2017年4月26日水曜日

「まだ科学で解けない13の謎」

【このテーマの目的・ねらい】
目的:
 その謎って何だろう?を知っていただきます。
 そういう謎に多くの科学者が取り組んでいるのだということを
  再認識していただきます。

ねらい:
 関心のある方は本書をお読みください。 

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この本は2010年に、
マイケル・ブルックスというアメリカの科学ジャーナリストが
書いたものです。
私はこの書名に惹かれてこの本を開けてみました。



「よくこんな壮大なテーマで本を書く気になるなー」
と著者の見識に脱帽です。

13項目は、同書の目次によれば以下のとおりです。

 1.暗黒物質・
   暗黒エネルギー
 宇宙船の大問題。
 でもそんなものは存在しない?
 2.パイオニア変則事象 物理法則に背く
 軌道を飛ぶ2機の宇宙探査機
 3.物理定数の不定 電磁力や強い力、
 弱い力の強さは昔は

 違っていた?
 4.常温核融合 魔女狩りのように糾弾されたが、
 それでよかったのか
 5.生命とは何か? 誰も答えられない問い。
 合成生物はその答えになる?
 6.火星の生命探査実験 生命の反応を捕えた
 バイキングの
 結果はなぜ否定された?
 7.”ワオー“信号 ETからのメッセージとしか
 思えない信号が一度だけ―――
 8.巨大ウイルス わたしたちはウイルスの子孫?
 物議をかもす異形のウイルス
 9.死 生物が死ななければならない
 理由が科学で説明できない
 10.セックス 有性生殖をする理由が
 科学ではわからない
 11.自由意志 「そんなものは存在しない」という
 証拠が積み重なっている
 12.プラシーボ効果 ニセ薬でも効くなら、
 本物の薬はどう評価すべきか?
 13.ホメオパシー
    (同種療法)
 明らかに不合理なのに
 なぜ世界中で

 普及しているのか?


現在、出版から7年経っていますが、この中の火星の生命探査が
いくらか進展しているのでしょうか。

13を選んだのは著者の見識によるもので、
他の人が選べば別の項目が上がる可能性はあります。

ですが、この13項目が謎であることには間違いないのでしょう。

皆さまはどれに関心を持たれますか?

私は、この中から自分に理解できそうな4項目ほどを
読んでみました。

各章とも冒頭に問題提起部分があります。
何が問題なのかを解説しているのです。
以下の4章についてその部分をそのまま掲載させていただきます。


そのテーマについて世界中の学者さんたちが、
実験結果等を踏まえて甲論乙駁しています。
甲論乙駁の一例をもご紹介します。


その甲論乙駁は決着していないのです。
決着していないので「謎」となっているわけですが、
何となく気持ちが落ち着きません。

でも仕方ないのでしょう。

第5章 生命とは何か

【問題提起】

生命を変則事象としてとらえるのは、いくつかの意味で難しい。
だが、それはたぶん身近であるがゆえに軽視しているからだろう。

ここでいったん、生命をあたりまえのものと考えるのをやめて、
生物の世界と無生物の世界とを分けるものは何かについて、
しばし考えてみよう。


科学的観察の対象として、実例には事欠かない。
わたしたちが”生きている”と呼ぶ特質を備えたものは、山ほど存在する。

一方、誰も”生きている”とは呼ばないものも、身の回りに山ほど見かける。

ところが、地球上の科学者の誰ひとりとして、
両者の状態のどこに根源的な違いがあるのかを語れない。

また誰ひとりとして、”生きていない”状態のものを、
”生きている”と万人が納得するようなものに変えることもできない。

それどころか、いまだに科学者たちは、無生物から生物への転換を
もたらすものは何かについて、意見をまとめようともがいている始末だ。


【議論の一例】

合成生物学はゴールに近づいているのか?

生命の創造をめざして最初の意義深い実験を行なったのは、
シカゴ大学の化学者、スタンリー・ミラーとハロルド・C ・ユーリーだ。

1953年、ふたりは、アンモニア、メタン、水素の混合気体と水を入れた
フラスコを密封して、原始地球の大気成分を再現し、
その中に電気の火花を飛ばした。

原始地球の雷雨が無機化合物を刺激して最初の生命を創り出した
のではないか、という仮説にもとづく実験だった。

この実験は、並々ならぬ成果をもたらした。

一週間にわたって放電を続けたところ、メタンを作っている炭素の
約2パーセントからアミノ酸が、すなわち蛋白質の基本成分となる
有機化合物が合成されたのだ。じつに驚くべき新発見だった。

問題は、この実験に不備があったことだ。

したがって、ミラー・ユーリーの実験は、
真の意味で成功を収めたわけではなかった。

それでも、この試みは生命創造の可能性を示した。

そして1961年、
スペイン・カタルーニャ州出身の生化学者ヨアン・オローが、
ミラーらの実験をさらに進展させた。


オローは、水、水素、シアン化物、アンモニアを用いて、
大量のアデニンを生成させた。

アデニンはDNAを作る四つの塩基のひとつであるだけでなく、
アデノシン三燐酸(ATP)のおもな構成要素でもある。

このATPという化合物は、動植物の活動に必要なエネルギー源になる。

人間はATPを消費しなければ、走ることも、成長することも、
呼吸することさえもできない。

ノーベル生理学・医学賞を受賞したベルギーの生化学者
クリスティアン・ド・デューヴは、かつてこう言っている。

「生命とは、一定の条件が整えば再現しうる、
ほとんど日常茶飯事とも言える物質現象であるか、
そうでなければ奇跡である。


生命の誕生はあまりにも多くの過程を伴っているので、
物質現象と奇跡とのはざまに、
生命が生まれた原因を見出すことはできない」。


もしアミノ酸やアデニンをつくるのが
ほんとうにそれほど単純なことなら、
生命を創始するのもたやすいのではないか。


本気でそういう展望を持つだけのもっともな理由がある。

それは、生命が地球上に誕生した際の驚異的な速さだ。


 
第9章 死

【問題提起】

1965年の夏、
ジョージア大学の若い研究者がミシガン湿地でカメを捕まえた。
それは成長しきった雄のブランディングガメで、
少なくとも25歳にはなっていた。

その特徴を書き留めると、研究者はカメを元の場所に返した。

それから33年後の1998年、J・ホイットフィールド・ギボンズが
ふたたびそのカメを捕まえた。カメは健康そのものだった。

ブランディングガメは生物学上の謎だ。

知られている中で最も長寿の個体は、
1980年代に77歳だったと記録されている
――そのカメは雌で、なおも卵を産んでいた。


トラックに轢かれて背骨を折らなければ、十中八九、
今でも生殖を続けていただろう。


ブランディングガメは老いることも弱ることもない。
一生のあいだ、病気への抵抗力がまったく低下しないのだ。

変化があるとすれば、年を取るにつれて精力的になることぐらいだろう。
平均的に見て、雌の産む卵の数は年々増えていくのだから。



”老化”すること、
すなわち時間の経過とともに衰えて最終的に死に至ることは、
動物界全体に共通する定めだ。


この標準的な理論によると、ありとあらゆるものが年老いて、
力尽き、死んでいく。


これはまっとうな理論だが、事実と照らし合わせると、つじつまが合わない
――どう合わないのかというと、これがとても興味深い。

カメは脊椎動物であり、
したがって、わたしたち人間とよく似た進化を遂げてきた。


わたしたちの分子機構が時間とともに壊れていくなら、
カメにも同じことが起こるはずだ。
ところが、実際は違う。


南カリフォルニア大学の老年学教授ケイレブ・フィンチによると、
プランディングガメの存在は間違いなく、人間の老化は
避けられないという概念に対する”痛烈な挑戦”だという。


ブランデイングガメだけではない。

脊椎動物では、
魚類や両生類や爬虫類の中に、老化しない種がいくつもある。


なぜこれらの種が老化しないのか
――また、なぜわたしたち人間が老化するのか――
を解明すれば、即座に明白な利益がもたらされるだろう。


しかし、事態は想像をはるかに超えて錯綜している。

じつのところ、理にかなっていないのはブランデイングガメではない。
死それ自体が次なる変則事象なのだ。


【議論の一例】

とはいえ、ケニヨンによる初の大発見は、
”カロリー制限”にまつわるものではない。

ケニヨンは線虫の寿命を延ばす遺伝子をまたひとつ見つけたのだ
――しかも、その寿命延長率は100パーセント。


1993年12月2日発行の《ネイチヤー》誌によると、
通常の寿命が2、3週間のシノラブディス・エレガンス(Cエレガンス)
という虫が、最長で6週間生き延びたという。


本来の寿命の2倍長生きした線虫が情勢を変えてしまったようで、
加齢の遺伝子スイッチが存在する可能性
――そして、そのスイッチを切ることができるかどうか――
について議論が始まった。


ケニヨンの大発見以降、
研究者らは寿命の違いが生じる原因をいくつか特定した。

線虫の遺伝子を少しいじるだけで、
分子シグナルの増幅反応がうまくいかなくなる。


この分子シグナルは、
インシュリン・ホルモンが人体に引き起こすシグナルに似ている。


人間で実験するのはむずかしいが、このシグナルの反応が、
ショウジョウバエで起こるシグナルのホルモン駆動型増幅反応に似ている
ことが発見されたとき、すべてが始まった。


ショウジョウバエは生活環(ライフサイクル)が短いので、
かねてから世界じゅうの遺伝子研究で便利な実験体として用いられてきた。

おかげで加齢の研究も進み、今日では遺伝子スイッチによって
ショウジョウバエの寿命を廷ばせるようになった。


これと同じ策をもっと大きな動物にも応用できる。

一連の遺伝子スイッチを入れるだけで、
長命な哺乳動物を作り出せるのだ――例えば、メトセラマウスなどを
〔メトセラは旧約聖書に登場する長寿の族長。高齢長寿の代名詞〕。


興味深いことに、細胞の死減を止める方法はわかっている。

癌細胞には”テロメラーゼ”という酵素が含まれている。


これは分裂のたびにテロメアを完全に元どおりの長さに復元する酵素だ。

このテロメラーゼのせいで複製が止まらなくなり、腫瘍が急成長する。


細胞がテロメラーゼを生成できれば、
テロメアが短くなるのを避けられるということになる。
そして、生成は可能だ。


1998年初め、カリフォルニア州メンローパークにあるジェロン社の
アンドレア・ボドナル率いる研究者集団が、
テロメラーゼを活性化する遺伝子を
通常のヒト細胞に埋め込んだことを発表した。


その細胞は、なんの処理もしていない細胞の2倍長生きしたという。

そして、《サイエンス》誌での発表時にもなお健在だった。

その細胞は健康そうで、若い細胞の特徴を備えていた。


テロメアが活性化すれば、複製老化の呪いを避けられる。
つまり、どこからどう見ても不死身だ。


第10章 セックス

【問題提起】

近年の状況に話を移すと、
2007年の《ネイチャー》誌の解説論文では、
「性交が生殖方法としてこれほど広まっている理由は
今もなお理解しがたい」と言明されている。


突き詰めて考える人は少ないかもしれないが、
セックスは摩訂不思議なしろものだ。


最大の謎は、ごく単純に、
生命体が自分自身の複製を作り出す無性生殖のほうが、
ずっと効率的に遺伝子を次世代へ伝えられるのではないかという点だ。


無性生殖は実際に行なわれている。

爬虫類と魚類を中心とする多くの種が、限られた回数の無性生殖を実践し、
雄の遺伝物質を受け取ることなく、自分自身を複製する
(雌だけを産もうとする雌の生殖活動ということになる)。


例えば、ロンドン動物園にいるコモドオオトカゲは、
2006年に雄の助けを借りずに子孫を増やした。

わからないのは、なぜ無性生殖が優位に立てないのかということだ。


有性生殖では、相手となる生命体を必要とするうえに、
自分の遺伝子を半分しか伝えられない。

おまけに、有性集団と無性集団が共存する場合、
無性集団では各個体が全員子孫を産めるが、
有性集団ではそれが半数にとどまる。


セックスは絶滅を招く生殖法であり、無性生物がたちまち環境を
支配することになるだろう。


メイナード・スミスに言わせれば、セツクスには”2倍のコスト”が伴う。

遺伝学的に言つて、本来の半分しか力を発揮できない
――おまけに繁殖の速度も半分に落ちる――ような生殖法が、
なぜ洵汰されずに今も残っているのか?


しかも、それはあくまで遺伝学上の謎に過ぎず、ほかにも、
つがう相手を奪い合う労力、卵子と精子の合体に伴う非効率性、
交尾中に捕食者に襲われる危険などの問題点がある。


さらにまた、優良な遺伝子組み合わせ、
つまり進化の途上で選択された組み合わせが、
再結合の過程でばらばらになってしまい、
次代に伝えられない可能性もある。
理論家の観点から見て、セックスはほとんど欠陥だらけの生殖法だ。


ところが、この理論的な評価に反して、周囲を見渡してみると、
セックスの欠陥が一般的に認識されているとは言いがたい、
それどころか、地球上で最も広く行われる生殖法となっている。


【議論の一例】

例えば、オータムの無性ヤモリは、
有性生殖で生まれたヤモリより運動能力が高く、
より長い距離をより速く走った。


ところが、それ以前に別の種を使って行なわれた研究では、
逆の結果が出た。

一連のミジンコの実験で、無性生殖から生じる有害な突然変異の率が、
有性生殖の4倍に達したのだ
(ミジンコは有性生殖と無性生殖の両方を行なう)。


しかし、線虫の研究では、有害な突然変異の発生数は、
無性集団も有性集団もまったく差がなかった。


ゲノム進化のコンピューター・シミュレーションによると、
ここでは集団の大きさも問題になってくる。

小集団は有性のほうがうまくいくが、有性生殖種の大集団では、
有害な突然変異が多く蓄積される。


有性集団では遺伝子が再編成されるので
環境の変化にすばやく適応できるという説については、どうだろう? 


ここでもまた、種々雑多な証拠が入り交じっている。

1997年の酵母菌の研究では、有性生殖を行なう種の酵母菌には、
新たな環境に適応するうえでの利点は何ひとつ見当たらなかった
(酵母菌には有性生殖を行なう種とそうでない種がある)。


ところが、別の研究では、環境が悪化した場合は、
有性種の個体数が勝るが、環境が改善されると、
両集団の個体数が均等に保たれることがわかった。


2005年に行なわれたもうひとつの研究では、
有性と無性両方の酵母菌変種が
最小限の栄養分とともに試験管に入れられた。
結果は無性変種の勝ち。


同じ混合物をマウスの脳に塗りつけると
(高度に変化に富んだ環境を再現するため)、今度は有性集団が勝った。


ところが、この結果はふたりのカナダ人研究者の発見と齟齬をきたした。

1987年に、グレアム・ベルとオースティン・バートは、
有性生殖では変化に富む環境に住む子孫に利益をもたらすような
遺伝的多様性は、得られないことを明らかにした。
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【上野注】
これらの議論に専門家でない私は参加しようがないのですが、
思ったのは以下のことです。


有性生殖が有利な場合と無性生殖が有利な場合、
どちらも存在するとすればどちらが有利なのかを明らかにするのではなく、
どういう場合に有性生殖が有利で、
どういう場合に無性生殖が有利なのか
を明らかにすればよいのではないでしょうか。

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 第11章 自由意志

【問題提起】

恐ろしくて、ひどく気の重い話だが、
わたしたちは脳によって動かされる機械なのだ。

わたしたちが自由意志だと思っているものを、
じつはわたしたちは持っていない。


何十年にもわたるきわめて再現性の高い実験から、
この推論が導き出されたのだが、まだ筋の通らないところがある。


人間としてわたしたちは、自律性、自己決定能力、自由意志を、
自分に当然備わったものと信じている。


ほぼすべての人間が、自由意志を否定するような実験結果は
異常なものだと言うだろう。

そのような結果は意識的経験の枠組みとは合わないのだ。


しかし、パトリック・ハガードと話してみれば、
わたしたちのその自己欺瞞こそが珍奇な変則事象であって、
誰もが懸命にしがみつく自由意志の概念など幻想にすぎない、
と言われるはずだ。


ハガードだけではなく、ほとんどの神経科学者が同じ見解を持っている。

ただ、少数の学者はいまだ自由意志にこだわり、
実験結果のほうを変則事象として切り捨てる。


この論争の持つ意味は、これ以上ないほど大きなものになってきている。

自由意志には確かに割り切れない部分があり、
この変則事象の解明は、人間とは何かという問いへの答えとなるだろう。


【議論の一例】

1970年代後半のある日、
リベットはノーベル生理学賞受賞者ジョン・エクルスらとともに、
自由意志に関するシンポジウムに参加していた。


エクルスは自発行為が行われる際に”準備電位”と呼ばれる脳信号が、
必ず行為より1秒以上早く生じるという最新の研究を話題にした。


当時エクルス自身は、
すべての自発行為は自由意志が起こすものだと信じていた。


したがって自由意志のほうが、自発行為よりも少なくとも
1秒は早く生じているはずだ、と述べた。


リベットはすぐに、それがあくまでエクルスの信念であって、
裏づけとなる証拠があるわけではないことを見抜いた。


そこで、裏づけを探す実験を始めた。

リベットはボランティアをつのって、頭皮と手首に電極をつけ、
ごく簡単なある作業をするよう頼んだ。


まず時計を見ながら、いつでも好きなときに手首を曲げる。

次にその行為をしようという意図を最初に感じたのは
いつだったかを報告する、というものだ。


頭部の電極で、リベットは、
準備電位が徐々に高まっていくのを測定した。

手首の電極は、筋運動の行なわれた正確な時刻を教えてくれた。

被験者が、手首を動かそうという意図を感じた時刻を述べると、
それは常に行為より先に起こっていた。


快調な出だしだ。しかし、吉報はそこまでだった。

リベットは脳の準備作業、すなわち準備電位が、
意図を知覚するより先に生じていることを発見してしまったのだ
――それも、かなり大幅に。

脳が行為の準備に入るのは、
意図が知覚される最大0.5秒前、平均でも0.35秒前で、
その時点で被験者はまだ、動こうという意図に気づいてすらいない。


知覚するころには、脳は完全に起動していた。

被験者が意識的に決断したと思ったことが何であれ、
実際には、その行為を起こす決断ではなかったのだ。

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科学に関心のある方は、
是非、本書を研究なさってみてください。




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