2021年6月21日月曜日

「軍神」の成功要因を探る!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 死と隣り合わせの戦争において、数々の危機を乗り越えて
  生き延びた「軍神」の「成功要因」を探ってみます。
 ビジネスの成功要因と同じで、
  「目的意識」「遂行能力」「運」でした。
ねらい:
 「目的意識」が諸行の根源であることをご確認いただければと思います。
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2018年1月当ブログで、9回の特攻出撃命令を受けながら、
不死身だった驚くべき特攻兵の実話をご紹介しました。
上野則男のブログ: 「不死身の特攻兵」 (uenorio.blogspot.com)

今回、米本土爆撃を成し遂げた唯一の飛行士藤田信雄氏の自伝
「我が米本土爆撃」を読んでみました。

両書とも、
上層部の不当な命令に従わない、
まともな日本兵がいたことが示されているのです。
素晴らしいことです。

「我が米本土爆撃」は、こういうことでした。

昭和17年4月18日に、初の日本本土空襲で
東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸が
B25の爆撃を受けました。

その「お返し」に米本土爆撃が計画されたのです。
敵に気づかれにくい潜水艦を利用し、
その潜水艦に収容している組立式の飛行艇を使うのです。

このイラストの出典は、
「アメリカ大陸爆撃物語」絵と文:原俊郎 2004年公開、です。










25の諸元等

乗員数

94

全長

108.7m

全幅

9.3m

排水量

2584トン

速度

水上23.6ノット、水中8ノット

安全潜航深度

100m

水上航続距離

速度16ノットで14000海里

エンジン

ディーゼル12400馬力、電動モーター(潜水時)2000馬力

魚雷発射管

艦首に6

積載魚雷数

17

その他武装

14センチ砲1門、25ミリ機銃4、それに零式小型水上偵察機

25の完成日

19411015日、三菱神戸造船所にて

25の主な所属

横須賀、第6艦隊、第一潜水戦隊

零式小型水上偵察機のイメージ(あだ名が金魚)
全長8.5m、二人乗り。



実現したのは、
第1回が昭和17年9月9日、オレゴン州の山林に焼夷弾2発
第2回が敵がさらに警戒している9月27日にほぼ同じ場所です。
敵が厳重な警戒をしている中での高リスクの作業です。

この米本土攻撃は、「成功」はしましたが、
期待した大規模な山林火災は発生せずに、
米国に対して精神的ショックを与えただけに終わりました。
















それにしても、どうしてそんなことが実現でできたのでしょうか。
そこで、その成功要因を整理してみました。
「不死身の特攻兵」の成功要因と合わせてみました。

「軍神」

佐々木友次陸軍伍長

藤田信雄元海軍中尉

紹介書名

「不死身の特攻兵」

「我が米本土爆撃」

1,目的意識

「多くの敵艦を沈めることが目的である」と認識していた。「特攻を成功させる」ことを目的とする軍の認識とは不一致である。

この考えを通せたのは、佐々木伍長の上官である陸軍の特攻隊万朶隊隊長の岩本益臣のおかげである。

軍の考えは、まさに「手段の目的化」そのものである。

「防御体制の厚い米本土を爆撃して一矢を報いる」目的を上司と共有していた。

その目的からすると、危険でかつ戦争の国際規律に反する都市を攻撃する必要はなく、人の住んでいない森林を攻撃目標とした。

 

2.技術力

10回の出撃命令に対して、成功して帰還した場合が2回

 (それでも、上官は「なぜ帰って来たのか。今度は帰ってくるな」と言った)

操縦の難しい小型の艦上航空機(零式小型水上偵察機)での技術が認められ、初の米本土攻撃の任に指名された。

その航空機で何度も敵軍の攻撃をかわしている。

3.判断力

判断で引き返した場合が2回

 (上官には、「命が惜しいのか」と叱責された)

敵に爆音を捕捉されないための飛行方法を工夫している。

攻撃を完了して母艦に帰還する際にそれを見つけるための試行錯誤などを的確に行っている。

4.運

事故等で出撃不能または引き返した場合が6回、

昭和17年2月豪州偵察飛行の際、敵軍に発見されたが現地指令の優柔不断さによって攻撃を免れた。

昭和19年9月9日の米本土攻撃の直後に敵機3機の襲撃を受けたが被弾せずに済んだ。


この表の補足説明をいたします。

まずは、「目的意識」です。
目的意識からすべては始まります。

佐々木伍長が、目的は
「敵に被害を与えることであって、敵に突っ込むことではなかろう」
と考えたのは、まったくそのとおりです。

この考えを通せたのは上官である岩本益臣隊長のおかげです。
岩本隊長は、「特攻」に反対し、独断で九九双軽を改装して、
操縦士が手動で爆弾を投下できるようにしました。
岩本隊長は、幸か不幸か軍律違反に問われる前に
敵軍のグラマン攻撃で戦死されてしまいました。

この岩本隊長の断行がなければ、
いかな佐々木伍長でもあっさり特攻死するところでした。
この点も、佐々木伍長の「運」であったのかもしれません。

藤田中尉の方の目的は、軍の上官の意向によるものです。
上官に含まれる高松宮殿下のご意向も
大きかったのではないかと推察されます。

「敵に衝撃を与え一矢報いることが目的だから、
敵の迎撃により成功の可能性の低い都市部を攻撃する必要はない、
防御体制の弱い山林を狙おう」と考えたのです。
素晴らしい目的思考です。

目的意識が立派でも、その遂行能力が優れていなければ、
目的は達成できません。
遂行能力の一つは「技術力」です。
その点で、二人とも飛行機の操縦技術は抜群であったのです。

遂行能力の2番目は「判断力」です。
技術力がいくらあっても、それを活かす判断力が優れていなければ、
何によらず相手に勝つことはできません。
その点で、二人とも優れた判断力を示されています。

成功するためには、「運」がついていることも必要です。
日経新聞の「私の履歴書」に登場する「成功者」はほぼすべて、
実力だけでなく、運にも恵まれています。

このお二人もかなりの「運」に恵まれています。
「運」がなければ、お二人とも海の藻屑となっていました。

ということになりました。
ご関心ある方は、ぜひ、当書をお読みになってご確認ください。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私は73歳ですが、小学生のころ親父に良く教えられました。
「米国との戦争で勝利、講和に持ち込むには、とにかく米国本土を攻撃することだ。米国は民主主義の国だから、攻撃に民衆が動揺すれば、戦争反対の運動が必ず民衆から起きる。それがトリガーとなって戦争は終結する(講和の話が持ち上がる)。この説を唱える軍人がいたが採用されなかったのは残念だった」。この話を思い出しましたが、米国を攻撃した人がいたとは初めて知りました。一点集中で、米国本土攻撃の作戦を実行すればよかったのに、と思いました。良い話をありがとうございました。

上野 則男 さんのコメント...

匿名さん
いいお話をありがとうございます。
匿名さんが小学生というと、昭和26年から30年くらいまでですが、
その頃にそういうことを言われる方がいらしたのですね。
お父上のご経歴は分かりませんが、偉い方ですね。
今後とも投稿をよろしくお願いします。