは、
驚異というほかない。
縄文文化が日本列島で花開いた頃、ユーラシア大陸では、
黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明、
長江文明など、農耕に基盤を置く古代文明がはなばなしく展開していた。

東アジアの一小列島に開花した縄文文化は、
こうした古代文明のような輝きはなかった。
しかし、これらの古代文明は強烈な階級支配の文明であり、
自然からの一方的略奪を根底に持つ農耕と大型家畜を生産の基盤とし、
ついには自らの文明を支えた母なる大地ともいうべき森を食いつぶし、
滅亡の一途をたどっていく。

それに対し、日本の縄文文化は、たえず自然の再生をベースとし、
森を完全に破壊することなく、
次代の文明を可容する余力を大地に残して、
弥生時代にバトンタッチした。
それは、共生と循環の文明の原点だった。
ーーーーーー
従来の文明観では、
旧石器時代に狩猟採集による移動生活を送っていた人類は、
1万2千年前ぐらいから世界の各地で農耕と牧畜を始めて
ようやく定住が可能となり、そこから文明が始まったと考えていました。

しかし、古代文明が生まれたチグリス・ユーフラテス川、
ナイル川、インダス川、黄河の流域はいずれも砂漠化しています。
森を切り拓いて畑にすれば、
樹木がなくなることで表面の土壌が失われてしまいます。
牧畜をすれば家畜が草の根まで食べてしまうので、
植生が失われ、土壌が劣化します。
これらの古代文明は自然との和を持たず、
それゆえ持続可能ではなかったのです。
(上野注:なるほどそうなのですね!!!)

この文明観から完全にはみ出しているのが縄文文明です。
約1万6千年前から狩猟や採集のまま定住生活を始めたのです。
そのために農耕と牧畜による自然破壊とは無縁でした。

【なぜ縄文文明は持続可能だったのか】
日本列島では海の水蒸気を含んだ風が高い山にぶつかって、
多量の雨や雪を降らせます。
年間降水量1700ミリは、温帯では世界トップクラスです。
豊富な水量に恵まれて、深く豊かな森林が列島を覆い、
木の実やキノコなどが豊富にとれました。
イノシシやシカ、ウサギなどの動物も豊富でした。

周囲の海は寒流と暖流がぶつかり合う世界有数の豊かな漁場をなし、
しかも急峻な山が複雑な海岸線を作り、
漁や潮干狩りには好適な入り江が各地にできていました。
この豊かな自然の恵みの中で、縄文人は農耕や牧畜などしなくとも、
狩猟や採集だけで定住生活を営めたのです。

とはいえ、何の智慧もなく、
ただ自然の恵みを受けとっていたわけではありません。
それぞれの食材の「持続可能性」をよく考えながら、
その恵みをいただいていました。

縄文時代の貝塚でシジミやハマグリの貝の断面の成長線を調べると、
全体の70%は4月から6月にかけて食べていたことがわかっています。
現代の潮干狩りと同様で、この時期が最も脂がのっているのです。

春にはイワシ、ニシン、
夏はアジ、サバ、クロダイ、秋はサケ.ブリ等々、
季節によって獲れる魚も多種多様でした。

さらに秋にはクリ、クルミ、シイ、トチなどの木の実を集め、
これらを長期保存して食べていました。

冬は脂肪を蓄えたキジ、ヤマドリ、カモなどを狩ります。
イノシシやシカなどの大型動物の骨も出てきますが、
幼獣の骨はあまり見つからず、また歯の分析からは、
冬の季節にしか捕獲されていないことがわかっています。
それらが絶滅しないよう、他の食物の少ない冬に限定し、
成獣だけを獲っていたのです。
ともに生きる自然への深い配慮が窺われます。

縄文遺跡からは獣60種類以上、魚70種類以上、
貝350種類以上の残滓が見つかっています。
これだけの多種多様な食材のそれぞれを絶滅させないように
「どこでいつ、どれだけ獲るべきか」を考えながら狩猟採集していました。

自然の荒廃を無視して森林を切り拓き、麦だけを植え、
羊や牛だけを育てる古代の農耕牧畜より、
はるかに複雑広範な知識を、縄文人たちは持っていたのです。
(上野注:スバらしいことですね!!)

食材の多様性をさらに大きく広げたのが、土器でした。
土器による煮炊きによって、木の実のアクを抜き、
植物の根や茎を柔らかくして食べやすくし、
魚や獣の肉の腐敗を防げるようになったのです。
土器は通気性や通水性によって表面の水分が気化して低温を保つので、
食物の長期保存を可能としました。

実は世界最古の土器は日本列島で見つかっています。
青森県大平山元遺跡から出土した16500年前の土器です。
世界の他の地域では、
南アジア、西アジア、アフリカでの最古の土器は約9千年前、
ヨーロッパが約8千5百年前で、
これらに比べると日本の土器は飛び抜けて古いのです。

【神話、言語、脳に表れた和の自然観】
こうして豊かな自然に抱かれて1万年も過ごしていたら、
人間も自然の一部であるという生命観を持つようになるのも
当然でしょう。

日本画家で日本神話に関する著書も多い出雲井晶さんは、
次のように指摘されています。
ーーーーーー
古代人は、ものをただの物体とは見なかった。
そして、すべてを神の命の現われ、神の恵みと視た。
すべてのものに神の命を視たからこそ、
ありとあらゆるものに神の名をつけた。
例えば、小さな砂つぶにさえ「石巣比売神(いわすひめのかみ)」
木は「久久能智神(くくのちのかみ)」
山の神は「大山津見神(おおやまつみのかみ)」
というように、それぞれにふさわしい名がつけられている
(「今なぜ日本の神話なのか」)
ーーーーーー

縄文人が草花も自分たちと同じ仲間とみなした生命観は、
日本語に表れています。
目と芽、鼻と花、歯と葉、頬と穂など、
人体と植物の間で語源が共通しているのも、
我々の先祖は植物も人体も同じとみなしていたからだ、
と万葉学者の中西進氏は指摘しています。
(「ひらがなでよめばわかる日本語」)

また、西洋人や中国人、韓国人などは、
虫や動物の鳴き声、波や風、雨の音、小川のせせらぎなどを
雑音や機械音と同様に右脳で聞くのに対し、
日本人は言語と同様に左脳で聞いていることを、
東京医科歯科大学の角田忠信名誉教授が発見しています
(「右脳と左脳」)。
日本人は、虫の音、小川のせせらぎを「音」としてではなく、
自然の「声」として聞いているのです。(注)

縄文文明の「持続可能性」を実現したのは、
このような和の自然観でした。

「右脳と左脳」についての上野注:
これは湯川秀樹先生もびっくりされた角田先生の大発見なのです。
自然の音を左脳で聞くのは、
音の意味を解釈しようとしているからなのです。
角田先生の調査によると、なぜかこういう脳を持っているのは、
世界でポリネシア人と日本人だけなのだそうです。
正確には、ここでいう日本人とは、日本語族のことで、
幼児期に日本語で育った人です。
ポリネシア語と日本語に共通しているのは、
母音中心言語だということです。

むすび
縄文人のまさに「生活の知恵」はよく分かりました。
しかしなぜそのような知恵が生まれて、
かつ全国に一般化したのでしょうか?
不思議です。

それと自然との共生は素晴らしいことですが、
生存持続能力としては限界があったことも確認しておく必要があります。
縄文時代人は、日本全国で、2万人からスタートし
縄文中期に26万人に達しましたが、縄文晩期に8万人に急減しています。
寒冷化によって、
この生活様式ではその程度の人口しか維持できなかったのです。
かろうじて生き延びた状態でした。
生き延びられたのは、
寒冷化の終了とかも含め、奇跡に近い状態だったのかもしれません。

2 件のコメント:

宮義明 さんのコメント...

縄文時代は日本の歴史区分で、世界史的にみると新石器時代に相当します。新石器時代と旧石器時代の大きな変化は、狩猟採集から牧畜、農耕を行うようになったことなんですね。
旧約聖書の創世記に神の戒めを守ることのできなかった人類始祖アダムとエバの失楽園物語があります。エバはカインとアベルを産みます。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となったとあります。これを見ると聖書がしるす失楽園物語は、今から約1万年前のことで、人間が背負うことになる原罪の発祥がこのときなのかと感じました。

上野 則男 さんのコメント...

宮さん
貴重なご意見、ありがとうございます。
スケールの大きなところに話を持っていきましたね。
縄文時代は、新石器時代に農耕・牧畜に頼らず自然の恵みを大事にして生きた、
ということで、今のSDGsの先駆者です。先見の明がありましたね。