2020年4月23日木曜日

ドイツのコロナ対策の優秀性,日本は??

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 ドイツの新型コロナ対策の優秀性を確認します。
 日本の出遅れを確認します。
ねらい:
 今後は、
 日本人ももっとリスク意識を強く持つようにしないといけません。
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今やテレビも新聞も、コロナ一本やりです。
4月15日の日経新聞にこういう記事が載っていました。


新型コロナ、際立つ低い死亡率
独、在宅・隔離進み対応早く


内容は概ねこういうことでした。
ドイツは以下のような状況で、新型コロナ対策に成功している
というものです。


1.政府の外出制限発令
  ・3月に政府が外出制限令を発すると国民が素直に応じた。


2.強固な医療システム
 1)集中治療室 (ICU)
   人口10万人当たり34床(イタリアの4倍)とありました。
   
   注:このベッド数は、別途上野が確認した資料では、
   ドイツが優れていることは確かでしたが、   
   米国35、ドイツ29、イタリア12.5、韓国11、スペイン10、
   日本・イギリスは7、中国は4、となっていました。
 
 2)検査体制の充実
     検査能力の増強が容易である。


3.高齢者のライフスタイル
 ・子どもと同居しないことが多い(感染拡大しにくい)。
  (上野注:日本でもそうなっています。
   日本は方針としてそうしているのではなく、
   そういう家しか持てないからそうなっているのですが)


4.住環境
 ・広い家に住む人が多い(家庭内の隔離が容易)。
 ・狭い家とは、
  寝室と居間が同じ、成人した子供に独立の部屋がない、
  という定義で
  ドイツでは7%,EU平均は16%、イタリアは28%
  とありました。


 ・これも別途、ネットの記事を調べましたら,
  NTTコムのまとめ記事がありました。
  一人当り床面積は、米国65ヘーベ、英44、仏41、独43、
  日本は36で、特にドイツが優れている状況にはありません。
  なお、日本の場合は、借家は23へーべで狭いのです。


5.国民性
 ・心配性である。最悪の事態を念頭に置く。


こうして見ると、大きな要因は国民性にあると思われます。
こういう記述があります。

ドイツ社会の特徴を表すのに「ジャーマン・アングスト(ドイツ人の不安)」
という言葉がある。
先行きばかりを心配し、備えを固める気質を冷やかしたものだ。


新型コロナでも[最悪の事態]を念頭に置く。
[国民の60~70%が感染する恐れがある]とメルケル独首相は語った。
不都合なことでも事実なら率直に伝え、素早くリスクを回避する――。
そんなドイツの国民性が今のところ奏功しているようにみえる。


その例示としてこのような事例が示されていました。


例えば、ドイツ連銀。
出勤するのは現金の安定流通を支える職員などにとどまり、
ワイトマン総裁ですら週1回しかオフィスに顔を見せない。


「なんの準備もなければ在宅勤務はできなかった。
前もって自宅のパソコンで作業できるようにしていた」
と独連銀筋は明かす。
02~03年に流行したSARSなどの経験も踏まえて
「万が一」に備えたという。


翻って日本はどうなのでしょうか。


1.国民性
以下太字は日立製作所役員OBの久野勝邦氏の意見です。
(上野則男のブログ2012年5月26日
「 日本人と中国人・アングロサクソン民族の違い」
 http://uenorio.blogspot.com/2012/05/blog-post_26.html)


将来の危険性・可能性を検討するリスクという言葉・概念が
日本語にない。
リスク概念がないだけでなく、リスクを取らない。
その例として、
日本は石油危機の時のエネルギ確保を
石油輸入の権益確保を第一として、
日本の近海にたくさんある海底資源の探索・獲得は
リスクがあるので誰も投資しようとしなかった。


日本人のリスク管理の甘さを表す言葉は以下のように多数ある。
「天災は忘れた頃にやってくる」  甘さを示している。
「未必の故意」「何もかも考えるのは無理」 怠慢である。
「絶対安全」 リスク管理の放棄である。
「最悪事態まで考えたら何もできない」 これも放棄である。
「想定外」  これも放棄である。


それはここからきている。
日本人の思考法には未来という概念が希薄
過去から現在が大事で、先のことは分からない、と考えている。



古来の日本語には未来形はなかった。
(英語のWILL,SHALLに相当する助動詞がない)
死んだら終り。死後の世界はない、と考えている。



たしかにそうなのです。
日本で今回のようなリスクを考えて在宅勤務を考えたという企業は
私の知っている限りでは、
外資系の「チューリッヒ保険」だけです。


東北地方の大津波は、何年かサイクルで必ずやってくるとなっているのに、
それを無視して無防備に海岸近くに住んでいて被害に遭った、
福島第一原発がその備えをしていなかった、
などはその好例です。


緊急事態宣言発令の遅さも、
あらかじめその想定をして準備をしていないからです。
一から検討すれば時間がかかります。


真面目な国民性は日独共通ですが、
リスク意識の差が今の結果を生んでいるのです。


2.強力なリーダシップの欠如
前掲のドイツはメルケル首相の強いリーダシップは有名です。
今回もそれが機能したのでしょう。


韓国や台湾が感染を防御しています。
4月21日 日経新聞はこう述べています。
「両国に共通しているのは、
強大な権限を持つ司令塔を柱とした危機管理体制の周到さと
感染症リスクへの感度の高さだ。

背景には重症急性呼吸器症候群(SARS)などの感染症対応に
失敗した苦い経験がある。


国のトップのリーダシップの問題なのです。
イギリスフィナンシャルタイムズにこう書かれています
(4月23日日経新聞)。
「国内で初の新型コロナウイルス感染者が正式に確認されてから
3ヶ月たった今でも「オールジャパン」の本能は
目立った形で発揮されていない」


4月17日の日経新聞論説では、
「政治はスピードと責任を」と題して、以下のように述べています。
経済対策の議論に1カ月以上かける愚。
給付金が10万円と固まったなら、
それこそ緊急を理由に複雑な手続きを省いて
国民のもとに少しでも早く届けるのが政治の責務だろう。
前例踏襲と手続きを重んじる官僚の主張を平時のように受け入れるのは
政治の怠慢である」


平時対応と緊急時対応の切り替えができていないのです。
緊急時対応は早さが勝負です。
議論している暇はないはずです。
「和」を重んずる日本は緊急時に全く弱いですね。

2020年4月22日水曜日

「シロクマのことだけは考えるな!」

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 改めて心理学を学びます。
 植木理恵さんの素晴らしさを再認識いただきます。 
ねらい:
 周りの人の心理・行動がより分かるようになると良いですね。
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このテーマ名は、人気心理学者植木理恵さんの初期の代表作です
(2008年8月マガジンハウス刊)。
現在の版は新潮文庫で200頁弱のものです。


あらためて今回勉強してみました。


著者が「おわりに」でこう書いています。
 いつの日か、とことんカジュアルなテーマを用いながらも、
 [本物の心理学]をエッセイのような形でまとめておきたいなあ。
 学術論文クラスの理論を織り交ぜながら、
 身近なことだけにフォーカスを当てた心理学の書籍を作ってみたいなあ。
 これは一人の心理学者としての、私の長年の夢でした。
 本書は、それがほぼ完璧に近い形で具現化されたのではないかと、
 ひっそりと自負しています。


私も、そのとおりになっているのではないかと思います。
本文もこのような女性らしい文体で分かりやすく書かれています。
著者33歳の作品です。すごいものです。


本書はこういう構成です。
薄くてコンパクトな本ですから、読まれていない方はぜひお読みください。

本書の構成



章名


内容例
タイトルの付け方もたいへんよくできています。

第1章 元気になる心理術

 

・忘れようと努力するほど鮮明に思い出してしまう
 [シロクマ実験とトラウマ克服法]

・アタマが真っ白!パニクる気持ちはこう抑える
 [回避的コントロールの限界とパニック解決法]

 

第2章 頭がよくなる心理術

 

・合コンで出会った相手とはなぜすぐに別れてしまうのか?
 [脱・フォールス・メモリーで人を見抜け!]

・火のない所に煙をモクモク立ててしまうのは「コトバ」
 [口ゲンカは、全部言語的隠蔽だった!]

・三人寄れば文殊の知恵は湧かない[
 集団的手抜きの恐ろしさ]

 

第3章 人をコントロールする心理術

 

・思いどおりに人を育てる超カンタン人心コントロール術
 {調教上手はアメとムチではなくアメとムシ}

・「ズバリ言うわよ」と言われたことはなぜ感動するほど当っているのか?
 [ファウラ―効果で占い師になれる?]

 

第4章 人をトリコにする心理術

 

・最強の人間関係を作るほめるテクニック[トクベツな人に大昇格。「ジョハリの窓」の叩き方]

・なぜ不倫カップルは長続きするのか?
 [心理的リアクタンスを煽って魅力倍増]

・フシギちゃんはどうして人気者なのか?
 [認知的不協和が人を夢中にさせる]

 

 
心理学は、人間とはこういうものだということを主張するのですが、
極端に言えば、いかような説も可能です。
学であるためには客観的な証明が必要です。


そこで今回私は、
この本の中から実験の紹介がある「理論」を取りあげて整理してみました。
著名な理論であっても残念ながら実験の紹介がないものもあります。
それも一部取りあげました。ご確認ください。


これらの実験は、統計学的手法としては「ランダム化比較実験法」が
用いられていると思われます。


なお、本書は2011年刊行です。
植木さんは多作者でその後もかなりの著書を出しておられます。
私も研究中ですので、あらためて最新情報をお届けしたいと思います。





本書で示されている実証例


第1章 元気になる心理術



名称

実証したこと

実験方法

シロクマ実験


そのことを考えるなと言われたことの方を覚えている


[1987年の誰かの実験]

50分程度のシロクマの生活の映像を見せ、3グループに分け、「シロクマのことを覚えておけ」「シロクマのことだけは考えるな」「自由にしろ」と告げ、1年後に確認した。1番克明に覚えていたのは「考えるな」と言われたグループだった⇒考えまいとすることが逆効果になる。


ストレスマグニチュード


ハッピーなこともストレスになる


[米国で行われたストレス研究]

ストレス度は肉親の死100、離婚73、病気53がベスト3だが、結婚50、長期休暇45、家族が増える39、大金が舞い込む38、昇進・出世36、著しい成功28もストレスになる(悪くなることを怖れる)。


 
第2章 頭がよくなる心理術



名称

実証したこと

実験方法

カクテルパーティ効果


自分の関心事には頭が働く


{米国での選挙演説に関する実験}

支持政党と非支持政党の選挙演説を聞いてもらい、内容の理解力、集中力、記憶力を比較した。はっきり差が出た。

宗教者の説教についても同様の結果が得られた。⇒カクテルパーティ効果だけでなく、自分自身の信念や哲学に反するような話は敢えて耳に入れない、理解したくない。



自己愛・ライバル意識


仲間に対してはライバル意識が働く


[どこかの大学での実験]

文学部の学生数十人にある作文を読ませて感想を聞いた。半分の学生にはそれが工学部の学生が書いたもの、残り半分には文学部の学生が書いたものと告げた。工学部と言われた方は高評価で、文学部と言われた方は散々な評価だった。⇒ライバル意識は評価を歪める。



先入観による歪み


誘導尋問は大きな影響を与える。


[どこかの実験]

車どうしの衝突事故の映像を見せ衝突時の時速を当ててもらう。2組に分け一方には「衝突時の時速は?」一方には「激突時の時速は?」と聞いた。答えは前者の平均が60キロ後者の平均が120キロだった。⇒同じものを見ても誘導でこんなに違ってくる。



アナログな記憶の方が強い


超一流のソムリエの記憶は言語化していない。暗記のコツもイメージ化。


[どこかの研究結果]

世界トップクラスのソムリエたちは、ワインを飲んだ時に浮かんだイメージや感覚、感想をその場では言語化しない。平均クラスのソムリエは一所懸命メモを取っている。⇒アナログの方が圧倒的に情報量が多い。



 
第3章 人をコントロールする心理術



名称

実証したこと

実験方法

アメとムチ実験


ムチは必ずしも有効な指導方法ではない(マウスはムチ(電気ショック)の選択肢がある場合は、それを怖れて行動しなくなる)。


{どこかの有名な実験}

マウスをT字の迷路に入れる。Aは左エサ・右電気ショック(アメとムチ),Bは左何もなし・右電気ショック(ムチのみ),Cは左エサ・右何もなし(アメのみ)となっている。最も早く左を選択するようになったのはCのアメのみの迷路であった。



間欠強化


アメを与えるのを時々抜くのがよい(カリスマホスト、宗教団体、魅惑女の手口)。


[どこかの研究]

5回に1回抜くのが期待が最大になってよい。毎回アメがあるとマンネリになる。5回に1回以上抜くと期待しなくなる。


スティンザー効果


着席位置で同調関係が決まる。


[心理学的に実証されている]

向かい合わせは対立的になる。隣同士は同調しやすくなる。意見交換するなら、角合わせに座る、かつ仕切り役なら短い辺の方に座る。



監獄実験


人間は与えられた役割に合った行動をするようになる(上野感想、社長になった方は社長らしい言動をするようになります)。


[米国心理学者ジンバルドの実験]

模型の監獄に「あなたは看守、あなたは囚人」として二人の被験者を入れる。数日間の内に二人はその役割の行動をするようになる(看守役がどんどん威圧的・暴力的になる、囚人役は怖れおののく)。


バンドワゴン効果


あおられると乗ってしまう(上野感想、今はそういう傾向は減ってきました)。


[そういうことになっている]

人間はあるモノが流行していると言われるとついそれに乗ってしまう。「内閣支持率が上がっていると言われると支持に回る人が増える。



アンダードッグ(負け犬)効果


人気絶好調は飽きが来るので、一転負け犬になって復活する。


[そういうことらしい]

清純派から汚れ役に、女性アイドルがヌード女優に、ヒラリークリントンの変身の例などが紹介されている。


 
第4章 人をトリコにする心理術



名称

実証したこと

実験方法

ジョハリの窓


「自分が知っていること」「自分が気付いていないこと」と「他人が知っていること」「他人が知らないこと」の組み合わせで気づきの意外性がある。


[ジョゼフ・ルフトとハリー・インガムが提唱した説。実験結果は示されていない]

マリリンモンローに「セクシーですね」「美人ですね」と言っても効果がない、当たり前のことを繰り返し言うと、ウソッポくなる、ことなどが紹介されている。



心理的リアクタンス


人はままならぬ関係であるほど熱狂的で密接な関係性を築き、より離れがたくなる。


[そう言われている。実験結果は示されていない]

「不倫カップル」「禁じられた遊び」「カリギュラ効果」(上映禁止措置が人気を沸騰させた)などが紹介されている。












2020年4月3日金曜日

古井由吉著「槿 あさがお」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 古井由吉さんを偲びます。
 ビジネス文書と文学作品は書き方が違うことと
  案外共通点もあることを再認識します。
ねらい:
 何を学びましょうか。
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2月27日の日経新聞に、次の記事が載っていました。
「『内向の世代』の作家、古井由吉さん死去
日常の深部を掘り下げる筆致は「魔術的」とも評され、---
主な作品に、中年の男と複数の女性の交情を描いた「槿(あさがお)」
(谷崎潤一郎賞)のほか、---」


社会人になってから、小説はほとんど読んでいないのですが、
なぜか気になって「槿(あさがお)」を買ってみました。




帯にはこう書いてありました。


男の暴力性を誘発してしまう己の生理におびえる伊子(よしこ)。
20年も前の性の記憶と現実の狭間でたゆたう國子。
分別ある中年男杉尾と二人の偶然の関係は、
女達の紡ぎだす妄想を磁場にして互いに絡み合い、
恋ともつかず性愛ともつかず、
「愛」の既成概念を果てしなく逸脱していく。
濃密な文体で、関係の不可能性と、
荒野のごときエロスの風景を描き切った長編。
谷崎潤一郎賞受賞。


古井さんのことを、これまでまったく知りませんでしたが、
東大の文学部出身なのです。
生年月日を見ますと、私と同学年のようでした。
当時の東京都1番の日比谷高校から現役で東大に入られてますから、
非常に優秀な方だったのです。


この記事に惹かれたというのは、何か感じたのでしょうか。


本書の書名である槿という字はむくげであって、
あさがおとは読みません。
本書の中で、主人公が知人に
「朝顔と槿は似ているけれど、関係あるのだろうか」と問い、
「朝顔は草で、槿は木で、まったく違います」と言われています。
それでも敢えて
この字をあさがおと読ませる意図は何なのでしょうか。


主人公は槿は苦手と仕立てているところにも興が湧きます。
「木槿の花に二日酔いの身を悩まされた。
あれは体が衰えるとなかなかつらい花だ、
と目をそむけそむけしていた」とあります。
同感です。すごく生命力があって迫ってきますからね。
因みに、槿は韓国の国花です。


本書はいわゆる私小説「風」で、
すべては主人公杉尾の主語で語られます。
杉尾が会っていない第3者の言動は相手からの伝聞で語られます。


書き出しはこうなっています。
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 腹をくだして朝顔の花を眺めた。10歳を越した頃だった。厠の外に咲いていたのではない。
 寝冷えをしたのか、明け方近くにうなされて目を開いた。膝が汗ばんでいた。親たちの床の間から足音を忍ばせ暗い廊下を伝って幾度も厠に通った。ただ渋るばかりになり困りはて長いこと布団の中で息をひそめていた。そのうちに夜が白んで疼きも間遠に、心地よい萎えに変わり、うつらとしかけたとき、何を苦しがってか雨戸を1枚だけあけて庭へ出た。
 薄霧がこめて地にしっとりと露が降りていた。濡れた草のにおいが線香のにおいと似ていると思った。縁先の鉢植の前に尻を垂れて初めは花を見てもいなかった。ただ腹の内を測っていた。おさまっているのがかえってあやうく感じられた。小児にとって夏場の死はまず腹の内にあった。熱っぽい素肌に朝じめりの涼けさがつらいほどに快い。その快さがまた疫痢か何かを誘う身の毒と戒められていた。
 やがてぽっかりと白い、あまりにもみずみずしくて刻々と腐れていくような花の輪に引き込まれた。それだけの記憶だ。しばらくは立ちあがれず、萎えた膝の上に薄くなった腹を押しつけて眺めていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先に事実が来て、そのあとにその前の説明が来る、
という時間軸を逆転させる記述に気をひかされます。
「魔術的」の一部なのでしょうか。


あらためて読みなおしてみると、
このように「結論を先に述べて後から詳細を述べる」
という方法は、大事な区切りのところで度々登場します。
この方法は、ビジネス文書の作成方法で勧められている
「結論を先に述べよ」に通ずるものがあるのだと気付きました。
相手の関心を引き付けておいて、細部を述べるのです。


次の文は、こういう状況でした。
献血のときにたまたま一緒だった女性が
連絡先の入った献血カードを主人公に渡してくれましたので、
3か月後の献血の際に思い出して電話をしました。
そうしたらやってきて一緒に飲み、彼女は酔いつぶれてしまいました。
仕方なく負ぶって家まで送ろうとするときのことです。
ここでも時間軸が動きます。
彼女が帯の紹介の伊子です。


 「あの、おたずねしますが」そのうちに背中から、往来で人に物を訪ねる声がした。
「女が眠っているうちに、犯されて、あとで知らない、というようなことは、あるものでしょうか」
 杉尾は呆気に取られた。しかし驚きは驚きとして、女の声の響きから、遠い記憶を呼びさまされた。烈しかった空襲の夜が白み始め、避難者の姿もまばらになった大通りを、焦げ臭い薄靄の中から、鈍い怯えを腫れた目に溜めた女が寄ってきて、近くにいる年配の男の腕を捕まえ、あの、おたずねしますが、女のからだを腐らす毒ガスが投下されたという噂を聞きましたが、本当でしょうか、と洞(うつ)ろに上ずった声でたずねた。
 「知りません、僕は男ですから」思わず邪険な、防御の口調になった。「少なくとも、さっき道でひっくりかえっていた間は、何もされてません。それとも、もう妊娠したとでもいうんですか」
 「いえ、そんなことではありません」
 女はしかつめらしく答えて、背から身を離して考え込む風だった。しかし降りようともしない。その静かさが、いきなりす様じい重みとなってのしかかってきそうな、そんな恐れに杉尾は取りつかれて歩きつづけた。


そのときは彼女の部屋で、
 「一度きり、知らない人に、自分の部屋で、抱かれなくてはならない、避けられないと思ったんです」
 言葉とはうらはらに、男の沈黙に押されて、やめて、と哀願する光が目に差した。杉尾は頸を僅かに横へ振った。
ということで何もありませんでした。


次の文は、その次の時の2回戦目のときのことです。
そのあと、3回戦もありました。


 肌がはっきりと熱くなり、体内にこもった熱が一度に発散する様子で、汗さえ噴き出して胸の奥が走り、豊かな息が膨らんで、やがて和んだ嗚咽に変わった。隣室から耳を傾ければ、さっきのは声をひそめたもつれあいで、いまようやく心から潤んで抱き合っている、とそう聞こえるだろう、と杉尾はこわばりのひいた薄い背をさすっていた。啜り泣くだけ泣くと井出は男の胸の内にぴった入りこんで小児の温かみとなり、今度は深い寝息を立てはじめた。
 杉尾も呆れて眠った。だいぶ立って目をひらくと、井出がまだ胸の内からこちらの顔を珍しそうに眺めていた。なぜ抱かれる気になった、とだしぬけにたずねると、だって初めてのような気がしないんだもの、初めてみられたときから、と答えた。血を採られているときから見ていたのか、と腰に手を回すと、うんあんまり見るんだもの、と唇を合わせて、もう抱かれてしまった気がしたものよ、こうなったらきちんと抱いてもらわなくては恥ずかしいと思ったくらい、と腰を逃がした。


会話を「」付きで記述するのと、このようにべた文の中で記述するのを、
使い分けています。
状況を説明しながら会話を述べるのに後者を使っています。
状況の動きが感じ取れます。


もう一人の女性、國子との文章は省略します。
杉尾が高校生の時に、同級生の妹だった國子と、
送って行った彼女の家の豪邸の門前で体を寄せ合いました
(詳細はあいまいです)。


同級生が自ら命を絶った通夜のときに再会します。
彼女が高校生の頃、誰かが家に侵入し彼女を犯したらしいのです、
それが誰であったか不明なのですが、彼女から杉尾が疑われています。
その謎がサスペンス風です。最後に謎は解けます。
國子とは、ホテルには入り彼女はシャワーに入りましたが、
そこまではいきませんでした。


もう一人、行きつけの女将が登場します。
彼女とは7年ぶりに2回目の逢瀬をしています。
その時のことはあっさりした書きぶりです。


古井さんは、実生活でもこんなに持てたのでしょうか。
羨ましいことです。
そうでなければ、空想だけでこんなに書けないと思われます。


以上で、ご紹介を終わります。
集中して読んでいると、作者の感覚の世界に引き込まれてしまいます。
関心を持たれましたら「魔術」を堪能なさってみてください。