目的:
小さい子どもの会話の本質を理解いただきます。
小さい子どもの会話の本質を理解いただきます。
会話では「節」イントネーションが大事だ
ということを再認識していただきます。
ねらい:
そういう認識を今後活かしてください。
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ねらい:
そういう認識を今後活かしてください。
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2回ご紹介した「野の古典」に載っていた
とても興味深いエピソードのご紹介です。
以下原文のままです。
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2歳になったか、ならないかのある日、娘が突然、
「足柄やめて」といいだしました。
足柄?
金太郎の話をした覚えはない。
かりに保育園で金太郎の話を聞いたとしても「やめて」は変です。
何より「やめて」というわりにはニコニコしている。
(上野注:この位の女の子は一番可愛いですね!!)
理解できません。
意味を尋ねようにも相手は2歳。
むろん答える言葉を持ちません。
保育園の先生に聞いても、やはり「わからない」という。
そこで「足柄やめて」を使う状況を観察するために、
先生にお願いして、
子どもたちが遊んでいる端っこに座らせてもらうことにしました。
娘が通っていたのは、
公立ながら児童数が1学年10名以下という小さい保育園。
さまざまな年齢の子が一緒の部屋で遊んでいます。
同年輩の子どもたちと遊んでいるときには
「足柄やめて」をいいません。
が、年上のお姉ちゃんたちが遊んでいる方に向かったときに、
とうとう出ました。
「足柄やめて」
すると、お姉ちゃんたちはみな口をそろえていいます。
「いいよぉ」
え、意味がわからない。
「足柄やめて」に「いいよ」。
しかし、子どもたちはこちらの意味の分からなさとは無関係に
仲良く遊びはじめたのです。
そう。勘のいい方はおそらく気づかれたでしょう。
この「足柄やめて」は「あたしも入れて」だったのです。
「足柄やめて」と「あたしも入れて」は
言葉としてはまったく違います。
同じところといえば7音(4十3)という音数と、
最初の「あ」と最後の「て」だけです。
わたしたち大人にはまったく理解できなかったのに、
子どもたちは理解できた。なぜなのか。
文字ではうまくお伝えできないのですが、
じつはこのふたつ、節(メロディ)が同じだったのです。
山形を描く「あたしも入れてぇ」と同じ節で
「足柄やめてぇ」と歌うようにいえば、
それがまったく違う意味の言葉でも「いいよぉ」を引きだせるのです。
子どもたちにとって大事なのは意味ではなく節であり、
これはすなわち、彼らが「意味の世界」ではなく
「歌の世界」に住んでいることを意味するのではないでしょうか。
そう思って聞いてみると、
「あーそーぼー」とか「くーだーさーいーなー」とか、
小さい子どもの言葉には「節」がついていることが多い。
それが大人になるにつれ、節が減っていきます。
わたしたちにとって成長するということは、
「歌の世界」から「意味の世界」への移行を言うのかもしれない。
そんなことを考えさせられました。
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たいへん興味深い問題提起です。
ただ、「意味の世界」ではなく「言葉の世界」と言い換えた方がより
主張点がハッキリすると思います。
私は、最近少し難聴気味なのですが、
このとおりのことを感じます。
相手と話をしていて、何の話をしているか分かると、
その「節」で何を言っているか分かるのです。
音を一つずつ聞いて、音をつなげて言葉にしているのではないのです。
したがって、孫娘と話をしていて、
話題を変えられていきなり何かを聞かれると、
何のことを言っているかさっぱり分かりません。
聞き返すと「もういい」と怒られてしまいます。
これで、思いついたのが英会話の習得です。
日本人は英語を習うときに、単語(言葉)のつらなりとしてみます。
英会話でも同じです。
頭の中で単語のつながりを考えてそれを発音するのです。
棒読み状態です。
ネイティブはそのようにしゃべったり聞いたりしませんから、
特に発音が悪かったりするとまったく理解してもらえません。
私は、若い頃に2年ほど英会話スクールに通いましたが、
その時に学んだのは「イントネーション」が大事だということでした。
イントネーションは、前掲文の「節」に当たります。
イントネーションが合っていると
単語の発音はいいかげんでも通じるのです。
Yes、Well、Pardon?などの合いの手のイントネーションも大事です。
これだけでも会話ができるかもしれません。
英国英語と米国英語で違うのは主にイントネーションです。
米国英語は、英国人から見ると下品ななまりなのでしょうね。
前掲の英語のイントネーションは、
相手が何系かで通じたり通じなかったりするでしょう。
そういえば関西弁と東京弁は単語の違いもありますが、
イントネーションの違いが大きいですね。
それができないと、「変な関西弁!」と言われてしまいます。
そんなことを思ったことを、この安田さんの文章で思い出しました。
3 件のコメント:
面白いですね。
超ずるに及んで調べを失っていくという点にハッとさせられます。
地球の季節を音楽にすると、いかにもその季節の調べが奏でられるそうです。
特に現代人は、調べを失ったのかもしれませんね。
昔の日本人は、この調べを大切にしていたのではないでしょうか。
クマゴロウさん
投稿ありがとうございます。
地球の季節の調べ、聞いてみたいです。
この項は、今月のテーマの中で最高のアクセスで、
皆様の関心を呼んだようです。
MTさんからメールでいただきましたので転載いたします。
足柄やめては面白い話ですね。
言葉が発達するでは子供は意味よりも発音や身振りでコミュニケーションをするとは
幼稚園教諭をしていた家内の発言の受け売りです。
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