目的:
目標の実現を妨げる問題点があればトコトン究明して
対策を取るべきという事例をご紹介します。
困難に打ち克つには精神力が極めて重要ということを
再認識した事例をご紹介します。
ねらい:
お好きなようにお取りください。
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恥ずかしげもなく
2018年2月25日東京マラソンに参加してきました。
昨年に引き続き抽選に当たったのです。
今回は過去最長のハーフマラソン地点越えを達成しました。
以下に問題解決のテーマとしてご報告したいと思います。
その前に記録のご紹介です。
今回の参加者数 = 35,911人
完走者数 = 34,575人
完走率 = 96.3%
前年比0.3ポイント改善(マラソン日和だったせい)
落後者=1,336人しかいないのです。
その中の一人に入ってしまいました。
沿道の応援者は130万人超だそうですが、
ボランティアの多さにもビックリです。
何万人かでしょうね。
正式のボランティアだけで11,000人でした。
3回の記録
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2013年
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2017年
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2018年
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5
キロ
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40分38秒
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42分31秒
(調子は悪くなかったのに服装が重かったか?) |
45分27秒
(写真を撮ったりしなかったのに遅かった)
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10
キロ
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46分52秒
7-8キロで膝痛発生
(だましだまし走り)
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47分57秒
(ギリギリ通過)
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42分47秒
(2分半残しで通過)
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15
キロ
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53分53秒
(この間ほとんど歩き)
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計測なし
(膝の治療しながらで遅れ。15jキロ直前で収容)
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45分23秒
(2分残しで通過)
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20
キロ
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48分21秒
(必死で通過)
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最後
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15キロ地点
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14,8キロ地点
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23キロ地点
(ゆっくり走っていたら収容された)
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2013年も2017年も膝痛でギブアップでした。
初回は、何の備えもなしでしたので痛みと共に終りでした。
これに懲りましたので2回目は、
事前にサロンシップのような塗り薬を塗り
さらに、途中でも痛くなると立ち止まって塗るようにしました。
ところがこの方法では、
すぐに効かない上に、治療をする時間がロスになります。
昨年は10秒の差で15キロ直前で
バスに収容される無念を味わいました。
そこで今年は
たまたま膝の屈伸運動を丁寧にすることを覚えましたので、
毎日毎日屈伸運動をしました。
レース前にも十分しました。
混んでいる列の中、女性の間に屈んでやりました。
今年になってから、スクワットも朝晩30回やりました。
それ以外に、
貼り薬を足の痛くなりそうな箇所のすべてに貼りました。
フェイタスとかサロンパスハイといったものです。
膝の両脇(ここにはサポーターも着用しました)、
ふくらはぎ、太ももの前部分、腰、
全部で17枚くらいです。
これが効いた証拠は、レース終了後に
腰から足の先まで、貼り薬を貼った箇所は痛くならず、
貼っていないところが痛くなりました。
またの機会のために書いておきます。
すねの中側(両足)、太ももの内側(これも両脚)、
その股関節近くまでが拡張対象です。
収容バスで一緒になった女性が、
膝と股関節の痛みでギブアップと言っていました。
今度は股関節にも気をつけようと思いました。
どうすればよいのでしょう?
ともかく貼り薬は成功でした。
途中膝痛には襲われませんでしたから。
ではなぜギブアップかというと体全体の疲労感です。
それでもすぐにはギブアップしなかったのは目標があったからです。
今回は昨年までのリベンジで、20キロを目標にしました。
「何としても20キロまでは行く」と誓ったのです。
今回も10キロ地点辺りから、
「バスに収容されないためにはここが最後です」の合図の
金色の風船を持った一陣(完走サポートランナ―と言います)
に追いつかれました。
▼これは去年の写真です▼
その時「くそ、収容されでれてたまるか」
と歯を食いしばって前へ出ました。
こうして2回ほど切り抜けました。
精神力って結構いけるものです。
もう一つの目標I意識もありました。
それは、大学時代の友人との約束です。
「今度一緒に青梅マラソンを走ろう」と言っていたのです。
所属する運動部で彼と私が走るのが好きな学生でした。
当時は市民マラソンは青梅マラソンくらいしかなかったのです。
その約束を果たさないうちに彼は早逝してしまいました。
途中「おーい、T、頑張るぞ!」と
かけ声をかけながら走ったのです。
大きな声を出しても周りは気にしません。
人のことなど構っていられないのです。
私の家内は彼の縁で知り合ったのです。
大恩人です。
状況がよければ完走したかったのですが、
現実はそんなに甘いものではありませんでした。
実は一般的に、長距離のレースでは、
練習で走った距離以上には行けないものだそうです。
私は過去、市民マラソン等の5キロレースには
芦屋市とか品川区とか何度も走ったことがありましたが、
最高は27キロでした。
その27キロは、30歳頃に、当時の芦屋の独身寮仲間で
琵琶湖一周をしたのです。
レースではありません。
それからすると、23キロは上出来かと自己満足です。
栄養補給の対策もしました。
現在、脱肉食をしているのですが、
1週間前くらいから、脱肉食を解除してソーセージとかを食べました。
あと、アミノ酸やアルギニンとかのゼリーも
レース前やレース中に飲みました。
ご参考までに、トイレのこと。
トイレはスタート地点だけでなく、途中にもたくさんあります。
しかしどこも行列です。男性も。
それからすると、トイレに行きたくなった人は
その時点でレースはほとんどギブアップです。
挽回不能でしょう。
少なくとも私のスピードではそうです。
私はレース前に新宿駅で済ませた後はまったく催しませんでした。
レース後しばらくしてから行きました。
7時間はもったことになります。
寒かったのに汗びっしょりでしたから、そちらで出たのでしょうね。
それ以外の「完走」に対する改善点は、写真です。
昨年はずい分写真を撮りました。
時間のロスを避けるため今年は、
スタート前と自分のゴールのときだけしか撮りませんでした。
15キロ地点浅草まで応援に来ていた
家族3人の写真も撮り忘れるくらいでした。
これは残念です。
取った数少ない写真をご紹介します。
スタート前、梅が満開でした。
スタート地点です。
号砲から20分近くたっています。
私の組はいちばん最後からスターです。
中間点です。
応援でいた方が親切にもシャッターを押してくださったのです。
「みんなが一つになる」
というキャッチフレーズのこういうイベントは良いものですね。
寒かったので首にマフラーを巻いています。
最後の23キロまで走ったという証拠の写真です。
このあたりになると、ランナーはまばらです。
前にいるのは女性ですが、女性のランナ―は多かったです。
終わってからの「祝勝会」です。
孫が作ってくれた金メダルでです。
二人ともボケていますね。
追記:
今日は2月28日、レースから3日後ですが、
筋肉痛も取れ、今日から毎朝のジョギングを再開しました。
3 件のコメント:
すばらしい闘志と実績に、脱帽いたします!
お褒めいただき嬉しいです。
ですが、単に意地と根性でしがみついているだけです。
2019年も抽選が当たりましたので、今度は完走を目指します。
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