2021年5月6日木曜日

富士フイルムの「奇跡」はなぜ実現したか!

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 コトラーと古森CEO共著の富士フィルムの経営戦略分析書
  「NEVER STOP」をご紹介します。
 富士フィルム社の成功要因を分析します。
 イノベーションにはトップのリーダシップが不可欠であることを
  再確認いただきます。
ねらい:
 大事なことは必死で考えましょう(自戒)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本テーマは、
フィリップ・コトラー、古森重隆富士フイルムHDCEOの共著
「NEVER STOP」(イノベーティブに勝ち抜く経営)のご紹介です。














本書は、以下のような構成で、両著者が交互に意見を開陳しています。
以下のCはコトラーが著者、Kは古森氏が著者を示します。
この本は、コトラー氏の著書に、古森氏が書き加えてできあがったそうです。

1.デジタル化による破壊と富士フイルムのトランスフォーメーション C
2.富士フイルムの改革 絶対に負けられない戦い K
3.「富士フイルムウエイ」の分析 C
4.イノベーションの地勢の再マッピング C
5.社会的イノベーションを創出する人間主義的アプローチ C
6.古森のマネジメント・アプローチ  K
7.古森ウエイ フロネシスの実践 C
8.コトラーの見解 「マーケティングでより良い世界に」 C
9.コトラー・古森ウエイの紹介 C
10.富士フイルムのビジョン K
11.結論  C

写真フィルムが10年で消えてしまう経営環境の激変に遭いながら、
史上最高収益を実現した富士フイルムの業績は「奇跡」と言われています。
その奇跡は、再々紹介されていますので、
本項では、その成功要因について考察してみたいと思います。
両氏による富士フィルムの経営分析自体に関心のある方は、
本書をお読みください。

私流に分析しますとこうなります。
1.企業風土
2.事業特性
3.古森CEOの能力
4.古森CEOの経験(原体験)
5.後継事業の選択

1.企業風土
1)進取の気性
まず、この会社の風土が大きな要因です。
この会社のスタートは、1934年に大日本セルロイド㈱から
苦戦していた写真部門が分離して創設されました。
ドイツから写真乳剤製造の権威を迎えるなどして、
高度なフィルム製造技術を習得・向上させました。
創業僅か2年後には医療用のX線フィルムの販売を開始するなど、
他分野の感光材料の開発にも投資しました。
初めから進取の気性にあふれていたのです。

2)型にはまらない破天荒風土
コトラーは同社を人間重視といいますが、
「その人に任せる」という意識が強いようです。
ご縁のあった同社のSシステム部長
(長らく電子計算部長と称していました)は、
20年以上もその任にありましたし、

その部下の海外駐在員は10年間も「放置」されました。
本人が積極的に異動を主張しなければ、そのままということです。
形式的なローテーション主義は決していいことはありませんが、
「それにしても極端だ」と思ったものでした。
ある面で「大きな零細企業」だといえそうです。

古森氏自身も2000年に社長に就任して以来
(2012年からは代表取締役会長/CEO)、
経営トップを21年続けています。
創業者以外でそんなに長く経営トップをしている人はいません。

2.事業特性
同社の事業は化学工業です。
組立型製造業の場合は、組み立てるノウハウが蓄積されますが、
組み立てるノウハウでビジネスができるのは、
受託製造業くらいのものです。
それに対して、化学工業の場合は、
以下のような基礎技術が蓄積されます。

「製膜、薄膜塗布の他に、精密形成、機能性ポリマー合成、
ナノ分散、機能性分子合成、酸化還元処理など、
写真フィルムの製造には様々な技術が求められる。
精密にフィルム性能をコントロールし、
無欠陥で生産していく技術もその一つだ」(本書46頁)

蓄積した技術の応用開発が可能だったということです。

3.古森CEOの能力
古森CEOは創業者ではありませんが、
一代で大企業を築いた経営者と同じようなたいへんな「逸材」です。
東大経済学部出身というのが信じられないほどです。

古森CEOのなされたことを見ると、
とてもほかの人材ではできなかったと思われます。
それにしても、富士フイルムという器が同氏を育てたのです。

古森CEOの言われる「STPD」をご紹介します。
平時はPDCAでもいいが、非常時にはこれが必要。
そのとおりだと思います。

1)S See
  客観的に見ろ、偏見や期待で歪めるな。
2)T Think
  必死で考えろ、 寝ても覚めても考えろ。
3)P Plan
  しっかりした骨太の計画をつくる。
  PLANの選択も公平・客観的に
  どうしても甲乙判断できないときは割り切ってどちらかに決める。
  先送りは最悪である。
  
  因みに誤決断の要因はこう。 これは常識的です。
   1)現実を直視しない。
   2)情報が偏っている。ソース、ジャンル
   3)先入観 思い込み、偏見
4)D Do 
  すばやく実行。決めたらぐずぐずするな。
  断固としてやり抜く

古森CEOは経営者の能力についてこう言っています。
経営者の能力
 膨大な情報の海の中から意味のある情報を素早く見いだす力
 限られた情報からでも、将来の予測、トレンドを正しく見切る力、
 野生の勘、あるいは閃きが重要

 左脳でロジカルに考え、右脳で本質をつかみひらめくことが
 経営者のインテリジェンスだ。
 左脳・右脳両方の能力が必要だ、ということです。

4.古森CEOの経験(原体験)
これについては、本書の中で2点挙げられていました。

その1 営業課長時代の経験 
こういう記述があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(古森氏の発言)
富士フイルムでは、
写真フィルムの需要がピークを迎える2000年の約20年前、
1980年代初頭の段階で、将来、デジタル技術の進展が
写真感光材料のビジネスを脅かす可能性を予見していた。

印刷分野でのデジタル化は、医療や写真分野よりも早く訪れた。
1979年、イスラエルのサイテックス社が
NASAの技術を応用し、
コンピュータによる製版情報処理装置「レスポンスシステム」を発表した。

その後、さらに「CEPS」という電子集版システムが市場に入ってきた。
印刷関連事業に携わっていた私にとってこれは衝撃だった。

私は当時、営業課長であったが、
「将来、デジタル印刷の技術が確立されれば、
これまで大量に使われていた製販フィルムが不要になる。
大変なことが起きる」という危機感を抱いていた。

(コトラー氏の発言)
古森氏は1960年代後期にフジタック(テレビ、モニター、スマホなどに
使用される液晶パネルの製造に不可欠な材料である偏光板保護フィルム)
の営業に携わっていた。
売上が落ち込んでいたフジタック事業の中止案が出た際、
上司に「何とか新規用途を開発するから、やめないでほしい」と訴えた。
会社に泊まり込み、戦略を練り、技術担当者と一緒に潜在市場を調査し、
電飾看板向けなど、新規の顧客開拓に成功した。
その甲斐もあり、フジタックは延命が決まった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
したがって、2000年以降のことは
「とうとう来るものが来たか」という感じだったのでしょう。

その2 前経営陣の失策 反面教師 
こういう記述があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
デジタルカメラが開発された後もしばらくは、
写真分野でのデジタル化はなかなか進まなかった。
富士フイルムが世界で初めて発売したレンズ付きフィルム「写ルンです」
の爆発的普及もあいまって、写真フィルムの世界市場は伸び続け、
富士フイルムの社内でも
「デジタルカメラは写真フィルムの解像力に追いつけない」
「写真フィルムはあと30年もつんじゃないか」
といった楽観論が広がっていた。

このような状況の中で、当時の経営陣は、進めていたインクジェット、
光ディスク、医薬品などの新規事業への投資をやめてしまった。
写真フィルムという高収益の、
シェアの高い絶対的なコアビジネスを持っていたがゆえに、
時間もコストもかかる新規事業への思い切った転換に
踏み切れなかったのである。

しかし、勇気をもって、現実を冷静に見ていれば、
写真フィルムが伸び続けるわけがないことは分かったはずである。
そのときに、今、
何をなすべきなのかを覚悟を決めて考えていなければならなかったのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このことは、反面教師として、「今度はそうはいかないぞ」
と強く覚悟されたことと思います。

5.後継事業の選択
2000年からの写真フィルム事業の落ち込みを救ったのは
液晶ディスプレイに使用される偏光板保護フィルム事業でした。
この事業によって、
医薬や化粧品などのより長期の事業開発につなげることができたのです。

この事業の選択は、以下の図のように、各種の検討をした上での
結論でしたが、
「4.の古森CEOの経験その1営業課長時代の経験」にあるように
古森氏が直接その関連事業に関わっていたこととも
無縁ではないでしょう。

さらに言えば、偏光板保護フィルム事業は、
まったくの新市場というよりは、既存市場の延長線上にあるものと言えそうです。
ある面で、「ついていました」ね。











これは有名なアンゾフモデルです。

この事業の成功は古森氏の貢献ですが、そういう時代にめぐり合わせたのは、
富士フイルム社として運が良かったのです。
マイケルサンデル氏の言われる「実力も運のうち」なのです。

【STPDモデルの評価】
僭越ながら、STPDモデルの適合性を評価してみました。
古森CEOの主張されるSTPDモデルは、
氏の言われるように、
1)PDCAは平時のアプローチ、STPDは非常時のアプローチ
ですが、こういう見方もできます。

2)PDCAは戦術的アプローチ、STPDは戦略的アプローチ
戦略を考えるときには、SEEから始めざるをえません。
徹底的なSEEなしに、直感で成功させることは不可能ではありませんが、
組織的なアプローチには向きません。

セブンイレブンの鈴木敏文氏の提唱された「仮説検証」アプローチも
PDCA型です。
「考えて発注せよ、発注結果が正しかったかどうか検証し、次に活かせ」
というモノです。
仮説検証アプローチは、戦術よりも短期的な「戦闘」型アプローチです。

戦略の実現には年月を要しますから、
戦略を考えるときに、仮説検証アプローチをとっていたら、
会社はつぶれてしまいます。

3)PDCAはレベルアップ型アプローチ、
 STPDはイノベーション型アプローチ
STPDは富士フイルムがイノベーションを成功させたアプローチなのです。
創業時もそうでしょうが、
既存企業の中からは熟考なしにイノベーションが生まれることはないでしょう。

【富士フイルムグループの今後】
富士フイルムグループの企業理念はこうなっています。
わたしたちは、先進・独自の技術をもって、
最高品質の商品やサービスを提供する事により、
社会の文化・科学・技術・産業の発展、健康増進、環境保持に貢献し、
人々の生活の質のさらなる向上に寄与します。

ということは、製品の提供だけでなく、サービスの提供もしていくのです。
(上野個人としては、製造業にこだわってほしいと思いますが)
社会の発展への貢献は当然として、健康増進や環境保持にも注力するのです。
健康増進や環境保持は、これからの世界人にとっての最大の関心事であり、
大きな市場が期待できる領域です。
ここをターゲットにして製品とサービスを組み合わせて
ビジネスを展開していくのであれば、後継のトップが針路を誤らなければ、
ますますの大発展が期待できます。

「奇跡」は古森個人の力でなく、
企業風土の力だったということになるのでしょうか。
注目されるところです。


0 件のコメント: