2023年12月13日水曜日

「死は存在しない」の事例です!!

[このテーマの目的・ねらい】
目的:
 人間が死んだ後にも残っているという「霊」の事例のご紹介です。
ねらい:
 自分たちもそのようにして
 どこかに現れることはできるのでしょうか??
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2023年11月28日の日本テレビ21時からの
「ザ!世界仰天ニュース」で
以下の「ふしぎ」な事実が報道されました。
米国のある州で2000年頃のことです。

1.2歳の男の子が夜泣きしてふしぎなことを口走るのです。
 男の子は夫婦の一人っ子でした。
 「炎上!!閉じ込められた。出られない!」

2.何度も同じことが起きるので、夫婦は問いただします。
 だんだん、いろいろなことが分かってきます。

3.「コルセア」
 「どうしたの?」と父親が聞きますと、
 男の子は「撃たれたの」「燃えたの」「出られないの」
 と答えます。
 どこで?と聞くと「コルセアに乗っていたの」と言います。

 父親が調べますと、確かにコルセアという戦闘機がありました。 
 下から写している写真を見ながら、
 父親が「お腹に爆弾を抱えているんだね」というと、
 「違うよ、ドロップタンクだよ」と言うのです。
 そんなこと、子どもが知っているわけがないので調べると、
 ドロップタンクは予備燃料のタンクでした。
 出典:Wikipedia


4.「ジェームズ・ヒューストン」
 名前はなんていうの?と聞くと、ジェームズ・ヒューストンでした。
 その男の子もジェームズでした。
 父親が後になって調べましたら
 後掲のナトマの戦死者名簿にその名がありました。
 1945年3月3日亡でした。
 硫黄島での戦いのようでした。

5.「ナトマ」
 どこからきたの?という質問に、ナトマだよ、と答えます。
 ナトマって日本?って聞くと「違うよアメリカの船だよ」
 と答えます。
 父親が調べますと、ナトマは米国の航空母艦の名前でした。
  出典:Wikipedia


6.「ジャック・ラーセン」
 男の子がその名前を言いますので、
 父親がナトマ生存者の集まりに参加して聞き出すと、
 その人が存在したことが分かります。
 父親は、
 すっかり老年になっているジャック・ラーセンを訪ねました。 

 ジャック・ラーセンはジェームズのことを覚えてくれていました。
 そして、
 当時の自分の戦闘帽を「息子さんに」といって渡されました。
 幼少のジェームズは、その戦闘帽を受け取ると
 馴染みの手つきすんなり被りました。

7.「ビリー」と「レオン」
 兵隊の人形が好きな男の子に両親はいくつも与えます。
 男の子は、その二つに「ビリー」と「レオン」
 という名前をつけました。
 
 両親がどうしてその名前なの?と聞きますと、
 「二人は天国で僕を迎えてくれたんだ」と言います。
 そこで、父親がナトマの戦死者名簿を確認しましたら、
 二人は1944年の10月と11月に亡くなっていることが
 分かりました。

その後、成長した男の子は、米国陸軍に入隊しました。
戦争に思い入れがあるのでしょう。

「死は存在しない」で主張されたのは、
人間は死んでも「思い」は永遠に不滅で存在している、
ということです。

このジェームズ君のことは、まさにその「思い」が50年以上経って
なぜかその男の子に「乗り移った」のです。
ジェームズ・ヒューストンの「炎上、撃たれた,出られない!!」は
死の直前の壮絶な無念の思いだったのです。

この事例の特筆すべきは、寝ているときだけでなく起きているときにも
亡くなっているジェームズ・ヒューストンの記憶が
男の子に残っていることです。
そういうことだと、男の子は
自分のこととヒューストンのことの区別が
つかなくなるのではないでしょうか。

そういうことは、当テレビの番組では取りあげられませんでしたが、
気になるところです。

2023年12月12日火曜日

「なぜ人は怠けてしまうのか」ですね

[このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「勘違いが人を動かす」の第2章のご紹介です。
 いろいろな心理状態の実体の一部を確認いただきます。
ねらい:
 そのような知見を活かしましょう。
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「勘違いが人を動かす」の第2章のご紹介です。
第2章 なぜ人は怠けてしまうのか
の中見出しはこうなっています。

「20ドルもらうために27ドル払う」人
広告費を使わず売上を倍にするシンプルな方法
ビジネスと公共機関で使われるナッジ

キャッシュバック制度は意図的に「面倒くさく」されている
自殺者すら減らす「面倒くさい」の力
コラム:相手に面倒くさいと思わせたらダメ

意思決定の95%は自動的に行われている。
暴徒化した市民も「順路に従って」大人しく行動してしまう
「大量の情報」より「わかりやすい」ほうが効果的

「なぜなら」と言うだけでうまくいく
ダイエットを成功させたいなら「数字のない」体重計を使うべき
「複雑な問題だ」と考えることが「シンプルな解決策になる

選択肢は欲しいが、選びたくない
選択肢を限定されると、他の選択肢を忘れてしまう
絶対に選べない「ダミー選択肢」のすごい力

「何もしなくていい」ならそれでいい
知らないうちに「デフォルト」を選んでいる
なぜ2位じゃだめなのか?

習慣を変えるのは難しい
ブランドのリニューアルが失敗しがちな理由
新しい習慣をつくるのは「途中でやめるのはもったいない」という気持ち

人を夢中にさせる4段階の「フック・モデル」
認知バイアスを使って良い習慣を身につける方法
ねらうべきは「ぜんぜん知らない」と「全部知っている」の間

以下にいくつかの内容をご紹介します。

「なぜなら」と言うだけでうまくいく
テレビの通販チャンネルで、
こんなふうに商品が宣伝されていたとしよう。
「この商品には、
宇宙飛行士のために開発された技術が使われています。
ですから、きっとあなたの役に立つでしょう!」

よく考えるとおかしな気もするが、視聴者はこの手の宣伝文句に弱い。
この認知バイアス効果は
「ビコーズ・バリデーション」と呼ばれている。
忙しい脳が、「なぜ?」と疑問を持ったとき、
「なぜなら」という理由が与えられれば、
その中身は何でもよくなるという現象だ。

「先にコピー機使っていい?だって、コピーしないといけないから」
その人がコピーしなければならないことは、
割り込みをして他の人よりもコピー機を先に使うための
理由にはならない。
だがこのようなナンセンスな表現が、ハウスフライ効果を生む。

注:ハウスフライ(家ハエ)効果とは、本書で紹介されていますが
男子用小便器にハエの絵を描いたら、そこを目がけてするようになり
便器外への漏れが半減したという例のことです。

理由を告げずに「先に使わせてもらってもいいですか?」と言うより、
この無意味な「だって」をつけたした方がずっとうまくいくのだ。
卑怯?効果的?その通り。
筆者もこの本を宣伝するのに、
「いよいよ楽しみな夏がやって来ますね。
だから本書を買ってください」
といったビコーズ・バリデーションを使ってみようかと思っている。

実験によれば、
理由を告げずにコピー機の割り込みをすると
60%しか譲ってもらえないのに対し、
この無意味な理由を告げるとおその割合は91%に増えた。
もっともな理由「急いでいる」の場合は92%で、
無意味な理由の場合と大差はなかった。

上野コメント
何でもいいからもっともらしい理屈をつけなさい、
ということのようですが、
おそらくその言い方が大事なのではないかと思われます。
ぶすっとして言ったらダメでしょう.
愛想よく言えばいけるのではないでしょうか。

ダイエットを成功させたいなら「数字のない」体重計を使うべき
たしかに、たいていの物事は複雑だ。
だが物事をシンプルにする方法はある。
中略
米国の天気予報では、
気象予報士が「ゴミ箱指数」という面白い指数を用いて、
明日予想される風の強さを伝えることがある。
家の前のごみ箱が、庭の真ん中まで転がっていくか、
隣人の家まで行ってしまうか、
それとも見えないところまで飛んで行ってしまうのかーというように、
ゴミ箱がどれくらい風で飛ばされるかを風力の指数にしているのだ。

「南東の風邪、風力7」と言われるより、ずっとわかりやすい。
数字だけでは、私たちが天気予報か本当に得たい情報は伝わらない。

同じことが、体重計についても言える。
人の体重が何キロかを正確に知りたいのは、
麻酔科医か気球操縦士くらいだ。
ほとんどの人にとって、体重計に乗る時に気になるのは、
ダイエットがうまくいっているかどうかや、
週末の食べ過ぎが響いているかどうかだ。
「71.8キログラム」という数字はその答えにならない。
むしろ、数字は逆効果になることもある。
私たちが、小さな変動で一喜一憂してしまうからだ。
ダイエットがうまくいかないのはそのせいだ。

そこで、米国の科学者は数字のない体重計を開発した。
体重計に乗ると、数字ではなく、
過去2週間の体重の増減傾向のみが表示されるという体重計だ。
そう、物事はこんなにもシンプルにできる。
これほどシンプルにできないとしても、
あまり複雑でないように見せることは可能だ。

脳は、実際の労力ではなく、
その労力がどの程度かという見積りに反応する。
だから広告では、参加したり、遊んだり、
家具を組み立てたりするのがこんなに簡単だと謳われる。
こうした主張の後には、たいてい明快な箇条書きが続いている。

難しいタスクを細かいステップに切り分けると。簡単に見えるからだ。
優れた取扱説明書は、
このチャンキング(大きなものを小さく分けることを「チャンクダウン」、小さなものをまとめることを「チャンクアップ」という)
と呼ばれる原理を活用している。
組織で人を動かすために用いる
ステップ・バイ・ステップ式の計画も同じだ。

上野コメント
行動の目的(「何のためにそれをするのか」)を考えると
シンプルな解決策が出てきます、というご託宣です。

絶対に選べない「ダミー選択肢」のすごい力
とはいえ、
二択を提示して、意図しない方が選ばれてしまうこともある。
エコノミスト誌が
ウェブサイトで読者に定期購読の方法を選択させるときにも
まさにこの問題が生じた。

同社のマーケティング部門の意図は、
読者に高価格のほうの定期購読(紙版+オンライン版)を選んでもらう
ことだった。
だが、3分の2の読者が低価格な法(オンライン版のみ)を選んだ。
そこで、マーケティング部門は3つめのひどい選択肢を加えた。
これは、おとり効果と呼ばれる手法だ。

同部門は、高価格なほうの選択肢の「劣化版」のような選択肢
(紙版のみ、ただし紙+オンラインと同じ高価格)を追加したのだ。

もちろん、その選択肢を選ぶほどバカな人はいなかった。
だがその結果、突如として
過半数が高価格の選択肢(紙+オンライン)を選ぶようになった。

この劣化版は、優れたハウスフライ効果をもたらしている。
人は自然と、3つの選択肢のうち、
「高価格」と「劣化版」の二つに注目し、その二つを比べようとする。

「あれ?私がおかしいのかな?この選択肢は本当に意味がないの?
こんなのを選ぶ人なんているわけない。
もう一方の方がずっといいはずだよね?」
そして知らないうちに、
「低価格」(オンライン版のみ)の選択肢を検討するのを忘れて、
「劣化版」よりはるかにお得という理由で
「高価格」を選んでしまうのだ。

再び、友人たちと何を食べるかを決めるときの話に戻ろう。
あなたはわさびたっぷりの鉄火巻きが食べたい。
そこで、「ハンバーガーか寿司か」と友人たちに尋ねる。
だが、友人たちはハンバーガーを食べたがるかもしれない。

そこでこう提案することもできる。
ハンバーガー、寿司のテイクアウト、
値段は同じだけど職人が目の前で握ってくれる本場の寿司店、
どれがいい?」

こうすれば、友人たちは寿司のテイクアウトと、
職人が目の前で握ってくれる寿司に意識を向け、
この二つを比較するようになる
(ハンバーガーに注意が向かなくなる)。

あるいは、まったく違う質問に答えさせるという方法もある。
これは「選択の代替」と呼ばれている。
イングランドで、この手法をうまく利用した灰皿が設置された。

この灰皿には、
「世界一のサッカー選手はどっち?」という質問が書かれている。
容器は「クリスティアーノ・ロナウド」と
「リオネル・メッシ」に区切られていて、
喫煙者は吸い殻を捨てることで好きなほうの選手に投票できる。

もちろん、この質問の裏には
「吸い殻を地面に捨てるか、灰皿に捨てるか」
という本当の問いが隠されている。

この本当の問いを直接尋ねず、別の問い方をしたことで、
望ましい選択をする人(吸い殻を灰皿に捨てる)が大幅に増えたのだ。

上野コメント
人間の心理状態というのは、いろいろ興味深い面を持っているのですね。
マーケティングの世界ではかなり研究されているようで、
我々も学ばなければなりませんね。

「脳にだまされる私たち」ですって!

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 人の行動の解明の第1歩をご紹介します。
 脳が本人を騙すという面白い問いかけを解明します。 
ねらい:
 そのような知見を社会生活に活かしましょう!!
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今回のテーマ名は、オランダで2021年に刊行されたベストセラーである
「勘違いが人を動かす」の第1章の名称です。
この著者は、行動経済学者エヴァ・ファン・デン・ブルックと
広告業界の「クリエイティブ・ディレクター」ティム・デン・ハイヤーです。



この構成は、以下のようになっています。
どれも非常に興味深い内容で、1回でご紹介するのは勿体ないと思い、
章ごとに1編とさせていただくことにしました。

第1章 脳にだまされる私たち
    自分にとって都合のいいことばかり考えてしまう理由
第2章 なぜ人は怠けてしまうのか
    「面倒くさい」を脱し「すぐやる人」になる方法
第3章 「想像の痛み」から逃げたい
    不安やストレスに振り回されない技術
第4章 「人と同じ」じゃないと不安
    「同町」と「社会性」を使いこなす
第5章 「今すぐいほしい」が「まだやりたくない」
    「時間」を効率的に使うコツ
第6章 知らぬ間に注目している
    誘惑の仕組みを利用する
第7章 報酬はどう与えるべきか
    「アメとムチ」をうまく使うために
おわりに 「認知バイアスで人を動かす」ことは、倫理的にゆるされるのか、
     など。
付録 人を動かす71の認知バイアス

今回はその初めの第1章です。
第1章の中見出しはこうなっています。

「私だけに当てはまる!」と誰もが思っている
「頭で考えて動く人」と「直感的に動く人」は決定的に違うのか?
現代の生活にそぐわない「衝動性」が遺伝子に刻まれている理由

「自信過剰」なのは当たり前
無知な人より、知識が豊富な人の方が自信を持てない理由
あなたを「勘違い」させる脳の仕組み

人間の意識は「脳がどう働いているのか」を把握できない
コラム:人はなぜ自信過剰になるのか
自分を過大評価するのは他人がいるとき

精神を鍛えるより環境を変えたほうがいい理由
失敗はおまえのせい、成功は私のおかげ
自己欺瞞の本質は、自分に噓をついて自分を騙すこと

「何の効果もない偽薬」が、現実に有益な効果をもたらす
「役に立たない」押しボタンが人を守る
「美味しいものは高い」のではなく、「高い」だけで美味しく感じる

頭ではわかっていても、脳に騙される
コラム:こどもがたくさん食べるお皿はどっち?
握手の前には手を温めた方がいい

どうですか、どれも知りたいでしょう?
ここでは、特に私が知りたいと思った項目をご紹介します。
それ以外の興味のある方は本書をお読みください。
本文413頁で、1870円です。

「頭で考えて動く人」と「直感的に動く人」は決定的に違うのか?
あなたは何かをするとき、
常に事実に基づき、d識的かつ慎重に行動するタイプだろうか?
それとも、頭で考えるのではなく、
状況や環境、あるいは遺伝子の働きに従って、
無意識的に行動するタイプだろうか?

実際には、
行動のメカニズムは前者と後者のどちらか一方にのみ依るのではなく、
両者の組み合わせによって成り立っている。
音楽は、
リズム、メロディ、ハーモニー、音質の組み合わせでつくられている。
同様に、
人の行動は身体的作用、文化、状況、性格が合わさって生み出される。
これらの要素は複雑に関連している。

たとえば、胎児のときに子宮内で栄養不足を経験した人は、
遺伝子の働きに影響が生じ、
ある状況下で特定の反応をする可能性が高まる。
このように、
人の行動は思いもよらないさまざまなものの影響を受けている。

つまり、
私たちは、必ずしも思い通りに行動しているわけではないのだ。
しかし、人はこのこの事実を素直に受け取らず、
別の思考に陥ることが多い。

戦争や搾取、大気汚染、社会の二極化などの大きな社会問題の中には、
解決策が明確だと思えるものがある。
そんな時私たちは
「なんで、こんな簡単な解決策を実行しないのだろう?」と疑問を抱く。

しかし残念ながら、行動の仕組みは、
そう簡単に答えが導けるものではない。
fMRI(MRI装置を用いて脳機能を測定する手法)や
脳波スキャンによって脳の働きを細かく観察したとしても、
どのようなメカニズムで人が行動を選択しているかを
解き明かすのは至難の業なのだ。

人間の脳は、3億年に及ぶ生物の進化の影響を大きく受けている。
そのため人の行動には、同族意識や、自己保存
(自らの生命を守り、発展させようとする、生物に備わる本能)、
短期的思考といったものが根強く関わっている。
私たちがどれだけ脳の仕組みに関する知識を増やしても、
頭で考えた通りに行動できないのはそのためだ。

私たちにできるのは、
必ずしも合理的なロジックで導き出されるわけではない
自らの行動の長所と短所について、賢く考えることくらいだ。

上野コメント
頭で考えて動く人」と「直感的に動く人」は決定的に違うのか?
の結論は、決定的に違うということはない、
そんな簡単なものではない、
人はさまざまな特性を持っていて、
どれかが100で、どれかが0だということはない、
ということのようです。

現代の生活にそぐわない「衝動性」が遺伝子に刻まれている理由
古典派の経済学では、
人は選択肢のメリットとデメリットを天秤にかけて、
合理的に行動していると考えられていた。

しかし、
現代の行動経済学では、人間の実際の行動をよく観察した結果、
「人が何かの行動をするときには、
単なるメリットやデメリットだけでは測れない、
もっと複雑で高度なメカニズムが働いている」と考えるようになった。

確かに、脳は次に起こることを常に予測して、
取りうる選択肢のメリットとデメリットを比較し、
最適なものを選ぼうとする。

しかし、たとえば結婚を決断するときには、
メリットやデメリットといった合理性だけでは図れない、
もっと本能的で直感的な力が作用しているはずだ。

深く考えずに瞬時の判断ですぐさま行動に移すのは、
現代社会の管理職研修プログラムでは評価されないかもしれない。

だが、私たちの遠い祖先がサバンナで身を守るためには、
とっさの判断が不可欠だった。
これが、人に衝動性が備わっている理由だ。
私たちの遺伝子には
「どちらの選択肢を選べば自分の子孫を残せるか」
という基準で瞬時に判断する特性が、深く刻まれている。

しかし、この古代の衝動性は、現代人の生活にそぐわないことも多い。
たとえば私たちが住宅ローンの検討を難しく感じるのもそのためだ。
「30年後に幸せな老後を迎えるために」何かを考えることは、
とっさの判断が優先される脳の特性に反している。

つまり、
「自分は物事を合理的に考えている」と私たちは信じがちだが、
それは思い違いである可能性が高いということだ。

同じことは、自分のことを
「社交的」「愛情豊か」「直感的」などと信じている
場合にも当てはまる。私たちは,
自分が思っているほど、自分自身についてわかっていないのだ。

上野コメント
「衝動性」は自己保存本能から生まれたもので、
人(あるいは動物全般)の本質的な特性である、
その認識をして生活をする必要がある,ということなのでしょう。

あなたを「勘違い」させる脳の仕組み
脳は頻繁に私たちを勘違いさせる。
なぜか?それは私たちのせいではない。

私たちが勘違いしやすいのは、
脳が、目の前の現実のうち最も処理しやすいパターンに注目するように
進化しているからだ。
過去に認識したことのある何かと似ている物は、
同じものだと認識した方が効率がいい。

だが実際には、
そのパターンが現実を正確に映しているとは限らない。
そこで脳は広報担当者である「意識」を使って
「自分の行動は正しい』と言い聞かせようとする。
(上野注:面白い表現です)

どんな社会でも、
その一員になるためには一定の常識的行動が求められる。
そのため、適度な自信はあってもいいが、
同時に謙虚さも十分にもちあわせていなければならない。
当然ながら、信頼できる人間であることも必要だ。

さらには、年齢や社会的地位、ジェンダーや文化によって求められる、
人としての強さや他者への優しさも備えておかなければならない。
こうした特性を持ち合わせていないのに、
れがあるふりをずっと続けていくのは難しい。
一流の俳優でさえ、それを演じ切るのは簡単ではないだろう。

だから脳は、意識に対して
「自分はもともとそういう特性や性格の持ち主だ」
と言い聞かせようとする。
自分がそうだと信じ込めば、
周りもそういう性格なのだと信じやすくなる。
これが、自己欺瞞の力だ。

危険思想の主張者やカルト集団の指導者らは、
自らがつくり上げた物語を強く信じている。
だから、他人を惑わされるのだ。

上野コメノト
こういうことのようです。
著者の言う「脳」は本質・本能的なものです。
「意識」は、いわゆる「アタマ」でこうでなければならない、
と考えることとされています。
意識が「自己欺瞞」で自分をごまかそうとしますが、
本当はそうでない面を持っているのだ、ということでしょうか。

2023年12月11日月曜日

駆け出しの倍賞千恵子さん、パワハラされた?

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 倍賞千恵子さんが若い時に
 今でいうパワハラを受けたことを確認いただきます。
ねらい:
 倍賞千恵子さんを応援しましょう。
   Youtubeで倍賞さんの歌を聞きましょう。
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2023年12月の日経新聞「私の履歴書」は
倍賞千恵子さんです。
肩ひじ張らずにのんびりと読ませていただいています。

倍賞千恵子さんは1941年6月生まれですから、
既に82歳です。
未だに歌手生活をされているスゴイご夫人です。
小さいときから歌好きでした。

中学を出て、
20倍の倍率の松竹歌劇団(SKD)付属の松竹音楽舞踊学校に
合格しました。



















それからどんどんその世界に邁進し、
1960年春に松竹音楽舞踊学校を首席で卒業し、
SKDに入団しました。



















そしてトップダンサーを目指してけいこに励んでいるときに、
突如松竹への転出を言い渡されました。
一方的転勤命令ですからね。これがパワハラ第1号です。

そして無我夢中で過ぎた次の2作目です。
解雇された女子工員役でした。
暗闇でマッチを擦らせ、
自分のスカートをめくって行きずりの男性客からお金を稼ぐ
場面があった。
もちろん下着は付けているが恥ずかしくて仕方がない。
ちなみにそのスケベな男性客を演じたのが渥美清さん。

こんな役を押し付けたのが、パワハラ第2号です。

今思い出しても胃がキリキリと痛むのが「酔っぱらい天国」
自分の部屋で新しい恋人(津川雅彦さん)と
下着姿でイチャついているところを元婚約者の父親
(笠智衆さん)に見つかり、
窓際から慌ててベッドに飛び込むという場面。

だがいくらやっても監督からなかなかOKが出ない。
「ダメだよ、もう1回」「違うな、もう1回」
監督はこうつぶやくだけ。
具体的にとこが悪いのか指摘してくれない。
1テイク、2テイク、3テイク、4テイクーーーー。
相手役の津川さんと汗だくで演技を続けるが、
監督はいっこうに首を縦に振らない。
結局、おなじ場面を20回以上も撮り直すハメになった。

想像するに、監督は何か「おおっつ」というような
ハプニング的なH場面が生まれることを期待したのでは
ないでしょうか。
これはまぎれもなくパワハラ第3号です。

「下町の太陽」が、初の主役でしたが、自分の育った環境とも近く
自然な演技ができ好評でした。
その次の主役が松本清張原作の「霧の旗」
その役は、高名なベテランの男性弁護士にお酒を飲ませて色気で迫り、
自分から肉体関係を結んで社会的に葬り去る復讐劇だった。
相手役は「新劇界の神様」滝沢修さん。
酒を飲んだ滝沢さんに「先生が好き、好き、好き――」と抱きつき、
夢中で体を重ねる。
経験不足ながら気持ちの上では一歩も引かず、
自分なりに命懸けで戦った。

この辺りになると、ご自分の意志のようですね。
パワハラとは言えないでしょう。

当時の松竹の大女優は、岡田茉莉子、久我美子、岩下志麻さんでした。
この人たちには、これまで上げた例のようなHな役はさせませんでした。
そういう役を若くて言いなりになる倍賞さんに回したのです。
これはれっきとしたパワハラです。
でもそのパワハラによく耐えて
今の大女優・大歌手ができ上がったのです。
 1963年フランスへの傷心旅行?
 一番きれいだったころの写真














12月20日追記
倍賞千恵子さんは、文筆の才能もおありです。
19日の回にこういう記述がありました。
高倉健さんとの共演などの関りを説明されています。
その後の記述です。

私が演じたのは居酒屋を独りで切り盛りする女将。
忘れもしないワンシーン。
大みそかの晩、
私は看板を下ろした自分の店で紅白歌合戦を見ながら
健さんと熱かんを飲む。
優しく肩をだかれ、2人だけで過ごす静かで濃厚な時間。
テレビから流れてくるのは八代亜紀さんが歌う「舟唄」ーーーー。
「あ、いいなぁ、この歌・・・・。私大好き」
腕の中で指を絡ませる。
命の火が激しく燃えた。
42年経っても「舟唄」を聞くとあの熱い夜を思い出す。

映画の中のことだけなのか、本当にあったことなのか、
微妙な表現でよくわかりません。
彼女は、「役になりきる」をモットーにされています。
上手な書き方ですね。
おそらく本当にあったことなのではないでしょうか。

歌謡曲の歌詞、ここがおかしい!!

[このテーマの目的・ねらい]
目的:
 歌謡曲の疑問の歌詞を考えてみました。
 (まあ暇つぶしです)
ねらい:
 作詞家は思いで詩を作るのですから
 あまり詮索しない方がいいのでしょうね。
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1.夕焼けとんび
写真出典:写愛館


 









 
 夕焼け空が マッカッカ
 とんびがくるりと 輪を描いた
 ホーイのホイ
 そこから東京が 見えるかい
 見えたらここまで 降りて来な
 やけどをせぬうち 早くこヨ
 ホーイホイ

 真っ赤な夕焼けでやけどをするぞ、
 というのはありえないことですが、
 そのくらいの東京に対する思いを歌ったもので
 これは許せる表現です。

2.宵待草
 待てど暮らせど 来ぬ人の 
 宵待草の やるせなさ
 今宵は月も 出ぬそうな

 竹久夢二の作詞なのですが、
 この1番しかないのは寂しいと言って
 西條八十が2番を作詞して付け加えましたた。

  更けて河原に 星ひとつ
  宵待草の花が散る
  更けては風も 泣くそうな
 
 ところが植物学的には
 宵待草の花は散らずに枯れるということが分かり、
 西城八十は、花が散るを花の露と書き換えました。
 ですが、この歌詞の流れからすると
 「散る」方が歌のイメージに合いますので
 ほとんどの歌手が「花が散る」と歌っています。
 これは、間違いなのです。

 因みに、この曲の歌手では、
 髙品綾野さんのソプラノが一番気に入っています。
 ときどき、Youtubeで聞いています。

3.お座敷小唄
 冨士の高嶺に降る雪も
 京都先斗町に降る雪も
 雪に変わりがないじゃなし
 とけて流れりゃ皆同じ

 どんな高貴な女性でも裸になれば皆同じ、
 ということを歌っているのでしょうが、
 「雪に変わりがないじゃなし」は誤りで
 「雪に変わりがあるじゃなし」が正です。
 「雪に変わりがない」というのなら、
 「雪に変わりがないでしょうに」とかになります。

4.霧子のタンゴ
 好きだから とてもとてもとても
 好きだから 別れてきたんだよ
 霧子はこの俺 信じてくれた
 それだから 俺はつらくなって
 旅に出たんだよ

 一見まともなような、女性思いのようなセリフですが、
 実は、自分勝手な考え方です。
 自分の気持ちのことを優先して
 相手の気持ちのことを考えていません。
 そのような純真な霧子だったら、どんなに嘆き悲しむか
 という思いやりがありません。

 この歌詞の3番に「幸せに霧子、幸せに霧子、幸せに霧子」
 と繰り返しますがダメです。
 歌謡曲にはこの手の歌詞が多いですね。

5.津軽海峡冬景色
 上野発の予行列車降りたときから
 青森駅は雪の中
 北へ帰る人の群は誰も無口で 
 海鳴りだけをきいている
 
 私も一人連絡船に乗り
 凍えそうな鷗見つめ泣いていました
 ああ 津軽海峡冬景色
  
 ご覧あれが竜飛岬 北のはずれと
 見知らぬ人が指を指す
 息で曇る窓のガラスふいてみたけど
 はるかにかすみ みえるだけ

 さよなら あなた 私は帰ります
 風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
 ああ 津軽海峡冬景色

 さよなら あなた 私は帰ります
 風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
 ああ 津軽海峡冬景色

 今でも石川さゆりさんが紅白で歌う名曲です。
 しかし、恋に破れてか恋を捨ててか、
 北海道に帰るというのですが、
 今さら帰ってどうしようとするのでしょうか?
 居場所は見つからないのではないでしょうか?
 そうすると、どうなるのでしょうか?

 余計な心配をしてしまいましたが、それでは歌になりませんね。

6.北国の春
 白樺 青空 南風
 こぶし咲くあの丘 
 北国のああ北国の春
 季節が都会ではわからないだろと
 届いたおふくろの小さな包み
 あの故郷へ帰ろかな帰ろかな

 雪解け せせらぎ 丸木橋
 落葉松の芽が吹く
 北国のああ北国の春
 好きだとおたがいに
 言いだせないまま
 別れてもう5年
 あのこはどうしてる
 あの故郷へ帰ろかな帰ろかな
 
 山吹 朝霧 水車小屋
 わらべ唄聞こえる
 北国のああ北国の春
 あにきもおやじ似で
 無口なふたりが
 たまには酒でものんでるだろうか
 あの故郷へ帰ろかな帰ろかな
 
 岩手県出身の歌手千昌夫さんの名曲です。
 わが一族も盛岡出身でした。
 叔父が元気な頃は
 100歳を超えた祖母(叔父の母親)を囲んで一族が集まりました。
 その会のお開きには、いつもこの歌を歌いました。
 「帰ろおうかな」と大声を張り上げました。
 そして「帰ろう、帰ろう」と解散したのです。

 そんな我々にとって大事な名曲なのです。
 この主人公は次男坊?なので くにを離れたのです。
 それにしても「別れてもう5年」は長すぎでしょうに。
 
 そんなに気になる仲なら、1年と言わず3年くらいでは
 くにに戻ってみるのが自然でしょう。
 しかし、「別れてもう3年」では歌いにくいし
 「もう4年」は中途半端です。
 それで作詞家がしかたなく
 「もう5年」にしたのではないでしょうか。

歌謡曲は、気分に浸るものですから、理屈を考えてはいけないのですが
考えてみるとおかしなところがあるね、ということです。 

皆様も気になる歌詞がありませんか?
 



2023年11月24日金曜日

「事務に踊る人びと」

[このテーマの目的・ねらい】
目的:
 「事務」について多角度から眺めた書籍をご紹介します。
ねらい:
 詳細内容はご紹介していませんので、ご関心ある方は
 直接本書をご覧ください。
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本テーマは、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
阿部公彦教授の「事務に踊る人々」の難しいご紹介です。


この書籍は、日経新聞の書評に
事務の本質を解明した、ようなことが書かれていましたので、
「怪しい」と思いながら、つい買ってしまいました。

本書の「はじめに」にこう書かれています。
全文をご紹介します。これが本書のすべてです。

私も、いわゆる「事務屋」の端くれですが、
「だからどうなの?」という一般の読者に役立つことが、
ほとんどないのです。
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事務というと何が思い浮かぶだろう。
事務仕事、事務能力、事務所、事務机ーーー。
こうした言葉から連想されるのは何より仕事や作業の場であり、
そこには道具もついて回る。
昔ならソロバンと鉛筆。
その後はファックスとか、指先にピッタリはめるあの小さなゴムとか、
茶色い封筒とか、最近はパソコン、プリンター、USB,QRコードなど。
比較的息が長いものもある。給茶機、ホワイトボード、付箋。
もう一押しすれば、透明のビニール傘が何本も挿った傘立てとか、
個包装のカントリーマアムとか、
あるいはデスクの引き出しの隅に転がった十円玉や一円玉も事務っぽい。

誰もが心に「事務センサー」を持っている。
しかし、いつセンサーが反応するかは個人差がある。
私の場合、特に事務センサーが働くのは「添付ファイル」だ。
届いたEメールに添付ファイルがくっついていると、
事務モードを感知してたちまち心は曇る。
添付物をクリックしてから開くまでの零コンマ数秒は「悪魔の間」だ。
目は輝きを失い,頬はどろんと垂れ下がり、気持ちは白濁する。

もちろん事務に罪はない。
私も人に添付ファイルを送りまくっている。
他ならぬこの原稿もワードの添付ファイルで担当の斎藤さんに送ったものだ。
添付ファイルには苔のように事務成分が張り付く。
私は斎藤さんに事務苔を送り付けたのである。

いったい誰が悪いのだろう。どこに悪者がいるのか。
そもそも事務は「悪い」のだろうか。
加害者なのだろうか。ならば被害者は一体誰だというのか。
事務がいったい何をしたというのだ!

というわけで、このささやかな思弁からもわかったように、
私は本書を通し、現代の社会で不当に軽視され、嫌がられ、
時には蔑まれさえしてきた事務の営みについて、再考したいのである。
可能であればその汚名を晴らしたい。
汚名どころか、事務には美名がふさわしいのではないか。
事務は魅惑の世界への入り口ではないのか。
事務は人類の知恵であり、救いなのだ。
事務のおかげでこそ、私たちは今、このように暮らすことだできる。
事務は文化と文明の担い手だ。
(上野注:事務ではなく、言葉ではないでしょうか)
広大な事務の楽園では、事務の子羊や事務の兎が駆け回る。
なんと甘美な光景だろう。思わず目頭が熱くなる。

少し褒めすぎた。事務はそこまで甘美なものではない。
私たちは事務の現実を知っている。
事務は面倒くさく、複雑で、抑圧的だ。
事務を前にして、私たちはいつも「しまった!」と言わされる。
それが私たちの宿命なのだ。
そんな事務の現実を見据えながら、
それでも私たちが事務にとりつかれてきた、
その跡をたどってみよう。
人類と事務の間に、いったい何があったのだろう。

本書は12の章からなる。
第1章では、
現代社会の中で「事務」がいかに重要な位置を占めているか、
にもかかわらずどのように疎まれているかを確認した上で、
書類仕事が武力にとってかわった画期としてフランス革命をふり返る。
日本では官僚制が整備されたのは明治期になってからだった。
この時期に事務と周辺概念が輸入され、言葉もつくられた。
そんな中で頭角をあらわした人物の一人に夏目漱石がいる。
漱石に注目すると見えてくるのは、
事務と相性がいいのが教育現場だということだ。
第2章では漱石の四角四面ぶりに事務の影を見る。

第3章以降は、事務処理化が進んだ現代社会に訪れた大きな変化として
「注意深さ」の偏重に注目する。
「注意の規範」が社会を覆うにつれ、私たちは新しい病にも直面した。
事務が生んだ、独特の現代病である。

現代社会には、
事務ならではの感性や、事務についてまわる宿痾があふれている。
たとえば事故/ミス。遅延。面倒な形式の束縛。硬直。しつこさ。
こわわり。
しかし、これらは事務を円滑に行うために必要なものばかりだ。
事務を事務たらしめるのは細部への注目である。
しかし、こうした注視や認知といった行為自体が、
本来の必要性を逸脱するほどの過剰さで人々を魅了するようになる。
倒錯的な事務愛の始まりだ。
細部へのこだわりには、事務の魅惑と疑惑をとき明かす鍵がある。

私は長らくグリッド(格子模様)の図像に魅せられてきた。
今回、事務に注目することで、
格子模様の深い意味をあらためて思い知った。
格子に沿って目を光らせ、格子に沿って歩くとき、
不思議な心境へと至る。
鉄道趣味はその代表例の一つだ。
格子には事務の奥深さが滲み出ている。

文学はしばしば事務の敵のように扱われてきたが、
いやいや、そんなことはない。
むしろ事務の人材は文学界に豊富にいる。
「がリヴァー旅行記」のジョナサン・スイフトからチャールズ・ディケンズ、トマス・ハーディ、E・M・フォースター、小川洋子、西村賢太、三島由紀夫、ハーマン・メルヴィル、川端康成など、
事務を介して読んだり語ったりすることで
新しい魅力を見せる作家たちが大勢いる。

本書の後半にかけ徐々にはっきりするのは、事務と死の親和性である。
事務は私たちに死の世界を垣間見せてくれる。
事務の本領は、、遺産相続や家系など死にまつわる記録の扱いだ。
そんな考察をへて第12章では
本書のまとめとして事務の人間性/非人間性を話題にする。
事務は人間を越えることで人間をコントロールしようとする一方、
ときには―――生成AIを典型にーーー上手に”人間のふり”をする。
その気持ちの悪さを示したのが、
ハーマン・メルヴィルの究極の事務小説「書記バートルビー」だった。
言葉の使い方次第で人間関係はどのようにも変わるが、
最終章では事務の介在した言葉が
どう人と人の距離の調節にかわかるかを確認したい。

本書は事務について結論や規範を提示するものではない。
むしろ事務がいかに規範的に振る舞うかを示したい。
その規範の背後には人間らしい要素があり、
そこに注目すると私たちがふだん馴染んでいる日常の裏が見えてくる。
事務文書と対立すると考えられがちな文学作品だが、
文学の言葉は事務と深く結びつくことで機能を発揮してきた。
事務をめぐる探求は「文学とは何か」という問いにつながるものなのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本書は、このように著者は何を言いたいのかよく分からないのです。
以下に上野の感想を延べさせていただきます。

1.ストーリ展開がいい加減
この「はじめに」で、「本書は12の章からなる、第1章では」とくれば、
すべての章の紹介があるのではないかと思います。
ところが、それは第2章で終り、
次は「第3章以降は」とひとくくりになってしまっています。
順に展開していくストーリはないということなのです。
あれやこれやを述べまくる、という感じです。
典型的、人文科学的アプローチです。

各章の章名をご覧ください。
 第1章 漱石と大日本事務帝国
 第2章 事務の七つの顔
 第3章 事務処理時代の「注意の規範」
 第4章 「がリヴァー旅行記」の情報処理能力
 第5章 「失敗」から考える事務処理
 第6章 身体儀式と事務の魔宮
 第7章 事務を呪うディケンズ
 第8章 鉄道的なる事務
 第9章 エクセル思考で小説を書く
 第10章 事務の「感情」を考える
 第11章 事務に敗れた三島由紀夫
 第12章 事務と愛とバートルビー

2.結局何を言いたいのかあいまい
「はじめに」の終りがこうなっています。
事務文書と対立すると考えられがちな文学作品だが、
文学の言葉は事務と深く結びつくことで機能を発揮してきた。
事務をめぐる探求は「文学とは何か」という問いにつながるものなのである。
ということからすると、事務と文学との関係を見直そう、
ということのようです。

しかしそのことは、
「事務に踊る人々」という書名とも結びつきません。

3.独断的・感想文的な記述です。
本書は、事務なるものについていろいろな角度から分析をしたという点で
初の試みで素晴らしいと思います。
しかし、著者の意見の多くは、独断的で感想文的な内容です。
学者さんはこんなことを述べていれば仕事になるのか、
と羨ましくさえ思います。」

4.「まともな事務論」を期待
この第2章の事務の七つの顔では、その7つはこうなっています。
 1.形式
 2、注意
 3.時間
 4.情報共有
 5.もの
 6.権力
 7.負の要素
これらについて、きちんとした分析をすれば、
「まともな事務論」になったのに、と思われます。

2023年11月23日木曜日

「家政婦の歴史」ご関心ありますか?

[このテーマの目的・ねらい】
目的:
 家政婦について知っていただきます。
 労働者派遣事業の推移について再確認していただきます。
 「そう言えば昔は女中さんっていたなあ」と思っていただきます。
 そういう推移の中で犠牲になる人もいたことを知っていただきます。
ねらい:
 社会の制度にはいろいろ歪みがあることを認識してまいりましょう。
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本項は、労働問題の専門家である浜口桂一郎氏の
「家政婦の歴史」のご紹介です。















この書の「はじめに」に以下の書き出しがあります。
本書は、そのなぞ解きを,なぜそれが謎解きなのかを含めて
興味津々で解説を展開しています。

以下は、上野がこの謎ときに限定してとりまとめていますが、
本書では、以下の章立てで関連する事実を解説されています。
人文科学的ですね。

序章 ある過労死裁判から
第1章 派出婦会の誕生と法規制の試み
第2章 女中とその職業紹介
第3章 労務供給請負業
第4章 労務供給事業規則による規制の時代
第5章 労働者供給事業の全面禁止と有料職業紹介事業としての
    サバイバル
第6章 労働基準法再考
第7章 家政婦紹介所という仮面を科ぶって70年
第8章 家政婦の労災特別加入という絆創膏
第9章 家政婦の法的地位再考
終章 「正義の刃」の犠牲者

1.過労死した家政婦が労働基準法の適用を受けないという判例
2022年9月29日、家政婦を巡ってある裁判の判決が下され、
新聞等マスメディアで注目されることになりました。
それは、家政婦がある家庭に泊まり込みで7日間ぶっ通しで働いた後に
急逝心筋梗塞又は心停止で亡くなったことを
過労死だと訴えた事件だったのですが、東京地方裁判所は
原告(亡くなった家政婦の夫)の訴えを退けたのです。
その理由が、
(細かいことを省略すると)確かに長時間労働はしていたけれども、
家政婦は家事使用人であって
労働基準法や労災保険法の適用を受けないから、というものでした。

家事使用人とは、個人家庭に雇用されて家事に従事する労働者のことで、
労働基準法醍116条第2項に「この法律は、
同居の親族のみを使用する事業及び家事使用人については適用しない」
と規定されている。

2.家政婦の法律上の扱いの変遷


1)1947年9月の労働基準法制定時には、
 家事使用人は労働基準法の適用外だが家政婦は適用対象の労働者であった。
2)1947年12月に職業安定法が施行され、労働者供給事業がすべて禁止された。
 (その理由は人夫などのやくざまがいのピンハネ業を規制するため)
3)そのため、戦前から存在していた「家政婦派出婦会」は、
 派遣業ではなく紹介業である、という建前に変更されて存続することになった。
 1951年10月、家政婦が有料職業紹介事業の対象職種として追加された。
 紹介業であるから、雇い主は派遣先の家庭ということになる。
 家庭で雇用する家事使用人ということである。
4)1985年、労働者派遣法の制定によって、
 それまで全面禁止されていた労働者供給事業のうち、
 「弊害の少なく一定の要件に合致するもの」として13業務が
 労働者派遣事業として合法化された。
 しかし、家政婦は含まれていない。
5)1999年の労働者派遣法改正により、禁止業務以外を認める
 ネガティブリスト方式となった。
 このリストには、介護も家事も含まれていないので、
 家政婦の派遣事業は可能となっている。

3.判例で過労死の家政婦が労働基準法対象外となった理由
その家政婦Aさんは、有料職業紹介事業を営むB社から
C個人宅に紹介されていました。
紹介ですから雇用主は個人Cです。
したがって、AはCの家事使用人である、
ということになるのです。

判例の裁判官は、非情な判決を下したのではなく、
正当な法解釈をしただけのことです。

B社は家政婦派遣事業を
認められるようになっている派遣事業として行わずに
従来からの紹介事業として継続していたために
こういうことになったのです。

ビジネスとしては、
紹介の方が手数料収入は大きくありませんが楽です。
派遣となれば、自らが雇用して、
雇用者としての各種責任を負わなければなりません。
それでB社は、従来からの安易な道を継続していたのでしょう。

Aさんは、そこまで深く考えずに
家政婦業務に従事していたのでしょう。

別項の宝塚歌劇団員の過労死は、
劇団との間は個人事業主としての業務請負契約であったために
労働過負荷は自己責任であると判定されるのです。

こちらの事件は、
Aさんは、B社からは紹介されているだけで雇用主はCである、
ということなのですが,Cには雇用主であるという自覚はなく
Aさんは保護されないということなのです。

どちらも、制度の歪みで労働者が被害を受けている
という事例なのです。

4.著者への問題提起
Aさんの事件をよく考えてみるとこうなります。

このAさんの事件は、Cが雇用主であるという解釈です。
前掲2.の図1で求職者と求人者の間の雇用契約が点線となっています。
雇用契約が締結されるとは限らない、ということです。

雇用契約を結ばない求職者と求人者の関係は、
求職者(労働提供者)が個人事業主である業務請負関係なのです。
そうすると、このAさんの事件も、宝塚歌劇団と同じことになります。

家政婦を利用する家庭は、
家政婦と雇用契約をしようという気はないのですから、
こういう解釈の方が自然ではありませんか。

5.家政婦等を巡る労働者の推移
戦前からの日本家庭のあり方を確認できるデータとして
参考になるので転載いたします。
(1)その1










戦前は、こんなに家事使用人(女中)がいたのです。
ちょっとした裕福な家庭には女中がいました。

(2)その2














戦後は、女中が減少の一途を辿りました。
1995年にはほぼ消滅です。
派出婦・家政婦は1980年代になって
現象一途の女中を逆転しています。


(3)その3










2000年には、家政婦と家事手伝い(女中)は
国勢調査上統合されましたが、2020年には極めて少数となっています。
代わりに、家庭へのサービスはホームヘルパーや訪問介護従事者
になったのです。
1997年に、介護保険法が成立し、
介護保険事業が大きく行政の支援を受けるようになったことが
背景にあります。