2019年4月22日月曜日

「美と破壊の女優 京マチ子」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 一世を風靡した京マチ子さんについて思い出してみました。
ねらい:
 若いときに美貌と体を売り物にした女性は95歳になると
 どうなっているのでしょうね。
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なぜか、日経新聞の書評欄に載ったこの本を買いました。
多くの方は、京マチ子さんをご存じないでしょうね。


私は高校1・2年の時、ほとんど毎週土曜日に
新宿3丁目にあった日活名画座で映画を観ていました。
封切後しばらくしてからこの映画館にかかるのですが、
それでも、毎年発表されるベストテン作品はほとんど見れていました。
入場料は40円でした。


そこは洋画の専門でしたので邦画はまったく見てませんでした。
しかし京マチ子は、セクシーな「肉体派女優」として
大いに関心は持っていました。
その頃、大活躍だったのです。


それで、書評を見て「おッつ、今どきどうしたのだろう?」
と思ったのです。
大げさに言えば、昔の恋人に出会ったような感じだったのです。


しかし本書は、
「肉体派女優」の本領追求への私の期待は裏切られて
本格的大物女優の姿・実績の解説でした。


そこで、当テーマでは、私の拙い書評をやめて、
私が関心を持ちました映画研究者木下千花さんの書評を
そのままご紹介させていただきます。


因みに、京マチ子さんは1924年3月25日生まれで
お元気であれば95歳です。
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歴史家は、
ブルドーザーのように広範な資料を根こそぎにして読みまくり、
精緻な分析によって過去の思潮を浮上させ、
それに基づいて通説を覆さなければならない。

『スター女優の文化社会学』(作品社、2017年)
の北村匡平はまさにそのような稀有な映画史家であった。


原節子と京マチ子を対比させたこの学術書の
京についての議論を発展させ、
映画の中の彼女を注視したパフォーマンス論として
一般の読者を射程に入れて書き下ろしたのが本書である。

したがって、
先行研究や方法論への学問的な言及は最小限に抑えつつも、土台にはプロの歴史家の確かな研究がある。


『羅生門』(1950年)『雨月物語』(53年)など
国際映画祭で受賞した名作で古代や中世の女性を演じて
「グランプリ女優」と呼ばれた京マチ子は、
西洋に対して日本文化を代表する女優とみなされてきた。


それに対して本書が鮮やかに描き出すのは、
占領期の京マチ子、
つまり豊満なボデイで挑みかかってオヤジを籠絡し、
戦前的な秩序を破壊する『痴人の愛』(49年)や『牝犬』(51年)のヒロインである。


一方で、ファン雑誌をはじめとしたメディアは
おっとりと清純な女性として京マチ子の「素顔」を構築していたことが指摘される。


日本と西洋、伝統と近代、清純と淫蕩など相矛盾する要素を包合する女優のイメージこそが、
ハリウッド映画『八月十五夜の茶屋』(57年) への出演を経て、
「変身」を得意とする芸達者なコメディエンヌヘの成長を可能にしたという定式化は、見事というほかない。


それにしても、
本書の表紙にもなっている『牝犬』のヒロインを
当時の女性観客はどのように受け止めたのだろうか。

現代の視点から見ると、
自分の欲塑も惚れた男の気持ちも掌握できず闇雲に暴れるあたり、
形として男社会に反抗しつつも男性の「悪女」幻想をなぞっており、
後年のしたたかなマダム役の方が魅力的である。


とはいえ、京マチ子の「ボリューム」と迫力を真顔で讃える度量のある谷崎潤一郎のような日本人男性は現代ではますます希少であり、再評価の遅れの一因だった。


この名女優の全体像を明らかにした本書の功績は大きい。

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