【このテーマの目的・ねらい】
目的:
日本および世界の食に関する情報を得ていただきます。
今まで知らなかったことが一杯でビックリです。
ねらい:
ぜひ、現本でお読みください。
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石毛直道先生は、日経新聞「私の履歴書」11月のご担当でした。
ビックリする新事実が多かったので、
最もコンパクトなこの本(文庫版、290ページ)を読んでみました。
本当にビックリです。
30年以上に亘って世界を調査されたのです。
その結果分かったこともビックリですが、
なるほどそうだったのか、ということばかりです。
その本の序章の一部をご紹介します。
この序章が本論の要約になっている面もあります。
太字部分は原本そのままです。
【主食的な食物の分布】
まず「主食」ということばについての但し書きをつけておこう。
主食という観念は世界の民族に共通するものではない。
たとえば、ヨーロッパの言語には主食にあたることばはなさそうだ。
パンは、食卓にならべられる食べ物のひとつにすぎず、
食事の主役ではない。
肉や野菜の料理は、パンを食べるためのおかずではない。
パンは、スープ、肉料理、野菜料理などの皿とともに、
食事を構成する食品のひとつとして位置するものである。
それにたいして東アジア、東南アジアにおいては、
食事というものは主食と副食の2種類のカテゴリーの食品から
構成されるものである、という観念が発達している。
たとえば現代日本語では、
飯(あるいはご飯)に対置されるのがおかずであり、
正常な食事というものは飯とおかずの両者から構成されている、
という観念がある。
そして食事そのものが飯ともよばれる。
飯を飯(ファン)、おかずを菜(ツァイ)ということばに
おきかえれば、中国語でも同じ関係が成立する。
東南アジアの諸言語でも、
食事が主食と副食のふたつのカテゴリーの食品から構成される
という観念がみられるのが普通で、
この場合しばしば米飯が主食をしめすことばとして用いられる。
そのほかに、
太平洋諸島の民族や東アフリカのいくつかの民族のあいだで、
食べ物を主食と副食に分類することがみられる。
これらの民族で、料理を主食と副食のふたつのカテゴリーに
分類するさいに、普通主食にあたるものは、
腹をふくらませることを第一の目的とした
穀物やイモ類などの炭水化物に富んだ食品で、
原則として味つけをしないで料理することが共通点としてみられる。
それにたいして、副食は肉、魚、野菜などを味つけした料理で、
主食を食べるさいの食欲増進剤としての役割をになっている。
このような前置きをしたうえで、
世界の主食的な食品の分布について簡単にのべてみよう。
(以下省略)
「主食」ってそういうことなのですか。
初めて知りました。
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【地域による味つけと調味料】
もっとも普遍的な調味料は塩であるが、
いわゆる未開社会のなかでは、特別に塩を使用しない民族も
世界各地に存在していた。
狩猟民のように動物の肉や内臓をおおく摂取していれば、
食塩を特別に摂取しなくても
生理的に身体を維持することも可能である。
また、ニューギニアのいくつかの民族のように、
製塩はしないが料理のさいに
海水を使用する習慣をもつ人びともいる。
酢は酒の加工品としてつくられる。
そこで酒を欠く文化や、飲酒を禁じるイスラーム教や
ヒンドゥー教の文化圏では、酢を醸造せず、柑橋類や
タマリンドの実の酸味を料理に利用することがおこなわれる。
ダイズその他の豆類や穀物に塩をくわえ、
麹の作用で発酵させた味噌、醤油に代表される調味料が
普及したのは、日本、朝鮮半島、中国である。
日本では味つけの主流を味噌と醤油にほとんど依存しているが、
朝鮮半島ではコチュジャンといわれるトウガラシをいれて
発酵させた味噌が、重要な調味料としてくわわる。
中国では発酵性調味料の種類はきわめておおく、
醤(ジャン)とよばれる一群の調味専門の食品のジャンルがある。
東南アジアでは、塩幸系の調味料―魚醤―がよく使用される。
小魚、アミの類でつくった塩幸の上澄み液を集めたものが、
ヴェトナムのニョク・マム、タイのナム・プラー、
フィリピンのパティスなどの名で知られている魚醤油であり、
日本のしょっつるも同様の調味料である。
魚醤油の系統の液体調味料はインドシナ半島部とフィリピンで
よくつかわれる。
マレー半島でブラチャン、ジャワでトラシといわれるものは、
プランクトン性の小エビの塩幸を乾燥させた塊状の魚醤である。
東アジアの麹を使用した醤類と東南アジアの魚醤は、
塩味だけではなく、アミノ酸のうま味成分をふくんだ調味料であり、
たいていの料理につかうことができて、いっぺんに塩味、
香り、色、うま味をおぎなえる万能調味料である。
このような万能調味料に味つけを依存する料理法は、
世界のほかの地域では発達しなかった。
インドでは、複数の香辛料をミックスして
使用するカレー系の料理が特徴的な味となっている。
スパイス類をミックスした料理はインドを中心に
東西にひろがっており、東南アジア、西アジア、北アフリカにも
カレー風の料理が分布する。
現在イスラーム圏となっている
西アジアから北アフリカにかけての地帯と、
キリスト教圏であるヨーロッパは、
ともに料理におけるスパイスの効果を重視する文化である。
熱帯アジア原産のスパイス類は、
アラブ商人の手を経てヨーロッパに運ばれたので、
中世までは貴重品であった。
肉の保存にスパイスは欠くことができないので、
イスラーム圏を通過せずに熱帯アジアにたどり着いて、
スパイスをヨーロッパに直接運ぼうという目的から大航海時代が
はじまったのである。
スパイスが世界史を変えたのだ。
その結果新大陸が発見され、トウガラシとトマトが旧世界に導入され、
トウガラシは世界中にもっともひろく分布するスパイスとして普及した。
トウガラシなしの朝鮮半島の料理の味、
トマトソースなしのイタリアの味は考えられぬ、
といった例からもわかるように、
このふたつの作物は世界の味を変えたのである。
油脂は、炒めたり揚げたりする料理の加熱手段の
媒体としてつかわれるだけではなく、
それ自体が、味、香り、質感をそなえた調味料でもある。
バターの類の乳製品、動物の脂身、植物油が
食用油脂のおもなものである。
脂身にたいする嗜好は、
料理法が発達しない狩猟採集民のあいだでも認められる。
明治時代になるまで表向きは
四足獣の食用を禁じられていた日本では、
肉食にまだ慣れないせいか、
脂身をしつこいといって敬遠する傾向があるが、
世界の民族のおおくは
脂肪のおおい肉のほうをうまいと感じているようである。
乳製品の油脂は牧畜、作物を利用する植物油は農業という
生活様式が成立してはじめて開発されたものである。
地中海圏のオリーヴ油、
東南アジア、オセアニアにおけるココナツミルクのように、
油脂の風味がそれぞれの地方の料理の味に
独自性を付加していることを忘れてはならない。
世界を股にかけた凄いレポートですね。
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【世界の過半数は手づかみ】
ホテルやレストランで食べるかぎりは、
世界中、ナイフ、フォーク、スプーンのセットで、
あるいは箸をもちいて食事をすることができる。
しかし、家庭での食べ方でいえば、
世界の人口の半分以上の人びとが、
手づかみで食事をしているのである。
箸は古代中国に起源し、その周辺の文化に伝播した。
現在、日常の食事に箸を使用するのは、
中国、朝鮮半島、日本、ヴェトナムである。
ヨーロッパはながいあいだ手づかみで食事をしていたが、
十七世紀以後になって、ナイフ、フォーク、スプーンの
三種の道具を使用して食べ物を口に運ぶ
習慣が普及するようになった。
現在の世界でこの三種の道具を食卓での必需品としているのは、
欧米、スラヴ圏を中心とした
いわゆる白人たちのあいだにおいてである。
非白人社会でも、植民地であった場所では、
上流階級においてはこれらの道具で食事をすることもある。
また、現在、東南アジアのタイ、マレーシア、インドネシア、
フィリピンでは、外食のさいはスプーンとフォークを供することが
一般的となりつつある。
右手にスプーンを持ち、左手のフオークで皿の上の飯やおかずを
スプーンにのせて口に運ぶのである。
東南アジアの料理は指先でつまめるようにあらかじめ食物を
ちいさく切り刻んであるので、ナイフは必要ない。
手づかみで食べるからといって、不潔であるとか、
野蛮であると考えてはならない。
手づかみの食事をする地域では、食前・食後に手を洗う冒慣を
もつ場所がおおい。
だれが洗ったかわからないナイフやフオークをつかうのと、
自分で洗った手の指と、
どちらが清潔であるかは決めがたいことである。
イスラーム教圏、ヒンドゥー教圏では、
食べ物に触れることが許されるのは右手にかぎられる。
用便の始末につかう左手は不浄の手とされている。
北アフリカのイスラーム教徒の例でいえば、
上流の家庭ならば、
食前に手洗い用の真鍮製の水さしと受け皿、
庶民の家庭ならば
ヤカンとホウロウびきの洗面器がせっけん、タオルとともに
会食者にまわされる。
客の手に主人が水をかけてやるか、あるいは客どうし、
隣の者の手に水をかけるのが作法である。
手を洗い、口をすすぎ、短いアラーヘの祈りのことばが
となえられたのちに食事がはじめられる。
男女隔離のつよい文化であるので、男の客があるさいには、
食事の場に家族のなかの女は参加しない。
主人は下座に座って、客が食べおわるのを見とどけてから、
残り物に手をつける。
五本指で食べ物を手づかみにするのはいやしい食べ方とされ、
親指、人さし指、中指の三本の指の先端だけをつかって
食べるのが上品な食べ方とされる……。
といったふうに、手づかみの食事においても厳格な食事に
かんする作法がある。
食事のさいのふるまい方や、禁止される食べ物の種類、
ぎゃくに年中行事にさいして特別の食べ物を食べるべきである
という決まりなどには、宗教に関係した事柄がすくなくない。
イスラーム教徒がブタ肉の食用を禁じられていることは
よく知られているが、ユダヤ教の戒律を厳格に守る人びとも
またブタ肉を食べないし、
鱗やヒレのない魚であるエビ、カニ、イカ、タコは
ユダヤ教徒にとっては不浄な食品とされている。
人が死後、他の動物に生まれかわる輪廻転生の観念をもつ
ヒンドゥー教徒にとっては、動物を殺して食べることは、
死んだ親族の生まれかわった肉を食べることになる
可能性をもっている。
そこでヒンドゥー教徒には菜食主義者がおおい。
菜食主義といっても、動物を殺さないで得られる乳や乳製品は
食用の対象にされる。
その乳を供給してくれる聖なる動物であるウシを殺すことは、
乳を赤子にあたえる母親を殺すことになぞらえられる。
キリスト教、イスラーム教、仏教などの世界宗教は、
個別的な文化の枠をこえてひろく分布し、
宗教によって結ばれた文明を共有するひろい世界をつくりあげた。
この世界宗教の年中行事が、ふだんはことなる民族の食生活を
共通の連帯をもつものにしている。
全世界のイスラーム教徒が
断食月にはいっせいに昼間の飲食をつつしんだり、
イスラーム暦でメッカ巡礼の終了した日にあたる犠牲祭には、
家畜を殺して肉を贈り合う風習や、
現在ではかならずしも守られないことがおおいが、
キリスト教徒が金曜日には肉を使用せず魚料理ですますとか、
クリスマスや復活祭には特定のごちそうを食ベるといった例を考えれば、
食事の背景に神が見え隠れすることに気がつく。
食事という日常茶飯事をばかにしたらいけないのである。
それは奥行きの深い文化である。
食事を通じて文化を体験することができるのだ。
金属の加工ができない時代はどうやって食べていたのだろう?
と思っていました。
欧米人の方が古くから箸を使う東洋人より「野蛮」だったのですね。
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本論は以下の構成になっています。
どのテーマもたいへん興味深い内容です。
ぜひ原本をお読みください。
Ⅰ諸民族の食事
第1章 朝鮮半島の食
第2章 世界における中国の食文化
第3章 東南アジアの食文化
第4章 オセアニア―太平洋にひろがる食文化
第5章 マグレブの料理
Ⅱ日本の食事
第6章 米―聖なる食べ物
第7章 日本の食事文化 その伝統と変容
第8章 現代の食生活
第9章 日本人とエスニック料理
Ⅲ食べ物からみた世界
第10章 世界の米料理
第11章 すしの履歴書
第12章 麺の歴史
麺は中国が発祥の地である。
東に行きうどん・そばができ、西に行きパスタができた。
第13章 料理における野菜の位置
第14章 世界の酒ー伝統的な酒の類型
第15章 茶とコーヒーの文明
第16章 うま味の文化
この図を作るにはどれだけの調査の裏付けが必要か、
考えてみると、著者たちはたいへんな調査をしてきたのですね。
人文科学を見直します。
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