2021年4月22日木曜日

「私の名前を知って」ですって!!

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 性暴力を受けたために大変な生活を送った
  米国女性の警世の書をご紹介します。
ねらい:
 日本ではこの内容は教訓になるのでしょうか?
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これはたいへんショッキングなレポート
米国のシャネル・ミラー著「私の名前を知って」
のご紹介です。

本書は22歳の若き美女がレイプされたことを訴えた
裁判にまつわる事実を赤裸々に報告したものです。
邦訳で468頁の大著なのですが、
どうなるのだろう?とつい一気に読んでしまいました。

一般の書籍であれば、「はじめに」と目次を見て
関心のあるところを読むのですが、
「小説」はそうはいきませんから。

私が受けとめた本書の概要はこういうことです。

1.事実
2015年1月、22歳の大学卒業したばかりのOLが
妹とその友人に誘われて、
自宅近くのスタンフォード大学内で開催された
フラタニティ・パーティに参加した。
(注:フラタニティとは、
北米ではもっぱら大学・大学院の男子学生社交団体を意味するそうです
(Wikipedia))

屋外で泥酔した彼女に何かをしていた男性を
通りがかりのスウェーデン人男性二人が気がつき、
男を追いかけ警察につき出した。
警察が記録した彼女の様子がその後捜査記録として公開されていた。
彼女の名前を除くすべてです。

「後に『被害者』として特定される女性」
「ゴミ箱の後ろ、地面で発見。女性は黒いタイトなワンピースを着用」
「ワンピースは腰のあたりまで引き上げられており、
 ウエストの近くでまとまって、皺になっていた」
「臀部全体が露出しており、下着は着用しておらず」
「下腹部と陰部が目に入り、膣と尻が見えた」
「彼女の長い髪は乱れ、絡まり、全体が松葉に覆われていた」
「彼女は45度から90度の角度(胎児のような姿勢)で
 脚を曲げた状態で横たわっており、両腕は胸の前、
 両手は顔の近くの地面についていた」
「彼女のドレスは両肩で引き下ろされ、ブラジャーが引っ張り出されていた」
「ブラジャーは彼女の右胸しか覆っていなかった」
「ネックレスは首に巻き付いており、ペンダント部分は背中に回っていた」
「白と黒の水玉模様のパンティーは「被害者」の腹部の前、
 約15センチ先の地面に丸まって転がっていた」
「彼女の銀色のiPhoneは地面に落ちており、臀部の後ろにあった。
 青い携帯電話ケースはiPhoneから外れた状態で、約10センチ先にあった」
「彼女は茶色のブーツを履いており、紐は解かれておらず、
 紐はリボン結びされていた」


泥酔していた彼女が、目を覚ました場所は病院でした。
警察官がそばにいました。

その後、たいへんな検査をされました。
(その様子が丁寧に書かれているのです)
完全に裸にされて全身の写真をとられた。
尿検査をされた。
肛門に木の綿棒2本を挿入されて検査媒体を採取された。
膣をつぶさに検査され、顕微鏡カメラで写真もとられた。
膣内の粘液物も採取された。

彼女の検査キットは、検査するまでの何百人もの順番待ちで
数か月を要しました。
それだけ案件が多いということで驚きです。

2.何故訴えたのか。
警察官に訴えるかどうか聞かれて、Yesと言っています。
そこから彼女の苦闘が始まったのです。
こういう記述があります。
「検査」が終わって自宅に引き上げる車の中でのことです。
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私たちが車道に入ると、妹の電話がなった。
キム刑事からの電話だ。
テイファニーは私に談話を渡した。
「告訴しますか?」と彼は言った。
「どういうことですか?」と私は尋ねた。

手続きについてはあまり話せない、
それはむしろ地方検事の管轄だから、と彼は答えた。
当局は、法的に起訴する意向だが、
私が協力するかどうかは自由意思だという。
私が協力した方が当局は助かるが、義務ではないとも言われた。
私は少し考える時間が欲しいので、折り返し電話すると伝えた。
私は電を切ると、妹の方を見た。

誰にも相談できる人はいなかった。
ティファニー(妹)にも分からない。
「した方がいいかな?いいよね?
でも告訴しない方がいいかも。
でもどちらにせよ起訴はされるんだから、私も協力した方がいいよね。
ええと何を?どうやって?」

私は座ったまま辺りを見回し、途方に暮れた。
「告訴した方が、いいよね。そうだよね?検察が起訴するなら」

この時は嘆願書に署名するようなものだと思っていた。
この事件を追及する警察の決定を支持する旨を表明する、
ちょっとした確認の印だと考えていた。
私が告訴しないと言えば、容疑者の側につくことになるんじゃないか、
なんて思っていた。

裁判なんて、脳裏をかすめてもいなかった。
裁判なんて、テレビでやっている大袈裟で分かりにくい対決以外の
何物でもなかった。
それに男は既に逮捕されている。
彼が何もしていないことが判明すれば、釈放されるだろう。
そうでなければ、彼はそのまま刑務所に残って服役する。

有罪判決を下すに足る証拠はすべて揃っていた。
これは単に形式的なものなのだ。
私は刑事に電話をかけ直した。
「ええと、イエス、分かりました。告訴します。
よろしくお願いします」

お金を積めば、刑務所の扉を開けられるなんで、知らなかった。
暴力が起きた時に女性が酔っていたら、
まともに話が聞いてもらえないなんて知らなかった。
暴力が起きた時に男性が酔っていたら、
みんなから同情されるなんて、知らなかった。
私が記憶を失ったことが、彼のチャンスになるなんて、知らなかった。
被害者であるということが、
信じてもらえないことと同義だなんて知らなかった。
(これらのことは、その後で知ることになり、
彼女を徹底的に苦しめました)

私道に座っていた時には、知らなかった。
この小さな「イエス」によって、私の体が再び曝され、
切り傷を激しく擦られ,
公に向けて私の脚がこじ開けられることになるなんて、
予備審問とは何なのか,公判が実際のところ何を意味するのか、
全く知らなかった。
被告人の弁護士から共謀と咎められないよう、
妹と話すのをやめるよう指示されることなんで、思ってもみなかった。
あの朝の「イエス」という3文字の言葉が、未来の扉を開けた。
その未来の中で、
私は23歳、24歳、25歳、26歳になりようやく事件が決着した。
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ということなのです。
起訴の罪状では、
「酩酊者の強姦、意識不明者の強姦、酩酊女性への異物による性的挿入、
意識不明女性への異物による性的挿入、強姦の意図を持った暴行」
の5件の罪でしたが、その後の検査結果の判断により、
強姦の二つはなくなりました。

何故訴えたのかについて、私なりに整理するとこうなります。
1.おそらく、酩酊して眠ってしまいレイプされていても、
  そのまま自分で目覚めていれば、訴えなかったでしょう。
2.訴えたのは、救急車で運ばれ、警察沙汰になったので、
  穏便に済ますことができなくなった。
3.恥ずかしい検査を受けたということで相手への憎しみが沸いた。
4.訴えることが、後々こんなに大変なことになるとは思わなかった。

この4番目の判断が最大理由と思われます(上述のとおりです)。

3.裁判経緯
1)公判は、裁判所側(被告側の要因もあるかも)の都合で何度も延期され、
 生活が狂ってしまいます。
 まったく不条理です。同感できます。
 その精神的負担がどのくらいのものかが詳述されています。

2)公判では、陪審員に対して、
 彼女の検査結果等がスクリーンで公開されてしまうのです。
 証拠として必要なのでしょうが、
 プライバシーは認められないのでしょうか。
 大変な恥辱です。
 こういうことがあると思ったら、誰も訴えを起こしませんね。

3)最後は、陪審員全員が3つの罪状に対して有罪と判定しました。
 良かったです。

4)2016年6月の判決
ところが裁判長は、被告側の状況も斟酌して
(有数な水泳選手であることを棒に振ってしまい
社会的制裁をすでに受けている、など)
甘い判決を出します(禁固6か月)。

5)控訴
被告側は2017年12月に控訴しましたが、
2018年8月8日に控訴棄却の判決が出ました。
これで事件発生から3年半ぶりの決着です。

4.陳述書の公開
第1審判決の前に彼女が陳述書を裁判所に提出しています。
それが直後に、彼女の許可でネットで公開されました。
巻末にその詳細が記載されています。

この陳述書には、こういうことが訴えられています。
事件の経緯、それによってどれだけの影響を受けたのか、
被告人が素直に謝らずに言い訳をしようとしている
(私も合意していた、2人が酔って正当な判断力を失っていた、など)
その言い訳は通らない、私が酩酊していたのなら、
どうして助けようとしてくれなかったのか。
結局、素直に謝らずに裁判沙汰にしたことに憤慨しているのです。

その内容が反響を呼び、1800万人が読みました。
そうして、判決は不当であるということで、
裁判官罷免の活動を引き起こし、裁判官は罷免されました。

この陳述書は、ヒラリークリントンやバイデン副大統領も読み、
感想をコメントしています。

5.本書の著述
仮名で通すか、実名を出すかについて悩んだようですが、
彼女の開き直りです。
裁判過程ですっかり批判精神のできた彼女は、
あえて実名を出し、性暴力の不当性、それがどれだけの影響を
関係者に与えることになるかを示そうと考えるに至り、
小説ではない事実に基づく警告書となったのです。
  
彼女の言いたいことは、
過ちでこのような事件を起こしてほしくない、
ということでしょう。

この陳述書の影響で
一部の州で性犯罪の重罰化の法改正も行われたようです。

上野の感想
本書が世に出ることになったのは、
いくつかの偶然が重なった結果だと思います。
1)彼女がそれなりに魅力的な女性であった。
  そうでなければ、レイプの対象にならなかった。
2)彼女が結構アルコールを飲むのが好きだった。
  そうでなければ酩酊して、
  自分が好意を感じない男性に誘われることはなかった。
3)彼女がしっかりした自尊心を持っている女性だった。
  そうでなければ、
  泣き寝入りをせず訴訟を起こそうと思わなかった。
4)相手が示談を選ばずに対抗しようとした。
  相手が素直に非を認めて謝罪していれば
  彼女も許して大事にならずに済んだ
5)彼女が強靭な精神の持ち主だった。
  そうでなければ、3年以上の逆境に耐えられなかった。
6)彼女に優れた文筆の才があった。
  そうでなければ、
  多くの人に感動を与える「陳述書」を書けなかった。

ということで、これは稀なケースだと思うか、
一般に学ぶべき点があると考えるか、は個人によるでしょう。

それにしても、
何でここまでのことになってしまったのだろう?と思います。
相手の出方が悪かったのです。
謝って示談にすればよいものを、
無実で対抗しようとしたのが間違いです。

この事件の加害者は若い将来有望な水泳選手だったのです。
彼はこの事件で一生を「棒にふって」しまいました。
彼が彼女をレイプ対象に選んだのは、
「美人だし酔って乗っている、受入れOKだろう」と考えたのです。
その選択がまさに「一生の不覚」だったのです。
自ら蒔いた「タネ」とは言いますが、
ある面で彼も「事件」の犠牲者です。

この事件の教訓は、
「酔って意識不明状態の女性に性暴力をふるうな」
ということに尽きます。

皆さまご承知のように性行為は、
両者の合意があれば全く問題ないことです。
合意がない場合に犯罪となりうるのです。
合意がなければ夫婦でもDVとなり、訴えの対象となります。

ことの性質上、合意はかなりあいまいな面もあります。
酔っていて正当な判断力を失っている場合は、
イエスと言ったとしても
「合意と認められない」ということなのです。

そんな当然のことのために、
こんな陳述書や著書が話題になるということは、
米国の性風俗が退廃していることを示しているのでしょうか。
疑問に思いました。

米国では、「強姦」を意味するレイプ(rape)という言葉は、
日本語の強姦という言葉より、気楽に使われている感じがします。
「強姦」は完全に犯罪的ニュアンスの言葉で
日常会話に出てくることはありません。
米国ではそうではなく、もっと気楽に使われる言葉のようです。
「やってしまった」というニュアンスです。
その文化に対して警鐘を鳴らしたのでしょうか。

日本でこういうことに多く使われる言葉は「セクハラ」「痴漢」です。
セクハラの定義も、言動の客観的内容ではなく、
相手が不快に思うかどうかです。

セクハラについて、
私が2018年にまとめたレポートを別項にご紹介します。

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