2023年6月19日月曜日

日本人の祖先は縄文人、日本語の起源は縄文語、それで??

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 日本人の思考行動特性の原点が縄文時代にあることを
                    再確認いたします。
 「茹でガエル」の原点も縄文時代にあることになります。
ねらい:
 
どうすれば、脱「茹でガエル」ができるかを
                  考えなければなりません。
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私はこれまで、縄文人、縄文語、縄文時代について
以下のように、このブログで取り上げてきました。

そこで今回は最近の解明事項を受けまして、
以上のブログの内容を集約して
「日本人の祖先は縄文人。日本語の起源は縄文語、
したがって日本人の思考法は根深く縄文時代の影響を引きずっている。
だからどうなる?」ということをまとめてみたいと思います。

本項は、こういう構成です。
1.日本人の祖先は縄文人である
2.日本語の起源は縄文語である
3.縄文時代は、どんな生活をしていたのか
4.茹でガエル日本の源流は縄文時代にある
5.縄文時代から弥生時代への転機

【1.日本人の祖先は縄文人である】
縄文人と言うのは、1万3千年前から1万年日本に住んでいた
定住型の狩猟採集民族野ことを指します。
その人たちの血が現日本人にそのまま引き継がれているのです。

この点につきましては、
今回別項「驚天動地!「日本人はどこから来たか」の決着!」で
新説の決定版をご紹介しました。

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[2.日本語の起源は縄文語である】
これにつきましては、
22年3月27日の縄文語の発見」素晴らしい研究です!!!」
が独立し完結していますので、一部を補正してそのまま記します。

今回新たに、その縄文語は
インドに端を発する「ドラヴィダ語」であるらしいことが確認できましたが、
日本語の祖語が縄文語であるという結論には関係してきません。
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「縄文語の発見」素晴らしい研究です!!!」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 現在我々が使っている日本語は、その基礎部分が縄文語である
 という説を知っていただきます。

 縄文語がどのようなものであったのかを知っていただきます。
ねらい:
 そういう見方で、日本語や日本人の思考法を考えてみましょう。
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本テーマは、小泉保、元関西外語大名誉教授(言語学者)の
1997年の著作のご紹介です。


だいぶ前の著作なのですが、
最近私は縄文時代に関心を持っていて見つけました。
本書は以下の構成となっています。
第1章と第2章は、一般読者のために前提知識の提供的位置づけです。

 第1章 縄文文化
 第2章 縄文人
 第3章 日本語系統論
 第4章 縄文語の復元
 第5章 弥生語の成立
 第6章 縄文語の形成

氏は、日本語の系統論では、弥生語の研究まではたどりつくが、
その先の研究がされていないという問題意識から、
縄文語がいかなるものであるかの解明にチャレンジされたのです。
残された文字はないのですから、どうやって探求するか、です。

そこで氏は、柳田国男氏の提唱する「方言周圏論」に着目しました。
言語は、発生の中心部から次第に周辺に広がっていく、
順次新しい言語(ことば)が生まれると
それが波紋のように外側に伝わっていく。
結果として、外側に古い言語が残っている。
というものです。

そこで、カタツムリの例だと
ナメクジ、ツブリ、カタツムリ、マイマイ、デデムシの順に新しい。























カオとツラ(周辺部がツラ)



トンボ
アゲンヅ⇒アゲンズ⇒アケズ 東日本
    ⇒アケヅ⇒アキヅ  西日本
    ⇒アゲンヅ     琉球
と変化していることを確認し、
この元になっている「アゲンヅ」が縄文語であろうと推定されています。

以下のように分析をされています。



単語だけでなく母音・子音の変化も探求されています。
東北地方は、母音系で、息も駅も「エギ」
子音系で、赤(アガ)、底(ソゴ)、篭(カンゴ)、窓(マンド)
こういう言葉の全国分布を調べられました。
その詳細は非常に興味深いものですが、紹介しきれませんので、
関心のある方はぜひ本書をご覧ください。

その検討結果、縄文語にはいくつかの方言があることを結論付けされました。


その縄文語がその後弥生語の影響を受けて現在の日本語になった
とされています。
この図によれば、関西方言と関東方言はかなり別系列なのですね。






























現在の日本語が縄文語を受け継いでいるとすると、
言語=思考特性ですから、
現在の日本人は縄文人の思考特性を受け継いでいることになります。
自然との共生観、共同体意識、悠久性(1万年)などを
DNAで引き継いでいるのです。
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[3.縄文時代は、どんな生活をしていたのか】
この点につきましては、

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「縄文時代がなぜ1万年も続いたのか」をご研究いただきます。
 縄文人の自然との共生状態を知っていただきます。
ねらい:
 日本の歴史の素晴らしさを見直す必要があります。
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「縄文時代はなぜ1万年も続いたのか」につきましては、
2021.7.23の以下のブログで私見を述べさせていただきました。
上野則男のブログ: 縄文時代はなぜ1万年も続いたのか? (uenorio.blogspot.com)

このテーマにつきまして、以下の寄稿を見つけましたのでご紹介します。
ダイレクト出版㈱発行Renaissance Vol7掲載 
伊勢雅臣氏寄稿「SDGsは縄文文明に学べ」の抜粋です。
氏は、公益社団法人「国民文化研究会」理事、筑波大学非常勤講師です。
この論考は、広範な見識を基にして、
非常に分かりやすく解説されています。素晴らしい文章です。
したがって、原文のままをご紹介します。

「縄文時代はなぜ1万年も続いたのか」の答えは、
「縄文人の自然と共生する知恵のおかげである」ということです。

(前略)
【「持続可能性」の世界最古のお手本】
(上野注:そういうことなのですね!!)
しかしSDGsに取り組んでいる多くの方々は
「持続可能性」の世界最古、かつ最も長期間、持続したお手本が、
実はわが国にあることをご存じないようです。
それは縄文文明です。

環境考古学専門の安田喜憲・立命館大学環太平洋文明研究センター長は、
著書「森の日本文化」の中で次のように述べています。
ーーーーーー
縄文文化が自然との調和の中で、高度の土器文化を発展させ、
1万年以上にわたって一つの文化を維持しえたことは、
驚異というほかない。
縄文文化が日本列島で花開いた頃、ユーラシア大陸では、
黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明、
長江文明など、農耕に基盤を置く古代文明がはなばなしく展開していた。

東アジアの一小列島に開花した縄文文化は、
こうした古代文明のような輝きはなかった。
しかし、これらの古代文明は強烈な階級支配の文明であり、
自然からの一方的略奪を根底に持つ農耕と大型家畜を生産の基盤とし、
ついには自らの文明を支えた母なる大地ともいうべき森を食いつぶし、
滅亡の一途をたどっていく。

それに対し、日本の縄文文化は、たえず自然の再生をベースとし、
森を完全に破壊することなく、
次代の文明を可容する余力を大地に残して、
弥生時代にバトンタッチした。
それは、共生と循環の文明の原点だった。
ーーーーーー
従来の文明観では、
旧石器時代に狩猟採集による移動生活を送っていた人類は、
1万2千年前ぐらいから世界の各地で農耕と牧畜を始めて
ようやく定住が可能となり、そこから文明が始まったと考えていました。

しかし、古代文明が生まれたチグリス・ユーフラテス川、
ナイル川、インダス川、黄河の流域はいずれも砂漠化しています。
森を切り拓いて畑にすれば、
樹木がなくなることで表面の土壌が失われてしまいます。
牧畜をすれば家畜が草の根まで食べてしまうので、
植生が失われ、土壌が劣化します。
これらの古代文明は自然との和を持たず、
それゆえ持続可能ではなかったのです。
(上野注:なるほどそうなのですね!!!)

この文明観から完全にはみ出しているのが縄文文明です。
約1万6千年前から狩猟や採集のまま定住生活を始めたのです。
そのために農耕と牧畜による自然破壊とは無縁でした。

【なぜ縄文文明は持続可能だったのか】
日本列島では海の水蒸気を含んだ風が高い山にぶつかって、
多量の雨や雪を降らせます。
年間降水量1700ミリは、温帯では世界トップクラスです。
豊富な水量に恵まれて、深く豊かな森林が列島を覆い、
木の実やキノコなどが豊富にとれました。
イノシシやシカ、ウサギなどの動物も豊富でした。

周囲の海は寒流と暖流がぶつかり合う世界有数の豊かな漁場をなし、
しかも急峻な山が複雑な海岸線を作り、
漁や潮干狩りには好適な入り江が各地にできていました。
この豊かな自然の恵みの中で、縄文人は農耕や牧畜などしなくとも、
狩猟や採集だけで定住生活を営めたのです。

とはいえ、何の智慧もなく、
ただ自然の恵みを受けとっていたわけではありません。
それぞれの食材の「持続可能性」をよく考えながら、
その恵みをいただいていました。

縄文時代の貝塚でシジミやハマグリの貝の断面の成長線を調べると、
全体の70%は4月から6月にかけて食べていたことがわかっています。
現代の潮干狩りと同様で、この時期が最も脂がのっているのです。

春にはイワシ、ニシン、
夏はアジ、サバ、クロダイ、秋はサケ.ブリ等々、
季節によって獲れる魚も多種多様でした。

さらに秋にはクリ、クルミ、シイ、トチなどの木の実を集め、
これらを長期保存して食べていました。

冬は脂肪を蓄えたキジ、ヤマドリ、カモなどを狩ります。
イノシシやシカなどの大型動物の骨も出てきますが、
幼獣の骨はあまり見つからず、また歯の分析からは、
冬の季節にしか捕獲されていないことがわかっています。
それらが絶滅しないよう、他の食物の少ない冬に限定し、
成獣だけを獲っていたのです。
ともに生きる自然への深い配慮が窺われます。

縄文遺跡からは獣60種類以上、魚70種類以上、
貝350種類以上の残滓が見つかっています。
これだけの多種多様な食材のそれぞれを絶滅させないように
「どこでいつ、どれだけ獲るべきか」を考えながら狩猟採集していました。

自然の荒廃を無視して森林を切り拓き、麦だけを植え、
羊や牛だけを育てる古代の農耕牧畜より、
はるかに複雑広範な知識を、縄文人たちは持っていたのです。
(上野注:スバらしいことですね!!)

食材の多様性をさらに大きく広げたのが、土器でした。
土器による煮炊きによって、木の実のアクを抜き、
植物の根や茎を柔らかくして食べやすくし、
魚や獣の肉の腐敗を防げるようになったのです。
土器は通気性や通水性によって表面の水分が気化して低温を保つので、
食物の長期保存を可能としました。

実は世界最古の土器は日本列島で見つかっています。
青森県大平山元遺跡から出土した16500年前の土器です。
世界の他の地域では、
南アジア、西アジア、アフリカでの最古の土器は約9千年前、
ヨーロッパが約8千5百年前で、
これらに比べると日本の土器は飛び抜けて古いのです。

【神話、言語、脳に表れた和の自然観】
こうして豊かな自然に抱かれて1万年も過ごしていたら、
人間も自然の一部であるという生命観を持つようになるのも
当然でしょう。

日本画家で日本神話に関する著書も多い出雲井晶さんは、
次のように指摘されています。
ーーーーーー
古代人は、ものをただの物体とは見なかった。
そして、すべてを神の命の現われ、神の恵みと視た。
すべてのものに神の命を視たからこそ、
ありとあらゆるものに神の名をつけた。
例えば、小さな砂つぶにさえ「石巣比売神(いわすひめのかみ)」
木は「久久能智神(くくのちのかみ)」
山の神は「大山津見神(おおやまつみのかみ)」
というように、それぞれにふさわしい名がつけられている
(「今なぜ日本の神話なのか」)
ーーーーーー
縄文人が草花も自分たちと同じ仲間とみなした生命観は、
日本語に表れています。
目と芽、鼻と花、歯と葉、頬と穂など、
人体と植物の間で語源が共通しているのも、
我々の先祖は植物も人体も同じとみなしていたからだ、
と万葉学者の中西進氏は指摘しています。
(「ひらがなでよめばわかる日本語」)

また、西洋人や中国人、韓国人などは、
虫や動物の鳴き声、波や風、雨の音、小川のせせらぎなどを
雑音や機械音と同様に右脳で聞くのに対し、
日本人は言語と同様に左脳で聞いていることを、
東京医科歯科大学の角田忠信名誉教授が発見しています
(前掲)。
日本人は、虫の音、小川のせせらぎを「音」としてではなく、
自然の「声」として聞いているのです。

縄文文明の「持続可能性」を実現したのは、
このような和の自然観でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【4.茹でガエル日本の源流は縄文時代にある】
これにつきましては、
2022年4月18日の「茹でガエル日本の源流は縄文時代だ!!」
がそのままで通りますので、一部を補正して以下に記します。

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 茹でガエル日本の源流が縄文時代にあることを確認します。
ねらい:
 そのくらい、根が深い問題であるとして、脱「茹でガエル」に
 取り組まなければなりません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日本人が変化を感じるのが鈍いユデガエルであるということは。
今や国民の常識となったようです。

最近、ある機会に、その源流は縄文時代にあるという
「気づき」を得ましたのでそれをご紹介します。

要約するとこうなります。
現在日本語を使う人の脳は自然の音を言語脳で聞くようになっている。
日本語の原点は縄文語であることが発見されている。
ということは、現在の日本人の脳の働きは
1万年も同じような生活を続けた縄文人から引き継いでいる
ことになる。
その結果、縄文人の生活様式から覗える思考・行動特性と
現日本人の思考・行動特性には共通性がある。

したがって、以下のように考えなければならないのです。
変化を好まない日本人の思考特性は、
縄文時代から続いているものである。
縄文時代からの思考特性が「茹でガエル日本」の根本原因なのである。
ということは,
茹でガエルを脱却する対策は生半可なことではできない。
(だからユデガエルなのですからね)

以下の項目建てにより論を展開します。
1.現日本人の思考特性の縄文人の思考特性の継承
(1)日本語をしゃべる日本人は
  自然界の音を言語脳である左脳で聞いていることが解明されている
(2)現日本語の原点は縄文語であることが解明されている
(3)言語学の研究によれば、思考は言語を用いて行われるので、
    言語とそれを用いる思考・行動特性とは密接不可分の関係にある
   (4)日本語を使用している現日本人の脳の作動特性(角田説)は、
  日本語の原点が縄文語である(小泉説)ので、
  縄文人から引き続いていることになる
  
2.現日本人の思考・行動特性と縄文人の思考・行動特性の対比
(1)解明されている縄文人の代表的な生活様式 
(2)縄文人の生活様式から覗える縄文人の思考・行動特性
(3)現在の日本語の特徴と、縄文人の思考・行動特性との整合
(4)縄文人の思考・行動特性は現代まで引き継がれている要因
(5)現日本人の思考の現状

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1.現日本人の思考特性の縄文人の思考特性の継承
(1)日本語をしゃべる日本人は
  自然界の音を言語脳である左脳で聞いていることが解明されている

・この日本人の脳の作動特性の大発見をしたのは、
 東京医科歯科大学の角田忠信教授(当時)です
 

(角田忠信「日本人の脳」1978年)。
その後、2016年にこれの改訂版が
「日本語人の脳」として刊行されています。









1)日本語をしゃべる日本人
  (正確には9歳までに日本語を習得している人間、民族不問)は、
  動物や自然界の音を言語脳である左脳で聞くようになっている。  
2)動物や自然界の音を言葉として理解しようとしているのだという
  角田教授の解釈である。
3)日本語は母音優勢の言語であり、母音単独で意味を持っている。
  そのため母音を非言語脳で聞く欧米人と異なり、
  母音を言語脳で聞くようになっている。
  そのことと自然界の音も言語脳で聞くことと関係がありそうだ
  と解釈されている。
4)このような言語は、角田教授の認識している範囲では、
  世界で日本語とポリネシア語だけである。
 

上野注

 角田先生は、そのように限定されていますが、日本語の原点がインド地方のドラヴィダ語にあるという別項でご紹介した藤原明先生の説によれば、こういうことが考えられます。

 ポリネシア原住民も日本の原住民も同じドラヴィダからの移住民族です。その移住民族の多くはその後の他民族との交流によって、異なる言語系になってしまいましたが、孤島状態の日本とポリネシアにドラヴィダ直系言語が残ったのです。

 オーストラリアなど、その経路を探せば他の地域の原住民にもドラヴィダ系の語族がいるのではないでしょうか。

 なお、ドラヴィダ語とポリネシア語のの母音が,aiueoの5母音であることは、「その単母音が意味を持っている」という角田説の根拠との整合があります。

以下は、Wikipediaの解説です。









   ポリネシア諸語およびフィジー語   西フィジー・ロツマ諸語英語版

 


出典:「日本人の脳」

 日本では認識過程をロゴスとパトスに分けるという考え方は、西欧文化に接するまでは遂に生じなかったし、また現在に至っても哲学・論理学は日本人一般には定着していないように思う。

日本人にみられる脳の受容機構の特質は、日本人及び日本文化にみられる自然性、情緒性、論理のあいまいさ、また人間関係においてしばしば義理人情が論理に優先することなどの特徴と合致する。

西欧人は日本人に較べて論理的であり、感性よりも論理を重んじる態度や自然と対決する姿勢は脳の受容機構のパターンによって説明できそうである。

西欧語パターンでは感性を含めて自然全般を対象とした科学的態度が生まれようが、日本語パターンからは人間や自然を対象とした学問は育ち難く、ものを扱う科学としての物理学・工学により大きな関心が向けられる傾向が生じるのではなかろうか。


(2)現日本語の原点は縄文語であることが解明されている

・このことを解明したのは、
   小泉保関西外国語大学国際言語学部長(当時)です
 (小泉保「縄文語の発見」1998年)。
  参照(2022年3月27日)
  残されているものがないので分かっていない。
2)小泉教授は、日本の各地に残されている方言を分析した結果、
  それらが共通の母語を持っていることを発見した。
3)共通の母語から、地域的・時間的に変化していくモデルを設定し
  その言語の原型を想定した。
4)それが縄文語であると想定した。
5)ということは、現日本人が使用している言語の骨格は、
  縄文人から引き継がれていることになる。
6)その縄文語がどこから来たものであるかは、
  この研究からは不明である。
 
  (3)言語学の研究によれば、思考は言語を用いて行われるので、
   言語とそれを用いる思考・行動特性とは密接不可分の関係にある。   

出典:ガイ・ドイッチャー著「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」
 ドイツ語人: 理路整然とした考え方をする。
 フランス語人:明快さと正確さを持つ。
        エスプリに相当する英語はない
 英語人:   秩序正しく力強くてきぱきとして真面目である。
        マインドに相当するフランス語はない。
 前後左右という言葉がなく東西南北で表現する民族語がある。

 
4)(4)日本語を使用している現日本人の脳の作動特性(角田説)は、
  日本語の原点が縄文語である(小泉説)ので、
  縄文人から引き続いていることになる

  したがって、現日本人の思考・行動特性は、
  縄文人の思考行動特性を引き継いでいる、ことになります。

1)(1)(2)(3)を結び付ければ、
 当然の帰結としてこうなりますが、
 まだその主張をしている者はいません。

2)最近のDNA分析の結果、
 当然ながら現日本人は縄文人のDNAを引き継いでいることも
 判明しています。
 (研究によって、14%から53%と幅がある。
 関裕二著「『縄文』の新常識を知れば日本の謎が解ける」2019年)

そこで以下、
縄文人から引き継いでいる生活様式や思考行動特性を明らかにします。

2.現日本人の思考・行動特性と縄文人の思考・行動特性の対比

(1)解明されている縄文人の代表的な生活様式

以下のとおりです。
1)狩猟・漁労・採集が生業であった。
 栗の栽培は行っているが本格的な農耕はしていない。
 自然との共生を旨とする縄文人にとって、
 農耕は「自然に手を入れる」ということでの抵抗があった
 のではないかという説がある。

2)弓矢・石斧を始めとする多くの道具を開発・利用した。
 特に土器を活用し煮炊きをしたので、可能な食糧が拡大した。

3)食糧確保は、
 自然を破壊しないで自然の循環系を活かす工夫をしていた。
 まさに、本物の「生活の知恵」である。

Renaissance vol.7 伊勢雅臣[SDGsは縄文文明に学べ]

縄文遺跡からは獣60種類以上、魚70種類以上、貝350種類以上の残滓が見つかっている。

これだけの多種多様な食材のそれぞれを絶滅させないように「どこでいつどれだけ獲るべきか」を考えながら狩猟採集をしていた。

自然の荒廃を無視して森林を切り拓き、麦だけを植え、羊や牛だけを育てる古代の農耕牧畜より、はるかに複雑広範な知識を縄文人たちは持っていたのである。植物も400種類以上、食していたと想定されている。


4)その生活を1万年も継続した。

5)縄文中期末には稲が伝わったが、積極的に取り入れることはしなかった。
  稲作は食糧生産の革新であるが、その時点ではこの革新は実現していない。

6)かなり大きな集団が集まる定住共同生活をしていた。  
  三内丸山遺跡が代表例である。
  中心に祭壇らしきものであるので、
  神への豊穣の祈りを共同で行うことが
  集団の目的であったようにうかがえる。

7)自然神を信仰していた。
  自然神崇拝アニミズムは原始人に共通である。
  その後生まれた言葉であるが
  「八百万の神」を信仰していたのである。
  土偶の頭部は食用にする植物や魚介類を模っているもので、
  豊作・豊漁を祈ったものとみられる。

8)種族間等で戦いのあった形跡はない。
  力を合わせて自然と向き合う方が重要であったと考えられる。

9)種族を率いる「王」の存在は確認できていない。
  特定の者が特別の形で埋葬されている形跡はない。

10)遠隔地との交流も行われていた。
  優れた食物やヒスイ・黒曜石を入手するために
  かなり遠方まで足を延ばしている。

(2)縄文人の生活様式から覗える縄文人の思考・行動特性

要約するとこうなります。
1)自然神を崇めている。=「神頼み」である。
2)改善を得意としている。
3)革新は避けている。
4)同じ生活方式を長期に亘って継続している。
5)お互いに力を合わせて(=和の重視)よりよい生活を目指している。
6)お互いの争いはしない。

(3)現在の日本語の特徴は、この縄文人の思考・行動特性と整合

 

 一般に指摘されている日本語の特性

1)主語が明示されない。
 責任の所在をあいまいにしている。
2)受身表現を多用する。
 人のせいにする。「女房に逃げられた」
3)尊敬語・謙譲語が多い。
 和の重視の結果である。外国人にはとても覚えられない。
4)自然を表す語彙が多い。
 自然と共生していた生活の結果と考えられる。
 たとえば、雨に関する語彙は、「はるさめ(春雨)」
 「さみだれ(五月雨)」「つゆ(梅雨)」「ゆうだち(夕立)」
 「しぐれ(時雨)」「霧雨」「氷雨」「大雨」「豪雨」など。
5)多彩な表現力を持つ。
 冷たい、ぬるい、温かい、熱い、寒い、肌寒い
 (英語ではcoldwarmhotしかない)
6)断定を避ける。
 和の重視。「○○だ」「イヤ」「ダメ」は滅多に使わない。


 (4)縄文人の思考・行動特性は現代まで引き継がれている要因

この2点です。
1)弥生時代以降の農耕生活
 ・農耕生活も縄文式狩猟採集生活に連続する共同体生活方式であり、
  思考・行動特性は引き継がれている。

2)他国との独立性
 ・国境を他国と接していない大国は日本だけである
 (イギリスはヨーロッパと35キロしか離れていなく独立性は低い)
 ・そのため、強制的に異文化に混乱されるということなく、
  純粋培養的に原文化が維持された。

(5)現日本人の思考の現状
現日本人に引き継がれている縄文時代の思考特性を確認いたします。

・以下の二つの全国版の日本人の意識調査結果を基に、
(2)の縄文人の思考・行動特性項目について、
 現日本人の思考と縄文人の思考・行動特性との対比を分析しました。

調査結果その1 NHKの調査 第10回「日本人の意識」調査(2018)
調査結果その2 内閣府の調査 「国民生活に関する世論調査」
(令和3年

・結論として、現日本人の思考と縄文人の思考・行動特性とは、
 かなりの共通性があることが確認できました。

1) 自然神を崇めている。=「神頼み」である点について

a.調査結果その1 第28問 信仰・信心
 あなたが信じているものをいくつでもあげてください。
  神          30.6%
  仏          37.8%
  聖書や経典のなどの教え 5.7%
  あの世、来世     10.8%
  奇跡         14.0%
  お守りやおふだなどの力15.7%
  易や占い        4.6%
  何も信じていない   31.8%
 

・これによれば、
 日本人は特定の宗教(仏教・キリスト教)の信者である人は少ない
 となっている(聖書や経典のなどの教え 5.7%)。
・「神」の回答は、神社にお参りするあるいは
 せいぜい神社の氏子であるということであって、
 特定の神を信仰しているわけではない。

・「仏」の回答も、代々のお墓を守ってくれているお寺という意味で、
 必ずしも仏教の信者であるわけではない。

・「何も信じていない」が約32%である。

・因みに以下の資料によると、世界で無宗教者が多い国は6か国しかない。
 出典:2012年12月19日 CHRISTIAN TODAY 
 無宗教者が大半を占める国は中国、北朝鮮、チェコ、エストニア、
 香港、そして日本のわずか6カ国であることが示された。
 「無宗教者」に分類される人は、
 単にどの具体的な宗教も選ばなかった人であり、
 必ずしも「無神論者」とはいえないという。
 なお、今回の調査では、
 米国でも無宗教者が増加していることが示された。

b.調査結果その1 第44問 政治活動
 あなたは、この1年くらいの間に、政治の問題について何かしましたか

  何もしなかった   80.8% 漸増
  署名運動に協力した 10.7% 減少傾向
  集会や会合に出席した 5.2% 減少傾向
  献金・カンパした   4.6% 減少傾向


・「何もしなかった」=「神頼み」「人頼み」である、
 ということになりそうです。


2) 改善を得意としている、3)革新は避けている、点について

a.調査結果その1 第40問 政治課題
 今、日本の政治が取り組まなければならないいちばん重要なことがらは
 何でしょうか。
  国内の治安や秩序の維持 20.4%
  日本の経済の発展    23.8%
  国民の福祉の向上    26.3%
  国民の権利の保護    16.4%
  学問や文化の向上     2.4%
  国民の政治参加機会の増加 5.0%
  外国との友好促進     2.1%


・「国内の治安や秩序の維持」「国民の福祉の向上」
 「国民の権利の保護」は、現状の延長線上で考えられることです。
・これに対して、
 「日本の経済の発展」はその必要性は大きいが、
 現状の延長では困難であることが分かってきているテーマです。
・これが他のテーマの前提条件になるものです。
 それに対する認識が高くないということは、
 困難な革新に対する志向が大きくないことを示している、
 といえそうです。

3)同じ生活方式を長期に亘って継続している点について
a.調査結果その1 第4問 生活全体についての満足感
 あなたは今の生活に、全体としてどの程度満足していますか。
  1.満足している         38.7%
          (前回調査2013年から増加している)
  2.どちらかと言えば満足している 53.0%
   満足しているの合計は      91.7%

b.調査結果その2 問2 現在の生活に対する満足度
 あなたは、全体として現在の生活にどの程度満足していますか。
  満足している    7.2%
  まあ満足している 48.0% 計55.3% 
   平成4年からほぼ横ばい
  やや不満だ    32.3%
  不満だ      12.0% 


・調査結果はその1は面接法で、調査結果その2は郵送法です。
 そのため、
 調査結果その2の方が、本音が出ているものと思われます。
 いずれにしても満足派が多いのです。

・ということは、現状に満足していれば革命は起きず、
 その延長で生活が継続されることになります。

c.調査結果その2 問4 現在の生活の充実感
 あなたは、日常生活の中で、どの程度充実感を感じていますか。
  十分感じている    6.7%
  まあ感じている   48.8% 計55.5% 低下状況
  あまり感じていない 34.9%
  ほとんど感じていない 8.1%


・満足感とほぼ同じ傾向で、半数以上が現状を是としています。

4)お互いに力を合わせて(和の重視)よりよい生活を目指している点について
a.調査結果その1 第19問 理想の仕事
 仕事もいろいろありますが、どんな仕事が理想的だと思いますか。
  仲間と楽しく働ける仕事    22.6%
  健康をそこなう心配がない仕事 19.6%
  専門知識や特技が活かせる仕事 16.4%
  自分が生きがいをもって取り組める仕事 この選択肢はない。


・仲間との共同を重視しています。

b.調査結果その1 第16問 仕事の相手
 その仕事はかなりむずかしく、しかも長期間にわたる場合、
 あなたは相手としてどちらを選びたいですか。
  甲:多少つきあいにくいが、能力のすぐれた人 24.6%
  乙:多少能力は劣るが、人柄のよい人     71.6%


・成果よりも和を重視しています。

5)お互いの争いはしない点について
a.調査結果その1 第18問 結社・闘争性
 かりにあなたが、新しくできた会社に雇われたとします。
 しばらくしてから、雇われた人々の間で給料と働く労働条件に付いて
 強い不満が起きたとしたら、あなたはどうなさいますか。
 (注:いずれも選択肢の説明あり)
  静観    50.6%
  上司に依頼 28.6%
  自ら活動  15.6%


・争いごとを避ける「静観」が過半で選択されています。

b.調査結果その1 第6問 生活目標
 人によって生活の目標もいろいろですが、
 あなたの生活目標にいちばん近いのはどれですか。
  1.その日その日を、自由に楽しく過ごす    25.6%
  2.しっかりと計画を立てて、豊かな生活を築く 23.5%
  3.身近な人たちと,なごやかな毎日を送る   45.9%
                         (漸増)
  4.みんなと力を合わせて、世の中をよくする   4.2%
                         (漸減)

・「なごやかな生活がいちばん」となっています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【5.縄文時代から弥生時代への転機】

前掲【3.縄文時代はどんな生活をしていたのか】
縄文人の「生活の知恵」はよく分かりました。
しかしなぜそのような知恵が生まれて、
かつ全国に一般化したのでしょうか?それも不思議です。

そして、自然との共生コンセプトは素晴らしいことですが、
生存持続能力としては限界があったことも確認しておく必要があります。

縄文時代人は、日本全国で、2万人からスタートし
縄文中期に26万人に達しましたが、縄文晩期に8万人に急減したと
言われています。厳しいことです。










出典:「社会実情データ図録」(ネット)







寒冷化によって、その生活様式では
その程度の人口しか維持できなかったのです。
かろうじて生き延びた状態でした。

生き延びられたのは、
寒冷化の終了とかも含め、奇跡に近い状態だったのかもしれません。

おそらく、
縄文人は、これをきっかけに本格的に稲作農耕に取り組むように
なったのではないでしょうか。
寒冷化による生存危機によって、従来の生活様式を捨てたのです。
寒冷化は、明治維新や敗戦に匹敵する重大事です。
「ゆでがえる」が飛び出たのです。
これによって、縄文時代は終わりを告げ弥生時代になりました。

ということは、縄文文化を引き継いでいる現日本人の思考は、
これらの重大事に匹敵することが起きない限り
変わらないということになりそうです。

どうしたものでしょうか???

「日本語はどこから来たか」の本命版です!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「日本語はどこから来たか?」をご研究いただきます。
 これも諸説あり、決着していないことを確認していただきます。
 しかしどうやら本命説が出てきているらしいことを
                     確認いただきます。
ねらい:
 この論の決着を見守りましょう!!
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別項「驚天動地!「日本人はどこから来たか」の決着!」で、
「日本人はどこから来たか」が、私としては決着したと考えます。
そこで、その前提で「日本語はどこから来たか?」についても
考えてみることにしました。

日本語の起源論の最新の書籍である
近藤健二名古屋大学名誉教授(専門は歴史言語学)著の
「日本語の起源」(2022年1月刊)には、
これまでの起源論の総括が示されていますので以下に掲載します。


ただし、この書籍の帯には「渡来人がヤマトコトバを創った」とありますので
近藤氏の説自体は信用できません。

日本語起源説の紹介(近藤健二教授による)

日本語起源説の区分

内容

「日本人由来説」正解との整合

北方起源説

日本語は、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル語、チュルク語(トルコ語)とともにアルタイ語族を構成する。文法面においても顕著な類似性を有する。しかし語彙面の一致が薄弱であるために、影が薄くなっている。

矛盾はしない。

チュルク語との関係は不明。

北方語と南方語の重層説

北方語はアルタイ系言語、南方系は南太平洋に分布するオーストロネシア系言語である。どちらが先であったかで2説ある。

近藤氏は、どちらの案も水田稲作の起源仮説から認められないという誤説を付記している。

矛盾はしない。

チベット・ビルマ語起源説

日本語とチベット・ビルマ語が同系の言語である。

近藤氏は「稲作の伝来という枠組みから認められない」と誤論を主張している。

矛盾はしない。

タミル語起源説

縄文時代の日本語は南方系のオーストロネシア系言語であったが、紀元前500年頃、タミル人が渡来しそれまでの言語を駆逐した(大野晋氏説)。

そのような渡来人の実績がない。

日本語古層説

日本周辺の日本語、朝鮮語、アイヌ語、ギリヤーク語は系統不明の言語で、ユーラシア中心部では消し去られてしまった古い言語の名残りが見られる。

小泉保氏の「縄文語の発見」もこの類である。

矛盾はないが、由来は不明。


ところが、日本人の由来の新説「日本人の祖先は縄文人だった!」
に匹敵する日本語の由来の新説が見つかりました。
それは、藤原明(当時近畿大学講師)著「日本語はどこから来たか」
(1981年刊で古い本)です。
今回、読み直して大発見でした!


藤原氏の主張は、上表で言えば「タミル語起源説」に該当します。
インドで広範に展開されたドラヴィダ語の研究をされました。
たいへんな研究成果と思われますが、上掲の表にも登場しないので、
なぜか、学会では評価されなかったのでしょう。
(今も、近畿大学講師のままなのです。どうしたことなのでしょう??)

私は、素人ながら、語彙は簡単に移動して行きますので、
語源探求には決定打とならないと思っています。

藤原氏は語彙の比較研究も徹底的にされています。
(このような表が、人体語、基礎動詞、狩猟採集関連語、衣生活関連語、
食・住関連語、宗教関連語、全部で17頁もあります)














さらに、単一のドラヴィダ語を分析されているのではなく、
次の図のように、ドラヴィダ祖語からの派生語の分析もされています。
これによれば、「ココロ」は乳房(konku-ri)からきているのだそうです。












参考までに、ドラヴィダ語族に関するWikipediaの解説を示します。 


 ドラヴィダ語族(ドラヴィダごぞく、Dravidian)は、主にドラヴィダ人と総称される人々が使用する言語語族 (ごぞくであり、およそ26の言語が含まれる。ドラヴィダ語は、主として南インドスリランカで話されているが、また、パキスタンアフガニスタンネパール、そして東部及び中央インドの特定の地域、バングラデシュブータンでも話されている。 ドラヴィダ語族の話者人口は 2億人を越える。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
特筆すべきは以下のように、文の構成の比較研究もされているのです。

日本語とドラヴィダ語の共通点

共通点

1.母音は,a,i,u、e、oの五つである。

角田忠信先生説との整合あり。

2.エ(e)の音が共通して不安定である。

 

3.二重母音は本来的には存在しない。

 

4.基本的には単語は母音で終る。

 

5.語頭には流音・濁音・子音群が来ない。

 

6.どちらも膠着語である。

語幹または単語に接辞や単語を付けて時制とかを表わす。

7.後置詞(助詞)が用いられる。

テニオハのこと。

8.疑問文は平叙文に疑問助詞・接尾語をつける。

これは大きい特長!!

9.指示代名詞は、近、中、遠の三称の別がある。

コレ,ソレ、アレ

10.所有関係は「――は~がある」と表現する。

「持っている」ではなく「ある」

11.敬語法が発達している。

これも大きい特長!

12.語順は、主語・目的語・動詞であり、修飾語は被修飾語の前に来る。

これは大きい特長!!

13.接頭辞を用いる。

御(ご、み、お)などのこと。

14.母音調和がある。

 

その結果、日本語はドラヴィダ語が祖語であると結論付けておられます。

ところが、どうやってその言語が日本にやって来たかの仮説が
現在の日本人の由来説からすると、ピント外れだったのです。
仕方ないですね。言語の比較はできても、
人類史の専門家ではないのですからね。
こういう由来説を唱えておられます。

原ドラヴィダ民族は、紀元前4000年頃、
おそらく西アジアの方から
インド北西部へ、移住してきたものと考えられている。
原日本民族はこの民族の一部を形成していた。
あるいは、すでに原ドラヴィダ民族と原日本民族の二派に
分かれていたかもしれない。
彼らはインダス川流域に住みつき、農耕を始め、
紀元前3000年頃には、
早くもインダス川下流のアムリを中心にした、
農耕社会を建設していた。
中略
日本人の先祖が紀元前2300年頃以前に、
グジャラートあたりで稲の栽培法を学んだということは、
すでに述べたように言語学的に証明されている。

上野注:
現日本人(縄文人)が日本で生活を始めているのは、
遅くとも1万3千年前ですから、この説は全くNGです。
稲の栽培が日本に伝わったことにこだわり過ぎているのです。

経路が不明でも、
原日本語が原ドラヴィダ語に近いことは否定できません。
特に、上掲表の8番、12番の文章の構成に関してこれだけ共通なら、
(それ以外の7番から14番までもそうですが)
欧米系の言語との違いは一目瞭然です。

原日本語(縄文語)は、原ドラヴィダ語を話す日本列島渡来人が
1万年以上前に持ち込んだものなのでしょう。
それが説明できないのが、藤原説の弱いところです。

おそらく、インド大陸を経由して東へ移動した人類が
各地にドラヴィダ語系の言語を残したと思われます。
しかし大陸では、その後多くの人種の移動があり、
純粋なドラヴィダ語系は消えてしまいました。
ところが、東端の日本では、他の言語系の影響を受けることなく、
そのままの形で残ったということではないでしょうか。

いずれ真相が解明されると思います。
これだけ素晴らしい分析が、学界では認められていないというのは、
どういうことなのでしょう?
異端の説を認めない学会というものは、大疑問です!!

なお、初めに挙げました近藤教授の表に記載されている
「日本語起源説」のほとんどは、
日本人の起源説の人類の流れからすると、
類似性の根拠が認められるものです。
「その面はありうる」ということです。