2021年5月13日木曜日

東京エレクトロン東哲郎元社長の「私の履歴書」 から学ぶこと

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 東京エレクトロン元社長東哲郎氏の「私の履歴書」から学びます。
 日本の強化策についても再検討します。
ねらい:
 多くの日本人が「これではいかん」と
 前向きに考えるようになるといいですね。
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2021年4月の「私の履歴書」は、
東京エレクトロン株式会社元社長東哲郎さんでした。













東京エレクトロンは今や半導体製造装置メーカとして
日本一、世界第4の規模です。
因みに、半導体製造装置は、日本勢が強く、
上位15社に以下のように7社も入っています。
上位4社は拮抗していますので、いつ逆転があってもおかしくないのです。

世界の半導体製造装置メーカ売上ランキング:出典:マイナビnews


東氏は東京エレクトロンが、
東京エレクトロン研究所と称する半導体製造装置の輸入商社でした。

東氏の人生にも、運・偶然がたびたび登場します。
1.ICU(国際基督教大学)に入学
 名門東京学芸大学付属高校に在学していたが、
 あまり勉強していなかったので第1志望校は不合格。
 その時、たまたまICU志望の友人に連れられて
 そのキャンパスを見て受験を決めた。
 試験問題に哲学書を読みあさっていた氏の知っている問題が出て合格。
 たまたま友人に誘われていなければ、ICUに入っていない。

2.ICUの西洋経済史の教授に惹かれて都立大学大学院に入学したが、
 一転就職
 西洋経済史の知見から日本の経済を分析したが、物足りなく
 「社会に入って勉強しよう」という気になった。
 その時点では、就職戦線はほぼ終了していて、
 残っていた一つが東京エレクトロン研究所だった。
 入社は1977年4月27歳のときである。
 ここでも偶然が左右しています。

3.当時の同社は米国からの輸入商社であった。
 その当時、東氏はシリコンバレーにある駐在員事務所に勤務していて
 半導体製造装置メーカーラム社(現在世界3位)のトップらとも
 交流があり、人脈ができた。
 日本のメモリ―中心の半導体メーカーには独特の要望があり、
 それなら、日本で作るかということになり、
 1983年、ラム社と合弁会社を設立した。

 東氏が米国の駐在員であったということが、
 グローバルカンパニーのトップへの道につながっています。
 会社としての、輸入商社から製造業への転身は
 「運」ではないと思います。まともな経営判断です。

東京エレクトロン社の社風(内規)で興味深いのは、
「2年間成績不振であれば責任をとる」ということがあり、
東氏も2度ほど該当し、一度は社長を降りています。
それでも復活するというのは、
減点主義の日本的でなくてよろしいと思います。

因みに、東氏はこう述べています。
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日本経済は真の意味で理屈の通る行動ができているのか。
戦争に突き進んだときと同じで、
どこか不可思議なメカニズムにとらわれ破滅の道を進んでいないか。

半導体産業の歴史を見ても、
日本の各社はそろってデータを保存するメモリーの事業になだれ込み、
過当競争で自滅した印象を否めない。
対して業界の巨人、米インテルは1980年代半ば、
メモリー事業の先駆者でありながら撤退を決め、
データを処理・演算するマイクロプロセッサーの事業に舵を切った。

合理的に状況を判断すれば、当然そういう事業転換が起きる。
ところが、日本勢はそうしなかった。なぜか。
そこを突き詰めないと日本経済の弱点は解明できないように思う。
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それについて、上野は持論ですがこう考えています。
この図の赤い部分は見にくいですが、
「自らの価値判断の停止」と書いています。
















日本の思考風土は、農耕文化と他国との分離環境から生まれた
「前例・みんな主義」です。
農耕文化と他国との分離環境によって、過去の延長で物事が進みます。
農耕住民は土地に定着し近隣住民との連帯・和を重視します。

その結果生まれた「前例・みんな主義」の思考は、
「これまでどうだった?」「過去の例は?」
「みんなはどうしてる?」「みんなは何と言っている?」
でした。
これは自らの判断を放棄する「思考停止」状態です。

さらに、農耕共同体の統治機構としては「領主」が必要であり、
その上部機構である天皇や幕府の意向は絶対でした。
その結果、「お上」思考が生まれ、
重要なことを自分で決められない・決めない風土を増長した
と思われます。

この思考法の原点は、農耕文化が始まった弥生時代からのもので
2千年以上の歴史があります。
多くの日本人のDNAに組み込まれてしまっていて、
抜本的にそこから脱却するのは困難な状態です。

ご承知のように近代日本において、
過去と断絶した改革は、明治維新と敗戦の2回しかないのです。
この時は「ゆでガエル」にならずに、水から飛び出しています。
そのような危機の時以外は、
「前例・みんな主義」「ゆでガエル状態」なのです。

「それではいかん」という、「私の履歴書」に登場するような識者が
何とか、日本の沈没を救っている、という状態です。

「前例・みんな主義」から脱却するのは、教育しかありません。
私は、「幼児時代から、創意工夫して目に見える相手と競争する教育
をすべきである」と主張しています。
ぜひご一読ください。
2013年12月25日

この教育では「競争心、創意工夫、共同作業」を重視します。
「三つ子の魂百まで」ですから、幼児時代にこの3原理を刷り込まれれば
大人になってもこの精神は生きるでしょう。

少し補足しますと、この中の「競争心」は、
受験競争で目に見えない相手と競争するような競争ではなく、
チーム対抗戦で見える相手との競争心です。
状況を見て作戦を考える、そういう競争心です。

ぜひ、ご研究ください。

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