目的:
亀井静香氏による政治家紹介を知っていただきます。
ねらい:
「事実は小説よりも奇なりです」ぜひ本書をお読みください。
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本書の副題には「日本をダメにした101人」とついていますが、
おそらくこれは、
出版社がセンセーショナルにするために勝手につけたものでしょう。
亀井氏は「はじめに」でこう述べています。
本書には、俺自身を入れて101人の政治家の素顔、
そして永田町の知られざるエピソードを記した。
だが書きながら、
はたして俺たちは日本をよくすることができているのだろうか、
むしろダメにしてしまったのではないか、と省みることも多かった。
政治家とは何か。この国をよき方向へ導いているか、
それとも誤らせているのか。
その判断は、読者の皆さんが下してほしい。
ダメにしたとは断定していないのです。
書名からすると、登場人物をこき下ろすのかと思えますが、
決してそうではなく、
まじめに「政治家の素顔やエピソード」を伝えており
非常に興味深く、かつ、たいへん貴重なものだと思いました。
こういう内容は亀井さんでないと書けないでしょう。
「こんなおもしろい本は読んだことがなかった」くらいです。
私は、亀井さんと大学の同期です。
私は空手部に所属し、道場で定期的に練習をしていました。
彼は道場の端っこの方で、
合気道の稽古を多分いつも一人でやっていました。
「何をやっているのだろう?きたない(稽古着の)男だな」
という印象がありました。
彼は、駒場の学生寮で、
「イヌを殺して食べた」という風評?を立てた男でした。
彼が合気道部を創設し、
その後空手部と肩を並べる武道の部に育てました。
亀井氏は、知る人ぞ知る「政界の暴れん坊」で、
政界に疎い私は、彼のことをあまり評価していませんでした。
しかし、この本を読んでその印象、悪いイメージは一掃されました。
しっかりした見識が窺えました。
100人はこういう分類をされています。
第1章 令和を生きる14人 安倍晋三ほか
第2章 昭和を築いた13人 中曾根康弘ほか
第3章 平成を駆けた31人 後藤田正晴ほか
第4章 自民党と対峙する21人 仙石由人ほか
第5章 因縁と愛憎の21人 石原慎太郎ほか
この本を読んでいると、その器でありながら、
総理になれなかった人が、
亀井さん本人を含めたくさんいることが分かります。
総理になれるのは、まさに「時の運」だと思われます。
どの人のものも「素顔とエピソード」が満載なのですが、
2人分だけご紹介します。
政治家に関心のある方はぜひ本書をお読みください。
「読んでみたい」と思う代表的な副題の人を以下に示します。
田中真紀子 俺だけが知る「女親分」の真の姿
辻元清美 「初の女性総理」はこの人かもしれない
岡田克也 「地蔵さん」だが、それも悪くない
橋下徹 国政進出は失敗だったが、チャンスはある
以下に2人の内容の転載をします。
1.石原慎太郎 「石原総理」誕生のために走り回った夜
芥川賞作家でありながら、
衆議院議員から都知事にまで登りつめた石原慎太郎は、
あけすけで開けっぴろげの性格だから、俺とは実に気が合った。
初めて会ったのは、俺が初当選して間もない頃、
自由革新同友会(中川派)でのことだ。
当時の自民党の政治家には珍しい、都会育ちのしゃれた男。
それが慎太郎だった。
第一印象では生意気な野郎だと思ったが、
今日まで盟友として付き合うことになるのだから、縁とは不思議だ。
あいつはやんちゃで我が儘だし、
俺と一緒で相手の機嫌をとって物を言わない。
だから喧嘩も一度や二度じゃない。
「お前は文学者じゃない」「お前の『太陽の季節』なんて、
男のシンボルで障子破っただけの話だろう?」と言ったら、
「何だと!」と怒ってビールをかけられそうになった。
政治的な話でも(中略)
ただし、あいつは文明を観る鋭い目を持っている。
想像力やアイデアもある。
そういう点では政治家というより、文学者なのだ。
石原には人を利用するとか、偉くなりたいとか、
金儲けしたいという俗世間の欲望がまったくない。
そんな純粋な奴だから、喧嘩してもその場かぎりのことで、
後にはひきずらない。
石原はその点でナイスガイだから、
俺はあいつを総理にしたくて担いだことがあった。
89年の宇野内閣倒閣の時のことだ。
就任間もない宇野宗佑首相は、
複数のスキャンダルで就任後2か月余りで退陣に追い込まれた。
次の総裁候補として、竹下派は河本派の海部俊樹を推し、
宮沢派は林義郎を推した。
竹下派は総裁選では自前候補を出さず海部を引っ張ってきたが、
主流派だったから他派閥への影響力は強い。
俺は当時清和会を破門され自由の身だったし、
他の候補者が気に食わなかった。
それで平沼赴夫や園田博之とともに、
清和会に戻っていた石原を担ぐと決めたのだ。
だがそこからが大変だった。(中略)
結局、総裁選では48票しか獲得できず、
石原は負けてしまったが、悲愴感はまったくない。
石原は「亀ちゃんのおかげであれだけの票が取れたんだもんな」と言うが、
石原のためにみんなで奔走したのは、いい思い出だ。
13年半務めた都知事を辞めたのは、
石原新党結成をけしかけた俺にも責任がある。
結成していたら石原の総理への道もあったと思うと、残念だ。
お互い歳は食ったが、
平沼と一緒に、白波五人男ならぬ白波三人男として、
やりたいことのために暴れまわれたら本望だ。
注:石原さんは、小池知事のことを「年増の厚化粧」と言って
話題になりましたが、マスコミのバッシングを受けなかったのは
こういうお人柄なのだからですね。
2.徳田虎雄 運命にも屈せぬ「虎と亀」の友情
德田虎雄という男は俺が政治家として、
そしてなにより人間として尊敬している人物だ。
医者だった德田さんは、「命だけは平等だ」というスローガンを掲げ、
医療法人「徳州会」を設立。
「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会」
をモットーに抜本的な医療改革を実行しようとした。
日本の病院はそうではなかったんだ。
たった一人で革命をやろうとして、
日本医師会という最強の組織と正面からぶつかることになった。
上野注:
亀井氏は、「德田さん」とさん付けしていますが、
德田さんは昭和13年の寅年生まれですから、
亀井氏の方が少し年上のはずです。
「石原」と呼び捨てにしても「德田」とは言わないのですね。
徳田虎雄さんは、琉球徳之島の出身です。
離島のため適切な医療を受けられないでの身内の死を体験して
医師を目指しました。
そうして「いつでも、どこでも、誰でも」の医療の実現を目標に
徳州会という医療法人を作られました。
德田さんは、寸暇を惜しんで働きました。
「トイレの時間を短くするために歯磨きをしながら体を大きくゆする」
などを聞きビックリした記憶があります。
徳州会設立の時も、その後も医師会の抵抗は続きました。
それで、抵抗に対抗するには政治の力が必要だということで
政治の世界に入ったのです。
2019年現在、全国に71病院、30診療所を擁しています。
たいへんな力です。
エゴのために動く日本医師会は、コロナ対応でも岩盤となっています。
そのエゴは、断固排除すべきです。
彼と出会うきっかけは石原慎太郎だった。
石原がやっていた自民党内の有志の勉強会「黎明の会」の事務所が
山王グランドビルにあった。
同じビルに徳洲会の東京本部もあり、石原と德田さんは顔見知り。
黎明の会に出入りしていた俺も、挨拶する機会があった。
その後、德田さんは国会議員に当選すると、
陳情ごとで俺のところにやってくるようになった。
当時は中選挙区の時代だったが、
德田さんの選挙区である奄美地方は日本唯一の一人区で、
自民党の保岡興治さんの牙城だった。
そこに殴り込みをかけたのが德田さんだ。
「保徳戦争」と言われる日本一熾烈な選挙戦を繰り広げ、
83年の最初の選挙は約1000票差で落選。
3度目の挑戦、90年の総選挙でようやく勝ち上がった。
しかし德田さんは無所属の身で、
当選しても政策を実現するのは難しかった。
「もっといい医療を全国展開するんだ」と語る彼に共鳴した俺は、
「よし、俺が用心棒をやる」と応え、バックアップを決意した。
自民党広しといえども、この仕事は俺にしかできなかった。
なぜなら、自民党のほとんどの議員は医師会の支援を受けているから、
敵に回せないのだ。
93年の選挙で德田さんが2度目の当選を果たしたときは、
一旦は自民党への入党が認められたのに、
医師会の政治団体である日本医師連盟が猛抗議して、
9日後には追い出されてしまったくらいだ。
その点、俺は一切医師会の世話になっていないから、
気兼ねする必要がなかった。
俺は德田さんのためなら何でもやった。
中略
沖縄や奄美に対する予算付けも、全部俺がやった。
ただ、德田さんや自分の利益のためにやったわけじゃないことは、
はっきり言っておく。
德田さんの陳情も私欲ではなく、
沖縄や奄美のために必要なことばかりだったから、何とかしたんだ。
そこには「虎」と「亀」の友情があった。
そんな德田さんは筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、
05年の総選挙で出馬を断念、引退する。
あれだけ馬力のあった人が体を動かせなくなるなんて、
運命はあまりにも非情だ。
中略
德田さんと最後に会ったのは、10年の参院選の頃だ。
俺が奄美に行って集会を開いたとき、
德田さんは「比例は国民新党(亀井さん)を支援する」
と表明してくれた。
当時の国民新党は厳しい状況だったが、本当に義理人情に厚い男だ。
彼は俺と一緒でモノへの執着もない。
常に世の中のために全力で邁進した。
俺たちの関係は、亀の背中に虎が乗っているようだったと言うと、
格好をつけすぎだろうか。
徳田虎雄はその名に恥じぬ英雄だと俺は思っている。
蛇足 田中真紀子 俺だけが知る「女親分」の真の姿 抜粋
俺がトイレで小便をしていたら、
隣に直紀(眞規子の旦那)がきて小便を垂れはじめた。
そのときチラッと見たんだが、でけぇ、でけぇ。
でかいってものじゃないほど、大きいのだ。
俺がミジメになってしまうほどだったが、
これでは眞規子が離さないと思ったものだ。
中略
眞規子の器がもう少し大きければ、
日本初の女性総理になっていたかもしれないと思う。
一度はそういう座につけたかった。
1 件のコメント:
いつも拝読しています、元コン研 松田と申します。
「徳田虎雄さんは、琉球徳之島の出身です」とありますが、
琉球=沖縄では無く、徳之島は奄美大島群の島です。
奄美出身者として一言、言わずにおれませんでした。
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