2015年9月30日水曜日

空手が2020東京五輪の推薦種目になりました!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 空手について考えていただく。
 私の思い出話を聞いていただく。

ねらい:
 空手に関心を持ってください。

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ご承知のように、空手は、
2020東京五輪の日本からの追加推薦5種目に入りました。

実は私は、
1960年の全日本学生空手選手権大会東西対抗個人戦の部で
まぐれでベスト8に入りました。

個人戦は全国の代表学生64人によるトーナメント制で
3回勝てばベスト8になるのです。
その時のスポーツ新聞に
「東軍でベスト8に残ったのは
○○と組み合わせに恵まれた上野の二人だけ」と書かれましたから
やはりマグレなのです。

因みに、
なぜ私が東軍の選手に選ばれたかというと、こういう事情です。、
その前に開催された関東大学空手道選手権大会で
我が校が3位にになったので、1人の枠が与えられました。
他に希望者がいなかったから?私が出たのです。

その時の試合で私は、拓大の巨漢を相手に反則負けしています。
こんな細い男(当時は60キロ弱)が
巨漢に対して反則(「いじめ」)しているなんで
おかしくありませんか?
審判の贔屓だと思いましたね。

当時の空手は試合制度ができたばかりでした。
日頃の稽古では、喧嘩を思っていただければお分かりのように
本当に強いものが絶対に強いのです。
弱いものは叩きつけられたり押しつぶされたりして終わりでした。

ところが試合となると一発勝負です。
作戦を考えて相手の弱みや油断をつけば
一瞬で勝てるのです。

しかも本格的に当ててしまうと「反則負け」になってしまいます。
「寸止め」と称して、ぶち当てる直前で止めるのです。
現に私の第3回戦の勝ちは相手の反則負けでした。
反則勝ちは自慢になりません。

因みに4回線目の相手は当日の優勝者で
抜群の安定感を誇る勇者でしたから仕方ないですね?

ですから、空手の試合制度は50年強の歴史しかありません。
その間に審判制度もずい分進歩したと思いますが
「一本」か「技あり」か「反則」かは審判の判断次第の面があります。

あの分かりやすい柔道でも誤審があるのですから、
五輪競技としてどこまで一般の方の理解がいただけるかは
課題ですね。

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ところで我が空手部に、現在は日本体操協会の会長をしている
元ジャスコ社長の二木英徳氏がいました。

空手については稽古熱心な部員ではありませんでしたが、
現在は、日本の体操競技の維持強化のために
余人をもって代えがたい貢献をしています。

私は二木氏にはずい分お世話になっています。
1984年にMIND-SA事業を始めた時に、
そちらも社長になりたての二木氏が部下に指示をしてくださって
MIND-SAの第1号契約者になっていただきました。

その後、MIND-SAは破竹の進軍で
250社に導入いただくまでになったのです。
大恩人です。

空手が五輪種目に採用されて、
皆様で楽しめるときが来ることをお祈りしましょう。

2015年9月29日火曜日

ラグビー「奇跡」の勝利「目標でなく『答え』を追求する!」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 エディの起こした「奇跡」の秘訣を探りましょう。
 「奇跡は起こすことができる」という主張をご紹介します。
 目標より目的が大事ということを理解していただきます。

ねらい:
 皆様も「目的」を定めて精進いたしましょう。
 関心を持たれたら
 「ストーリー思考で奇跡が起きる」を読んでみてください。

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ご承知のようにW杯イングランド大会の1次リーグで
日本代表はW杯過去2回優勝の強豪南ア相手に
W杯24年ぶりの勝利をいたしました。

エディ・ジョンーズヘッドコーチ(監督)は
名采配で日本チームを率いてきたのですが
「1次予選で1勝すれば好成績を残せる。
その相手は南アだ。
それは目標ではなく出すべき答えだ」
と言われてきたそうです。

上背で勝る南アチームを想定して
低いタックルを徹底的に練習しました。
正確なパスをするために生卵でパスの練習もしていました。

その結果、絵にかいたような逆転勝利でした。
エディさんはスゴイ方です。

目標でなく得るべき答えだというのは明言ですね。
目標だと、何か上にあるもの、希望とかの感じですが、
実現すべき答えだ、と言われるとMUSTの感じになります。

この情報は2015.9.27の「新報道2001」です。
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たまたま、,「講演会コンサルタント」小山竜央さんという方の書かれた
「ストーリー思考で奇跡が起きる」という本を読みましたら
以下のような文言がありました。















 「目標達成ではなく目的達成を目指しなさい。
 目標はいつも上にあるもので、その実現が進捗しないと
 ストレスになってしまい、場合によってはギブアップしてしまう。

 目的はそんないい加減なものではない。
 本書ではその目的を「テーマ」ということにします」

目標でなく、結果を求めましょう、という趣旨では同じです。

実は、当社が提供してまいりましたMIND-SAも
1995年からその中核部分を「目的達成手法」と称しています。

その趣旨は、これは「(受身の)問題解決」手法ではなく、
自ら目的を設定しその実現を目指す手法である、
ということでの命名でした。

精神は同じです。

ご参考までに、
「ストーリー思考で奇跡が起きる」で述べておられる
奇跡が実現できるまでのプロセスは以下のようになっています。

1.「テーマ」を決める
 自分は何を目指すのかを決める。
 
 「目標達成を追い求めるのではなく、
 もっと大きな視野を見据えた
 「目的達成」を目指すようにしてください」

 ここで、こういう紹介がありました。
 
 「アメリカのジャーナリスト、スラリー・プロトニック氏は
 あるビジネススクールの学生1500人を対象に、
 「今すぐ夢を追い求めるか?
 それとも先に経済的な安定に役立つ職業を選ぶか?」
 という質問をしたそうです。
 
 その結果、1245人が、
 「経済的な安定を確保してから夢を追いかける」
 と回答しました。  

 つまり、83%の人が目標達成思考をしたわけです。
 
 それから20年後、
 1245人のうちで大富豪になっていたのは僅か1人、
 つまり0.08%の成功率だったといいます。

 それと比べ、「今すぐ夢を追いかける」
 と答えた255人はどうなっていたか。
 実に100人が経済的な大成功を収めていました。
 こちらの成功率は39%です。
 (実に約500倍!!)

 彼らが実践している考え方こそ、
 本書で紹介したい「ストーリー思考」なのです。

2.「イベント」を起こす
 テーマの実現のために何かを行動(イベント)しなさい。
 無理矢理でもイベントを起こさないと、
 テーマの進展は期待できません。

3.「ストーリーボード」を書く



























 毎日、テーマの実現に対して進んだか下がったかを
 見える化しなさい。
 そうすると励みになります。

4.「種」をまく
 時には充電期も必要。

5.「見直し」をする
 場合によっては「テーマの見直しを行う。

6.「協力者」を作る
 協力者となる人を探し出して、その力を借りましょう。


そうすると、いつか奇跡が起きます。
ということです。

「奇跡」が起きる人はいるのでしょうが、
そうそう多くはないでしょう。

しかしこのアプローチは、
必ずしも奇跡を期待するのでなければ、
非常に有効な目的達成手法だと思います。

これは、過去多くの偉人達・成功者たちが提唱してきた
「成功の方程式(稲盛和夫氏)、「念ずれば通ず」
の原理です。

エディヘッドコーチは、
青山学院大学の箱根駅伝優勝を公約どおり実現した
原監督に次ぐ偉人です。

目的を決めてそのために努力する成功事例が
どんどん生まれてほしいですね。


2015年9月27日日曜日

新国立競技場建設の責任問題(続き)

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 新国立競技場建設の責任問題を再確認していただく。
 下村大臣の引責辞任は残念であることを共有していただく。

ねらい:
 責任の明確化は重要であることを肝に銘じましょう。

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私は、7月19日の当ブログ
「新国立競技場建設の無責任体制の全容」
http://uenorio.blogspot.jp/2015/07/blog-post_19.html
で以下のような総括をしました。

1.JSCがすべてを取り仕切った責任者
2.有識者会議の無責任
3.デザイン競技審査委員会が直接責任者
4.JSCが委嘱した専門家の技術調査は形式的
5.ザハの売名・無責任
6.最終的には文科相の責任

つまり、JSCが、
有識者会議とか専門家の技術調査とか形式を整えて
まともに「科学的」公正に検討しているように見せかけて
思うように仕切ったというのがその時の私の見解でした。

しかるべき人たちに「いいんじゃないの」と言わせた、
ということです。

ご承知のように
9月24日に「第3者委員会」の調査報告が出ました。

それを受けて行われた
9月27日のフジテレビ「新報道2001」の報道で、
新国立競技場建設の責任者ではないはずの
東京五輪競技大会組織委員長である森喜朗氏が
影の責任者であるようだということが分かりました。

有識者会議で「3000億円超えたっていいんじゃないの」
との発言があり流れがそうなったということでした。
元総理の発言の重みということでしょう。
他の無責任者がその発言に乗ったということになります。

責任者がはっきりしないので、
そういう無責任が起きるのです。

前回の私の見解はほとんどそのとおりだったのですが、
森喜朗氏に影の責任者だったということを見落としていた、
ということです。

JSCが責任をとるのは当然として
下村文部科学大臣も責任を取らされました。

責任論から言えば当然のことなのですが、
当日の新報道2001で
平井文夫フジテレビ解説副委員長が
こういう発言をしていました。

「下村さんは
日本の教育改革にたいへんな力を発揮しておれれる。
下村さんでなければ教育改革はできない。
オリンピックと日本の将来を決める教育改革と
どちらが重要なのか」

私もまったくそのとおりと思います。

安倍総理も下村大臣を評価されていますから、
苦渋の決断でしょうが、
責任論というのは難しいものですね。

下村さんはいずれ教育行政に戻られるでしょう。
その間、日本の教育改革は
残念ながらしばらくお休みですね。

2015年9月26日土曜日

「道端の経営学」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 成功する事業戦略はどういうものかを知っていただきます。
 こんな楽しく有益な経営実務書があるのだ
                 ということを知っていただきます。
 
ねらい:
 ぜひ「道端の経営学」をお読みください。

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「道端の経営学」は、
アメリカの大学の3人の教授たちが書いた素晴らしい本です。

3人は
MBAの事業戦略クラスを受け持つビジネススクールの教授です。、

なぜか共通するのは離婚していること、
その3人が語り合って全米のユニークな事業で成功している
小さな店や企業(スモールビジネス)45事業所を
レンタカーで訪問して取材したレポートです。

一つ一つがとても興味深い事実・物語です。
決して経営「学」の本ではありません。

事業戦略がテーマです。
どのような事業戦略が成功するのだろうか、
という関心が持たれそうですが、著者たちの結論はこうです。

(著者の一人である)マイクの法則

 すべての戦略的課題の答えは「場合によりけり」である。

 結論1
  答えを見つけ出す秘訣は、それが「何によりけり」かを知ることだ。

 結論2
  課題の答えが「何かによりけり」でなければ、
  それは戦略的課題ではない。

その解説を原文のままご紹介します。

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具体的な例をあげよう。

新規参入を目指すスモールビジネスは、競合他社と比べて
高品質か低品質か、そのどちらの商品で市場に参入すべきか? 

つい「質の高い商品のほうが有利だ」と答えてしまいそうだが、
高品質な商品を扱っている企業のほうが必ずしも
業績がいいとは限らない。

例えば、ウォルマートは品質では勝負していない。
安さを前面に打ち出し、
価格に敏感なマス・マーケツトを対象にしている。
その対極に位置するのがアップルだろう。

アップルの製品は間違っても低価格ではない。

彼らは圧倒的に高品質なユーザー体験を提供することで、
世界で最も価値の高い企業へと成長したのだ。

となると、スモールビジネスの経営者が目指すべきは
ミニ・ウォルマートか、それともミニ・アップルか? 

マイクの法則によれば、
答えは「それぞれの企業が抱える課題や、
それぞれの市場状況によりけり」となる。

本書では、旅で出会った興味深い戦略をたくさん紹介するが、
成功例をそのまま真似ることはお勧めしない。

成功例を知るだけでは充分ではない。
なぜ成功したのか、その理由をしっかりと
理解する必要があるからだ。

理由を理解して初めて、「場合によりけり」の意味がわかり、
自分の店や企業にも応用できるかどうかを
見極められるからだ。

難しそうに思えるかもしれないが、
実際、なかなか面倒である。

だが、私たちが話を聞いた経営者のなかで、
自分が直面している問題を簡単だと考えていた者は
ひとりもいなかった。

そしてあなた自身がその難しさに直面した時でも、
本書で扱うフレームワークを用いれば、
うまく考えを組み立ててより良い意思決定を行えるはずだ。

最後にひと言。高校か大学で経済学を習ったが、
少しも面白くなかったというあなた・・・・心配はいらない。

マイクの助言に従って、本書では数式を省いておいた

(もちろんグラフもない!)。
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なるほど、そうですね!!!

具体的な事例をご紹介しましょう。すべてこんな感じなのです。

JR’s TBA(タイヤとブレーキの調整工場)の事例
JRはオーナの名前です。

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JRは、最初に雇った整備士に一部、歩合給制を採用した。
「月々、ちゃんとカネが受け取れるようにしました。
固定給を決めて、あとは彼がやった仕事の売上から
一律の歩合を渡したんですよ。

働けば働くほど、カネがもらえる。
俺に仕事がある限り、ヤツにも報酬が入る。
そうやって順調にいき、
ついに整備士を6人雇うまでになりました」

(中略)

「この仕事で重要な点は、クルマの修理中に、
整備士が新たな修理箇所を見つけ出す可能性である」

JRがこう説明する。

「客にオイル交換を頼まれれば、オイルを換えますよね。
客からカネを搾り取ろうなんて考えちゃいない。
だけど、
整備士は作業のために車をリフトに乗せて持ち上げます。

そしたら、何が見えます?
オイルを交換するが、ブレーキも点検する。
無料でタイヤの空気圧を確かめてるうちに、
緩んでる部品も見つかる。
客のニーズが見つかるかもしれない。

それを指摘して、客が注文してくれりゃ、
こっちの儲けになるわけです。
だけど、そのためには整備士にそう教えなくちゃなりません。

ヤツらは
『なぜ、そんなことをするんです?
そんなことに構わなければ、さっさと修理を済ませられるのに』
と思うでしようから。

だけど俺としちゃあ、仕事は徹底的にやってほしいんですよ。
客のニーズを見つけてほしいんです。
そうすりゃ俺は客にこう言えますから。

『タイロッドが緩んでますよ』すると調整を頼まれ、
タイヤ交換もできるかもしれない。

俺が見ていない時でもそこまでやるように叩き込んでおけば、
安心して仕事を任せられます」

となると、
整備士が顧客のニーズを見つけることで会社の収益が増え、
それに応じて歩合を支払うことで、
JRは自分と整備士の利益を一致させられたと思うだろう。

ところが、そうはうまくいかなかった。
整備士は顧客のニーズを探すことに力を入れ過ぎて、
強引に修理を勧め、
さらには必要のない修理まで押し売りし始めたからだ。

その結果、顧客は機嫌を損ね、
長い目で見て損失になったとJRは考えている。

この歩合給制は失敗だった。
整備士は目先の利益にとらわれ、
顧客との間で、継続的で価値のある関係を結ぼうという
考えにまで至らなかったのだ。

この例は、成果主義の重要な問題点を指摘している。
すなわち、
間違った評価基準で成果を測ると、
時間給を採用したり、従業員を直接監督したりするよりも、
もっと悪い結果を招きかねない。

JRの場合、
彼が望んでいた顧客のニーズを整備士は見つけ出した。
だがそれが行き過ぎて、
顧客が望まない、不必要な修理まで勧めてしまった。

ある評価基準を用いる時、プラスもマイナスも含めて、
それが従業員のどんな行動を引き起こすのかを、
前もって充分に考えておく必要がある。

間違った評価基準によって
利益よりも損失が生じた場合には、
別の評価基準を見つけ出すか、
そもそも成果主義を採用しないことだ。

JRは現在、トップの整備士にのみ出来高払い制を採用して、
他の整備士には時間給制で支払っている。

スピードを重視するがゆえに、
作業の質が疎かになることを恐れたからだ。

「それで、このビデオカメラは何のためです?」とポール。

JRのデスクの背後には、作業場の監視カメラに接続した
監視モニターが並んでいたのだ。

「彼らに盗みをさせないためです。
もちろん部品泥棒は問題だけど、
それについちゃ、俺もヤツらを信用してます。

だけど、時間泥棒っていうのもありますよね。
俺がいない間に、怠けてもらいたくはないんでね」

整備士の働きを生産高で測ることには限界があるため、
JRは整備士の仕事ぶりを直接、モニターで監視しているのだ。

成果主義のインセンティブ制が「アメ」の効果を持つのに対して、
監視は、繰り返し不正を働く従業員に罰を与えるか
解雇を言い渡す「ムチ」の働きを持つ。

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小さな事業所なので
オーナの見える範囲で試行錯誤をすれば、
それなりに良い結果を得ることができたのです。

中内功さんの成功だってそうでした。
ところが、
大きくなりすぎて目が行き届かなくなって経営が行き詰りました。

行き詰まり原因は
基本的には、「消費者は安いだけを求めているのではない」
ということに気がつくのが遅かったからですが、
もし中内さんが店長でやっておられたら、
早くにそのことに気がついたと思われます。

成果給は、
一時日本の大企業がこぞって導入しましたが、
揃って失敗し撤回しました。
富士通の例が有名です。

私が見るところでは、失敗原因はこうです。
成果をどうやって評価するかの技術論に走り、
何のために成果給を導入するのか
という本質論をなおざりにしたことです。

大企業は、JRの事例のように小回りが利かないのです。
大企業では、考える人と実行する人が別ですからね。

これからの激変の世の中で、
大企業は臨機応変ができないので
生き残りはたいへんですね。

2015年9月25日金曜日

安保関連法案、どう思います?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 安保関連法案の問題点を検討しましょう。
 違憲問題について検討しましょう。

ねらい:
 今後の日本の安全保障の行く末を見守りましょう!

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ご承知のようにいわゆる安保関連法案が、
9月19日未明の参議院本会議で採決され成立いたしました。

国会周辺の大反対デモに見舞われながらのことでした。
1960年の安保闘争依頼の国会デモです。

それに先立つ委員会での暴力沙汰は、
面白おかしく報道されてしまいました。
日本国民として残念なことです。


この法案に「今国会での成立に反対」の世論調査
(詳細不明、9月20日の新報道2001で紹介されていたもの)
もこの法案の審議過程で大きく変動しました。
(この法案自体については賛成が反対より若干多い)

 4月25・26日  49.5%
 5月23・24日  57.7%
 ???       58.9%
 7月18・19日  63.4%
 8月15・16日  56.4%
  (7/22に安倍総理が中国の脅威について発言した影響か
   反対が減っている)
 9月12・13日  59.9%

私は今回の反対運動は、
「戦争反対」とか[憲法違反だ」などが前面に出て、
十分納得のいく説明がされていないということが
背景にあると思います。

ある面でやむを得ない状況があるのです。

安倍総理は、こう考えているのだと思います。
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日本および日本国民の安全確保は最重要課題、
しかも喫緊の課題である、
本来は憲法を改正して対応すべきである、

しかし憲法を改正するとなると、時間もかかるし、
今回の審議以上に中国の脅威について明確に論じないと通らない、
それは「火中の栗」となる。

今は硬軟両用作戦で、中国の危機に対応しようとしている、
日中韓首脳会議も用意しようという時に、
軟作戦が通らなくなる、

硬作戦一本には今少し時間稼ぎをしたい。
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本来は憲法改正すべきであると思っているのです。
それが正論です。

したがって、違憲ではない、という主張には無理があって、
国会審議でもボロが出たのです。
それがまた反対派に要らぬ疑心暗鬼を起こさせました。

「ムリ}を承知で、
「とにかくこの法案を早く通してしまえ」という戦術です。
本質的議論(中国脅威論)を避けて通らなければならない
ことからきているムリですね。
結果「強引」と受け取られてしまいました。

1960年の安保法案の時がそうであったように、
結果ガよければいいではないか、という苦渋の判断です。


法案の内容を見ると、私にも異論があります。
参考までに、非常に分かりやすい今回の法案内容の要約を
日経新聞から転載します。

9月19日朝刊
 
 




9月19日夕刊
 
 



異論は以下の点です。
これは旧維新の党の主張でもありました。

維新の党の対案を取り入れていれば、
これほどの反対運動にはならなかったのではないでしょうか。
また、維新の党も分裂しないですんだと思われます。

異論は「国際平和支援法案」で規定する後方支援を
日本周辺以外にも広げたことです。
従来は個別法案で対応してきたものです。

緊急で日本を守るのに必要なのは、
まず日本周辺で中国に備えることです。
それ以外の地域に出ていくことは二の次でです。

本当に必要なら従来どおり個別法案で対応すればよいのです。
個別に検討してその可否を決めるべきものです。

後方支援は安全だということは、
現地・現場を知っている方は全員が否定しています。
今までの後方支援が大事に至らなかったのは、
たまたまだ、と言っています。

そうでしょう!
どこからが安全な後方か、など、
このゲリラ戦争時代に決められるわけがないのです。

ということは自衛隊員も、
身を守るための武器の使用を認められていますから
戦闘状態に巻き込まれることは大いにあり得ることです。

安保関連法案の反対者が「戦争反対」というのは
分かります。

その反対論者も、
中国が尖閣に攻め込んできた場合に応戦するのは
認めるのではないでしょうか。

認めないというのなら、
その方には日本国民を辞退していただきたいですね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここで若干本題からずれますが、
憲法学者が今回の法案が違憲だと言っていることについて
考えてみましょう。

新聞報道等からマスコミや国民が
誤解しているのではないかという点です。

憲法違反であると言っている人に
個別に聞いてみないと分かりませんが、
その人たちは必ずしも安保関連法案に反対
と言っているのではないということです。

むしろ憲法違反を早くやめて憲法改正して取り組め、
と考えている人もいるのではないでしょうか。

それでなければ、ただの法律解釈を振り回しているだけの
「ガクシャさん」ですね。

もともと「自衛隊は戦力ではない」と言っているところから
ごまかしが始まっているのです。
自衛隊は厳密に言えばどう見ても軍隊でしょう。
軍事訓練しているのですからね。

田中角栄内閣が1972年に、
個別的自衛権は認められるが集団的自衛権は認められない
などとその時に都合のよい解釈をしていることをもって
憲法違反の根拠にすることもあるようですが、
それもナンセンスですね。

国連憲章で認めている自衛権には
個別的自衛権と集団的自衛権の区別はありません。
当然ながら、自衛権は国を守るというものです。
国を守るという目的に合致した自衛権なら認められるのです。

早く憲法改正をして、
ごまかしをやめましょう!!!!!

憲法改正となれば
中国の脅威について明確に論じないと通らないでしょうね。
たいへんな難題です。

でもそれを成し遂げられたら
安倍内閣はアベノミクスと比較にならないくらいの偉業として
後世に残るのです。

是非取り組んでいただきたいですね。
それで初めて日本の「戦後」が終わります。




2015年9月22日火曜日

「言葉のぼかし表現浸透」ですって!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 文化庁の日本語の使い方の調査結果を知っていただきます。
 日本人が少しずつ自己表現をするようになってきたことを
  確認していただきます。

ねらい:
 そういう目で、新しい言葉づかいを観察しましょう。

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9月18日の日経新聞は当件名の見出しで
文化庁が実施した2014年度の国語に関する世論調査の結果
を紹介していました。

「微妙」→良しあし判断できぬとき
 いいか悪いかの判断がつかないとき、
 「微妙」という言い方をすることが「よくある」「時々ある」と
 答えた人は計66.2%で、
 04年度調査から8ポイント増えた。
 20代は97.0%、60代も53.0%が使うと答えた。

「わたし的には」→自分の責任回避
 「わたし的にはそう思います」「話とかしてました」
 といった表現も全体の2割弱が使っており、
 過去の調査と比べていずれも増加した。

「断定避ける風潮」文化庁調査 
との小見出しもあり、
「『悪い』『わたしは』というような断定的な表現をせず、
自分の責任を回避できる便利な言葉として浸透しつつある」
という文化庁担当者のコメントが載っていました。

 また、本来は不都合であることや危険であることを意味する
 「やばい」という言葉を、
 「とても素晴らしい」の意味で使うと答えた人は26.9%。
 04年度調査と比べてすべての年代で使う割合が高まった。
 10代は91.5%、20代は79.1%が使うとしている。

同庁担当者は
「自分の感情を強調するのに便利なのだろう」と分析する。

とありました。

私はこう思いました。

もともと日本人は自分の考え・感情を外に表さない態度が
身についています。
農耕文化で集団の維持「和の重視」を一番にする
ことからきた根深いものです。

それを受けた従来型の表現だと
「ええ」とか「まあ」とか、極めてあいまいで
どう考えているか分からないものでした。

それからすると、
「微妙」も「わたし的には」も
言葉になっているのですから一歩前進だと思います。

「ぼかす」ようになってきたのではなく、
意思表示をするようになってきたと解釈すべきものです。

若い人たちからそうなってきているのです。
当然でしょうね。
伝統や過去に縛られにくいのですから。

日本人は、もっともっと自分なりでよいので、
自己表現をするようになっていくといいと思います。





2015年9月19日土曜日

「歴史とはなにか」ってなんでしょう?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 名著「歴史とはなにか」を知っていただく。
 歴史の見方を考えていただく。
 何か目新しいことを見つけていただく。

ねらい:
 歴史に関心のある方は、ぜひ当書をお読みください。
 中国・韓国との歴史認識問題に関心のある方も 
  ぜひ当書をお読みください。

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岡田英弘名誉教授の「歴史とは何か」を
ある尊敬する方のご推薦で
シルバーウィークの半日をかけて読みました。

歴史嫌いの私としては
自分の判断では決して手に取らない本です。

個々の「発見」以前に、著者の見識に感心しました。
 歴史とは何かの見解
 いかに多くの歴史書が誤った判断をしているか
 それはなぜか
 これから「国民国家」はどうなっていくか

など、1歴史家を超えている神業に近い分析・判断力です。

歴史好きの人であれば、
これまでの自分の知識と照らし合わせて、
「へーそうだったのか!!」ということが非常に多いでしょう。

歴史音痴の私は
「ふーーん」くらいにしか感じませんでした。

その私でも「なるほど」と感心したのは以下の点でした。

1.歴史の定義(岡田氏)
 「歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の線に沿って、
 それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、
 把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである」

 長い間かけて練り上げた一字一句なのだと思われます。
 この主語は「誰か(個人か団体か)」なのでしょう。

2.歴史は歴史書から知るものである
 古代の遺跡の発掘から分かることは考古学であって
 歴史ではない。
 歴史家は、過去の文書を基に歴史を書いている。

3.歴史は「事実の記録」ではない
 歴史家の判断で作られているものである。

 ほとんどの歴史は、手間暇かけて書くのだから、
 自らの立場を強化するために書かれており、
 当然自分に都合のよいことだけを書く。
 あるいは都合のよいように解釈する、
 場合によってはねつ造する。

4.「国家」はいつできたか
 18世紀の末までは「国家」と呼べるようなものは、
 世界中どこにもなかった。
 あったのは、君主の位であり、君主の権利であり、
 君主の財産だった。

 今の時代になってから回顧すると、
 君主の財産が国家だったかのように見えるだけのことだ。 

5.「国民」はいつできたか
 国家ができて初めて国民ができる。
 それまでは、市民、領民である。

6.歴史の時代区分
 古代と現代の2区分しか意味がない。
 間に中世を置くことは半端で実質的な意味がない。
 現代は、国民国家が生まれた時期である。
 

7.日本の国の始まり
 倭国から日本国になったのは、7世紀の終わり頃、
 天智天皇か持統天皇か文武天皇の時であろう。
 それ以前は神話の時代である。

 日本の最初の歴史書は日本書紀で古事記ではない。 

8.ヨーロッパの歴史の始まり
 地中海文明の歴史、世界で初めての歴史を書いたのは
 紀元前5世紀のヘロドトスで
 その記述対象は紀元前7世紀から始まる。
 
9.中国の歴史の始まり
 司馬遷が史記を書いたのは紀元前2世紀の終わりから
 紀元前1世紀の初めである。

10.世界史の始まり
 13世紀のモンゴル帝国がユーラシア大陸を制覇した時から
 世界史が始まる。

11.歴史のない文明
 アメリカ合衆国は誰でも知っているその典型例 
 過去を背負わずに憲法だけで国をつくったのは後にも先にも
 この国だけ。
 
 インド文明もイスラム文明も歴史を持たない。
  詳細は本書をお読みください。

12.ユダヤ教・キリスト教の出自
 本書をご覧ください。

13.日本と韓国・中国との影響の与え方関係
 かなり参考になります。
 内容は本書をご覧ください。

14.国民国家・民主主義のの限界
  「人間はすべて神の前に平等に創られているというのが、
 民主主義の前提になっている思想だが、これは
 ほとんど考えられないくらいの大ウソだ。

 「みんなでみんなを持つ」ということが民主主義の基本概念だが、
 そんなことは論理の矛盾だ。
 だいたい、自分が他人を所有するのはいいが、
 自分も他人に所有される、というのは許せない。

 それを考えても不自然だが、
 そういう不自然がまかりとおるのが民主主義なのだ」

 良く本当のことを言いますねー!!!
 プラトンの「衆愚政治」が思いだされます。

 私が一番感心したのはこの項目です。