2022年8月12日金曜日

台湾はどうなるか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 台湾問題の論点のいくつかを明らかにします。
ねらい:
 一刻も早く台湾封鎖を解除させるべきです。
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1.台湾は独立国家か中国の領地か
台湾は独立国家であるのか、どこかの国の統治下にあるのかですが、
まずは日本の統治が終了した終戦時に、
台湾はどこに返還されたのかが問題です。
別項「台湾は誰のものか?」の記述によれば、こうなっています。

南京国民政府は、1945年10月25日の日本軍の降伏式典後に、
台湾の「光復」(日本からの解放)を祝う式典を行い、
台湾を中華民国の領土に編入すると同時に、
台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置した。

しかし、南京国民政府は、毛沢東率いる共産党人民解放軍と紛争中であり、
全中国を代表する国家であるとは言えない状態です。
現中国は、南京国民政府の後継であるとは主張しないでしょうから、
そうなると、台湾は中国の一部であるという主張は、
清国の時代に遡ることになります。
清国は、台湾を領土の一部として統治したのですから。

中国な「一つの中国」の主張を何を根拠にしているのでしょうか。
こういう記事がありました。
出典:Wikipedia
2013年5月に台湾の李登輝総統は、こう述べている。

「私がはっきりさせておきたいのは、
『台湾は中国の一部』とする中国の論法は成り立たないということだ。
四百年の歴史のなかで、台湾は六つの異なる政府によって統治された。
もし台湾が清国によって統治されていた時代があることを理由に
『中国(中華人民共和国)の一部』とされるならば、
かつて台湾を領有したオランダやスペイン、
日本にもそういう言い方が許されることになる。
いかに中国の論法が暴論であるかがわかるだろう。

もっといおう。たしかに台湾には中国からの移民者が多いが、
アメリカ国民の多くも最初のころはイギリスから渡ってきた。
しかし今日、『アメリカはイギリスの一部』などと言い出す人はいない。
台湾と中国の関係もこれと同じである」

まさにそのとおりなのです。
これに関して、現中国政府からの明確な説明はないようです。
歴史的な根拠がないということであれば、
台湾の現住民が自らの意思で選択すべき問題であるというのが、
筋だということになります。
国民投票により決めるのです。

2.米国の台湾支援の根拠
米国は、今回のペロシ下院議長の訪台で、
台湾全面支援の方向を打ち出して中国の猛反発を招いています。
当然ながら、米国が台湾を支援するのは、
「台湾国民が共産党支配下に入るのはかわいそうだから」
と言うような人道的観点ではありません。
米中対立の中にあって、有力な中国包囲網を失いたくないからです。

台湾を失えば、東南アジアにおける米中対立のバランスは、
大きく崩れてしまいます。
中国包囲の日本の役割は飛躍的に高まってしまい、
重大なことになります。

中国の覇権主義の拡大を阻止するために、
「弱くなりつつある米国」様に頑張っていただきたいと思います。

3.大規模演習の先はどうなるか
中国は、ペロシ訪台に合わせて大規模な軍事演習をしています。
下の図のように、台湾を包囲しているのです。























これでは、他国の艦隊や船舶は台湾に近寄れません。
この演習が不定期にしろ継続されれば、台湾は封鎖されてしまいます。

これを既成事実化させないためには、
米国の先進艦隊がこの海域を航行する必要があります。
今の中国と米国のミサイル技術の差であれば、
米国の艦隊に間違って?ミサイルが飛んできても
迎撃して撃ち落とすことができるでしょう。

ところが、数年すると、
中国は迎撃できないミサイルを作れるようになるでしょう。
そうなったら、
米国も危険な海域に出ていくことができなくなります。
中国の野望を止めるのは今しかないのです。

是非、演習海域「進攻」の英断を期待します。
お断りしておきますが、
私は武力による現状変更に反対しているのであって、
単純に米国の肩を持っているわけではありません。

2022年8月11日木曜日

新疆ウイグル自治区は誰のものか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 新疆ウイグル自治区について研究します。
 中国の他の自治区について勉強します。
ねらい:
 中国の行動は住民のためになってほしいですね。
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別項の「台湾は誰のものか」に味をしめて(?)、
長い間問題になっている新疆ウイグル自治区についても調べてみました。

1.新疆ウイグル自治区の状況


新疆ウイグル自治区については、
Wikipediaでは以下のように記述されています。
台湾や日本のような島国と異なり、大陸内では、多くの民族の移動や
支配の交代が繰り返されているのです。
とても簡単には整理できません。
結論として、この地域の統治は、清朝から始まって現中国に至っている
のは間違いないようです。

新疆ウイグル自治区は、南はチベット自治区、
東部は甘粛省、青海省と接しており、
国境は、北東はモンゴル、北はロシア、北西はカザフスタン、
南西はインドと接する。
(注:上掲地図で確認できます)
国境の大部分は、標高数千米の険しい
中国が統治するアクサイチン地域は、インドが領有権を主張している。
また、新疆は、チベット自治区・甘粛省・青海省とも接している。
シルクロードの最も有名なルートは、
新疆ウイグル自治区の東から北西の境界までを通っている。

領土内には、テュルク系のウイグル人、カザフ人、キルギス人、
シベ族など、多くの民族が暮らしている。
新疆には、十数個の少数民族の自治県や郡がある。
古い英語の参考文献では、この地域を中国のトルキスタン、
東トルケスタン 、東トルキスタンと呼ぶことが多い。
新疆は、山脈によって
北のジュンガリア盆地と南のタリム盆地に分かれている。
新疆の土地面積のうち、
人間の居住に適しているのは約9.7%に過ぎない。

少なくとも2,500年の歴史を持つ新疆ウイグル自治区では、
多くの人々や帝国がこの地域のすべて、
または一部を支配しようと競い合ってきた。
18世紀には清朝の支配下に置かれ、
その後、中華民国政府に取って代わられた。
1949年の中国内戦以降は、中華人民共和国の一部となっている。
1954年、ソビエト連邦に対する国境防衛を強化するとともに、
兵士を地域に定住させることで地域経済の振興を図るため、
新疆生産建設兵団 (XPCC) が設立された。
1955年、民族の宗教や権利の平等性の保護するために
新疆は省から自治区へと行政が変更された。
ここ数十年、新疆では豊富な石油・鉱物資源が発見されており、
現在は中国最大の天然ガス産出地となっている。
1990年代から2010年代にかけて、
他の宗教を排外する宗教原理主義的な東トルキスタン独立運動、
分離独立紛争、イスラーム過激派の影響により、
この地域では時折テロが発生したり、
分離独立派と政府軍が衝突するなどの不安が生じている。
これらの内紛を受けて、中国政府はこの地域に強制収容所を設置し、
イスラム教徒を思想改造しようとした。
これらの措置は、海外ではウイグル人大量虐殺と総称されている。

ウイグル人大量虐殺とは(Wikipedia)
2014年以降、中国政府は、
習近平総書記の政権下にある中国共産党の指示の下、
ホロコースト以来最大規模かつ最も組織的な少数民族・宗教の抑留
となっている、
100万人以上のイスラム教徒(その大半はウイグル人)を
法的手続きを経ずに秘密裏に収容所に収容することにつながる
政策を追求してきた。

この政策を批判する人たちは、新疆の中国化と表現し、
民族虐殺や文化的大虐殺と呼んでいるが、
一部の政府、活動家、独立系NGO、人権専門家、学者、政府高官、
この政策を大量虐殺(ジェノサイド)と呼んでいる。
特に批判者たちは、国家が支援する収容所へのウイグル人の集中、
ウイグル人の宗教的慣習の弾圧、深刻な虐待、
さらには強制的な不妊手術、避妊、中絶などの人権侵害を
詳細に示す証言や広範な証拠を取り上げている。

2.中国の5自治区の状況
そこで、中国の五つある自治区について確認してみました。

なお、中国の自治区はこういうもののようです。
意味は少数民族の「自治」地域ということです。

 中国の55の少数民族のうち、44の民族は
 自治地域(区、州、県)を設置している。
 この民族自治区というのは、少数民族が主管する地域となっている。

 民族区域自治法により、
 自治地域の地方人民政府の指導者である人民代表大会常務委員会主任
 (地方議会の議長に相当)、
 自治区主席(都道府県の知事に相当)、自治州長、自治県長は、
 その地域を主管している少数民族から選ぶことになっている。
 (出典:ツーチャイナ)

自治区で、このように少数民族の自治が守られているのであれば、
虐待問題などは起きないはずです。

以下の表にあるように、新疆ウイグル自治区の最大住民は、
漢民族ではなくウイグル族です。
したがって、中国としてはウイグル族の反乱を避けるために
中国同化政策をとっているのです。

中国同化政策の先例は、漢民族が6%しかいないチベット自治区です。
よく知られているように、
中国は累計120万人以上のチベット人の虐殺を行っています。
(Wikipedia)
  • 17万3221人のチベット人が、刑務所もしくは強制収容所で死亡。
  • 15万6758人が処刑死。
  • 34万2970人が餓死。
  • 43万2705人が戦闘もしくは暴動中に死亡。
  • 9万2731人が拷問死。
  • 9002人が自殺。
以上、合計120万7387人。
ここには1980年代以降の犠牲者数は含まれない。

漢民族が大半を占める自治区では、虐殺は行われていません
(少なくともその報道はされていません)。

中国の自治区の状況(Wikipedia等から上野作成)

自治区名

面積

人口

漢民族

その他民族

内モンゴル自治区

日本の3.2倍

2020年

2,400万人

80%

モンゴル族17%

満州族2%など

広西チワン族自治区

日本の63%

2020年

5,000万人

61%

チワン族33%

他少数民族多数

チベット自治区

日本の3.2倍

2020年

3,650万人

6%

チベット族93%

他少数民族

新疆ウイグル自治区

日本の4.4倍

2017年

2,500万人

41%

ウイグル族45%

他少数民族多数

寧夏回族自治区

日本の17%

2020年

720万人

79%

回族20%

他満州族


チベット自治区や新疆ウイグル自治区以外に住んでいる少数民族は、
表立った差別・虐待は報道されていませんが、
漢民族の考え方からすると、住み心地は良くないでしょう。

「単一民族」と言われる日本では想定しにくいことですが、
差別されている方にとっては重大問題でしょう。
こういう面でも、
中国は内部に爆弾をたくさん抱えていることになります。

新疆ウイグル自治区には、
十数個の少数民族の自治県や郡があるようです。
その自治区域が住民の満足を得られているのであれば、
他の自治区でも、無理な同化政策をとらずに
そのような棲み分けをすればよいのに、と思います。
これら少数民族は、もともとが遊牧民族なので、
それぞれが新天地に移動することは
そんなに難しいことではないのではないでしょうか。
中国共産党はそういうグランドデザインは描けませんかね。

3.ついでにモンゴル国
漢民族が最大比率なのは、内モンゴル自治区ですが、
外モンゴルは、独立の「モンゴル国」です。
面積は日本の4倍以上ですが、人口は2020年に373万人しかいません。
国連加盟国で、最も人口密度の低い国だそうです。
民族は、モンゴル系が大半で、チュルク系が4%と言われています。
漢民族はいないようです。
ここに住んでいた漢民族は内モンゴルに移ったのでしょう。

モンゴルの清国からの独立は1911年です。
その後、中国からの侵略も受けましたが、ソ連の後ろ盾を得て
1924年に「モンゴル人民共和国」としてその地位を確立しました。
国際情勢をうまく利用して、小国ながら独立を維持したのです。
1992年には、社会主義を放棄して「モンゴル国」となっています。
モンゴルの独立がなければ、
モンゴル出身者の日本相撲界での大活躍もなかったのです。

なお、新疆ウイグル自治区について研究なさりたい方は、
熊倉 潤法政大学准教授の「新疆ウイグル自治区」をご研究ください。


本書のあとがきには、こう書かれています。
筆者は第3者的な立場から本書を書くように心がけた。
できるだけ自己抑制し、どちらの勢力にも与せず、
近現代新疆の通史を客観的に論じたつもりである。

2022年8月10日水曜日

民主主義、権威主義、どちらが強い??

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 民主主義が競争上優位な場合を考えます。
 権威主義が競争上優位な場合を考えます。
 民主主義が勝てる方法を考えましょう。
ねらい:
 これから、どちらの国が勝つのでしょうか???
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権威主義は、Wikippediaではこう説明されています。
政治学においては、
権力を元首または政治組織が独占して統治を行う政治思想
や政治体制のことである。

端的に言えば、国の意思決定を、1人でできる、ということです。
その最たるものは現在の中国です。
中国は歴史上、民主主義だったことはない国なのです。

民主主義は、これもWikipediaではこう説明されています。
民主主義(デモクラシー、民主政、民主制)は、
組織の重要な意思決定を、
その組織の構成員(人民、民衆、大衆、国民)が行う、
即ち構成員が最終決定権(主権)を持つという
政体・制度・政治思想である。

端的に言えば、国の意思決定は、
合意に基づかないとできないということです。

民主主義は、社会の方向性が明確でなく、
個々の組織・個人の活躍の合計が社会を発展させていく
場合には強いのです。

GAFAMは、いずれもITの世界で大成していますが、
手がけていることは別々です。
 Google 検索
 Apple PC
 Facebook SNS
 Amazon 通販
 Microsoft OSなど
これは米国民主主義の成功例です。

因みに、「自由民主主義」と分類される国は、
2021年には34か国,
人口ベースでは僅か13%しかないそうです。
(そうなんですか!!!)
それに対して、世界人口の7割54億人ほどが、
非民主主義的な体制下にあるそうです
(この3月に公表されたスウェーデンの独立機関V-Demの調査による)。

 閉鎖型独裁(権威主義)は、

 国民が複数政党による選挙を通じて政府の最高責任者や

 立法府を選ぶ権利を持っていない。

 中国や北朝鮮、ミャンマーなど30か国がここに分類されている。

 選挙による独裁では、国民は上記の権利を持つものの、

 自由・公正・有意義な選挙とするための結社・表現の自由など、

 いくつかを欠いている。

 ロシアやトルコ、インドなど60か国がここに分類されている。

 選挙による民主主義は、自由・公正で複数政党による選挙に参加する権利

 が保障される。ブラジルやインドネシア、モンゴルなど55か国が含まれる。

 自由民主主義では「選挙による民主主義」の権利に加え、

 個人やマイノリティーの権利が保障され、市民は法の下に平等であり、

 行政府の動きは立法と裁判所によって制約を受けるという状況にある。

 日本や韓国、米欧など34か国がこれに含まれる。


権威主義は、社会の発展の方向性が明確である場合には
トップダウン型でその有望な対象に投資を集中して
成果を上げられます。
中国の、監視カメラ技術、太陽光発電、ドローンやロボット、
軍備などはその成功例です。

中国は、集中投資によって、
技術的弱小国家から技術的強大国家に変身しています。
8月10日の日経新聞に、
「中国が科学論文で世界一になった」
という見出しの記事が載りました。

北朝鮮も、小国ながら軍備の拡張は大変なものです。
国民の生活向上を犠牲にして、
トップの判断を優先させることができるのです。

権威主義が成功するかどうかは、トップ次第です。
トップがどれだけ先を見る目があるかが決め手になります。

日本の場合、江戸時代まで権威主義でした。
明治になって、民主化の掛け声もありましたが、
実態は権威主義の延長だとみるべきでしょう。
その権威を担ったのは、天皇を背後に置いた軍部でした。
その権威主義の破綻が敗戦です。

敗戦により、日本はどの国よりも民主化が進みました。
あらゆる産業が改善改革を進め、
Japan as no.1まで上り詰めました。
その時の共通目標は生活の安定・向上でした。
ところが、その生活の安定・向上が実現できたあとは、
先が見えない時代になったのです。

そこで活躍しているのは、先が見える経営者である
日本電産の永守社長、ユニクロの柳井社長、
ソフトバンクの孫社長くらいのものです。
先の見えない時代は権威主義の時代なのです。

今は、世界全体が先の見えない時代です。
民主主義国家も公平平等の看板に拘りすぎると
負け犬になる可能性が大です。

米国大統領の責任は重大です。
残念ながらバイデン氏も岸田氏も革新的発想の方ではないようで
このままでは、いずれ権威主義国家にやられてしまいます。

権威主義国家を抑え込む方法、
あるいは権威主義国家に負けない民主主義はないのでしょうか?
真剣に考えないといけません。

その対策があるとすれば、
GAFAM創業者のような独創性を育てることです。
私が以前から挙げている対策は、
幼稚園から競争心・創造性を植え付けろ!というものです。

「学校の勉強をしっかりやっていい学校に行く」という風習も
何としてもやめにすべきです。
人の個性を活かす、強いところを活かす戦いをしなければ、
あらゆる戦いに勝つことはできません。
専門学校をもっと増やし、人材育成すべきです。

私の孫は絵が上手なので、進学校へ行くのではなく
美術系の専門学校に行けばいいな、と思っています。
こればかりは、ジジババは導く権利がありませんので、
どうなることやら、です。

台湾は誰のものか?

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 台湾の歴史を再確認して、
 台湾は誰のものかを原点に立ち返って考えてみます。
ねらい:
 やはり、中国の要求は不当ですね。
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台湾が「非常事態」です。
中国共産党は、台湾はもともと中国の一部である。
統一するのは中国の内部問題であり、他国に干渉される筋合いはない、
と主張しています。



そこであらためて、台湾は誰のものだろう?と確認してみました。
これは台湾の歴史なのですが、民族の移動を中心にしています。

台湾の歴史(Wikipediaから抜粋)

 

時代区分

住民

1

先史及び原住民時代 (1624年以前)

 

ü  1万年前までの氷河期には大陸と陸続きであった。

ü  旧石器時代、人類が生存していたが民族系統は不明である。

ü  新石器時代には、現在の原住民と別の民族が住んでいた。

ü  台湾原住民はオーストロネシア語族に属し、古くは中国大陸南部に居住していたと考えられている。その後北方漢民族などの圧力を受けて台湾に押し出され、そこから南太平洋一帯に進出していったという説が有力である。しかし一度台湾から出て行った種族が、再び台湾に戻ってくるなど、その移動は複雑で未だ不明な点が多い。

ü  多くの原住民族が生息していたが、台湾全土を対象にする「国家」的存在はなかった。

ü  澎湖諸島は元代に巡検司が設置され福建省泉州府に隷属したというのが確実な記録である。他は確たる証拠はない。

2

オランダ統治時代(1624年-1662年)

38年間

ü  倭寇の活動が活発化するにつれて、台湾は倭寇の根拠地の一つとして使用されるようになり、やがて漢民族、日本人が恒久的に居住し始めるまでに至った。また、この時代になると、大航海時代にあったヨーロッパ各国から多くの人々が来航するようになり、台湾の戦略的重要性に気がついたオランダやスペインが台湾島を「領有」し、東アジアにおける貿易・海防の拠点としていった。

ü  オランダによる統治期間中、東インド会社は福建省、広東省沿岸部から大量の漢人移住民を労働力として募集し、彼らに土地開発を進めさせることでプランテーションの経営に乗り出そうとした。

3

鄭氏政権時代

(1662年- 1683年)

21年間

ü  1644年李自成の反乱によって明朝が滅亡し、混乱状況にあった中国に満州族の王朝である清が進出して来た。これに対し、明朝の皇族・遺臣達は、「反清復明」を掲げて南明朝を興し、清朝への反攻を繰り返したが、力及ばず1661年に滅亡させられた。そのために、「反清復明」を唱えて清朝に抵抗していた鄭成功の軍勢は、清への反攻の拠点を確保するために台湾のオランダ・東インド会社を攻撃し、1662年に東インド会社を台湾から駆逐することに成功した。

ü  鄭政権は、(民国の流れを汲む)初の台湾国家である。

4

大清帝国統治時代(1683年- 1895年)

212年間

ü 建国以来反清勢力の撲滅を目指して来た清帝国は、  
 「反清復明」を掲げる台湾の鄭氏政権に対しても攻撃を 
 行い、1683年に台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼすこと
 に成功した(澎湖海戦)。
ü だが、大清帝国は鄭氏政権を滅ぼすために台湾島を攻          
 撃・制圧したのであり、当初は台湾島を領有することに
 消極的であった。しかしながら、朝廷内での協議によっ
 て、最終的には軍事上の観点から領有することを決定
 し、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設
 置した上で福建省の統治下に編入した。(1684年)
ü 大清帝国は、台湾を「化外の地」(「皇帝の支配する
 領地ではない」、「中華文明に属さない土地」の意)と
 してさほど重要視していなかったために統治には永らく
 消極的であり続け、特に
台湾原住民については「化外
 (けがい)の民」(「皇帝の支配する民ではない」、
 「中華文明に属さない民」の意)として放置し続けてき
 た。

ü   大清帝国編入後、台湾へは対岸に位置する中国大陸の福建省、広東省から相次いで多くの漢民族が移住し、開発地を拡大していった。そのために、現在の台湾に居住する本省系漢民族の言語文化は、これらの地方のそれと大変似通ったものとなっている。漢民族の大量移住に伴い、台南付近から始まった台湾島の開発のフロンティア前線は約2世紀をかけて徐々に北上し、19世紀に入ると台北付近が本格的に開発されるまでになった。

5

日本統治時代

(1895年- 1945年)

50年間

ü  1895年4月17日の日清戦争の結果、台湾本島および澎湖諸島は日本に割譲された。日本への割譲反対を唱える漢人により台湾民主国の建国が宣言され進駐した日本軍との乙未戦争に発展した。日本軍の圧倒的に優勢な兵力の前に政権基盤が確立していなかった台湾民主国は間もなく崩壊、1896年に三一法が公布され台湾総督府を中心とする日本の統治体制が確立した。

ü  「農業は台湾、工業は日本」と分担することを目的に台湾での農業振興政策が採用され、各種産業保護政策や、鉄道を初めとする交通網の整備、大規模水利事業などを実施し製糖業や蓬萊米の生産を飛躍的に向上させることに成功している。

ü  日本統治時代の日本人の移民はかなりいたが、その状況は不明である(40万人という説がある)。そのほとんどは敗戦で日本に戻されている。

6

中華民国統治時代(1945年 - 現在)

南京国民政府(1945年 - 1948年)

 

ü  1945年の第二次世界大戦後、連合国に降伏した日本軍の武装解除のために、蔣介石率いる中華民国・南京国民政府軍が1945年10月17日に約1万2,000人と官吏200余人が米軍の艦船から台湾に上陸して来た。

ü  南京国民政府は、1945年10月25日の日本軍の降伏式典後に、台湾の「光復」(日本からの解放)を祝う式典を行い、台湾を中華民国の領土に編入すると同時に、台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置した。

ü  だが、中華民国軍が台湾に来てから、婦女暴行や強盗事件が頻発した。さらに、行政公所の要職は新来の外省人が独占し、さらには公所と政府軍の腐敗が激しかったことから、それまで台湾にいた本省人(台湾人)が公所と政府軍に反発し、1947年2月28日に本省人の民衆が蜂起する二・二八事件が起きた。

ü  その際に、蔣介石は事件を徹底的に弾圧して台湾に恐怖政治を敷き、中国国民党の政治・経済・教育・マスコミなどの独占が完了した上で、1947年に台湾省政府による台湾統治を開始した。

ü  二・二八事件以降、国民政府は台湾人の抵抗意識を奪うために、知識階層・共産主義者を中心に数万人[要出典]を処刑したと推定されている(白色テロ)。こうした台湾人に対する弾圧は蔣経国の時代になっても続けられた。国民党が当時の資料の公開を拒み続けているため、正確な犠牲者数は不明で、犠牲者数には諸説ある。

 

中華民国政府(1949年 - 1996年)

 

ü  1949年に蔣介石が国共内戦で敗れた兵隊、崩壊状態にあった南京国民政府を引き連れて台湾に移住してきたため、これ以降は事実上蔣介石・国民政府による台湾の直接統治が行なわれることとなった。

ü  台湾に逃れた蔣介石は戒厳令を敷いて不穏分子を取り締まり、特に本省人の知識人を弾圧した。一方で大陸から台湾に逃れた数十万の軍人を養うためにも大規模開発が必須であったことから、大陸から運び込んだ莫大な資金を用いて開発独裁が行われた。鉄道の北廻線や蘇澳港開発など、十大建設が実施され、台湾経済は軽工業から重工業へ発展していく。

ü  共産勢力に対抗するためにアメリカは台湾を防衛する意志を固め、蔣介石に種々の援助-美援(美国援助=米国援助)を与えた。ベトナム戦争が勃発すると、アメリカは台湾から軍需物資を調達し、その代償として外貨であるドルが大量に台湾経済に流入したことで、台湾経済は高度成長期に突入することになる。

ü  1987年に戒厳令解除に踏み切った蔣経国(総統在職:1978年~1988年)の死後、総統・国民党主席についた李登輝は台湾の民主化を推し進め、1996年には台湾初の総統民選を実施、そこで総統に選出された。

ü  社会的には蔣介石とともに大陸から移住して来た外省人と、それ以前から台湾に住んでいた本省人との対立(省籍矛盾)、さらに本省人内でも福老人と客家人の対立があったが、国民党はそれを強引に押さえつけ、普通語教育、中華文化の推奨などを通して台湾の中華化を目指した。

 

動員戡乱時期終了後(1996年 - 現在)

 

ü  この時代には、大きな民族の移動は記録されていない。

ü  李登輝は永年議員の引退など台湾の民主化政策を推進したが高齢のため2000年の総統選には出馬せず、代わって民進党の陳水扁が総統に選出され、台湾史上初の政権交代が実現した。陳水扁は台湾の独立路線を採用したため統一派の国民党とたびたび衝突し、政局は混迷を続けた。

ü  2004年の総統選では国民・民進両党の支持率は拮抗していたが、僅差で陳水扁が再選を果たした。

ü  2008年の総統選挙では国民党の馬英九が当選し、〈両岸対等,共同協議,市場拡大〉を掲げて中国市場を意識した経済政策重視の路線が進められ、中国との間で「三通」(通商・通航・通郵)を実現させたが、2014年に海峡両岸サービス貿易協定締結を強引にすすめる馬政権に反発した学生たちがひまわり学生運動を起こして撤回に追い込んだ。

ü  一方の当事者であるアメリカ自身、中国に対する脅威論、友好論が錯綜し一定の方針が定まっていないため、対台政策も一貫せず、台湾は独自性を強めざるを得ないとの見方もある。そのために日本を対中包囲網の一環に組み込もうとする遠謀も、李登輝などの親日政治家には見られるとされない。

ü  2016年中華民国総統選挙で民進党の蔡英文が馬を破って当選し、初の女性台湾総統となった。

ü  2020年中華民国総統選挙で民進党の蔡英文が再選。


この結果、現在の台湾居住者(住民)の民族構成はこうなっています。

大清帝国統治時代に主として福建省から渡来した閩南人(びんなん人) 
                          約70%
同じく広東省から渡来した客家人           約15%
第2次大戦終戦後渡来した国民党系関係者である外省人 約13%
原住民                       約 2%

こうしてみると、誰が台湾は自分のものだというのでしょうか?
原住民は、「もともと俺たちが住んでいたのだ。俺のものだ」
と言いそうですが、残念ながら原住民は複数の部族が各地に住んでいて、
台湾全島を統治していません。
したがって、「この土地は俺のものだ」と主張はできても、
「台湾全体が俺たちのものだ」ということはできません。

因みに若干余談になりますが、
台湾の原住民族は、これだけの島なのに、それぞれが独立していて
相互に連携して文化を広めるというような活動は
行われていないようです。
それに対して、最大時でも僅か20数万人の縄文人が、
日本全国に広がっていた、
弥生文化は短期間に西から東に広がっていったのです。
何か民族の違いを感じます。

次の争点は、終戦後やってきた国民党系の外省人です。
しかしこの人たちは、長い歴史から見れば最近になって、
武力で侵略してきた言うなれば「進駐軍」ですから、
「台湾は、本来俺のものだ」という権利はないのではないでしょうか。

そうすると、残されたのは、終戦前から台湾に住んでいた「本省人」
(前掲の区分では
閩南人と客家人)です。
この人たちは
「台湾は俺たちのものだ、侵略者にとやかく言われる筋合いはない」
と言う権利は持っていると考えられます。

国民党が終戦後のどさくさにやってきたので、
話しがややこしくなっているのであって、
それがなければ、
他の東南アジアの国と同じように独立ができていたのです。

本来は、圧倒的多数を占める本省人たちが、
自分の国がどうあったらよいかを考えて決めればいいことなのです。
中国の一部になった方がよいか、独立国になるか、です。

国際情勢を見ると、その選択は一長一短があるので、
圧倒的多数を占める本省人なのに決めかねているのでしょう。
米国や日本が台湾を支援・応援するのは、
台湾人のためを第1義に考えているのではなく
自由主義陣営の防衛のためです。
台湾人は別の考え方をするでしょう。

総統選挙で、国民党系が選ばれる、
民主党系(=本省人系のはず)蔡英文氏も圧倒的ではない、
ということは、国民も悩んでいるのでしょう。

いずれにしても、共産党中国が、
「台湾は俺のものだ」という権利はなさそうです。
何としても、武力による統合は避けねばなりません。

注:これの続きが「台湾はどうなるか?」にあります。