目的:
台湾問題の論点のいくつかを明らかにします。
ねらい:
一刻も早く台湾封鎖を解除させるべきです。
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1.台湾は独立国家か中国の領地か
台湾は独立国家であるのか、どこかの国の統治下にあるのかですが、
まずは日本の統治が終了した終戦時に、
別項「台湾は誰のものか?」の記述によれば、こうなっています。
南京国民政府は、1945年10月25日の日本軍の降伏式典後に、
台湾の「光復」(日本からの解放)を祝う式典を行い、
メルマガバックナンバー(08年3月~前月分)は、下記URLよりご参照ください。 http://www.newspt.co.jp/data/mailmaga/mgbk.html
中国の自治区の状況(Wikipedia等から上野作成)
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自治区名 |
面積 |
人口 |
漢民族 |
その他民族 |
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日本の3.2倍 |
2020年 2,400万人 |
80% |
モンゴル族17% 満州族2%など |
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日本の63% |
2020年 5,000万人 |
61% |
チワン族33% 他少数民族多数 |
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日本の3.2倍 |
2020年 3,650万人 |
6% |
チベット族93% 他少数民族 |
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日本の4.4倍 |
2017年 2,500万人 |
41% |
ウイグル族45% 他少数民族多数 |
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日本の17% |
2020年 720万人 |
79% |
回族20% 他満州族 |
閉鎖型独裁(権威主義)は、
国民が複数政党による選挙を通じて政府の最高責任者や
立法府を選ぶ権利を持っていない。
中国や北朝鮮、ミャンマーなど30か国がここに分類されている。
選挙による独裁では、国民は上記の権利を持つものの、
自由・公正・有意義な選挙とするための結社・表現の自由など、
いくつかを欠いている。
ロシアやトルコ、インドなど60か国がここに分類されている。
選挙による民主主義は、自由・公正で複数政党による選挙に参加する権利
が保障される。ブラジルやインドネシア、モンゴルなど55か国が含まれる。
自由民主主義では「選挙による民主主義」の権利に加え、
個人やマイノリティーの権利が保障され、市民は法の下に平等であり、
行政府の動きは立法と裁判所によって制約を受けるという状況にある。
日本や韓国、米欧など34か国がこれに含まれる。
台湾の歴史(Wikipediaから抜粋)
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時代区分 |
住民 |
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1 |
先史及び原住民時代 (1624年以前)
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ü 1万年前までの氷河期には大陸と陸続きであった。 ü 旧石器時代、人類が生存していたが民族系統は不明である。 ü 新石器時代には、現在の原住民と別の民族が住んでいた。 ü 台湾原住民はオーストロネシア語族に属し、古くは中国大陸南部に居住していたと考えられている。その後北方漢民族などの圧力を受けて台湾に押し出され、そこから南太平洋一帯に進出していったという説が有力である。しかし一度台湾から出て行った種族が、再び台湾に戻ってくるなど、その移動は複雑で未だ不明な点が多い。 ü 多くの原住民族が生息していたが、台湾全土を対象にする「国家」的存在はなかった。 |
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2 |
オランダ統治時代(1624年-1662年)
38年間 |
ü 倭寇の活動が活発化するにつれて、台湾は倭寇の根拠地の一つとして使用されるようになり、やがて漢民族、日本人が恒久的に居住し始めるまでに至った。また、この時代になると、大航海時代にあったヨーロッパ各国から多くの人々が来航するようになり、台湾の戦略的重要性に気がついたオランダやスペインが台湾島を「領有」し、東アジアにおける貿易・海防の拠点としていった。 ü オランダによる統治期間中、東インド会社は福建省、広東省沿岸部から大量の漢人移住民を労働力として募集し、彼らに土地開発を進めさせることでプランテーションの経営に乗り出そうとした。 |
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3 |
鄭氏政権時代
(1662年- 1683年)
21年間 |
ü 1644年李自成の反乱によって明朝が滅亡し、混乱状況にあった中国に満州族の王朝である清が進出して来た。これに対し、明朝の皇族・遺臣達は、「反清復明」を掲げて南明朝を興し、清朝への反攻を繰り返したが、力及ばず1661年に滅亡させられた。そのために、「反清復明」を唱えて清朝に抵抗していた鄭成功の軍勢は、清への反攻の拠点を確保するために台湾のオランダ・東インド会社を攻撃し、1662年に東インド会社を台湾から駆逐することに成功した。 ü 鄭政権は、(民国の流れを汲む)初の台湾国家である。 |
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4 |
大清帝国統治時代(1683年- 1895年)
212年間 |
ü 建国以来反清勢力の撲滅を目指して来た清帝国は、 「反清復明」を掲げる台湾の鄭氏政権に対しても攻撃を 行い、1683年に台湾を制圧して鄭氏政権を滅ぼすこと に成功した(澎湖海戦)。 ü だが、大清帝国は鄭氏政権を滅ぼすために台湾島を攻 撃・制圧したのであり、当初は台湾島を領有することに 消極的であった。しかしながら、朝廷内での協議によっ て、最終的には軍事上の観点から領有することを決定 し、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設 置した上で福建省の統治下に編入した。(1684年) ü 大清帝国は、台湾を「化外の地」(「皇帝の支配する 領地ではない」、「中華文明に属さない土地」の意)と してさほど重要視していなかったために統治には永らく 消極的であり続け、特に台湾原住民については「化外 (けがい)の民」(「皇帝の支配する民ではない」、 「中華文明に属さない民」の意)として放置し続けてき た。 ü 大清帝国編入後、台湾へは対岸に位置する中国大陸の福建省、広東省から相次いで多くの漢民族が移住し、開発地を拡大していった。そのために、現在の台湾に居住する本省系漢民族の言語文化は、これらの地方のそれと大変似通ったものとなっている。漢民族の大量移住に伴い、台南付近から始まった台湾島の開発のフロンティア前線は約2世紀をかけて徐々に北上し、19世紀に入ると台北付近が本格的に開発されるまでになった。 |
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5 |
日本統治時代
(1895年- 1945年)
50年間 |
ü 1895年4月17日の日清戦争の結果、台湾本島および澎湖諸島は日本に割譲された。日本への割譲反対を唱える漢人により台湾民主国の建国が宣言され進駐した日本軍との乙未戦争に発展した。日本軍の圧倒的に優勢な兵力の前に政権基盤が確立していなかった台湾民主国は間もなく崩壊、1896年に三一法が公布され台湾総督府を中心とする日本の統治体制が確立した。 ü 「農業は台湾、工業は日本」と分担することを目的に台湾での農業振興政策が採用され、各種産業保護政策や、鉄道を初めとする交通網の整備、大規模水利事業などを実施し製糖業や蓬萊米の生産を飛躍的に向上させることに成功している。 ü 日本統治時代の日本人の移民はかなりいたが、その状況は不明である(40万人という説がある)。そのほとんどは敗戦で日本に戻されている。 |
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6 |
中華民国統治時代(1945年 - 現在)
南京国民政府(1945年 - 1948年)
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ü 1945年の第二次世界大戦後、連合国に降伏した日本軍の武装解除のために、蔣介石率いる中華民国・南京国民政府軍が1945年10月17日に約1万2,000人と官吏200余人が米軍の艦船から台湾に上陸して来た。 ü 南京国民政府は、1945年10月25日の日本軍の降伏式典後に、台湾の「光復」(日本からの解放)を祝う式典を行い、台湾を中華民国の領土に編入すると同時に、台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置した。 ü だが、中華民国軍が台湾に来てから、婦女暴行や強盗事件が頻発した。さらに、行政公所の要職は新来の外省人が独占し、さらには公所と政府軍の腐敗が激しかったことから、それまで台湾にいた本省人(台湾人)が公所と政府軍に反発し、1947年2月28日に本省人の民衆が蜂起する二・二八事件が起きた。 ü その際に、蔣介石は事件を徹底的に弾圧して台湾に恐怖政治を敷き、中国国民党の政治・経済・教育・マスコミなどの独占が完了した上で、1947年に台湾省政府による台湾統治を開始した。 ü 二・二八事件以降、国民政府は台湾人の抵抗意識を奪うために、知識階層・共産主義者を中心に数万人[要出典]を処刑したと推定されている(白色テロ)。こうした台湾人に対する弾圧は蔣経国の時代になっても続けられた。国民党が当時の資料の公開を拒み続けているため、正確な犠牲者数は不明で、犠牲者数には諸説ある。 |
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中華民国政府(1949年 - 1996年)
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ü 1949年に蔣介石が国共内戦で敗れた兵隊、崩壊状態にあった南京国民政府を引き連れて台湾に移住してきたため、これ以降は事実上蔣介石・国民政府による台湾の直接統治が行なわれることとなった。 ü 台湾に逃れた蔣介石は戒厳令を敷いて不穏分子を取り締まり、特に本省人の知識人を弾圧した。一方で大陸から台湾に逃れた数十万の軍人を養うためにも大規模開発が必須であったことから、大陸から運び込んだ莫大な資金を用いて開発独裁が行われた。鉄道の北廻線や蘇澳港開発など、十大建設が実施され、台湾経済は軽工業から重工業へ発展していく。 ü 共産勢力に対抗するためにアメリカは台湾を防衛する意志を固め、蔣介石に種々の援助-美援(美国援助=米国援助)を与えた。ベトナム戦争が勃発すると、アメリカは台湾から軍需物資を調達し、その代償として外貨であるドルが大量に台湾経済に流入したことで、台湾経済は高度成長期に突入することになる。 ü 1987年に戒厳令解除に踏み切った蔣経国(総統在職:1978年~1988年)の死後、総統・国民党主席についた李登輝は台湾の民主化を推し進め、1996年には台湾初の総統民選を実施、そこで総統に選出された。 ü 社会的には蔣介石とともに大陸から移住して来た外省人と、それ以前から台湾に住んでいた本省人との対立(省籍矛盾)、さらに本省人内でも福老人と客家人の対立があったが、国民党はそれを強引に押さえつけ、普通語教育、中華文化の推奨などを通して台湾の中華化を目指した。 |
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動員戡乱時期終了後(1996年 - 現在)
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ü この時代には、大きな民族の移動は記録されていない。 ü 李登輝は永年議員の引退など台湾の民主化政策を推進したが高齢のため2000年の総統選には出馬せず、代わって民進党の陳水扁が総統に選出され、台湾史上初の政権交代が実現した。陳水扁は台湾の独立路線を採用したため統一派の国民党とたびたび衝突し、政局は混迷を続けた。 ü 2004年の総統選では国民・民進両党の支持率は拮抗していたが、僅差で陳水扁が再選を果たした。 ü 2008年の総統選挙では国民党の馬英九が当選し、〈両岸対等,共同協議,市場拡大〉を掲げて中国市場を意識した経済政策重視の路線が進められ、中国との間で「三通」(通商・通航・通郵)を実現させたが、2014年に海峡両岸サービス貿易協定締結を強引にすすめる馬政権に反発した学生たちがひまわり学生運動を起こして撤回に追い込んだ。 ü 一方の当事者であるアメリカ自身、中国に対する脅威論、友好論が錯綜し一定の方針が定まっていないため、対台政策も一貫せず、台湾は独自性を強めざるを得ないとの見方もある。そのために日本を対中包囲網の一環に組み込もうとする遠謀も、李登輝などの親日政治家には見られるとされない。 ü 2016年中華民国総統選挙で民進党の蔡英文が馬を破って当選し、初の女性台湾総統となった。 ü 2020年中華民国総統選挙で民進党の蔡英文が再選。 |