目的:
フーヴァー元米国大統領の手記の内容を確認いただきます。
太平洋戦争を起こしたのはルーズベルトであると断罪しています。
ねらい:
ねらい:
早く「東京裁判史観(日本が一方的に悪かった)」
を払拭したいですね。
(しかし現在の日本あるいは世界にとっての最重要課題は
習近平対策です)
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本書は、2011年に米国で刊行されたフーヴァー元米国大統領
(ルースベルトの前の大統領)著「Freedom Betrayed(裏切られた自由)」(以下A書)の紹介を中心に、日米戦争の内幕「秘話」の解説をしています。
A書は、大統領を指弾するショッキングな内容のため関係者が出版をためらい、著作から47年を経てようやく2011年に刊行されたのです。
「太平洋戦争の大嘘」(以下B書)以前に既にほぼ公知となっているのは、以下のことです。
このほとんどは、A書に基づいていたのかもしれません。
B書では、その点に対する追加または具体的解説が行われています。
【太平洋戦争開戦の状況の今や常識】
1)戦争を仕掛けたのはルーズベルト大統領である。
2)ルーズベルトは、日本・日本人嫌いであった。
(おそらく日本人以外の東洋人も嫌いだったでしょう)
3)英仏露3国から参戦を要請されていた。
4)しかし米国民は、他の国の戦争である第1次世界大戦に参戦して
犠牲者を出し、参戦には絶対反対だった。
5)そこで、日本に米国を攻撃させ
米国民を参戦賛成に持っていこうとした。
6)そのため、日本に参戦せざるを得ないような要求を出し続けた。
7)日本はやむに已まれず米国に戦争を仕掛けた。
8)ルーズベルトは、日本の秘密通信を傍受解読し、
日本海軍が真珠湾に来ることを知っていた。
9)それで真珠湾から主力艦船は避難させ、旧型艦船を残していた。
10)残された艦船の乗組員を見殺しにした。
11)その乗組員は、
米国民を参戦に持っていくための生贄になったのである。
(「目的のためには手段を選ばない」米国流思考である)
12)ルーズベルトの作戦はまんまと当たり、
米国民は一挙に参戦に傾いた。
(この時のルーズベルトの国民を欺く議会での演説は
A書に紹介されています)
13)日本の米国大使館の怠慢で宣戦布告が攻撃後になったことも、
ルーズベルトの主張に好都合であった。
【フーヴァー元大統領の主張】
フーヴァーは親日派であったわけではありません。
客観的に歴史を分析しているのです。
ほぼすべての上記の内容を明らかにした上で、
ルーズベルトを戦争をやりたくてしょうがない狂人である、
と断定しています。
フーヴァーがマッカーサーと46年5月に会談したときに、
マッカーサーもこの意見に賛成したと記述されています。
この2者会談では、
1941年7月米国の「対日石油全面輸出禁止」措置は
日本を何とかしなければならない窮地に追い込んだ、
という解釈も合意されました。
格言的表現をすれば、
「窮鼠猫を噛む」状態だったということです。
A書にはこういう記述があります。
「ルーズベルトが犯した巨大な誤りは、1941年7月、
つまりスターリンと隠然たる同盟関係となったその1か月後に、
日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。
その経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが、
本質的には戦争であった。
ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも、
再三にわたってそんな挑発をすれば、遅かれ早かれ、
日本が報復のための戦争を引き起こすことになる、
と警告を受けていた」
この見解については、マッカーサーも同意した、
とA書に記載されています。
【開戦・終戦に至る経緯】
B書には以下の経緯がA書からの引用も含め詳細に記されています。
悔しくてあまり読みたくないですね。
1)1904-1905年 日露戦争
これから日本の対外進出が本格化する。
米国はシナ大陸の権益に関心が強かった。
2)1924年「排日移民法」が発効
カリフォルニアの農家が脅威を感じ政府を動かした。
3)1940年 日独伊三国同盟締結
これにより日本は、ドイツが戦いを始めた国々と
敵対関係に入ることになった。
(これは大失策である。日本はこの同盟でメリットを受けていない)
4)1941年7月 米国は日本に経済制裁実施
(在米資産凍結、石油の禁輸)
5)1941年9月 日本は和平提案(最大限の譲歩案)を基に、
日米首脳会議を持ちかけるが米国が拒否
6)1941年11月 米国は「ハル・ノート」を提示
シナ大陸から日本の兵隊をすべて引き揚げろなどと要求
7)1941年11月 天皇が日米交渉を3か月凍結しよう
と提案したがこれもルーズベルトが拒否。
8)1941年12月8日 真珠湾攻撃
11)1945年2月 ヤルタ会談
ルーズベルト、チャーチル、スターリンが
戦後処理の基本方針について協議
(日本はこの会談を知らなかった)
12)1945年3月 東京大空襲
13)1945年5月 イタリア・ドイツ降伏
14)1945年6月 日本はソ連に仲介依頼(ソ連は無視)など
和平を模索
15)1945年7月26日 ポツダム宣言
米英中の3国が日本に対し無条件降伏を勧告。日本は拒否。
16)1945年8月6日 広島に原爆投下
17)1945年8月8日 ソ連対日宣戦布告
18)1945年8月9日 長崎に原爆投下
19)1945年8月14日 ポツダム宣言受諾決定
【ルーズベルト大統領の3つの大罪】(A書)
1)日米戦争は、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが
日本に向けて仕掛けたものであり、日本の侵略が原因ではない。
2)41年の日米交渉では、ルーズベルトは
日本側の妥協を受け入れる意図は初めから全くなかった。
彼は日本側の誠実な和平の努力をことごとく潰した。
3)原爆を投下せずに日本を降伏させることができたのに
原爆投下を強行した。
原爆投下の罪は、アメリカ人の良心の上に重くのしかかっている。
A書にこういう記述があります。
1945年の5月、6月、7月と、
日本は白旗を揚げて和平を求めていたが、
トルーマン(ルースベルトは4月に死去、副大統領が継いだ)は、
これを拒否した。
トルーマンは、ルーズベルトの無条件降伏という愚かな条件に従う
義務はなかったのだが。
ヨーロッパにおける米国の軍事指導者達は無条件降伏にこだわることに
反対していたのだ。
日本との和平はただ一つの譲歩で達成できた。
それは天皇の地位の保全である。
日本の天皇は世俗国家の元首であるばかりでなく、
国民の精神的権威でもある。
天皇の地位は信仰と伝統に基づくものなのだ。
米国側が、最終的にこの条件を受け入れたのは、
数十万人の人命が犠牲になった後であった。
トルーマンはルーズベルトと違い、
ソ連を仲間とは思っていなかったので、
ソ連が参戦する前に終戦に持ち込みたいと思っていた、
という説があるようです(B書)。
【ルーズベルト大統領の本性】 A・B書
ルーズベルト家はチャイナ貿易で財を成した家系である。
ルーズベルトは親共主義者でスターリンとも懇意だった。
そのために、米国政官界に多くの共産主義者が
存在するようになっていた。
これがのちに1950年代の「赤狩り(マッカーシズム)」
をうむことになった。
やはりルーズベルトは狂人であるだけでなく、
とんでもないあほうですね。
この狂人・あほうのために世界は狂わされたのです。
こうしてみると、第2次世界大戦は、
ヒトラーとルーズベルトという2人の狂人が起こしたものだ
ということになります。
日本には、この二人に相当するような狂人はいませんでした。
東条英機は悪者にされていますが、積極的な「犯人」ではありません。
きちんと常識的な判断をされた(B書に記載されています)昭和天皇が、
誰かが突出して日本を動かすことの抑止力になったのだと思われます。
A書にこういう記述があります。
ルーズベルト大統領が国際的な政治家としての資格を失墜した
最初の重要な事例である世界経済会議は、
英国のマクドナルド総理大臣と当時の大統領の私が準備した会議で、
1933年1月に開催を予定していたが、ルーズベルトが破壊した。
ルーズベルトが選挙に勝って、6月に開催を延期した。
その時丁度世界は、不況から経済の回復基調にあったが、
一方で通過戦争があり、貿易障壁を増加させる戦争があった。
準備作業が専門家の手によって進められ、
ワシントンに10人の総理大臣が集まって、
国際決済に金標準を用いることに合意した。
それにもかかわらず、会議の途中にルーズベルトは翻意して、
金本位制にひびを入れたために、会議は不調となり、
達成する結論がなく死んでしまった。
ルーズベルトの国務長官であったハルは、
この会議の失敗が第2次大戦の根っこにあるとして、
ルーズベルトのとった行動をハッキリと非難している。
ルーズベルトは好き嫌いで判断するだけでなく、
無定見でもあったのです。
こういう人が世界をリードしたのは日本だけでなく全人類の不幸でした。
【マッカーサー司令官の発言】
B書にはこういうマッカーサーの言葉も紹介されています。
51年5月アメリカ上院軍事外交合同委員会での発言です。
「日本人は、工場を建設し、多くの優秀な労働力を抱えていましたが、
原料を産出することができません。
すべての原料はアジア海域に存在していたのです。
これらの供給が絶たれた場合には、日本では、
1000万から1200万人の失業者が生まれるであろう
という恐怖感がありました。
したがって、彼らが戦争を始めた目的は、
主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです」
こうも言っています。
「太平洋において米国が過去100年間に犯した最大の政治的過ちは、
共産主義者をチャイナにおいて強大にさせたことだと私は考えます」
【フーヴァー、マッカーサー以外のルーズベルト弾劾論】 B書
1)ハミルトン・フィッシュⅢ世
米国の参戦に賛成した下院議員でしたが、
その著「ルーズベルトの開戦責任」でこう述べています。
「私はハル・ノートのことはまったく知らなかった。
これは誰がどう見ても宣戦布告そのもの、これを突き付けられたら、
どの国でも開戦せざるを得ない。
ルーズベルトはこの存在を隠し国民を欺いた」(と激怒しました)
2)米国陸軍アルバート・ウェデマイヤー将軍
その著「第2次大戦に勝者なし」で以下のように述べています。
「日本がとり得た最善の戦略は、極東ソ連を攻撃し、
ナチス・ドイツと協力してソ連を挟み撃ちにし
ソ連を崩壊させることであった」
彼も、ルーズベルトを非難しています。
3)その他大勢
2011年のA書の発刊以来、ルーズベルト大統領を糾弾する意見が
増えてきています。
そういう流れで、軍国日本悪論が見直され、
日本の再評価が行なわれることを期待いたします。
(これまでも、太平洋戦争が多くの植民地国家が独立を実現したことは
評価されてきていますが)
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