2018年1月31日水曜日

やはり今年はサクラが遅い!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 恒例のサクラ便りです。

ねらい:
 満開が待ち遠しいです。

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昨年の1月28日の当ブログでは、
我が家の河津桜は5分咲きと言う報告がありました。




やはり今年は寒くて遅いのです。
この写真は27日です。
まだつぼみ状態です.





遅くなると何か良いことがあるのか考えてみました。


大器晩成、⇒ 遅い方が良いとは言ってませんね。
拙速 ⇒ まずくても早い方が良いと言っているようです。
遅ればせながら ⇒ 遅くなったことを言い訳してます。
遅く行ったために難を逃れた ⇒ これはたまたまです。

どうも遅い方が良いというのはなさそうです。

現代は、早さが求められているご時世です。
吉野家に倣った当社が提唱する価値目標の順番も
「早い、うまい、安い」となっています。

我が家の河津桜さん!!
1日も早く咲き誇って皆を喜ばし、
1日でも遅くまで咲いていてください!

2018年1月29日月曜日

「日本の15歳はなぜ学力が高いのか?」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 小中学校の教育はどうあるべきかを論じた驚異的レポートのご紹介です。
 日本の学校で「問題解決能力」向上の教育をしているらしいことを
                                  知っていただきます。
  



ねらい:
 ビジネス社会に出てからの問題解決能力の教育はほとんど要らなくなる
                                 ことを期待しましょう。
 でも当社の問題解決能力向上の研修はなくならないでしょう?


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この書名を見るとその答えが書いてあるように思えますが、
そうではありません。
日本の出版社のズルです。


著者である美人のイギリスの元中学校の先生ルーシー・クレハンさんが
5か国の学校の教育方針・教育方法を2年間に亘って実際に足で調べた
結果のレポートです。


現地の学校の先生にメールで頼み込んで
1か月ほど滞在させてもらって現地の状況を肌で調べたのです。
その意気込みには脱帽です。


しかし、
それぞれの国の教育の実態は1ショットで分かりますが、
各国の学力の差がどこからきているか決めることはできません。
私の苦手な人文科学的アプローチです。


5か国は、カナダ、フィンランド、シンガポール、上海、日本です。
この5か国は、国際学習到達度調査PISAの成績上位国です。


PISAは、15歳児(中等教育終了者)を対象に、
読解力(2000年から実施)、数学リテラシー(2003年から)
科学リテラシー(2009年から)についてのテストを行っています。

当書では、5か国についてそれぞれ3章ずつの記述があります。


日本の場合は、出る杭は打たれる、大同小異、泥棒も10年、
という副題で3章の記述があります。


出る杭は打たれる
  •  「規則に従い、文句は言うな」という教育方針である。
  •  教えるべきは勉強だけではない(生活態度も教える)。
  •  小学校では班単位、中学校ではクラス単位で行動し、
  • その連帯責任が追及される
(上野注:おそらくこのことは著者が滞在先の子供が通っていたのが
  私立であるための特異な状況ではないかと想定されます)


大同小異 内容に対して少しピント外れの副題です。
  著者の言わんとすることは、
  みんなの能力には大きな差がないので
  誰でも努力すればできるようになるのだと、
  日本では思われている、ということのようです。
  • 誰もが成功できる➡誰もが平等で同じ教育を受ける権利がある。
    そのため、クラスの能力別編成はない。
  • 母親が子供の教育に熱心である。

泥棒も10年  この副題は意味不明。
  このことわざは「石の上にも3年」の類義で、
  何ごとも辛抱強く取り組まなければものにならないということですが、
  著者が何についてそう言っているのか定かでありません。
  • 暗記は重要で(漢字や九九)力を入れている。
  • これらの暗記は判断の基礎になる。
  • 中学の数学の授業で、原理を教えた後で応用問題を考えさせるようにしている。
    その際、原理の説明に現実世界の問題を用いるという工夫をしている。
  • 細心に計画した授業の流れに従って、生徒が問題を自力で解くように仕向ける。
  • 生徒たちは、いくつかのステップごとに解決のヒントになるような質問を出され、
目の前にあるテーマの理解に確実に近づいていく。
このような教育方法「問題解決手法」を教えることの意義・有効性について
以下の記述があります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー    
一方、もし教師が生徒に数式を記憶させるだけで、
その知識を違う問題に当てはめる機会をまったく与えなかったら、
生徒は、
教わったのとは少し違う手順を踏まなければならない問題に出くわすと、
なかなか解けなくて苦労するだろう。


そして、こういう傾向が日本の教師たちにはある。

日本の学校で「問題解決手法」が一般的になったと言われてから
15年以上経った。


しかし今でも、
あるバーベキューパーティーで話をした小学校の教師は、

「私たちが長いあいだ教わってきた教育システムは、
 教師が一方的に教えるだけの教育でした。
 今はアクティブ・ラーニングを採り入れなければなりませんが、
 それをうまく使える人は多くありません。
 やり方を覚え始めてはいますが、時間がかかっています。
 とくに大阪では」
と語った。


問題解決手法は10年以上も前に確立されたものなどではなく、
教師たちはいまだに身につけようと努力し続けているようだ。


とはいっても、PISAの国際テストにおける
日本の生徒たちの問題解決能力

(「解決の方法がすぐにはわからない問題状況を理解し、問題解決
のために、認知的プロセスにかかわろうとする個人の能力」)

はとくに優れていて、
期待どおりに高得点を取った数学、科学、読解よりも順位が高く、
シンガポール、韓国に次いで世界第3位だった。


上野注:
 PISAでは伝統的な、数学リテラシー、読解力、科学りテラシー以外に
 2012年から「問題解決能力調査」を実施しています。


 2015年には「協力して問題解決する力」を対象にしています。
 この時は全体で2位,OECD加盟国では1位でした。
 この状況は日本経済新聞電子版2017.11.21に詳しく紹介されています。
 
 日本の生徒が、協調性を重視したために不正解となった比率が高かった
 設問があったという興味深い内容がありました。


 私は、
 日本の学校では入学試験対策で暗記型の学習が多い
 という先入観を持っていましたが、
 このような問題解決能力を涵養する教育をどうやってしているのでしょう? 
 ビックリでした。


ひょっとしたら、日本の授業でやらせている問題解決の課題が、
この能力を伸ばしているのかもしれない。


どんな教え方がどんな成果に結びついているのか
正確にはわからないが、
こういう教え方が効果的だということを示す証拠はある。


スティグラーとヒーバートが調査研究の土台として用いた、
1995年のTIMSS (国際数学・理科教育動向調査)のテストでは、
教師たちに、推論問題

(「ある考えの背後にある根拠を説明すること。
  関係を表したり分析したりするために表、図、グラフを用いること。
  解決の方法がすぐにはわからない問題に取り組んだり、
  関係を表すために方程式を用いたりすること」)

を授業でどの程度出すか、という質問をした。


日本の教師たちが報告した頻度はアメリカの教師たちよりも高かった。

また、それぞれの国内での頻度の違いによる生徒の得点差は、
日本では14点、アメリカでは19点だった。


このことは、推論問題を出すことが、ごくわずかながら、
両国の得点差にも影響を与えている可能性を示している。

両国の数学の得点差は約100点で、このタイプの問題を頻繁に
出していた教師の数は、アメリカでは四分の一だった。


日本の授業で出されているこのような推論問題は、
生徒が事前に教わった知識をしっかり身につけさせるために、
それぞれ高度に構築されていて、具体的な目標を定めたうえで
導入されているということを忘れてはならない。


このように構造化されたやり方で用いられる問題解決手法は、
数学で得点を上げるのに効果を発揮するだろうし、
たぶん、もっと全般的な問題解決のスキルにも有効だろう。
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上野注:日本の一般的な中学校で
こういう教育方法をとっているということを知りませんでした。
本当なのでしょうか?


泥棒も10年 つづき
  ・教育方法の進歩は、
   教師同士が授業参観する「授業研究」によって実現されている。


  ・ゆとり教育


「泥棒も10年」の最後に「ゆとり教育」について触れています。
これは本質を突いた素晴らしい正論だと思います。


「ゆとり教育」を実施しようとしたときの目的を忘れてしまって、
その目的の達成度を評価せずに
別の観点だけ(PISAの成績)で評価をしたことになります。
日本人は目的追求の弱いということの悲しい証拠です。
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さて、このゆとり教育の影響はどんなものだったのだろう。

苅谷剛彦教授は、1974年から1997年までのあいだに、
学校外で子どもが勉強に費やす平均時間が減少したことを発見した。


これは何より、やる気の問題だという。

「落第点を取らない程度の成績でじゅうぶんだと思うか」
という質問に、「はい」と答える子どもの割合も増加している。

苅谷教授によれば、やる気がこのように低下したのは、
新しいゆとり教育だけのせいではない。


彼は、1990年代の経済状況により雇用機会が減少したせいで、
良い学校に行けば良い仕事に就けるという、
それまで「厳然たる事実」だったものを、
子どもたちが信じられなくなったせいではないかと考えている。


この事態は、労働者層の家庭の子どもたちにいちばん打撃を与えた。

このことは、やる気の減退は貧しい家庭の子どもたちに
いちばん顕著だったという、苅谷教授の第二の発見とも符合する。


しかしゆとり教育の導入は、
この傾向にさらに拍車をかけたと彼は述べている。


苅谷教授によれば、ゆとり教育は、労働者層の子どもたちに、
勉強しなくても大丈夫だという誤った安心感を持たせてしまい、
彼らを就職戦線で、より不利な立場に陥らせたという。


中産階級の家庭の子どもたちは、親のおかげで
(子どもたち自身は親に感謝などしなかっただろうが)、
そのような思い違いはしなかった。


さらに、総合的な学習の時間は、それをしっかり
活用できるようなじゅうぶんな学力のある子どもの方が、
うまく使いこなせた。


当時、このプログラムの評価のために
いろいろな学校を訪れたクリストファー・ビョーク教授は、

 「訪問したどの中学校でも、知的能力に優れ、自主性のある生徒は、
 たいてい総合的な学習の時間を通して成長し、
 時間を賢く使って優れたレポートを提出した。
 その結果、彼らはよくがんばったと褒められた。


 しかし勉強が苦手な子は苦労していた物事をまとめる力や、
 洞察力を使って情報を総合する能力がないので、
 彼らはしばしば、総合的な学習に割り当てられた時間を、
 友だちと遊んだり、落書きをしたり、居眠りをしたりするのに使った」
と述べている。



2003年のPISAの結果が2004年に発表され、
日本の読解力の得点が下がったとわかったときは、大騒ぎになった。


ゆとり教育改革が槍玉に挙げられ、
この時期の子どもたちは少し劣るという意味を込めて
「ゆとり世代」というレッテルを貼られた。


リリーはゆとり世代の一人だが、
このことを思い出すたびに笑っている。


批判に応えて、政府は次第に数学や国語の時間を増やすようになり、
2011年、ゆとり教育改革のほとんどは、元に戻された。

教科書は厚くなり、「総合的な学習」に使われた時間の多くは
他の科目に取って代わられ、縮小された。


PISAの結果が出されるたびに起こる、
このような熱狂の中ではめったに考慮されることはないが、
国際テストにおける日本の成績は
ゆとり教育の導入前から下降気味だった。


それに、2003年の結果は、ほかとくらべてみても、
そう大きな下落ではなかった。


とはいえ、より根本的な問題は、そもそもこの改革が
何をしようとしたものなのかが忘れられてしまった、ということだ。

ゆとり教育は、PISAの得点を上げるためのものではなかった。


子どもたちにかかるプレッシャーを軽減し、
彼らの創造性や問題解決能力を伸ばすためのものだった。


2000年と2012年に子どもたちを対象に行なった調査によると、
学校に対する満足度はこの期間に、世界のどの国より増加している。


そして問題解決のテストでは、日本の生徒は、
PISAのトップだった上海をはじめ、
他のほとんどの国より優っていた。


私には、ゆとり教育が成し遂げようとしたことは、
ちゃんと成し遂げられたように見える。


日本の教育システムはいつもPISAのテストで
高い成績をおさめてきたが、
おそらくそれは教育が重視されているおかげであり、
入念に計画された授業のおかげであり、
すべての子どもが定められたカリキュラムを習得できるし
習得しなければならないという信念が根付いているおかげだろう。


ところが、ほんのささいなつまずきで、政府はうろたえて、
人々が嘆いている「受験地獄」の軽減と、
見たことのない問題の解決において日本の生徒たちが
世界一になる可能性の、両方に効果的だと思われた改革を
廃止してしまった。


このことは他の国々にも言えることだが、
どの価値観を重視したらいいのかというジレンマを際立たせる。


数学と読解の結果に関してどの程度まで妥協して、
子どもたちのための他の社会的、教育的美点を確保したらいいのだろう。

これは次に訪れる国、シンガポールの政府やシンガポールの親たちも、
同じく頭を抱えている問題だ。
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当書では、5か国探訪レポートの後に
「高い成果と公平性を実現するための5つの原則」を挙げています。
以下のような内容です。


原則1:子どもたちに学校で勉強する準備をさせる
 
 私案として、こう述べています。
 
 最も効果的なプログラムは、早くから勉強を始めることではなく、 
 認知スキルを発達させると同時にやる気を高め人格を形成するようなもの、
 つまりは認知的発達と社会性のバランスの取れたものだろう。
 
 また、認知的発達は、遊びながら学ぶことを通じて 
 学習に向けたスキルを発達させることを基本としている。


原則2:きちんと習得できるカリキュラム(そしてやる気の出る授業内容)を作る
 
 優れたカリキュラムは以下の特質を持っている。
 1)項目が少ない
 2)レベルが高い
 3)順序だっている。


原則3:低いレベルで妥協せず、子どもたちが向上を目指すようにサポートする。
 
 15―16歳までは能力混成クラスで教える。
 資格を持つ専門家による、
 柔軟性のある少人数グループでのサポートを受けられるようにする。


原則4:教師を専門家として待遇する。


 教師の養成には少なくても1年間はかけ、
 資格を取得したばかりの教師は、授業時間を少なくし、
 同じく授業時間を減らした先輩教師から指導を受ける時間を確保する。
 
 教師達が少人数で集まって授業計画を立てたり、
 授業を評価したりすることを奨励し
 すべての教師が教育面で互いに支え合い、学び合えるようにする。


 上野注:一般の業務での新人の養成と同じことですね。


 興味深い記述がありました。
 【効果のない教え方の例】
 ・子どもの能力を称賛する。(能力自体を称賛してはいけないということです)
 ・要点を生徒自身に見つけさせる。(基礎原理は教えなさいということです)
 ・生徒たちが好きな学習法に教師が併せて教える。
 ・教師が教え聞かせるのではなく、生徒たちに常に何らかの活動をさせる。


原則5:学校の成績責任と学校へのサポート(制裁ではなく)を両立させる。


 学校単位のデータや不定期の全国的調査を利用して、
 国家レベルあるいは地方レベルでの学校の活動状況を観察する。


 優れた教師や指導者にやる気を起こさせ、問題のある学校で仕事をさせて
 他の教師たちにも教育的指導力を分け与える。
 (他省略)


そうして著者はこの5原則はすべてを実施すべきものである、
と主張しています。
以下のように別の面の効果を期待しているからです。


      高い成果と公平性の根底にある原則

子どもたちに学校で勉強する
準備をさせる
子どもたちは準備が
できる
きちんと習得できるカリキュラム
(そしてやる気の出る授業内容)を作る
子どもたちは学ぶ
低いレベルで妥協せず、子どもたち
が向上を目指すようにサポートする
すべての子どもたちが学ぶ
教師を「専門家」として待遇する
教師たちが高い
スキルを持つ
学校の成績責任と学校へのサポート
(制裁ではなく)を両立させる
学校に良い影響が
出る

 
日本では、この5原則がほとんど実現できているということが
日本の生徒の学力が高い原因だということなのでしょう。
人文科学者としての洞察力に敬服いたします。


最後に、私の疑問を提示しておきます。
1.PISAのデータの信頼性について
 このテストはテスト実施国の同年代生徒約2億人に対して54万人
 日本では120万人に対して6600人です。
 率にするといずれも1%以下です。


 どういう層が参加しているかで、国際比較の意味がなくなります。
 優秀な層だけが受けているのなら点数が高くて当然でしょう。
 東南アジア系の国は怪しいですね。


2.学力が上がる根本要因
 以下の3点だと思います。


 1)国の学校教育に対する力の入れ方
  それにより所管官庁に優秀な人材が集まるでしょうし、 
  前掲の原則4の教師の処遇がよくなります。
  国民一人一人が教育が重要だという認識も持つでしょう。


 2)生徒のやる気
  これは「勉強すると良いことがある」と生徒が思うかどうかです。
  親がいくら「勉強しろ」「勉強しろ」と言っても、
  先が見えなければ勉強しません。
  
  高度成長期の日本では、
  「勉強すれば良い学校に入れ、その結果良い職業につける」
  と言うことで皆勉強したのです。
  勉強しない子は仲間はずれでした。
   
  新興国では今もそういう状況でしょう。


 3)勉強できる環境
  最低生活が精いっぱいの状態では勉強する時間が取れません。
  日本でもそういう家庭の子供はいます。


世界の国をこの指標でランキングすれば、
本当の学力との相関がはっきり出るでしょう。
これは自然科学的アプローチですね。


各論的には、
暗記モノは得意だが考える問題は苦手とかは判明するでしょう。
今でもその点は分かっています。
日本で読解力の順位が低いのは
考える問題が苦手の状況を示しているのです。


問題解決能力の教育をしているということであれば、
考える力の前進が見られるのでしょうが、
その教育はどの科目でしているのでしょうか。


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実はシステム企画研修社は、
「自称日本一」の問題解決能力の研修会社なのです。


問題解決と言うと、
「どうやって問題を解決するか」という方にすぐ話がいきます。
ですが当社の手法では、
その検討をする前に、「それは何のために解決しようとするのか」
を考えましょう、としています。


「減量しよう」⇒それは何のため?
「体重が減ればよい」と「見かけをよくしよう」とでは、
減量の方法が変わります。


学校のクラスの規律を決める場合、
全員がその目的を納得すれば決める規律が守られるでしょう。


いずれにしても目的の明確化は解決策の検討の前に必須なのです。
ですから、このブログでも
始めたときから「目的・ねらい」を記述するようにしています。


広い意味の問題解決には以下の6種類があると考えられます。
それによって考えるべき解決策は異なるのです。
ご参考までに6種類の違いだけを以下に示します。


「カテゴリーキング」を実現する方法はあるのでしょうか??

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「カテゴリーキング」とは、 
 「2番煎じでなく新しいビジネスカテゴリーを作りだし独走せよ」という主張です。
 どうすればそんなうまいことができるのでしょうか。
 当社のやっていることもも他ではやっていないことでそれだけに苦労しているので
 少し考えてみました。それをご披露します。 



ねらい:
 アドバイスをお待ちしています。
 ぜひ、その新カテゴリーご紹介の研究会にご参加ください。


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私が代表者の会社の事業戦略を思案しているときに
「カテゴリーキング」という本に出会いました。

カテゴリーキングとは、
新しいビジネスカテゴリーを創造して高収益を上げる企業
のことです。

逆に言えば、高収益事業をつくろうと思ったら
カテゴリーキングにならなければならない、
既存のカテゴリーに改良型製品・サービスを提供するのでは
高収益の実現は難しいと言っているのです。

例は、
  • マイクロソフト・・・・・・・・・・ OAソフト
  • グーグル ・・・・・・・・・・・・ 情報検索
  • フェイスブック・・・・・・・・・ ソーシャルネットワーク 
  • アマゾン・・・・・・・・・・・・・・ ネット通販
  • アップル ・・・・・・・・・・・・・ タブレット
  • ウーバーテクノロジーズ・・・・・ 車の共同利用システム

本書で紹介されているカテゴリーキングの例はこれらです。

ミニクーパー 走って楽しい車
IBM360 互換性のあるコンピュータ
ライトセンソリーネットワーク LED電球をIoTの端末にする


そのとおりですが、それを実現するのは至難です。
その実現を指南してきたコンサル3人がその経験に基づき
そのノウハウを伝授しようという意図の出版なのです。


カテゴリーを見つけ出すステップはこうしなさいと述べています。

ステップ1 スタートは「誰」(がそれを検討するのか)
ステップ2 事実の発見 (市場と自社)
ステップ3 ワークショップ (関係者による掘り下げ検討)
ステップ4 カテゴリーの命名
ステップ5 成果をまとめる


ステップ2のき事実の発見は以下の内容です。

ビジョン
ミッション
この会社をつくるきっかけになったそもそもの市場洞察
または技術洞察はどんなものだった?
顧客
どんな人がこの会社の製品やサービスを買うと
想定している?
誰が使う?
問題の表明
潜在的な顧客のためにどんな問題を解決できると
考えている?
使用事例
問題を解決するために、どのような形で
人々はこの製品やサービスを利用する?
プロダクト/
ソリューション
ソリューションの背景にある技術の詳細は?
それでいま何ができる?
ほかにどんな潜在力がある?
エコシステム
多くの場合、問題の解決や付加価値の創造には
ほかの企業も関連している。そうした企業が、
問題とソリューションを取り囲むエコシステムを形づくる。
どんな企業がエコシステムに含まれる?
エコシステムのどこに一企業だけが操縦桿を
握れるコントロールポイントがある?
競争
ほかに誰がその問題を解こうとしている?
もし誰もその問題に気づいていないのなら、
あなたがそれを明らかにすると誰が競合相手に
なりそうだろうか?
ビジネスモデル
あなたの製品やサービスが顧客のビジネスを
どう変える?
彼らの投資に対する見返りを増やす?
費用を明らかに減らす?
それとも、既存の技術ではできなかったことが、
彼らにもできるようになって、巨大な価値を生む?
セールスと
市場参入
企業を相手にする会社は製品やソリューションを
どのように市場に送り込むか明言するべきだ。
販売員を通じて? 販売代理店を介して?
その両方?
消費者を相手にする会社の場合、
ユーザーはどうやってあなたのソリューションを
見つけられる?
アプリストアで? 検索で? 口コミで?
グロースハツキング術を使って? 広告? PR?
組織
会社の組織はどのように編成されている?
会社でもっとも影響力が強いのは?
意思決定はどのようになされている?
どのような社風が好ましい?
資金調達戦略
次の資金調達は? 民間金融? IPO?
さらなる資金が必要になるまでに、
どれぐらいの活動ができる?
カテゴリー戦略に活用するためにどんな種類の
資金調達ができる?


 
このステップ自体はそんなに目新しいものではありません。
他がやっていない新しいカテゴリーを見つけ出し、
そこに経営資源・エネルギーを集中して事業を推し進める
という考え方に共鳴しました。


事業戦略で「ブルーオーシャン戦略」と言っているものと
共通点があります。


当社は現在、他社がほとんど取り組んでいない
「ソフトウェアエンハンス(保守)業務の改革推進」
を主事業にしようとしているのです。


新しいカテゴリーでビジネスを展開するには、
POV(ポイント・オブ・ビュー)が重要だと言っています。
新しいカテゴリーの本質を伝えるメッセージのことです。


POVがどんなものであるかは明確に示されていないので
具体的にはよく分かりませんが、
以下のような例示的文章がありました。
(具体的な例を示さないのは著作権の関係なのでしょうか)


「自分たちが
視覚的な分析ソフトウェアを必要としていることに
気づいていなかった人々に
新しいタイプのビジュアル分析ソフトウェアを広める」

「ビジネステクノロジーの最適化」
「すべての人に素敵な体験を」


POV作成の留意事項は以下のように述べられています。

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POVの最初の目的は市場に問題を理解させ、
解決策を求めるように導くこと。


認識した問題が大きく、性急で、戦略的であればあるほど、
人々はその解決のためにより多くの時間と関心と費用を
費やすだろう。


POVの終わりで、あなたの会社独自の解決策を大まかで、
しかもビジョンに満ちた言葉で描写する。


POVで製品の機能について語るのは絶対に避ける。

簡潔さを心がけること。


ビジネス用語や技術用語ではなく、普通の言葉を使う。
一文は短く。そして、挑発的に。映画の予告編だ!


感情に訴えかける。それがなければ困る、と人々に
思わせるのだ。それがなければ不安だ、と感じさせろ。

未来へのビジョンを描け。


ビジョンがそれを聞く者に、あなたがどこへ向かおうと
しているのか、彼らがなぜあなたを旅の道連れにするべきなのか、
訴えかける。


ビジョンが、あなたの会社の、戦略の、文化の目指す先となる。

ビジョンが、従業員の、顧客の、パートナーの、投資家の、
同じエコシステムに属するあらゆる者の共感をつくりだす。


POVに会社の個性を注入しろ。
言葉が大事だ。
真剣な口調で、理路整然としているべきか? 
挑発的であるべきか?
それとも攻撃的か?
遊び心を表わすか? 


センシティはPOVで一般的な街路灯をからかう道を選んだ。
そこにはこう書かれてある。

「あれらをばかだと言って責めないでほしい……
あれらはただ、そのようにつくられているのだ」。


このアプローチのおかげで、センシティは先進的な考えをもち、
伝統にとらわれない会社だということがわかる。


オリガミ・ロジックの言葉はよりまじめで、
ビジネスにつきまとううっとうしい問題に対し、
よく考え抜かれた解決策を示す会社の性質を反映している。

いずれのケースでも、社風が言葉に表れている。

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私としてはPOVは、
新しいカテゴリーで何を目指そうとしているかのメッセージだと
受け止めました。

そこで当社の新カテゴリのPOVをこう考えました。


















ここで言うエンハンス業務は、正確にはソフトウェアエンハンス業務です。


この業務は、ビジネスの情報システムの開発から開発までの間、
通常十数年間に亘って、ビジネスの前進・変化に対応していく
非常に重要な業務です。


現在、日本全体で40万人から50万人がこの業務に従事しています。

ところが、その重要性が社会・経営から評価されずに
裏方的な存在となっており、
予算も人材も絞られて従事者は恵まれない環境に伸吟している状態です。


そのために、
システムの利用者としては変革対応してほしいニーズがあっても
諦めざるを得ない状態をも生み出しています。


誰が悪いのか、
基本的にはこの全貌を把握できている経営者がいないためです。


情報システムに関連する仕事でありながら、
システム的な業務実施方式となっておらずに、
個人技に依存する形になっているという面もあります。


個人技は組織に蓄積されずに、
10年も20年も生産性が向上しない状況となっています。


この状態が改善されないのは、
改善すべきであると認識する経営者がいないので
改善する体制がとられていないからなのです。


したがって、本気で改善すれば2倍の生産性が実現できる
というのが、業務改善やである当社の見立てなのです。


上記のメッセージ(POV)で、
当社の新カテゴリーが何を目指そうとしているかは
明確になっていると思います。


しかし、POVが明確だからといって
自然に売上が上がっていくわけではありません。
問題はその先です。


どうやって、この新事業を軌道に乗せるのかです。

これについて、同書は「電撃作戦」を勧めています。



そこで「電撃作戦」とはいかないのですが、
新しい製品サービスの発表会的なイベント(セミナ)を企画しています。


エンハンス業務革新システム研究セミナ
  • 2018年2月22日14時~18時
  • 弊社研修室(日本橋小伝馬町)
  • 詳細はこちら。
http://www.newspt.co.jp/data/semina/mktsemi.pdf


ただし、新しい製品サービスを前面に出しても、
一目で分かるとか、一言で特長が伝えられるということではないので、
多くの方が明確に理解できる別の面の新規性を前面に出すことにしました。


それは、
エンハンス業務のアウトソーシング(委託)のあり方というテーマです。


アウトソーシングは、
 1)社内の人材不足、
 2)社内の人材の有効活用
 3)コストダウン
の理由から実施されます。


しかし、その弊害があります。
 事業遂行上重要な機能の一部である場合、アウトソーシングを続けると
 1)アウトソーシングしている機能がブラックボックス化して改善不能となる。
 2)その結果、コストが高止まりする。
 3)アウトソーシングしている機能の機動性が低下して事業遂行に障害が出る。


4)アウトソーシングしている機能に連携する部分の機能遂行に障害が出る。


エンハンス業務の場合は、1)~3)はまさにそのとおりですが、
4)としては、エンハンスのプログラム修正部分のノウハウがなくなるために
的確な要件定義ができない、その結果ロスが発生する、
というようなことが発生しています。


これらの問題点は多くの企業の上位者も認識しています。


さらには、エンハンス業務全体を見通した改善企画も不能で
業務実施方法が非効率のまま放置される
ということにもなっています。


そこで、このアウトソーシングの弊害を除去してなおかつ、
アウトソーシングの必要性にも応えられる方式を考えつきました。


ここで言うアウトソーシングの弊害は
アウトソーシングを工程・プロセスで区切って行うから起きるのです。
アウトソーシングされた工程・プロセスの内実が分からなくなるのです。


したがって、
新改善方式はアウトソーシングは工程・プロセスで区切らないのです


その形態は、現在も一般的に
エンハンス業務の委託請負契約ではなく、
要員派遣契約として実施されています。


システム別担当チームに、外部要員が派遣契約で参画するのです。
おそらく外部要員でも能力が向上すれば要件定義も担当するでしょう。


この作業形態を、派遣契約でなく請負契約にするのです。
派遣契約の場合は、言われたことをやっていればよいので、
業務実施方法を改善しようというインセンティブは働きません。


ではどうすれば請負契約にできるのでしょうか。
請負にするためには対象が明確でなければなりません。
例えば、「この2トンの荷物をどこからどこまで運ぶ」ということです。
少なくとも量が決まらなければなりません。


そこに今までこの方式が実現しなかったネックがあるのです。
その解決法を2月22日当日ご提示いたします。


他にも課題があります。
委託先企業の請負になると
委託元企業の社員の働きの評価はどうするのでしょうか。


これ以外にも請負契約に盛り込むべき条件があります。
その全体が明確で可能となって初めてこの方式は成立です。


以下は、当該研究セミナの案内文の一部です。
・エンハンス業務の発注企業・受注企業の混成チームが
 エンハンス案件を一貫担当する。
 
契約形態は受注企業の請負契約とする。
      1. 新見積り手法の「変更規模ポイント」を請負の生産量とする。
  2.契約生産量は前年実績を基礎とする。
  3.発注側企業の社員の参画人数を、請負契約の前提とする。
  4.顧客満足度等についてSLA契約する。
  5.3.4.の変更がある場合は請負契約の変更を行う。
  6.生産性の大きな向上ができた場合は、
    効果の一部を発注側にも還元する契約にしてもよい。

その点の可否・課題を
当日集まってくださる発注側・受注側の皆様にご検討いただきます。

さあどうなるでしょうか。


2018年1月26日金曜日

「不死身の特攻兵」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 特攻隊の内情を知っていただきます。
 死ななかった素晴らしい勇士がいたことを
             知っていただきます。
 究極の目的意識を知っていただきます。

ねらい:
 これからも目的意識を重視しましょう。
 
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この本は、珍しく新聞広告によって購入しました。
「9回も帰ってきた特攻兵」というコピーに
そんなことできるのだろうか?
どうやって生きて戻ってきたのだろう?
と興味をひかれました。

結論からすると、
出撃して、敵艦を爆撃して戻った場合が2回 
出撃直後に、僚機の事故で引き返した場合が1回 
出撃離陸直後に、自機の事故で飛行できなかった場合が1回
出撃命令直後に、敵機の空襲で機体爆破された場合が1回 
出撃飛行中に自機の機器故障で引き返した場合が1回 
攻撃目標に近づいたが、敵機の襲来を受けて退散した場合が1回 
攻撃目標に近づいたが、敵船団の多さに無力感を感じ
                   引き返した場合が1回
出撃したけれど、目標を見失って戻った場合が1回 
出撃命令が出たけれどもマラリアで出撃できなかった場合が1回
(この最後のケースは9回にカウントされていない)
でした。

作家である著者鴻上尚史氏が取材に基づき描いた
不死身の特攻兵佐々木友次さんにはたいへん感心しました。
佐々木さんは飛行機の操縦が大好きで非常に長けていました。

佐々木さんは、
国・軍部・上官の指示する特攻についてこう考えたのです。

目的は敵艦を破壊することだろう。
それなら自分は敵艦に体当たりするのではなく、
敵艦に爆弾を落として敵艦を破壊し自分は生還する。

そうすれば腕のある自分のような飛行士は、
何回も繰り返し攻撃を行うことができる。
みすみす優秀な飛行士を捨ててしまうことはない。

それを実践して成功したのが2回です。

軍部はどう考えていたかというと、
戦闘機の能力等で劣勢の日本はまともに戦っては勝ち目がない。
特攻による自爆攻撃で敵の戦意を喪失させようと思ったのです。
追い詰められた目的設定です。

特攻方式を続けて、
いずれは劣勢が挽回できると思ったのでしょうか?
そうは思えません。

佐々木さんは、
「敵艦を撃沈してこい」ではなく「死んで来い」という
上官の命令に対して従わないで敵艦を撃沈して帰還したのです。

褒められてしかるべきところ、
「お前は死んだのだ、なんで帰ってきた」と言われるのです。
軍で上官の命に反することは厳しい処罰、
場合によって死を覚悟しなければできないことです。

4度目の出撃命令が出た時の
上官(参謀長)とのやり取りが記述されています。

「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。
その代わり、死ぬまで何度でも行って爆弾を命中させます」

「佐々木の考えは分かるが、軍の責任ということがある。
今度は必ず死んでもらう。
いいな。大きなやつを沈めてくれ」

この他にも、
上官や仲間との軋轢・やり取りが詳しく紹介されています。

最初の特攻に参加して爆撃に成功した際、
死亡公告も出て、郷里では「名誉の戦死」に対して
壮大な追悼会も行われてしまいました。

ですがなぜ9回も特攻のチャンスが与えられたのでしょうか。
それは佐々木さんの信念・技量・強運だけでは説明できません。

上官たちにもこの特攻作戦については、
部下を犠牲にするという点から
必ずしも納得していない人たちもいたのでしょう。

ですから帰還した佐々木さんを
一方的に厳しく処分するということはなかったのです。

佐々木さんは、生きる信念も強かったのですが、
生きる命の強さもありました。
死にかけながら無事帰還して郷里の北海道で
92歳の命を全うされました。

実は佐々木さん以外にも特攻に反対した人がいました。
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特攻を拒否した美濃部少佐

1945年(昭和20年)2月下旬、木更津の海軍航空基地で、
連合艦隊司令部により作戦会議が行われました。

そこで、赤トンボと呼ばれた「九三式中間練習機」を
特攻に投入することが発表されました。

「全軍特攻化」ですから、
練習機といえども特攻すると決めたのです。

赤トンボは、翼はもちろん羽布張りの複葉機で、
最大速度が200キロほどです。
迎え撃つグラマンはおよそ600キロ。

零戦による爆装特攻でさえ、成功が難しくなっているのに、
動きが遅く、防御装置もほとんどない練習機の特攻は、
どう考えても、いえ、航空のプロであればあるなど、
無意味であるとしか思えませんでした。

が、集められた航空部指揮官達は、
参謀長の言葉をただ黙って聞くだけでした。

すると、末席にいた
29歳の美濃部正少佐が立ち上がりました。

階級として、この会議では一番下位の飛行隊長でした。

「劣速の練習機まで狩り出しても、十重二十重のグラマンの
防御陣を突破することは不可能です。
特攻のかけ声ばかりでは勝てるとも思えません」

制空用戦闘機と少数の偵察機を除いて、全軍特攻化の
説明をした参謀は、意外な反論に色をなして怒鳴りつけました。

「必死尽忠の士が空をおおって進撃するとき、
何者がこれをさえぎるか!」

本によっては、参謀は「断じて行えば鬼神も之を避く!」
と怒鳴りつけたという表現もあります。

東條首相が大好きな精神力をあらわす言葉で、
多くの司令官が使いました。

問題は「精神」であって、技術や装備のジアリズムではない、
ということです。

それに対して、美濃部正少佐はなんと答えたか。

「私は箱根の上空で(零戦) 一機で待っています。
ここにおられる方のうち、50人が赤トンボに乗って来てください。
私が一人で全部たたき落として見せましょう」

同席した生出寿少尉が

「誰も何も言わなかった。美濃部の言う通りだったから」
と報告しています(『特攻長官大西瀧治郎』生出寿 徳間文庫)。

美濃部正少佐は、
芙蓉部隊という夜間攻撃部門の部隊の隊長でした。

厳しい訓練で知られ、
「これができなければ、特攻に出すぞ」と部下を叱咤しました。

大西中将の部下でしたが、徹底して特攻を拒否、
部下を誰も特攻に出しませんでした。

その代わり、夜間襲撃の激しい訓練を積み、
芙蓉部隊は確実な戦果を挙げました。

『彗星夜襲隊 特攻拒否の異色集団』
(渡辺洋二 光人社NF文庫)は、美濃部少佐の詳しい物語です。

赤トンボを特攻に出そうと言う参謀に、
こう言ったと紹介されています。

「いまの若い搭乗員のなかに、死を恐れる者は誰もおりません。
ただ、一命を賭して国に殉ずるためには、
それだけの目的と意義がいります。

しかも、死にがいのある戦功をたてたいのは当然です。
精神力一点ばかりの空念仏では、
心から勇んで発つことはできません。

同じ死ぬなら、確算のある手段を講じていただきたい」

こう言うと参謀は
「それなら、君に具体的な策があるというのか!?」
と興奮しました。

美濃部少佐は唖然とします。

参謀とは、作戦・用兵を立案するのが仕事です。
いわば、作戦専門家の参謀が特攻攻撃しか思いつかず、
一飛行長に代案を問うのです。

その愚かさに気づいていないのです。
美濃部少佐はさらに言いました。

「ここに居あわす方々は指揮官、幕僚であって、
みずから突入する人がいません。
必死尽忠と言葉は勇ましいことをおっしゃるが、
敵の弾幕をどれだけくぐつたというのです? 失礼ながら
私は、回数だけでも皆さんの誰よりも多く突入してきました。
今の戦局に、あなた方指揮官みずからが死を賭しておいでなのか!?」

誰も何も言いません。

美濃部少佐は、話を続けます。

燃料不足で練習ができず、搭乗員の練度が不足している、
だから特攻しかないとおっしゃるが、
私の部隊では飛行時間200時間の零戦搭乗員も、
みな夜間洋上進撃が可能だと。

通常、600時間から700時間でようやく夜間洋上飛行は可能でした。
200時間は驚異的な数字なのです。

それでも、指揮官達は動じない振りをして悠然と
タバコをくゆらすだけでした。

ここで、それなら赤トンボで出撃して下さい。
私が零戦一機で撃ち落としてみせます、という発言が出るのです。

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こういう記述もありました。
ここに登場する「呑竜」は、
7回目の出撃命令で佐々木さんが同行した
菊水隊の爆撃機の通称です。
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呑竜が所属する第五飛行団の小川小二郎団長は、
特攻に反対だった。

呑竜は、特攻ではなく呑竜本来の使い方で、
つまりは爆撃で活躍させたいと願っていた。

だが、第四航空軍の冨永司令官は、
「全力をもって特別攻撃隊を編成すべし」と命令した。

小川団長は、
何度も抵抗したが特攻隊としての出撃を拒否できなかった。

菊水隊の隊員に対して、小川団長は、
攻撃には万朶隊の佐々木伍長が一緒に行くと告げ、
佐々木のやり方が正しいと思うと話した。

「特攻をやる覚悟で行って、船を沈めて帰ってきたら、
立派なものだ。もしまた、状況が悪ければ引き返して
何度でもやりなおすのがいい。
佐々木のやっていることは、
これこそ特攻隊の最良の模範であると信じている」
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日本の伝統的思考法である組織の維持を最優先するのではなく、
国や個人の命がかかっている危急の場でも
目的を考えるという思考をする人たちがいたということを知り
日本人の良識に感心・安心しました。

昨今、頻繁に露呈している
企業の利益・存続のために不正をするという目的意識は
どう評価すべきなのでしょうか?


当書には、マニラの特攻隊現地総司令官が、
特攻兵を送りだすときに「自分も最後に行くからな」
と言っておきながら戦況が悪くなると
部下たちを置いて真っ先に台湾に逃げ出した
という厭な話も載っています。


実は、著者の渕上さんも思いのある方です。
あとがきにこういう記述があります。
私が「価値目標思考のすすめ」で記述した「前例・みんな主義」です。
この変革の時代、この思考法を改める必要性がありますね。
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現代の「所与性」の形

「命令した側」からすれば、「世間」の「所与性」とは、
「現状維持が目的」ということになります。

ずっと続いていることを、無理に止めることはない。

自分はそれを止める立場にはない。

そもそも、続いていることは、止めることより、
続けることの方が価値があるのだ、
という思いこみが「所与性」の現れです。

美濃部少佐が、
どんなに「全機特攻化」の愚かさを主張しても、
誰も率先して中止と言い出さなかったのは、その例です。

「世間」の中に生きている自分は、
「世間」の掟を変える立場にはないと、みんな思うのです。

ここでこの例を出すと、
反発する人もいるだろうと分かっていますが、書きます。

僕は毎年、夏になると、
「いったいいつまで、真夏の炎天下で甲子園の高校野球は
続くんだろう」と思います。

地方予選の時から、熱中症で何人も倒れ、
脱水症状で救急搬送されても、真夏の試合は続きます。

10代の後半の若者に、真夏の炎天下、組織として強制的に
運動を命令しているのは、世界中で見ても、
日本の高校野球だけだと思います。

好きでやっている人は別です。
組織として公式に命令しているケースです。

重篤な熱中症によって、何人が死ねば、
この真夏の大会は変わるのだろうかと僕は思います。

こう書くと、「純真な高校球児の努力をバカにするのか!」
とか「大切な甲子園大会を冒漬するのか!」と叫ぶ人がいます。

僕は「命令された側」の高校球児を尊敬し、感動します。

もちろん、大変だなあと同情しますが、
けなしたり悪口を言うつもりはまったくありません。

問題にしたいのは「命令した側」です。

ですが、怒る人は、
「命令した側」と「命令された側」を混同するのです。

「命令した側」への批判を、
「命令された側」への攻撃だと思うのです。

その構図は、「特攻隊」の時とまったく同じです。

僕が問題にしているのは、徹底して「命令した側」です。

毎年、日本の夏が厳しさを増していることは
みんな気づいています。亜熱帯と呼んでもいい気候に
なっていることをみんな知っています。

大人達の記憶の中の夏は、
こんなに暴力的に暑くはなかったのです。

けれど、いつものように、炎天下の試合は続きます。
甲子園大会は所与のものだからです。

昼の12時から3時までは試合を体上しようとか、
ナイターをスケジュールに入れようとか、
そもそも真夏を外して秋にしようとか、
そういう提案を主催者側がしておるという話を
僕は聞いたことがありません。

大人達は、誰も言い出さないまま、
若者達に命令するのです。

それもまた、とても、特攻隊の構図と似ていると感じます。

そして、高校野球だけが問題なのではなく、
みんななんとなく問題だと思っているのに、
誰も言い出さないから

「ただ続けることが目的」となっていることが、
この国ではとても多いのじゃないかと僕は思っているのです。

美濃部少佐のように、論理的に分析して、
何が必要かを堂々と言えるようになりたいと思います。

少なくとも、「夏を乗り切るのは根性だ!」とか
「死ぬ気でやれ!」とか精神論だけを語る人間には
なりたくないと思うのです。
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良い主張ですねーーーー。

2018年1月20日土曜日

箱根駅伝青学4連覇!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 箱根駅伝青学4連覇の勝因を整理してみます。
 今後の予想をしてみます。

ねらい:
 箱根駅伝が
 もっと「ハラハラ」する試合経過になってほしいものです。

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4連覇もすると、
凄い!を超えて可愛くない!になってしまいます。
ほかの大学は何をしているのか、です。
私は、今年のレースはほとんど観戦しませんでした。

可愛くない青学の勝因を整理してみます。

1.箱根駅伝初制覇依頼、素質ある学生が集まってきている。
  今回の10選手中、
  初優勝後に入学した2年生が2人、3年生が5人もいます。
  
  あの初優勝のもてはやされ方を見れば、
  走るのが好きな学生が青学を目指すのは当然の流れです。
  原監督の指導法・人柄に惚れた人も多いでしょう。

2.総合力で優勝している。
  区間の順位を見ると、全員が区間1位なのではなく、
  以下のような成績です。
  全体の平均点で勝っているということです。

  区間1位 4人だけ
  区間2位 2人
  区間5位 2人
  区間9位 2人もいる

3.原監督の選手起用法
 原監督は寝ても覚めても選手の活かし方を考えているそうです。
 選手のその時の状況を見て起用を考えます。
 その証拠に直前でも選手を入れ替えています。
   
 4区で区間9位でも2位を維持し、
 5区で区間5位でもトップとの差を詰める2位を維持している、
 ことは監督の作戦の成果です。

4.原監督の選手育成法
 部員は40数人いるのですが、これを2組に分けています。
 野球でいえば1軍と2軍です。
 
 1軍は原監督も住み込んでいて原監督夫人が世話をやく
 町田の1軍寮を利用します。
 2軍は相模原にある5人ずつ共同生活する2軍寮住まいです。
 
 1軍と2軍は定期的に入れ替えて競争を促しています。
 9区を走った4年の近藤選手は昨秋までは2軍だったそうです。

今後の予想

箱根駅伝4連覇以上は過去にこれだけあります。
 日大(1935年~1938年)
 中大(1959年~1964年) 6連覇
 日体大(1969年~1973年)5連覇
 順天堂大(1986年~1989年)
 駒沢大(2002年~2005年)

過去の4連覇以上校は
その後の順位がどうなったでしょうか。

 日大   2、1、1、6、2
 中大   2、4、4、5、11
 日体大  5、3、2、1、1、
 順天堂大 5、6、3、9、3
 駒沢大  5、7、1、13、2

青学は選手の母集団(総学生数)からすると、
順天堂大並みです。
単純にそれからすると、その後は低迷となりそうですが、
どうでしょうか。

原監督が采配を振るう限りは、今回のの選手層の学年をみても
まだ優勝が続くといえそうです。

しかし、今回の総合タイムは、
青学としても過去最高ではないのですが、
全体としても過去最高ではありません。

開催年   総合成績(時間)  優勝校
2018  10.57.39  青学
2017  11.04.10  青学
2016  10.53.25  青学
2015  10.49.27  青学
2014  10.52.51  東洋大
2013  11.13.26  日体大
2012  10.51.36  東洋大
2011  10.59.51  早大
2010  11.10.13  東洋大
2009  11.09.14  東洋大

優勝は神業ではない、他の大学にもチャンスはあるということです。
箱根駅伝のマンネリ化を避ける意味でも、
他校に頑張ってもらいたいと思います。