2020年5月23日土曜日

 「要請」のあいまいさ:「権力統制改革における課題」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 政府から出される「要請」の問題点について検討します。
 コロナ対策の「要請」の問題点について確認します。
ねらい:
 「要請」についての正しい認識をしましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本項は、學士會会報2020年Ⅲ号に記載された
曽我部真裕京都大学法学研究科教授の寄稿
「権力統制改革における課題」からのご紹介です。


本稿の本題は、日本の政治の仕組みに対する平成の改革で
首相(官邸)の権力が強大化しているが、
その権力の統制に対する改革が不十分である、
ことに対する問題提起です。


筆者は、平成の統治構造改革と称される
「2大政党制を確立し、
総選挙を実質的な首相選挙と位置付けることによって
首相が、直接的な国民の付託を背景に強力なリーダーシップを発揮し、
現代日本の山積する課題解決に立ち向かう」
という方向性については賛成しておられます。


問題提起の概要はこういうことです。


3権分立下においては、行政(その長総理大臣)を統制するのは、
立法と司法である。


立法の統制権は国政調査権であるが、
議院の過半数の賛成がないと発動されない。
与党の長が総理大臣である現行方式では、発動されにくい。
仏独国ではその壁を越えられる制度がある。


司法の統制の限界を示すのは、行政からの「要請」「指導」である。
建前上は、「要請」や「指導」は強制力がなく、
従うかどうかは受けている側に任されることになるので
司法の出番がない(上野:なるほどそういうことになるのですね)。


時宜に合致した以下の説明に納得いたしました。


こうした「要請」「指導」は従うかどうかの判断が国民に委ねられるが故に
公権力の責任の所在があいまいとなり、
また、強制力がないので訴訟で争いにくい
(つまり裁判所の出番がそもそもない)。


制度上「要請」「指導」する側の統制が困難な手法なのである。
また法律上の根拠がないことは、
事前の国会での議論もないことになり、
要するに(前述の国会による統制の実情も加味すれば)、
政府にほとんど統制を受けない権力を付与することになる。


法治主義はこうした事態を避けるための原理である。
もちろん、「要請」「指導」の手法すべてを否定する必要はないが、
日本では法治主義があまりにも軽視されているという印象を持つ。




ご承知のように、今回の緊急事態宣言は、
野田内閣のときに成立した「新型インフルエンザ特別措置法」に対して、
新型コロナウィルス感染症を同法の対象とするという改正案を
3月13日に国会で通して発令されています。


ところが、この法は、内閣が宣言を発令しますが、
実際の行動自粛要請等の対応は
都道府県知事の権限責任となっています。
(実際には、政府の権限外の「見解」が
都道府県を縛るという実態が問題になったりしています)


それでも、3月14日以降の「要請」は法に基づいたものなのですが、
3月2日からの首相による全国小中高校の一斉休校要請は、
法に基づかない曽我部教授の問題視される「要請」だったのです。


さらに、橋下徹氏が指摘しているように、
感染症対策のために活動する医療従事者や物流業者に対する「指示」
の補償は規定されていますが、
営業自粛要請等に従った場合の損失補償に関しては何らの定めのない
トクソ法ならぬ「クソ法」なのです。


したがって現在行われている飲食店・サービス業等に対する
営業自粛要請に基づき営業を中止した場合の補償は、
法律の埒外で行われているのです。


この点についてはさすがに
「勝手に自粛しているのだから補償できない」とは言えず、
國・自治体が補償する方向ですが、
どこまで補償するかは法の規定はありません。


あいまいで良い点(即効性など)・悪い点(対応内容)が
出てきていますね。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(5月25日追記)
その後、にわかに、
検察官の定年延長条項を含む検察庁法改正案の
暗礁乗り上げ問題が浮上しました。


改正は、検察官の定年延長を定めるが、
内閣の判断によってさらに個別に延長が可能となる案です。
検察OBからも、
司法に対する行政の関与であるとして反対意見が出ていました。


この改正はご承知のように、
当の定年延長の対象となる検察官の辞職により立ち消えとなりそうです。
かけ麻雀を検察のトップ要人が騒ぎの最中にもしていたということは、
違法性の問題だけではなく、
常識的センス・倫理観が疑われるとんでもないことです。


でもこの一連の騒動は、3権分立に対する国民の認識が進展する
という効果があったようです。

0 件のコメント: