【このテーマの目的・ねらい】
目的:
石原慎太郎さんの「天才」を知っていただきます。
田中角栄さんの功績を再評価しましょう。
(過去の)米国という国の恐ろしさを再認識しましょう。
ねらい:
日本の歴史の正しい認識をしましょう。
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多くの方はご存じのように
「天才」は石原慎太郎さんが書かれた
田中角栄さんの評伝です。伝記小説かもしれません。
石原さんは衆議院議員の若い頃、
田中角栄さんの金権政治を批判する急先鋒でした。
しかしあらためて田中さんの功績を振り返ってみると、
たいへんな人物であったことを再認識されました。
それが、
この本での田中さんへのはなむけになっているのです。
しかし、関係者が存命の中での実名での著述は
ずい分気を使っただろうと思われます。
いい加減なことは書けませんからね。
田中さんがどう考えたかということを
田中さんの第一人称で書かれています。
書きぶりはこんな感じです。
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その1 若き頃
サンクレメンテでの日米首脳会談で俺は
ある大事な提案をして押し切った。
「早撃ちコナリー」という異名を持つとかいうニクソンの
片腕のヨナリーに、いきなり日米経済戦争の一年間の停戦を
提案して強引に押し切ってやった。
この反撃で彼等の日本を見る目が微妙に変わってきたと思う。
つまり日本が本気で拗(すね)れば彼等にとっても厄介なことに
なるという認識でなければ、いつまでたっても、
こちらの浮かぶ瀬があったものではないのだ。
第二回のトップ会談の後、ニクソンは俺たち日本側の首脳を
昼食会に招いた。
どんな報告を受けていたのか知らぬが、ニクソンは
ひどく上機嫌で俺の肩を叩いて抱きかかえてテーブルに
案内してくれたものだった。
その前に会議場から昼食会の会場までゴルフカートを
自分で運転し、その車に佐藤と俺だけを乗せたのだ。
福田(赳夫)はその後から歩いてやってきた。
その途中ニクソンが俺に君はゴルフはするのかと尋ねたので、
俺はまだビギナーだが、かなり腕を上げたのでその内に
マスターズに出るつもりだと片言だが英語でいってやったら
彼は大笑いしていたものだった。
昼飯の会場に入るまでもニクソンは自分のゴルフについて
何やら自慢だか愚痴だかを一人で話してみせたが、
俺は分かっても分からなくても大いに頷いてみせてやった。
そのせいかどうか昼飯の会場では思いがけぬことが起こった。
ニクソンが自分の席の隣にいきなり俺を座らせてしまったのだ。
ニクソンの席順無視で声には出ないが動揺が走るのが
感じられて分かった。
特に日本側の出席者、
外務省の役人たちにはショックだったろう。
彼等にしてみればニクソンと福田を隣り合わせに並ばせ、
福田を佐藤のプリンスと見せることに
気を使っていたに違いないから。
実際に前年の日米貿易経済合同委員会では
ニクソン・福田会談がセットされ、
メディアはポスト佐藤の角福の品定めのために
アメリカ側が俺たち二人を招いたが、
俺がいかに大声でまくしたてても、
ニクソンと会談できたのは福田だけで、
二人の勝負はもうあったと報じていたものだったが。
しかしまあ、サンクレメンテでの出来事を
どう解釈するかは人によっていろいろあろうが、
ニクソンが俺に、いってみれば気さくに、
まあ俺のそばに座れよと誘ったのは、俗にいえば
「こいつは話せる奴だな」と思ったということだろうが。
佐藤派から離脱してすぐに、かつて都市政策調査会長
としてつくった都市政策大綱を下敷きにした、
この国全体を地ならしして地方の格差をなくす
『日本列島改造論』を発表した。
高速鉄道の新幹線を日本中に走らせる。
各県には飛行場を設置する。
かくすれば国民はこの国のどこへでも簡単に赴けるし、
むしろ地方がかかえている地方の特色は保たれ文化は栄える。
狭小な国土をしか持たぬこの国はコンパクトながら
もの凄く機能的なものになるはずなのだ。
この大計画を聞いて国民は度肝を抜かれ
賛否両論がまき起こったが、多くの国民はどこに住んでいようと
これでそれぞれの夢を持てたはずだ。
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その2 振り返り期
しかし俺のやったことの何が間違っていたというのだろうか。
だってそうではないか、今のこの国を眺めてみろ、
俺のいった通りになっているではないか。
俺の予見の何が外れたというのだ。
まあそれはいい。
俺がやったことの正しさはその内に歴史が証してくれるだろうに。
しかしこうなってしまった今、ものがいえなくなってしまった今こそ、
俺はこうして身動きできぬまま俺に問いなおして
確かめておかなくてはならぬことがあるのではないのか。
昔、六法全書をまる暗記までしてみせた俺が思いつかずに
見落としていたものがあるのではあるいは
俺のこの病はいつか何かの力で治るのかもしれない。
いや、きっとそれがある。
ある筈だ。
なければおかしい、だってこの俺はこの俺なのだから。
それを信じることを誰が、何が禁じるというのだ。
いつか、思いもかけぬきっかけでまたあの俺が蘇ることが
ないと誰にいえるのだ。
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田中さんの日本列島改造論は、
今の日本を先取りしています。
非常に頭の切れる天才の一端ですね。
それ以外にもお役人の知恵ではとても出てこない
発想をしていることが紹介されています。
この本の内容はこうなっています。
1)若いころの頭脳・才覚を使った努力 土建業としての成功
2)若くして議員になった頃の活躍ぶり 素晴らしい時期
3)権力を得た活躍 意外とこの時間は短かった
4)ロッキード事件で訴えられた後の無念 再起を念じていた
5)晩年の反省期 本当はどうだったのでしょう?
本文以外に以下が付いています。
6)年表
7)田中角栄さんが提案者として成立した議員立法の35法案一覧
8)石原慎太郎さんの「長い後書き」
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ところで、田中さんのロッキード事件は、
裁判所の判断は有罪ということでした。
実際におカネを受け取ったかどうかはともかくとして
(本書でも受取ったことになっています)
ニクソンの仕組んだ罠だということは
大いにありそうなことです。
本書内でも
その罠だということははっきり出てきています。
ニクソンは自分の立身出世のためなら
何でもする男です。
ケネディ暗殺の黒幕だったことは
かなり知られた事実です。
この点については、私のブログでも
落合信彦さんの著書を紹介しています。
上で引用しましたようにニクソンは、
「田中は放っておくと
日本としての主張をどんどんするようになり
米国のためにならない」
と思ったでしょう。
アメリカの頭越しで中国と国交を回復したり、
アメリカに盾付いたりしました。
石油を米系メジャーから調達せずに
アラブから直接調達するなど。
日本としては当然の措置ですが。
ニクソンにしてみれば、
顔をつぶされて「この野郎!」と思ったでしょう。
そこで仕組んだのです。
ケネディのときに比べれば
何のことはなかったと思われます。
日本の司法にまで手をまわしました。
日本の裁判のロッキード側の証言に、
日本では認められていない司法取引をして、
いい加減な「有力」証言をさせたりしたのです。
田中さんは金権政治をしたかもしれませんが、
それよりも日本という国を立てるために、
多くのことをしてくれたのです。
これは石原さんの愛国主義から言えば、
素晴らしい先達です。
田中さんを賛美する本を書こうと思われたのは
当然でしょうね。
小説としてはあまり面白くありませんが、
石原さんとしては、
若気の至りで金権政治批判をして田中さんに矢を向けた
償いをする作業を成し遂げたということでしょう。
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