2022年3月14日月曜日

石原慎太郎さんを偲ぶ

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 石原慎太郎さんの二つの遺作でその死を偲びます。
 氏の死に対する考え方を学んでみましょう。
ねらい:
 「生」と「死」、それと生につきものの「恋」や「性」は
 永遠のテーマですね。
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1.遺作その1 「遠い夢」雑誌「新潮」掲載
雑誌「新潮」の4月号に慎太郎さんの遺作が掲載された、
ということでしたので、入手して読んでみました。


「死という最後の未来」の曽野綾子さんとの対談で、
あくまで生への執着を示しておられた慎太郎さんです。

3月5日の日経新聞夕刊の紹介記事にはこのように書かれていました。
新潮社によると、昨年10月末に担当編集者へ原稿が届いた。
石原さんが以前から患っていたがんが再発した時期に当たる。
担当編集者は「初恋を題材にするのは石原さんの作品では珍しい。
『太陽の季節』との類似も教務深い」と話している。


「遠い夢」の書き出しはこうでした。
ああした感情を何と呼ぶべきなのだろうか。
やはり恋という事だろう。隣の家のおきゃんな末娘に
「それならお兄ちゃん、河野の礼子さんと結婚しちゃったらいい」
と言われた時の吐胸を突かれたような衝撃と甘い余韻は
やはり恋心というべきなのかもしれない。
その相手を封じるように小突きながら
内心では今の戯言をもう一度聞かせてほしいと願っていた。

小学校時代の淡い交友の数々、別々の中学校時代の事件、
そのあとの引っ越しによる別れ、共に結婚した後の彼女の癌による早逝、
その時に彼女が手を握った自分の弟に私の名前を呼んだこと、
その葬儀で胸一面に抱えていった白い薔薇を祭壇にばら撒いたこと、
などが、述べられます。
太陽族の名残りを偲ばせます。

そうして、
その彼女の弟と逗子の海岸の花火大会を一緒に見る場面が登場します。

やがて花火はおわり、
海岸に押しかけていた見物客たちの騒めきも消えていき、
一面に凪いだ海の静けさだけが戻った。
「終わりましたね、でもあっという間ですな」
嘆息して言う彼に、
「そうだね。
所詮この世のことは何もかもあっという間のことなんだよなあ」
私も言った。

これで終わりです。
あのお年でも「恋』を書いておられるのです。
そうしてやはり「死」も登場しています。
遺稿
この遺稿のあとに、文芸評論家の福田和也氏が、
「追悼・石原慎太郎ーー最後の冒険」と題して
こういうことを書いていました。

石原さんが死を意識したのは歳をとったからというわけではない。
「太陽の季節」「生還」といった代表作から、
石原さんには「生」のイメージが強いが、
実は若い頃から「死」について多くのことを書いている。
中略
江藤淳は早くからこのことを見抜いていて、
「石原の文学には常に死の影が差している」と言っている。
(注:前掲の「遠い夢」も死がテーマです)
中略
石原さん自身の言葉によれば、
「『死』は人生の輝く断片、フラグメント」なのだそうだ。

2018年7月号の「文學界」に自伝風の寄稿をされていて、
主人公がこう言います。
「そして間もなく俺は死ぬ。人間の最後の未知、
最後の未来を知ることになるのだが、
その時果たしてどんなにそれを意識して味わうことが出来るものかな。
最後の未知についてはもの凄く興味はあるが、
それについてはその時点ではどう知ることも出来はしまい。
それだけは悔しいがね」
中略
最期を看取ったご家族の話によると、
石原さんは亡くなる間際まで目を開き、
天井を見つめていたという。
自分に訪れる「死」を見届けようとしていたのだろうか。

ということのようです。
石原さんは最期にどう言ったのだろうか、
との私の疑問は少し前進しましたが、まだ分かりません。
誰かを呼んだのか、今から行くぞとあの世の誰かに声をかけたのか。

これだけ生にも性にも執着し、死を嫌がっていた石原さんの
本当の締めが気になります。

2.遺作その2 「死への道程」雑誌「文藝春秋」掲載


こちらは「絶筆」と称されていました。
これは小説というよりはご自分のことを書いた「日記」です。
令和3年10月19日に、医師から、膵臓癌の再発で
「余命3か月くらいです」と宣告されてからの思いが綴られています。最後はこうなっています。




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死に臨んでさまざまな悔いや無念に晒されようとそれはそれ、
もう絶対に取り戻せぬものでしかありはしない。
一体死に関する保証人などはありはしまい。
なぜならば個人にとって死こそ完璧な所有なのだから。

「太陽の季節」なる小説でいさかか世に名を馳せた私が
己の季節の終りに関して駄文を弄している今、
美空ひばりの世に軽いショックを与えた最初のロックの文句ではないが
「いつかは沈む太陽だから」こそ、
あくまでもこれまで私が比類のない私と言う歪な人間として
生きてきた事を消しても消えぬ記録として、
私として全くの終りの寸前に私の死はあくまでも私自身のものであり
誰にもどう奪われるものでありはしない。
私は誰はばかりもなく完璧に死んでみせると言う事だ。
私の死を誰がどう奪えるものではしない。

出来得るものならば私は私自身の死を
私自身で慈しみながら死にたいものだ。

(上野注:前掲の以下の文章はそれをしておられたのでしょう。
最期を看取ったご家族の話によると、
石原さんは亡くなる間際まで目を開き、
天井を見つめていたという。)

原住民のしかけた毒矢の毒に傷つき女を抱きながら死んで行く
アンドレ・マルロオの傑作「王道」のしたたかな主人公の
ペルケンが囁いたように。
「死、そんなものなどありはしない。ただこの俺だけが死んでいくのだ」と。
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この文藝春秋には、亀井静香氏が
「兄弟分からの弔辞」として「三途の川で待ってろよ」という
心温まる友情話を中心にした寄稿も載せられていました。
亀井静香さんと石原さんのご縁は (2021,11.27)
にご紹介させていただきました。

さらに、この文藝春秋には石原慎太郎さんの4男石原延啓氏の
「父は最期まで我を貫いた」という寄稿も寄せられていました。
慎太郎さんのそれらしい思い出が書かれています。

全体を通して言えることは、
若い時から「死」について考え続けてきた石原さんが、
「死にたくないけれどしかたがない」と
最後は腹を括ったということですね。

追記:文藝春秋のこの4月号には「太陽の季節」の全文も掲載されていました。
初めて読みました。
「若いなあ」という以外の感想は省略させていただきます。
この「太陽の季節」本文の前に
石川達三、井上靖、丹羽文雄、宇野浩二、川端康成、舟橋聖一など、
9人の審査員の「選評」が公表されているのです。
この透明性はいいですね。
審査員が作品に何を期待しているかが分かるのです。
賞を目指す人にとって道しるべになります。

3/16追記
3/8に石原慎太郎さんの奥様典子さんがお亡くなりになりました。
慎太郎さんの葬儀には車いすで参加されていたようです。
慎太郎さんが「淋しいからお前もこっちに来い」と呼んだのでしょうね。
まさに夫唱婦随です。

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