2022年9月15日木曜日

山形中1石澤準奈さんはなぜ死んだのでしょうか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 飛び降り自殺をした石澤準奈さんの死を心から悼みます。
 なぜ、彼女が死に至ったのかを想定してみます。
ねらい:
 日本がいじめ致死事件皆無になることを切に期待します
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山形県酒田市中学1年(当時)石澤準奈さんは、
2021年2月12日、母校の4階校舎から飛び降り死亡しました。















彼女が死に至った状況の解明が不十分だということで、
今年7月31日,酒田市は
彼女の死について再調査をすることを決定しました。

以下、報道されている情報を基に、私なりに
石澤準奈さんを死に追いやった状況を想定してみました。
以下、引用している出典はすべて「文春オンライン」です。

1.石澤準奈さんの能力・性格
彼女は、以下のように優秀で
あらゆることに前向きに取り組んでいました。
 学級委員
 バレーボールの練習
 校内合唱祭の助監督

公表されている多くの写真を見ても、
暗い影が感じられるものはありません。

2.石澤準奈さんが落ち込んだ要因
以下のようにいろいろなことがあったようです。
(母親談)
学校での愚痴を話すことは多くはありませんでしたが、
中学校に入学してまもなくすると、
友達からくせ毛のことを『ブロッコリー頭』と陰口を言われていた
ことを知って落ち込んだり、
学校の創作ダンスの授業で
『グループの中の2人がまったく言うことを聞いてくれなくて、
先生に相談してもグループを変えてくれない』と、
困った様子で話してくれたこともありました。

(引き続き母親談)
昨年秋の合唱祭では、せっちゃんが助監督となり、
ソプラノパートを担当していました。
練習のときにクラスをまとめようと一生懸命やっていたようですが、
アルトパートの一部の子たちから『調子に乗っている』
と文句を言われて辛いと話してくれたこともありました。
合唱では練習を重ねる度にストレスを感じていたようです。

それまで一度も愚痴をこぼしたことがなかった
バレーボールの部活でも、昨年の11月か12月頃に
『部活がおもしろくない。もっとちゃんとやりたい』
と珍しくネガティブなことを言い出しました。
娘はバレーボールに関しては疑問に感じたことは
しっかり意見を伝える性格で、
『強くなりたい』という一心で、1年生ながらに練習方法について、
顧問の先生との交換ノートに物足りない思いを綴っていました。
ときには『バレーボールを辞めたい』
と初めて言い出したときもありました。

(母親談)
せっちゃんは学級委員として
クラスをまとめていくことにも深刻になっていたようで、
亡くなった後に見つけた娘の生活設計(担任との交換)ノートの
1月18日付の部分には、〈男子キライ。女子こわい。ぴえん。〉
と書かれていました。
それに対しての担任のコメントはたった一言〈あらー! それは大変〉

注:「ぴえん」は「2018年から使われるようになった擬態語で、
泣いている様子を現す若者の言葉の一つである」そうです。

席替えの話題になった時に、学級委員だったせっちゃんに対して、
クラスメイトから
『嫌いな人と一緒(隣)になったらどうするんですか』
という発言があったようで、娘が困っていたそうです。

「死ね、キモイ」と書かれた手紙
(他の保護者談)
手紙が入れられたのは9月30日から10月15日までの間に3、4回
(注:前掲合唱祭の頃です)という話になったときに、
(準奈さんは)そこですぐに担任に伝えていなくて、
11月12日に初めて(担任に)話したということがあって、
『もう1回あったら(担任に)相談しようと思っていた』
という話でした。
(注:この手紙は何度もあったのですが、
しばらくは本人が誰にも言わずに自分の心に収めていたのです)

おそらく、これを書いた「犯人」は、
学級委員をしていて優秀でリーダシップもあり、
可愛らしい石澤さんに妬みを感じていたのでしょうか。

(文春オンライン記者の言葉)
以下のわずか138文字の“遺書”に込められていたのは、
13歳の少女の重たい思いだった。

(死後、この手紙を見つけた母親談)
宛先は小5~小6の時の担任だった女性の先生で、
日付は2020年7月6日。(注:中学に入って間もなくです)
せっちゃんはその先生を心から信頼して、
いろいろ相談していました。

私たち親とも連絡を取り合っている方でした。
手紙には《●●先生以外みるな。》と書いてありました。

じつはれんあいだけでなく、友達ともうまくいってなくて、
本当にみっともないんですけど、自殺したいって考えてまして、
そして、もし本当に私が死んだら、
●●(出身小学校)の人だけでもいいので、
みんなに、ありがとうっていってください、おねがいします。
●●先生も大好きですよ。今まで本当にありがとう

死の半年前から「自殺」のことを考え出していたのです。

(最後の遺書の一部)
中学校に入ってからみんながこわくてなんか信用できなくなった。
だからずっとがんばってわらってた。でもね、でもね。
つかれちゃった。
(注)なぜか遺書の全文は明らかになっていません。

いろいろなことが少しずつ重なって、
多感な少女の心をとことん痛めつけてしまったのです。

こうしてみますと、本件は単純ないじめ事件ではありません。
酒井市が再調査をしても
いじめ事件としての解明はできないと思われます。

もし、「死ね、キモイ」と書かれただけで、
他に一切彼女を悩ますことがなかったなら、
彼女はめげることはなかったでしょう。
場合によっては、
その相手と喧嘩をしてやっつけていたかもしれません。

3.石澤準奈さんの死に対する取り組み
以下は、上野の想定が中心です。
全てに前向きに取り組む彼女は、
煩わしい悩み事についても積極的に避けたい
と思うようになりました。
その1番確実な方法として死を選択したのです。
追い込まれて落ち込んで死に至るという感じではなく、
面倒なことから逃れるために、いわば前向きに死を考えたのです。
バレーボールの練習に集中するということなどと同列なのです。
したがって一般の自殺者のように
心が暗く閉ざされるということもなく平静だったのです。

死に対する平静心での取り組み その証拠1
前夜彼女が遺書を書いているときに
母親が何かを書いているのを不思議に思い尋ねますと、
「友達に手紙を書いている」と答えました。
その答えが自然で特別な違和感もなかったので、
母親も「珍しいことがあるものだ」
くらいに思って見逃してしまっています。

(母親談)
「私が『どうしたの?』と聞いたら
『友達に手紙を書いているの』と言いました。
最近、友達に手紙は書いてないのにおかしいなと思ったんですけど、
その時はそれ以上追及せずに21時過ぎくらいに寝かせました。
でも、夜中にやっぱり気になって、
朝、パパが仕事へ行った後に『学校で何かあったの?』と娘に聞いても
『ううん。大丈夫』というだけでした。

その証拠2
当日、父親が出勤するときに、
父親のいつものセリフ「気を付けていくんだよ」に対して
明るく「パパ、いってらー」と言っています
(「行ってらっしゃい」の意味)。

冷静な旅立ち行動
彼女はいつもより3分早く家を出ています(母親の証言)。
朝の忙しいときの3分は重大な意味を持ちます。
彼女なりの行動計画に基づくものだったのでしょう。

(母親談)
亡くなった日、
娘はいつもより2、3分ほど早い午前7時10分頃に家を出ました。
部活の用意を家に忘れていたので呼び止めると、
『忘れたー』と戻ってきて、いつも通り出ていったのです。
玄関からせっちゃんを見送るのが日課となっているのですが、
あの日はずっと手を振っていて、
最後、見えなくなる前にもう1度振り返って私のほうを見たのです。

彼女は、学校に着くと、さっそく4階に上がり
制服を脱いで体操着に着替えています。
乱れてしまうスカートを避けたのだと思われます。
制服はきちんとたたみ、横の箱に遺書を入れました。

それから、飛び降りました。
普通は怖くて足から飛び降りるものです。
4階くらいの高さだと確実に死ねるとは限りません。
彼女は確実に死ねるように頭から落ちています。
そのために、頭蓋骨骨折で即死状態でした。
すべて彼女の計画どおりにいったのです。

なぜ、この時間、この場所を選んだかですが、
「死ね」と言った子に対する「仕返し」
の意味があったのかもしれません。

4.石澤準奈さんの抜かり
そんなに怜悧な準奈さんだったのですが、
見落としたことがありました。
それは、
「彼女が死んだら両親がどれほど悲しい、悔しい思いをするか」
ということに思い至らなかったことです。
それに気が付いていれば、
死への旅立ちはしなかったのではないでしょうか。
円満な家庭だったのですから、そのことは不思議です。

今は天国でそのことに気が付いて
「お父さん、お母さん、ごめんなさ――い」
と言っていることだと思われます。

(父親談)
「いつも娘にはこう言い聞かせてきました。
『パパはイジメられたことがあるから、その辛さが分かるんだ。
だからせっちゃんは誰かをイジメちゃダメだよ。
だけど、もし、せっちゃんがイジメられたらパパは全力で守るから、
助けるから』。
そうやって約束していたのに、助けてやれなかった。
どれだけ娘を絶望させてしまったか……」

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