目的:
東北地方の巨大防潮堤について考えていただきます。
ねらい:
津波対策は、もっと総合的視点で考える必要があります。
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東北の海岸に「万里の長城」と言われる堤防があるのを
ご存じですね。
元祖は、岩手県宮古市田老地区の堤防です。
この地区は、
1896年、1933年と続けて大津波により壊滅的被害を受けて、
1934年から1978年までかけて完成させています。
ところが今回の津波は、海面から10mの高さを誇る防潮堤を越え、
町を襲いました。
東方向に延びる防潮堤は津波で破壊され、
内側の集落は壊滅的な被害を受けました。
防潮堤の効果は限定的だったのです。
下の図の右前方の堤防が決壊しました。
決壊していなくても、津波は超えて来たのです。
(出典:日経コンストラクション)
この堤防で祈りが捧げられました。
出典:3月12日 日本経済新聞
ところが、気仙沼市で巨大な「万里の長城」を構築中なのです。
初めは住民も賛成していたようですが、
工事が始まってみるとこれはダメだ、
と今や8割の住民が反対しています。
ところが、行政はいったん決めたものは、
という感じでやめる気配はないようです。
出典:Newsweekコラム 2017.10.25
「東北被災地の「万里の長城」工事をなぜ止められないのか」
反対理由は、
何メートルにしようが、それを越えてくる津波がないとは言えない、
浜と内側が分断されて、漁業に支障がある、
景観が悪い、
金がかかりすぎる、その金があるなら他の復興に使う方がよい、
というようなことです。
そのとおりでしょう。
私は以前から、
このような有害な事業に反対意見を述べてきました。
潤うのは土建業者だけです。
「津波がくる」「だったらそれを防ぐ防潮堤を作ろう」
こんな短絡的思考は、ダメ日本の象徴です。
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この問題を考えるうえで参考になる記事がありました。
3月9日日経新聞の「日本は変われたか」シリーズ第1回
「復興の哲学を変える必要があった」にこういう記述があります。
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東日本大震災は経済成長が鈍化し、
人口が減少し始める中で起きた最初の大災害だった。
被災地の復興を縮む時代にどうあわせるか。
あふれるインフラを見ていると、
人口減への解を見つける機を逸したように思えてならない。
「壊れたら、直ちに元に戻す」という長年の経験で
インフラ復旧に乗り出した。
津波で壊れた漁港、水浸しの農地の復旧は急ピッチで進んだ。
がれきを片付けた街でかさ上げの造成工事が進み、
海岸にはより高い防潮堤が築かれた。
住まいや暮らしの再建は同じペースでは進まなかった。
速やかに暮らしやすい環境を整えてほしいとする
被災者のニーズとはズレが生じた。
(中略)
身の丈を意識していたのは被災地のほうだ。
津波で827人の犠牲者を出した宮城県女川町。
須田善明町長は復興の方針をこう説明する。
「人口が減少しても
活力を維持できる町にしないといけないと考えた」
住居の高台移転は人口の回復ペースに合わせ当初案を縮小し、
中心部の商店街には工期が短い平屋建てを並べた。
防潮堤に過度に期待せず、地震が来たら「逃げる」意識を再確認。
どれも町民がムリなく受入れられ、迅速に復興できる策だ。
(中略)
いまの日本に必要な哲学は、人口減や働き方の変化に応じ、
暮らしやすい空間をつくることだ。
問われるのは予算の大きさより知恵と覚悟だ。
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この記事の主張から言えることはこうです。
机上の理屈でなく現場で考えなければならない。
単なる「復旧」の考え方は捨てるべきである。
行政の末端は過去の延長でしか行動できない。
変えることができるのはトップである。
変革期・戦時にはトップの役割は重大です。
戦国時代を通じ、末端の兵の力で戦いを制した国はなく、
将の戦略・采配が勝負を決めるのです。
別項の「日本の産業構造転換どうする?」
の後段につながる話になります。
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