2022年1月24日月曜日

「性と宗教」どういう内容でしょうか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 性(セックス)は宗教でどう扱われているかについて確認いただきます。
 正統派でない宗教での性の扱いについても研究いただきます。
ねらい:
 本テーマでは十分なご紹介をしていませんので、
 関心ある方はぜひ本書をお読みください。
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本項は、島田裕巳(元日本女子大教授)の「性と宗教」のご紹介です。
新聞広告で見たのですが、どんなことが書いてあるのだろう、
と興味津々で買ってみました。










本書のメインテーマである各宗教の性に対する戒律については、
大ざっぱにまとめるとこういうことでした。
これはあまり面白い内容ではありませんですね。
因みに、本書の中には一つも図表がありません。
こういう本は珍しいです。

各宗教の性に対する戒律

宗教

牧師・僧侶の戒律

一般人の戒律

カトリック

妻帯不可

不倫の戒め

性行為の慎み

同性愛否定

性を認める宗派もあり。

プロテスタント

妻帯可

仏教

本来妻帯不可

(僧侶の男色があった)

日本では明治維新で可

イスラム教

規制なし

性は禁忌でない。

同性愛は否定

神道

教義なし

教義なし

「邪な性関係(=穢れ)に陥ってはならない」としている。


キリスト教と本来の仏教では、性は抑制されています。
しかし性(セックス)がなければ、人類は消滅です。
その点ではイスラム教は間違っていません。
なぜそのような大事な行為に対して、
抑制しようとする宗教があるのか、については、
本書で探してみましたが明確な記述はありませんでした。

それで気がつきましたが、本書は人文科学系なのです。
自然科学や社会科学は、事実の確認をする学問ではなく、
その発生原因を究明する学問です。
自然科学における原因は証明可能です。

ところが、すべての社会的事象について言えるのですが、
原因・理由は推定するしかないのです。
なぜその経済は成長するのか、停滞するのか、や
選挙民がなぜその政策に賛成するのか、反対するのか、について
客観的証明は不能です。

社会科学では、
その「理論」の証明は基本的には納得性しかありません。
それで理論の争いが起きるのです

ところが、人文科学では、
事実を集めて発表するのが学問の主目的です。
そこからいろいろな推定を行うのは
その発表された資料の利用者に委ねられています。
推定は証明できませんので、
人文科学の学術書としては著述の対象にならないのでしょう。

ですから、読んでいて物足りないのです。
「なぜそうなのか?」を知りたい欲求にこたえてくれません。

そこで、人文科学系書籍に対する一般読者の関心は、
「興味深い事実」ということになります。

そういう点から「興味深い事実」として以下の内容がありました。
「性行為を称揚する(異端の)宗教の動き」です。
人間も生物の仲間であり、種を残すことが求められます。
性の交わりによって子どもが生まれるわけで、
性行為は種の維持という観点で不可欠なことです。

ところが、人間だけが生み出した宗教は、
性に対して否定的な側面が強くあります。
性行為に及ぶということは「邪淫」として捉えられ、
その側面が否定されます。

キリスト教や仏教では、聖職者は一切の性行為を慎み、
独身であることを求められます。
在家信者の場合でも、
正規の婚姻外で行われる不倫が戒められるだけではありません。
できるだけ性行為は慎むべきだということが、
キリスト教でも仏教でも共通して説かれているのです。

しかし、それは必ずしも宗教全般の特徴というわけではありません。
逆に、性行為を宗教的に価値のあることとしてとらえ、
それを称揚する動きもあります。
中略
性行為に価値を見出す代表的な宗教が中国の道教です。
道教は古代中国の老子に発するもので
儒教と並ぶ中国土着の宗教です。
中略
老子を祖とする道教は神秘主義の傾向が強く、
道教の教えを実践する目的は
仙人となって不老不死を実現することにあります。

そうした道教の中で生み出された養生術の一つが
「房中術」と呼ばれるものです。
房中術の目的は性行為において節制を保ち、
男女の和合を通して気を養うことにありました。
中国において気は生命の原動力とされてきました。
(上野注:その発展形がご承知の「気功」です)

世界的な宗教史家である
ルーマニア生まれのミルチア・エリアーデによると、
房中術はかなり昔の時代に遡るもので、その目的は
「生気を増し、長生を保証し、男子の跡継ぎを得ることにあった」
としています。

道教の理想は、「完全な平静」を実現することにありますが、
道教の修行者、実践者である道士は、性行為に及ぶ際、射精しません。
というのも、
射精せずに気と混じり合った精液を体内に循環させることで、
気の集中する下の丹田から頭の丹田に気を上昇させれば、
脳の再活性化が実現できるからというのです。
中略
道士は、脳の働きを補うために
陰の気を大量に吸収しなければならないので相手を頻繁に変えます。
それから、集団による「合気」という儀式が生み出されましたが、
それは仏教徒から批判されたと言います。
(上野注::そうでしょうね)
中略
長沙の馬王堆漢墓から出土した最古の房中書の一つである「十問」では
人体の部位のうちで生殖器が最初に衰えるとし、
その原因を不節制に求めています。
生殖器を保護するには飲食で滋養をつけ、
あまり性交しないことが重要だと言います。

もっとも重要なのは射精しないことで、
「すなわち衝動があってもみだりに性交せず、性交するにあたっても
最高潮の快楽に達しても漏らしてはならない。
このようにすれば精液と真の気とは蓄積され、
百歳になっても肉体は衰えるどころか強健になるだろう」と言うのです。

そして、射精しない効用を9段階にわけ、
1回漏らさなければ「耳聡く目は明らかになり」
9回漏らさなければ「神明の境地に入る」とされています。

ではどうやって射精しないようにできるかというと、
「止精回流法」と呼ばれ、「性交中、射精が起こると感じたら、
ただちに左手の人差し指と中指で、
陰嚢と肛門のあいだのツボ(会陰と言われる)を強く押さえ、
深呼吸しながら歯ぎしりをする。
このとき決して息を止めてはいけない」のだと言います。
(上野注:そんなこと、「最中」にできますかね!)

こうした方法は日本にも伝えられていて、
江戸時代の性についての指南書「好色旅枕」では
「蟻の門渡り」と呼ばれていました。

エリアーデによると、道教の性の技法は
インドで開発された「ヨーガ」の方法に影響を受けている
としています。
(上野注:古い道教の教えには、さらに古い起源があるのです)

ほかに「興味深い事実」としては、
武士や僧侶の世界における男色についてもかなり記述されています。

さらに本書で分かったことは、性と宗教の関係の研究書があるということです。

1)石田瑞麿著「女犯-聖の性」(筑摩書房)
2)梅川純代「神仙の証―中国古代房中術に見るセックスと飛翔」
  (井上章一編「性欲の文化史2」講談社に収録)
いろいろな研究者がおられるのですね。

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