2021年2月28日日曜日

「かな」「かな」「かな」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「かな」を入れる婉曲表現について考えていただきます。
ねらい:
 ほかにも気になる表現がありますね。
 気をつけましょう。
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私が在籍していた帝人㈱のOB会で知り合った
阿部紘久さんから送っていただいた文章です。

たいへん意義あり興味深い問題提起ですので
皆様にご紹介いたします。

阿部さんはⅯ12年間で53刷までになった大ベストセラー
「文章力の基本」の著者で
長く昭和女子大学で文章指導の教鞭をとっておられました。

以下の阿部さんの意見に対して、以下のコメントをしました。

私がお客様にご提案する文章の中で、
偉そうに断定するのを避けるために
「それはとても大事な問題ではないかと思います」
という風に婉曲に言う、ということがあります。
「かな」は使いません。

昔はあまり気にしないで断定していましたので
「上野節」などと言われましたが、
最近は立場が弱くなったせいもあり?
婉曲表現を使うことが多くなりました。

そうしましたら、以下の返信をいただきました。
ご参考まで。
「それはとても大事な問題ではないかと思います」には、
全く抵抗がありません。 
正に断定を避けるために、私もよく使います。

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「かな」「かな」「かな」

「それはとても大事な問題だと思います」
と以前なら書いたところを、
「それはとても大事な問題かなと思います」
と書く人が増えた。

書いた当人は「とても大事だ」と明らかに思っているのに、
なぜ「かな」なのか?

「司法通訳は、
誤訳すると冤罪にもつながることを認識することが重要だと思います」
こんな深刻な問題に、次のように「かな」を書き加えるのはなぜか?

「司法通訳は、誤訳すると冤罪にもつながることを認識することが
重要かなと思います」
断定を避けて婉曲的に表現した方が奥ゆかしい
という感覚があるのかもしれないが、
この2つの例を見ても、「かな」を取り去っても少しも不躾ではない。
むしろ簡潔で自然である。

このように昨今「日暮ゼミ」のように、
「かな」「かな」「かな」を多発する傾向があるのが気になる。
それは自分の発言に責任を負いたくない、
言質を取られたくないという姿勢の表れだからだ。

以下、最初が改善案、次が原文である。

「阪神・淡路大震災の記憶が風化して、忘れられていくのが辛いです」
「阪神・淡路大震災の記憶が風化して、
忘れられていくのが辛いかなと思います」

「大事な試合に負けてしまったので、残念です」
「大事な試合に負けてしまったので、ちょっと残念かなと思います」

「彼の入団は、チームにとってとても大きなプラスだと思います」
「彼の入団は、チームにとってとても大きなプラスかなと思います」

自分が書いた文章に誰かが異論を挟んだ場合に備えて、
「私も自分で言いながら、あるいは違うかなと疑っているのです」
と逃げ口を準備し、
予防線を張って非難をかわそうとするのは、潔さに欠ける。
自分の発言から生ずるリスクを回避しようとすればするほど、
好感度も説得力も落ちていく。

「地元に戻ってやりがいのある仕事に就けて、
これ以上嬉しいことはありません」
「地元に戻ってやりがいのある仕事に就けて、
これ以上嬉しいことはないかなと思います」

「新型コロナウイルスの問題で外出を禁じられ、
買い物にも行けないので、何かと不便な思いをしています」 
「新型コロナウイルスの問題で外出を禁じられ、
買い物にも行けないので、何かと不便かなと思います」 

「ボランティアの皆さんが校内の整備をしてくださるので、
以前より教師としての仕事に集中して取り組めるようになりました」
「ボランティアの皆さんが校内の整備をしてくださるので、
以前より教師としての仕事に集中して取り組めるようになったのが、
事実かなと思います」

「彼女がグランドスラムで優勝したことによって、
大きな刺激を受けました」
「彼女がグランドスラムで優勝したことによって、
大きな刺激を受けたかなと思います」

全日本級のスポーツ選手が、本当は、
「結果に拘ってやって行きたいと思います」
と言いたかったのだろうが、時流に合わせて、
「結果に拘ってやって行きたいかなと思います」
と言った。

水泳の池江璃花子選手が、18歳の時に白血病の発症を公表した。
それを聞いた他の種目の有名女性選手が、テレビカメラの前で、
「頑張ってほしいかなと思います」と言った。
ぜひ素直に、「頑張ってほしいと思います」と言ってほしいと思った。

「かな」以外にも、さまざまな「逃げ腰表現」が昨今目立つ。
「事件現場は子供が毎日通る道なので、心配です」
「事件現場は子供が毎日通る道なので、心配かなとか思います。

ここでは、「かな」に加え、
「とか」も加えて、自分の発言をぼやかしている。

あるテレビ制作スタッフが地方の村で出会った人に、
「お話を伺うとかって、出来たりしますか?」と聞いた。
「とか」に「たり」を加えて逃げ道を残していたが、
「お話を聞かせていただけますか?」
「お話を伺えますか?」が自然である。

こういう「逃げ腰表現」の乱発が、
日本人の逃げ腰体質の蔓延を表すものでないことを祈りたい。

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